アピール
『発見された遺体は未だに身元が判明しておらず、犯行の残忍さに、地域住民の不安は高まって――』
夜、とあるアパートの一室。テレビに映るニュースを眺めていた男は、リモコンを手に取り、そっと電源を切った。暗くなった画面に映った自分を少しの間見つめ、彼はふーっと息を吐き、天井を仰いだ。
その様子を見ていた彼女が歩み寄り、隣に腰を下ろして小さく笑った。
「ふふっ、どうしたの? お疲れ?」
「ああ、まあね……。一段落ついたってとこかな」
男は目頭を指で揉みながら、肩を軽く回した。彼女はそんな彼の背中にそっと腕を回し、ぴたりと身を寄せた。
彼もかすかに笑い、その手に自分の手を重ねた。
「うふふ……ねえ、ところでこの間の旅行のことだけど」
「ん?」
「あれって、本当に一人で行ったの?」
「……いや、向こうで友人と会ったよ。君が『一人より誰かといたほうがいい』って提案してくれたからさ」
「んー、そうなんだけど……ねえ、まさか他の女と――」
彼女が問いかけたそのときだった。突然、インターホンが鳴った。男はすぐにソファから立ち上がり、訝しげな彼女の視線を背中に感じながら、玄関へ向かった。
――助かったが、誰だ? 何か注文した覚えはないし……。
そう思いながらドアを開けると、彼は驚いた。そこに立っていたのは警官だった。
「どうも、こんばんは」
「あ、こんばんは……」
「お一人ですか? あ、そちらは……」
「え、ああ」
「どうも、彼女です。こんばんはー」
彼女がひょいと彼の背後から現れ、彼の肩にそっと手を添えた。
「どうも、少しお時間よろしいでしょうか?」
「ええ、まあ……。君は向こうに行ってて」
「そう? でも平気だよ」
「では、富永信之さんという方をご存じですか?」
「ええ、友人ですが……彼が何か?」
「実は現在、行方不明になっていまして」
「え、行方不明!?」
「はい。十六日と十七日のアルバイトを無断欠勤したあと、本人のSNSに『体調が悪い』という投稿がありました。ところが、翌日突然『兵庫に行く』とだけ投稿し、それ以降、ご家族とも連絡が取れていません」
「じゃあ、兵庫で何かあったんでしょうか……」
「それが、駅の防犯カメラにも彼の姿は映っておらず、ご家族が最近の事件との関連を心配されていまして」
「最近の事件……ああ、あの身元不明の遺体の……。いやいや、まさか、彼がそんな……ははは……」
「ええ、それで何か心当たりはないかと、今、友人関係を一人ずつ訪ねているところです」
「そうですか……でも、十六から十八日なら、僕は旅行に出ていて、何も知らないですね」
「なるほど……。彼女さんもご一緒に?」
「いえ、彼女は――」
「激忙しを更新してましたね」
「はい?」
「実はちょっと、ある事件に関わっていまして。激忙しい日々を過ごしておりました」
「え!? ちょ!」
「え、ある事件というのは、具体的には?」
「今話題の、この街で見つかった、あの身元不明遺体の事件です」
「お、おい、ははは、何言ってんだよ。警察の方なんだから冗談通じないぞ。すみませんね、彼女、ちょっと目立ちたがり屋なところがありまして、こういうことを言うんですよ、ははは……」
男は顔を引きつらせながら笑い、軽く頭を下げた。だが、警官の視線は変わらず、彼女を真っすぐに見据えていた。
「それ、本当なんですか? あなたが関わっているというのは……」
「マジっす」
「おいっ! ちょ、ちょっと待ってくださいね、お巡りさん! ははは……おい、ど、ど、どういうつもり?」
「どうって?」
「いや、まさか“あれ”を言うつもりじゃないよな? ……あ、それとも、これも何かの作戦か?」
「うふふ」
「いや、うふふじゃなくてさ……」
「あのー、続きを聞かせてもらってもよろしいですか?」
「はーい!」
「あ、ちょっと!」
「それで実際、何をされたんですか?」
「実際ですか? えっとですね……実は、彼が“殺してしまった人”の遺体の処理の手伝いと、証拠隠滅を頼まれまして」
「あばあ!」
「え、それって……」
「はい、彼の友人――富永さんのことです。あれは十五日の夜、彼が私をこのアパートに呼んだのがすべての始まりでした……。私はこの部屋で富永さんの遺体と出会い、そして彼と一緒に処理を始めたんです。歯を一本一本抜いたり、指紋を焼いたり、顔を潰したり……いやあ、すごい夜でしたねえ。それから、彼が疑われないよう、被害者の方のSNSを運用して生きているように装ったり、不審者情報をでっちあげてビラを貼ったり、SNSや動画サイトに嘘の情報を投稿したりもしました」
「え、ええ……」
「あの身元不明の遺体と富永さんが結びつかないように活動してましたね。なんていうのかな、総合格闘技みたいな。最前線でバシバシやってる感じで、毎日寝れなかったですし、気が張ってて、まじしんどかったですねえ」
「寝れないって……それは罪悪感からでしょうか?」
「いえいえ、単純にタスクが多くて! 秘密にするのもストレスでしたしね。そうそう! テレビでは専門家の方が、『プロの犯行』とかおっしゃっていましたけど、このような仕事をプロじゃなく、素人の私が手掛けたということをアピールしておきたいですね」
「アピール!?」
「はい。事件発覚後の新聞やテレビのニュース番組でも『組織的な犯行』だとか、デマがさも事実のように流されていて、びっくりしましたけど、同時に『私の働きは数人分に見えていたんや!』って、ちょっと誇らしくもなりました」
「誇らしいって……」
「はいっ。まあ、彼がいたからこそ、この大きな試練も乗り越えることができたのかなと思います。ほんと、ドラマチックすぎる出来事でしたから、いつか映画化されないかなーなんて思っています!」
「映画化……」
警官は呆気にとられ、言葉を失っていた。男もまた膝から崩れ落ち、ぽかんと口を開けて天井を見上げていた。やがて、呻くように呟いた。
「お、終わりだあ……どうして、どうして全部言っちゃうんだよ……?」
「いや、そうですよ。詳しい話は警察署でうかがいますが、なぜ……?」
警官が訊ねると、彼女はこれまでで一番とびきりの笑みを浮かべて答えた。
「それはね……うふふふっ! 私たちが深い絆で結ばれていることを、誰かにどうしても言いたくて! あはははは! 以上です! メルシー! オルヴォワール!」
――獄中結婚って、できるんですよね?
警官にそっと訊ねた彼女の微笑みは、冷たくどこまでも幸せそうだった。