四 メール相談員としての僕
大学生になって初めての春。メール相談員の研修が始まった。
佐伯先生の言葉に背中を押されるようにして申し込んだが、実際に始まると緊張ばかりが募る。
「人の悩みを聞く」──それは想像していた以上に難しいことだった。
相談の文面を前に、僕は何度もキーボードの前で手を止めた。
「言葉って、便利で、でもすぐに人を傷つけるよな」
そんなふうに言ってくれたのは、西園寺だった。
研修帰りに百万遍のスタバで語り合った夜。彼の何気ない言葉に、僕は少しだけ救われていた。
「お前さ、けっこう真面目なんだな」「いや……考えすぎるだけ」「それ、真面目っていうんだよ」
西園寺とのやりとりは、僕にとって、誰かと一緒に歩くという感覚を思い出させてくれるものだった。
少しずつ、大学生活が、他人とつながることの温度を帯び始めていた。
春の終わり、僕は学生課で見かけた小さな張り紙に目を留めた。
「学生相談メールボランティア募集」――そんな文字が、静かな昼下がりの掲示板で僕を呼び止めたのだ。
興味本位だった。ほんの少し、自分の殻を破ってみたかったのかもしれない。
初めて担当したメールは、僕より少し年下の学生からだった。
「大学に馴染めない」「友だちができない」「親にも心配をかけたくない」
――そんな切実な言葉が、画面越しに静かに届いてきた。
僕は、しばらく返事を書けずにいた。言葉が見つからなかった。
けれど、その沈黙の中で、心のどこかに小さな声が響いていた。
「わかるよ」と。「僕もそうだったよ」と。
やがて僕は、ゆっくりとキーボードを打ち始めた。
“あなたの悩みは、特別じゃない。だからこそ、大事にしてほしい。”
それは、まるで自分自身に宛てた言葉でもあった。
相談業務は、匿名であるぶん、嘘がつけない。自分の中の迷いや不安まで、問われるような気がした。
けれど、だからこそ、そこには誠実なやりとりが生まれた。
少しずつ、メールの書き方にも慣れていった。
質問を投げること、待つこと、信じること。
言葉の背後にある沈黙を、想像すること。
それは、「聞く」というより、「寄り添う」ことだった。
ある日、返信の最後にこう書かれていた。
「あなたのメールを読んで、少しだけ安心しました」
画面の文字を見つめながら、僕は少しだけ泣いた。
誰かの力になれたかもしれない、という実感。
そして、自分が誰かに必要とされているという実感。
――それは、孤独の海を漂っていた僕にとって、ひとつの灯台のような光だった。
メール相談員として過ごした時間は、決して華やかではない。
けれど、それは僕の大学生活の中で、確かに大切な断片だった。