東大よりも京大に行きたい2──幸せと数学と 一 入学式のあとで
入学式の帰り道、少しだけ風が冷たかった。
賀茂川の土手を歩きながら、僕は小さなため息をついた。
あっけないほどに短い式だった。名前を呼ばれることもなければ、誰かと目を合わせることもほとんどなかった。ただ、式が終わったという事実だけが、春の光の中に置き去りにされていた。
それでも、今日が「始まりの日」なのだと思うと、胸の奥が少しだけざわついた。
僕は、京都大学に入学した。
親に報告のLINEを送ると、「おめでとう。無理しないで」という返信がすぐに届いた。
その「無理しないで」という一言が、なんだかこの大学生活のすべてを象徴しているような気がして、スマホをポケットにしまった。
大学生って、どんな生き物だったっけ。
自由、自己責任、自主性――言葉だけが先行して、実態がまだ見えない。
僕のまわりの誰かは、きっと将来の夢に向かって動き出している。
研究を志す人もいれば、サークルに心を躍らせている人もいるだろう。
でも僕は、まだ「自分が何をしたいのか」も、「ここでどう生きればいいのか」も、わかっていない。
それなのに、入学式が終わった今、自分が一人前になったような錯覚だけが、なぜか僕の背中にしがみついてくる。
賀茂川の水面が、春の光を細かく跳ね返していた。
向こう岸には、新生活の準備をしている学生らしい人たちが笑い合いながら歩いていた。ああ、きっと彼らも、不安と期待の入り混じった春を抱えているんだろう。そう思ったら、少しだけ気持ちが軽くなった。
「始まりの日」は、たぶんこんなふうに、何でもない風景の中で静かにやってくる。
鼓動は静かに早まり、空気の温度が、少しだけ変わる。
この街で、僕はどんなふうに生きていくのだろう。
そんな問いが、ふと胸の奥から顔を出した。
桜が、少し風に舞った。
それは、何かの合図のようでもあり、まだ何も始まっていないことを告げているようでもあった。