十二 夜の不安と「春」の前触れ
家の空気は、ほんの少しだけ緩んでいた。
私立には合格したから、という安心感が、両親の表情にも会話にも滲んでいた。
でも、自分の中では、何も終わっていなかった。
むしろ、「ここからが本番だ」と思っていた。
父の咳が最近、少し増えた気がする。
母も、仕事の時間を減らしていた。
「うちはもう、浪人させてあげられないかもしれない」
そんな言葉を聞いたのは、共通テストの少し前だった。
一度だけ。でも、十分だった。
夜、布団に入って目を閉じると、不意に「不合格」の三文字が脳裏に浮かんできた。
何度も追い払おうとしたけれど、しつこく、しつこく戻ってくる。
深呼吸をしても、眠気はやってこない。
暗い天井を見つめながら、耳を澄ますと、壁掛けの時計の針が進む音だけが妙に大きく響いた。
ひとつ、ひとつ、夜を削っていくような音だった。
その夜、夢を見た。
京大の合格発表。
掲示板の前に立ち尽くす自分。
番号は、なかった。
目が覚めたとき、胸の奥に鉛のような重さが沈んでいた。
夢だった。
でも、まるで現実のように鮮明だった。
ベッドの脇に置いたスマホを手に取り、カレンダーを開く。
3月10日。合格発表。
それだけが、無機質な文字で表示されている。
それを見て、息を整える。
覚悟を決めるしかなかった。
逃げ道はもう、なかった。
僕は、すでに京大の門の前まで来た。
あとは──その門が開くかどうかだ。