東大よりも京大に行きたい1──なぜ京大なのか プロローグ:違和感
東大模試の日、僕は、なぜここにいるのかがわからなかった。
周囲の誰もが当然のように目指しているこの場所を、僕はまだ、本気で「行きたい」と思ったことがなかった。
新宿の会場は人であふれていた。
静かで、そして妙に自信ありげだった。まるで、ここにいる誰もが自分の道を知っているような、そんな空気に包まれていた。
でも、僕にはその空気が不思議で、むしろ重く感じられた。
「やっぱ、東大だよな」
前の席の男がつぶやいた。
「ここ受かったら、親も何も言えないし」
——そうだよな、と僕は思う。でも、同時にその言葉に違和感があった。
東大。それはもちろん素晴らしい場所だ。誰もが認めるトップ。それは理解できる。でも、その「なぜ東大なのか?」という問いに答えられないまま、ただ流されるように進んでいくことに、僕はどうしても納得できなかった。
僕にとって東大は、「行けたらすごい」と思う場所ではあっても、「行きたい」と思える場所ではなかった。
それが、何だか不安だった。でも、どこが不安なのかも、うまく言葉にできない。
そんな気持ちを、ただ胸の奥で握りしめたまま、問題用紙が配られた。
その瞬間、ふと、脳裏をよぎったのは、あの一枚の紙だった。
中学のころ、塾の先生が見せてくれた京都大学の入試問題。
それは、無駄がなく、余計な装飾もない、ただ純粋に「数学が美しい」と感じられるような、静かな問題だった。
そしてその問題を見たとき、僕は自分の心が、何かに引き寄せられるような感覚を覚えた。
あれを解ける人間になりたい。そう思った。
だから、もしかしたら僕は、ここにいる意味がわからないのかもしれない。
でも、あの問題が示していた静けさと美しさを、どこかで感じられる場所に行きたい。それが、今、僕が感じている本当の願いだと思う。