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第六話 『フォービデン』

 

 彼は、狂気を宿した形相で襲いかかってきた。

 その瞳は血走り、殺意をむき出しにしている。反射的に、アイムの身体はのけ反り――思った以上の勢いで、乾いた土の地面に倒れ込んだ。


 それは一瞬の出来事だった。まるで時が止まったかのような、その刹那の間に、僕の思考は追いつかなかった。

 正直、何が起きたのか、自分でも理解できない。ただ、死の気配がすぐそばにあったことだけは確かだ。


「アイムっ! ……大丈夫なの?!」


 ハヴァがすぐさま駆け寄ってくる。その声は焦燥に満ちていた。


 そして――目の前では、狂気を宿した彼と、鬼気迫る表情のアースが、“武器”をぶつけ合っていた。金属が擦れるような、甲高い音が響き渡る。


「くひっ……いくらなんでも、速すぎるね。それに、そんな“棒っきれ”で俺っちの短剣ダガーが止められるなんて……ハハッ、どんな化物だよ」


「……貴様ッ、なぜアイムに襲いかかった?!」


 二人の力は拮抗し、互いの武器が激しく火花を散らす。その間には、張り詰めた空気が淀み、重苦しくのしかかっていた。

 だが、その均衡を先に破ったのは、狂気を纏う彼のほうだった。


「いやぁ〜、簡単なことさ。嬢ちゃん(ハヴァ)が“嘘”をついたから、俺っちは“ルール”に則って排除しようとしただけ。ただそれだけさ」


 言い捨てると同時に、彼はふっと背後へ退いた。その動きはあまりにも速く、視覚が追いつかない。

 かと思えば、その姿が一瞬、視界から完全に消える。

 次の瞬間――冷たい短剣ダガーの切っ先が、一直線に僕を狙って、目にもとまらぬ速さで迫ってきていた。皮膚が粟立つ。




 ――バキッ!!


 鈍く、乾いた、嫌な音が響き渡った。



「アースッ!!」



 さっきまで教会にいたはずのマインが、魂を削るような悲鳴を上げた。


 その背後には、ヒューズとユウの姿もあった。

 どうやら、僕たちの異変に気づき、慌てて駆けつけてくれたようだ。彼らの顔にも、驚愕と恐怖が浮かんでいる。


 だが――その場面は、あまりにも残酷だった。

 アースは、僕の前に立って庇うように、手にしていた武器《棒》で短剣を受け止めた。


 しかし――古びた、ただの“棒”は、その衝撃に耐えきれず、あっけなく真っ二つに折れ、短剣はそのままアースの胸元を深々と貫いた。



「ゴフッ……」


 アースの口から、血の混じった呻き声が漏れる。彼の瞳から、ゆっくりと光が失われていくように見えた。


「そ、そんな…あの、アースが……」


 ユウは膝から崩れ落ち、震える声で呟く。その顔は、絶望に歪んでいた。



「…アース、だめよ……いやあああああああ!!」


 マインは叫び、すでに意識が朦朧としているアースをすぐに抱き抱えた。刺された傷口を必死に押さえるその手は、白くなるほど強く、しかし虚しく鮮血が指の間から止めどなく溢れ続ける。まるでアースの生命そのものが、流れ出しているかのようだった。


 マインの顔が歪み、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに崩れていく。彼女の悲痛な叫びが、皆の耳に突き刺さる。


「……テメェ……」


 ヒューズが怒りをあらわにし、全身を震わせる。今にも飛びかかりそうな勢いで、その瞳には明確な殺意が宿っていた。


「……あぁ〜あ、もう壊れちったかな? ……くひっ。でもさぁ〜、いけないのは君たちだよねぇ〜? だって“決まり事”はちゃんと守らないと。」


 彼はまるで興味を失った玩具を見るような目で、血を流し続けるアースと、絶望する僕たちを冷たく見下ろした。その声には、一切の感情が感じられない。


「……な、なんで彼を刺そうとしたの?」


 震える声でハヴァが問う。その声は、かろうじて保っていた冷静さを失いかけていた。


「……私が“嘘”をついたと言うなら、なんでアイムに剣を向けたの? 筋が通らないわ!」


「……あのさぁ? それはあくまで君の観点の話であって、俺っちにとっては関係ないのよぉ〜」


 彼の言葉に、ハヴァの表情が強張る。その意味が、僕には理解できなかった。


「……?!」


「まぁ〜、それに俺っちの“決まり事”はちゃんと守ったし、これで良いかなぁ〜。…あぁ!! そうそう……君の名前、アイム…君だったよね?」


 彼は、にやりと口角を上げ、僕の方を見た。その瞳には、薄気味悪い光が宿っていた。


「君は、いいよ。すごくいい。だから特別に教えてあげるよ――君が知りたがってた、俺っちの名は……《バーン》。周りからはそう呼ばれてるよ。だから、君にも、そう呼んでほしいな」


 また、あの三日月のような狂った笑みを浮かべた。だが、その瞳の奥には、どこか気恥ずかしげな、稚気のようなものが宿っているように見えた。そのギャップが、一層の不気味さを醸し出す。


 ――彼の名は《バーン》。

 それは、僕達の記憶に深く刻まれ、忘れられない名前…あまりにも残酷で、あまりにも強烈すぎるが故に真っ黒で、そして、真っ赤な爪痕を残す。


 マインが抱えるアースの服は真っ赤に染まり、地面には血だまりが広がり、絶えず鮮血が滴り落ちていた。生命の力が、砂に吸い込まれていくようだ。


「なんで、こんな事ができるんだ……」


 僕の声は、震えていた。怒りと絶望が混じり合い、喉の奥で詰まる。


「おやぁ…?」

「おまえは、どうして…こんな、酷い事ができるんだ…」



 全身の震えが止まらない。まるで、心臓を締め付けられ、痛み、悲しみ、憎悪、僕自身が、良くない“何か”に変わっていく様な。





 アイム、自身も――初めてだった。





 誰かに対し、ここまで憎い《感情》を抱いたのは。僕の優しい世界が、音を立てて崩れていく。





 そして、今まで僕にあった“何か”が落ちる、音がした。




 ――その瞬間。僕の周囲で、異変が起きた。




 頭上に、光り輝く“何か”が現れる。

 それは空気そのものが発光しているかのような、曖昧さ、しかし、とてつもないほどの存在感を放っていた。

 いや、“現れた”というより、むしろ“ずっと存在していたものがようやく視えた”という感覚。


 それは、光のモヤのようなものが、グニャグニャと不定形に揺れている。まるで、僕の感情と同期するかのように。

 

そして誰より、一番それに驚いていたのは――バーンだった。

 彼の顔から、狂気の笑みが消え失せ、代わりに純粋な恐怖が浮かび上がらせているようだった。



「ア、アイム君…ッ…?! お、ま?!……そ、それは、さすがの俺っちもヤバイって!!」



 ――バーンは明らかに動揺していた。彼のいつもの軽薄な態度は完全に消え失せ、声には焦りがにじみ出ている。



「あ、え……何がどうなってんだよ?!」


 ユウが、混乱に拍車がかかったように叫ぶ。


「チッ、くそッ!! ……おい、ハヴァ!! いい加減アースの止血しねぇと、マジで死んじまうぞ!!」


 ヒューズが、冷静さを保ちつつも、切羽詰まった声で叫んだ。


「……ッ」


 ヒューズの叫びで、ハヴァは我に返る。アースの危機に彼女の表情は引き締まる。


 すぐに、マインの元へ駆け寄った。


「アース……だめ、お願い、死んじゃいや…」


 マインはアースの傷口を抑えながら、嗚咽を漏らしている。


「マイン、離れて! ヒューズ、今着てる服を破って、それをアースの傷口に押さえて!……だめ、すぐに縫合しないと……出血多量でアースが死んじゃうわ!」

「おいおい! シャレになんねぇぞ……これ、どれだけ流れてんだよ!」


 ヒューズは、ハヴァの指示に従いながら、血の量に驚愕する。


「……おおよそ人体の血液量は、体重の八%…だから、アースの体重だと……と、とにかくこの量だと、すでに…一リットルは失っているわ…」


 普段は、どんな状況でも冷静沈着なハヴァが、珍しく取り乱した声でヒューズに説明する。その言葉は、アースの命が風前の灯火であることを物語っていた。


「…もし、これ以上、失ったらどうなるんだ…?」


 間髪いれずに、ユウがハヴァに問いかける。その顔は、恐怖に引きつっていた。


「とにかく…これ以上さらに血を失えば…ほんとにアースは助からないわ……だから、ユウお願い!」


「ッ?!」


 ハヴァは、ユウの肩を掴み、その瞳に真剣な光を宿す。

「今すぐ教会の中に入って、錆びついてないナイフに、縫合するために使うから針も探しといて。あと、出来れば綺麗な布なんかもあればいいから!」


「わ、分かった。……でも、ハヴァ? そんな事できるのか?」


 ユウが問いかけると、ハヴァは少し俯き、深く息を吸い込んだ。そして、覚悟を決めたように顔を上げた。その目には、強い光が宿っていた。


「……もう…できる、できないじゃないのよ…やらなきゃ。アースが死んじゃうわ! とにかく急いで、すぐに私たちも教会に向かうから!!」


「……お、おう! 俺に任せとけ!!」


 ハヴァの指示を受け、ユウは急いで教会へと駆け出した。彼の足音は、緊迫した状況を表すかのように、やけに大きく響いた。


 アースの身体の周囲には仲間たちが集まり、場は徐々に混乱の色を強めていた。誰もが、目の前の悲劇に打ちひしがれている。


 ――そんな混沌とした空気の中。


 アイムとバーンも、別の意味で異様な雰囲気を放っていた。アイムの頭上の光は、ますます強まり、バーンの顔には恐怖が色濃く浮かんでいる。


「……アイム君、す、少し落ち着こうよ。俺っちには“それ”は見えないけど、確かに“感じる”んだよ」


 バーンの声は、いつもの軽薄さが消え、ひどく震えていた。その顔は青ざめている。


「…君には、これが“見えない”のか……?」


 僕が問い返すと、バーンは唾を飲み込みながら答えた。


「………あぁ、俺っちには何も見えない。でも、とんでもなく危険なものだってことは、嫌ってほど分かる、でもアイム君。落ち着いて、ちゃんと話をしようじゃないか」


(……ッ? ふざけるなッ!! 今さら何を――)


 バーンの言葉は、さらに僕の中にざわめきを広げた。アースが傷つき、ルイフ様が殺された怒りが、胸の内に煮えたぎるマグマのように渦巻く。その怒りが、頭上の光をさらに強めているようだった。


 すると頭上にいる“それ”は、先ほどよりもはるかに濃く、存在感をまして周囲へと広がり、バーンを覆っていく。

 

「わ、分かった、降参だ!! 教えるよ、俺っちが持ってる情報、全部だ。…だから、頼むよ。早く“それ”をしまってくれ。でないと、俺っちどころか全部、取り返しのつかない事になっちまうよ!」


 バーンは焦りながらも、なんとかアイムを引き下がらせようと必死に言葉を投げかける。彼の額には、脂汗が滲んでいた。


「…………」


 アイムは、アースへと視線を向けた。

 自分を庇い、血だまりの中に倒れた彼の姿が脳裏に焼き付いて離れない。


 正直、特別に親しかったわけではない。だが、この《箱庭》で共に暮らし、同じ時間を過ごしてきた。


 色んな想いが込み上げて一粒、頬をつたって涙がこぼれた。


「……ならこうしよう! アースっちの命を助けるために俺っちは協力もするし、情報もすべて渡す…だから、それで、今回は水に流してほしい!!」


 バーンは、最後の切り札を切るように叫んだ。



「……いいわ。それで」


 返答したのは、アイムではなく、アースのそばで看病していたハヴァだった。彼女の声には、迷いも躊躇もなかった。アースを救うためなら、どんな取引でもするという覚悟が込められている。



「おぉ〜、助かった。さんきゅ〜、嬢ちゃん ……って、あ、やっべ……。」


 僕が鋭く睨みつけると、バーンは慌てて、口を手で覆って黙り込む。彼の焦りは、本物だった。


「ハヴァ……」

「アイム。今は争ってる場合じゃないわ。一刻も早くアースを救わないと!」


 ハヴァの言葉に、僕は頷いた。怒りは消えないが、今はアースの命が最優先だ。


 そのとき――教会の扉が開き、ユウが駆け込んできた。その手には、ナイフと針、そして綺麗な布が握られている。


「おーーい!! 準備できたぞっ!!」

「ひぐっ……ハヴァ……お願い……アースを、た、たすけて……」


 アースのそばで、マインは涙を流しながら、ハヴァの胸に縋っていた。その小さな背中は、悲しみで震えている。


「大丈夫よ、マイン…しっかりして。ほら、一緒にアースを助けるのよ!! ヒューズ、あなたはアースの上半身を持ってて。私は足を持つから――ゆっくり、でも、できるだけ急いで運ぶのよ!」


「お、おいおい?!どっちだよ……ッ。てかコイツ、重てぇぞ…… おいっ、馬鹿猿っ!! こっち来て早く、手伝え!」


 ヒューズは悪態をつきながらも、アースの体を抱え上げた。ハヴァも彼の足を持ち、二人は協力してアースを教会へと運んでいく。


 その後ろを、涙を拭いながらマインがついていった。彼女の表情は、まだ悲しみに暮れているが、アースを助けようとする強い意志が宿っていた。


「……正直、僕は君を信じないし、許す気もない。

 けど、もしまた約束を破ったら――」


 アイムはバーンに、冷たくも鋭い視線を突き刺した。彼の頭上にゆらめく光は、まだ消えていない。


「……あいあい、分かってるってばぁ〜! じゃあ、取引成立ってことで。…いやぁ〜、それにしても君の“フォービデン”はイカれ具合といい、面白さも合わせて……凄まじいね……ってあれ?、俺っち、まさかちびってないよな」


 バーンは、アイムの言葉を聞き終えると、いつもの軽薄な調子に戻ったかのように、自分のパンツを覗きこみながら確認した。その姿は一見滑稽だが、アイムの頭上の光に対する彼の本物の恐怖を露呈していた。


「“フォービデン”…?」

 アイムが問い返すと、バーンはアイムに視線を向け、頷くのを見た。


「え、あれ〜? まさか……アイム君、知らずに使ってたの?」


 バーンは、驚いたように目を見開いた。


「いやいや、ダメだよぉ〜。それは《禁断》の力で、またの名を――“フォービデン”。俺っちは、そう呼んでる。人によって能力も違うし、ルールも代償も大きい、むやみに使うもんじゃないからね」




 それは使ってはならない、決して触れる事も許されない――《禁断》の力。


 またの名を、“フォービデン”。

 それが、この《箱庭》に隠された“真実”の、ほんの一端に過ぎないことを、アイム達はまだ知る由もなかった。



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