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第5話 夏の太陽の下へ (1)

「その後、僕は怪我がなかなか回復せず、数ヶ月お菓子作りから離れていたら、以前のようには作れなくなっていた。急激に上達したから、その反動もあったみたいで、そのため留学は諦めた。そして喫茶店のおじさんが、家庭の事情で田舎に引っ越すことになり、喫茶店を継ぐ人がいなかったため、僕が引き継いだ。――それがこの喫茶店の始まり、ソレイユ・デ・レテの始まりだよ」

 静かに言い終わる洋に、一同は顔を俯けて、黙り込んでいた。笑顔で振る舞っている彼の裏に隠された過去。それを聞いて、何を言えばいいかわからなかった。

「――別に僕はこの喫茶店を好きで開いているわけだから、とても楽しい日々を過ごしている。だからそんな顔をしないで。こっちが申し訳なくなってしまうから」

 静かな微笑みが逆にとても胸に突き刺さった。無理しているのはわかっている。だが、洋のような状況に陥ったことがないから、返す言葉さえ見つからなかった。

 雨の音が徐々に小さくなっている。激しい夕立もそろそろ止むのかもしれない。

 洋が動かない三人のコップに水を注ぐと、恐縮したように首をすくめる。促されるままに、ようやく水に口を付けた。

 話を聞いているだけであったが、かなり緊張をし、喉が渇いている。水が体内に入ることで、ようやくその平静さを取り戻しつつあった。

「ねえ、もう六時をかなり過ぎているけど、大丈夫?」

 無言のままの光二、義樹、水菜の顔を見比べながら、尋ねてくる。よく見れば、六時どころか、七時も過ぎていた。

「……そろそろ帰ろうか、二人とも」

 光二はようやく口を開いて、義樹と水菜を見た。その言葉に対して軽く頷き返される。

 そして三人は重い腰を上げて、重苦しい気分が回復しないまま、店から出ていった。

 雨はかろうじて止んでいた。だが、未だに分厚い雲で覆われている。水溜りには星や月は映っていない。まだ晴れないようである、その想いとともに。



 * * *



 それから五日間ほど、喫茶店はお盆休みを取っていた。光二にとっては、塾もなく、喫茶店にも行かない日など久々だ。

 少しのんびりしつつも、文房具などを買い足す必要があったので、学校帰りによく通っている文具屋へと自転車を走らせた。

 通い慣れているところだから、どこに置いてあるかはすぐにわかる。てきぱきと選んで、店から出ると偶然にも私服姿の部活の後輩に出会った。

「高山先輩、お久しぶりです!」

「久しぶり。練習は盆で休みか。頑張っているか?」

「はい、何とか。でも三年の先輩たちがいなくなってとても寂しいですよ。俺たちがいかに先輩たちに頼っていたか痛感します」

「俺たちも一年前はそうだったさ。まあ時間が経てば、そのうち慣れる。それまでの辛抱だ。応援しているから」

「ありがとうございます。高山先輩も松原先輩も気にかけてくれて、本当にいい先輩たちです」

 嬉しそうな顔をしている後輩を見つつも、意外な言葉に驚いた。

「松原……先輩? あいつ、何かしたのか?」

「え、知らないんですか?」

 きょとんとした表情をしている。松原は義樹の名字だ。彼が誰かに対して気にかけているなど、ほとんど聞いたことがない。だから次の内容を聞いて、すぐには思考が繋がらなかった。

「松原先輩、俺たちが負けた後も、県大会を観に行って、色々とデータを取ってくれたんですよ。だからこれからの試合、それを元にして対策を立てられそうです。先生も誉めていました」

「そ、そうか。それはよかった。次の試合、俺たちの代以上に頑張ってくれよ。それじゃ」

 見送る後輩を背にして、光二は悶々と考えながら歩き始めた。

 義樹がそのような行動をしているとは聞いたことがない。だがあの後輩が嘘を吐いているとは思えなかった。だからおそらく事実であるのだろう。それならその理由が気になる。

 光二たちが負けた後の県大会、それはつまり洋たちと出会ったばかりの頃。そんな日に、義樹はそんなそぶりを見せただろうか。

 しばらく記憶を巡らせていたが、はっとして立ち止まる。

 ――そうだ。俺は塾の休憩中に義樹の姿を見たんだ。あの方向から察すると、大会会場と考えても筋が通る。

 起きた事実を改めて理解した。しかし、それなら何故という疑問が渦巻く。

「どうしてサッカーの試合を。あいつは言ったじゃないか、これでサッカーは終わりにするって」

 引退試合の後、義樹は一緒に帰っていた光二に対して、投げやりにそう言っていた。光二の目は見ずに、ただ視線を空の彼方に向けて。

 ――あれは嘘だったのか?

「……何がなんだがわからない。俺だって、自分のことで精一杯なのに。どうしてあんなどうでもいいやつのことなんか……」

 必死に頭を横に振りながら、次々と出てくる疑問を振り払おうとする。だが、考え始めたら止まらない。

 とにかく今は家に帰ろうとした。大通りの多い交差点にて赤信号で待たされているときも、ただ虚ろに視線を前に向けているだけ。やがて青になり、またすぐにペダルを漕いで、走らせようようとした。

「光二!」

 しかし突然の呼び声に、思わずブレーキをかける。次の瞬間、勢いよく走り去っていく自動車が視界をかすめた。

 凄い速さだった。余裕で制限速度を越しているだろう。信号無視で速度違反など、どれだけ運転手は規則を破っているんだ。

 始めは頭に血が昇っていたが、少しずつ頭が冷えてくると、手が震えていることに気づいた。

 もしあの速さの自動車に跳ねられたら――。

 それが脳裏によぎると、心拍数が急激に上がっていく。ただ一瞬気がそれただけなのに、それによって命を亡くしそうな状態になるなど、考えたくもない。

「高山君……」

 さっき呼び止められたのと同じ声がまた聞こえてくる。後ろを振り返ると、水菜が息を切らして走ってきていた。

「鈴原?」

「何をぼさっとしているの、危ないでしょう。それとも死にたいの?」

「違う。ただ……」

「それに腰抜かしているんじゃないわよ。近くに公園あるから休みましょう。とりあえず、自転車から降りて」

 自分の手が自分でないような感覚に陥りながらも、ゆっくりと降りる。すると水菜がハンドルを取り上げて、転がし始めた。その様子をぽかんとして見ていると、きつい目を送られる。

「ほら、行くわよ」

「あ、ああ」

 叱咤されるままに導かれると、すぐに小さな公園に着いた。住宅街の一角にある公園で、盆で帰省している人もいるためか、あまり人はいない。

 ベンチに座るよう促され、座り込むと緊張の糸が一気に切れた。全身の震えが止まらない。思考が上手く回らないが、まさかの事態に思わず苦笑いしてしまう。

 ふとひんやりしたものが、手の甲に乗った。

「大丈夫? ほら、お茶。これでも飲みなさい」

 いつのまにか自動販売機で買ったのか、冷えたお茶のペットボトルを水菜から手渡される。それを有り難く受け取り、キャップを空け、喉に通した。緊張も共に流してくれそうだ。

 水菜も隣に座り、同じお茶を飲んでいる。彼女は口を開かず、ただ黙り込んでいた。

「鈴原、ありがとう」

「何が?」

「止めてくれて」

「あんなに様子がおかしい人、誰でも止めるわよ。今度からはもう少し気をつけなさい」

 さも当たり前のように受け返す。そのうんざりとしている横顔を見て、ようやく光二の中で欠けていたピースがはめ込まれた。

「鈴原水菜……、違う。関口水菜」

 呟いた言葉に反応して、水菜はびくっとする。そして飲んでいたお茶のペットボトルを脇に置いて、肩をすくめつつも満足そうな顔をした。

「ようやく気づいたのね、光二。時間かかりすぎなんじゃない?」

 その言葉を聞いて、光二の記憶のピースが正しかったことを認識する。

「別に忘れていたわけじゃない。ただ名字も、外見もこんなに変わっていたら、気づかないだろう」

「その変わり用はどういう意味で?」

 無邪気に聞いてくる少女に対して、はあっと息を吐き出した。

「……いい意味だよ。随分女らしくなったじゃないか」

 若干とげを加えつつも言ったが、どうやら肯定の意だけ捉えたらしい。ご機嫌な様子だ。

 関口水菜――光二と小学校二年まで遊んでいた幼なじみだ。今よりもさらに明るく行動的で、男に対しても自分の意見や行動を貫き通していた少女。

 だが三年にあがる前に、両親の事情で引っ越してしまったのだ。連絡先を聞き忘れたため、音信不通状態。機会があれば会えるかもしれないと思ったが、まさかあの喫茶店を通じて再会するとは、世間は狭いものである。

「ちょっと事情が重なって、お父さんの姓からお母さんの姓に変わったんだ。それでいろいろとあった後に、またこっちに戻ってきたわけ」

「いつ戻ってきたんだ? 俺の家の連絡先くらい知っているんだから、一声かけてもいいだろう」

「中二に進級する前にこっちに来たわ。けど連絡しようと思っても、忙しくって。住所も今度は駅の反対側で、中学校も違うし。それに光二、手紙や年賀状は出すって言ったのに、一度もくれなかったじゃない!」

「引っ越し先の住所知らなかったんだよ。それに小学校の時とか手紙を書くの、照れるじゃないか」

 顔を俯かせる。頬が暑さだけでなく、それ以外のことも要因として赤くなっている気がした。

 その様子を見た水菜は肩をすくめながら、座り直す。

「まあ、偶然にも再会できたからいいか。洋さんや恵美香、それに松原に感謝しなくちゃね」

「いや、義樹に感謝する必要はないから」

 義樹がその二人と同列に並べられるのはどう考えてもおかしいだろう。

 そういえば水菜は義樹と部活について、話を交わしたことがあったのを思い出した。

 正直言って、光二の中では考えがまとまりつつあるのだが、念のため誰かに聞きたかった。

「なあ、水菜、未だに引退したスポーツの試合を見ているのって、未練がある証拠だよな?」

 話題が変わった内容に水菜は目を瞬かせた。

「まあ時と場合によるんじゃない? あとはその時の心情とか。けど自分が勝ち残る予定だった試合を見たとかなら、未練がましいわよね」

「そうだよな、ありがとう」

 そう言うと視線を下ろし、じっと地面を見つめた。

 色褪せた土の上で、蟻が何かを探して走り回っている。上からは燦々と照りつける太陽。何をそんなに必死に求めているのだろうか。

 水菜はお茶を飲みながら、深刻そうな顔をしている光二を横目で見る。そしてふと顔を緩ませた。

「光二は何だかんだ厳しいことを言っても、松原のことが気になるのね」

「はい?」

 顔を上げると、水菜が優しい表情をしていた。

「きっと松原も何か葛藤があるんだよ。未練を作るなって言うのも無理だけど、いつまでも過去を引きずるべきではない。前に進まなくちゃいけない。――洋さんも、そして光二もそうでしょ?」

 ――気づいているんだ、水菜は。俺が進めないことを。

 久々の再会ではあったが、この幼なじみは光二のことを的確に見抜いていた。いや、もしかしたら気になって意識して見ていて、気づいたのかもしれない。

 事故にあいそうだった衝撃もいつしか和らぎ、鼓動が落ち着いてきたところで、光二は立ち上がった。

「義樹から話、聞いてみるよ。話してくれるかわからないけど」

「そうね、それがいいわ。無理だったら喫茶店に来て。洋さんや恵美香が聞き出してくれると思うから」

 光二は水菜を見ると、わかったと頷き返す。

 太陽の下で少しずつ光二の心の中では、何かが消化され始めているように感じられた。



 光二は水菜と別れてから、その足で義樹の家に向かった。よくゲームをしに遊びに行っていたため、場所は知っており、すぐに着いた。

 だが家の中は暗い。電気は点いておらず、人の気配はないようだ。念のためにインターホンを鳴らすが、出る様子はない。

「そういや、親戚の家に行くっていった気が……。忘れていた。盆明けたら、喫茶店に行ったときにでも聞き出すか」

 汗を流しながら、とぼとぼと自転車に跨った。

 ――義樹だけでなく、自分のことも見つめ直す必要があるか。

 少しは一度将来について立ち止まってみようと光二は思っていた。勉強をすること、そのものについても。

 やがて太陽を背にして、帰り始めた。




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