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第4話 角砂糖が溶けるまで (1)

 ――ねえ、その夢、どうして追いかけないの?


 笑顔でそう言ってくれた女性は、名前から想像できるようにとても明るい人だった。

 夏のように温かく、眩しい存在。

 その名は――夏美。小川夏美だった。



 * * *



 出会いは上原陽洋が中学三年生の時、数日後に行われる文化祭の準備をしている最中だった。

 文化祭実行委員であった陽洋は放課後、教室でくす玉の垂れ幕を他の実行委員と一緒に作っていた。しかし、塾がある、部活があるなどと言われて、最後までいたのは陽洋だけ。

 文化祭のすぐ後には、三年生は実力テストがあるため、早く帰って勉強をしたい気持ちもあったが、断るに断れずに、結局最後までいたのだ。やがて、区切りのいいところまできたので、片づけを始めていた。

 窓の外を見れば、綺麗な夕陽が見えた。眼鏡の上から手をかざし、それをもう少しじっくり見ようとする。

 だがその途中で教室のドアを引く音がした。ドアの外には、勝ち気であるが、とても明るく、クラスの中でも目立った少女が腰に手を当てて立っている。

「あら、他の人は?」

「用事があるから、帰った」

「帰った? それで上原君だけ残っているの? 何だか不公平な話ね」

 短髪の少女は教室の中へと踏み入れ、片づけ途中の床を見ると、しゃがみこんでそれらをかき集め始めた。

 その様子を見た陽洋は慌てて近づいて、止めようとした。

「いいって、これは僕の仕事だから」

「押しつけられた仕事でしょう。上原君が自分だけ無理してやることない。これは私が進んでやっていることだから気にしないで」

「でも――」

「ああ、もう、優しすぎるのよ! 人に頼るってことも考えなさい、上原陽洋!」

 少女は一気に言葉を吐き出すと、きっと鋭い視線を送る。だがその視線は突き離す視線ではなく、陽洋を思っての行為に感じられた。

 それを感じ取った陽洋は表情を緩ませて、静かに微笑んだ。

「ありがとう、小川さん」

 小川夏美は、それを聞くと満面の笑みを浮かべた。



 * * *



 同じクラスであった陽洋と夏美は、文化祭の出来事の後から、少しずつ関わりながら、会えば話をする仲にまではなっていた。

 だがお互いの高校受験までは干渉しなかったので、二人がどこを受けるかは知らなかった。だから、偶然にもある県立高校での合格発表で出会ったときは、二人とも驚いたものだ。

「私さ、上原君はもっと上の高校を目指しているかと思った」

 桜に蕾が付け始める季節に、偶然帰り道を共にしているときの言葉だった。

「あの高校より上だともう私立しかないから。僕、三人兄弟の末っ子だから、極力なら県立に通ってくれって、口を酸っぱくして言われていたんだ。それにあの高校が何となく好きなんだ。だから、そんな風に言われると……、少し残念だな」

「そ、そういうつもりで言ったわけじゃないよ! ただ、もったいないな……なんて。上に行けば、もっと道が開けるんじゃないかなって思っただけ」

 夏美がそっぽを向いて言う姿に、若干可愛さがにじみ出ている。だが彼女の言葉を聞いて、どこか哀愁が陽洋の中に漂っていた。

「……道なんて、まだないよ。わからないことだらけさ。だからどの道を進んでも、どうなるかなんて予想できない」

 思いついた言葉でさらっと流した。笑い事に近い内容かもしれない。

 だが、夏美は軽く頷いて、むしろ同意の意を示した。

「そうそう。けどわからないからこそ、楽しんじゃないの? わくわく、そしてドキドキする毎日。先がわかっていたらそうはいかないよ」

 そういう風に優しく語り返してくれる姿に、陽洋は少しずつ夏美に惹かれていった。ただ明るいだけでなく、包容力のある言葉にも惹かれて――。



 * * *



 やがて二人は高校に入学し、クラスも一緒であったため、必然的によく会い、話すようになっていた。だがお互いの距離はそこまで急激に近くなったとは言い難い。

 夏美はその明るさと行動力から、学級委員をてきぱきとこなす少女であり、女子からも男子からも人気があった。一方、陽洋も、地味な存在ではあったが、仕事はしっかりとやりこなすことから多くの人に頼られ、またその優しさから密かに女子から好意を寄せられていたのだ。

 そんな中、ふとした機会に陽洋の呼び方について、話題に出されることがあった。同じクラスにも明裕(あきひろ)と呼ばれている少年がおり、彼の方が定着率は高い。さらに女子には、上原という少女もいたため、その二人に対して被ってしまうことがあったのだ。

「その漢字で〝あきひろ〟って呼ぶのもあまりいないわよね」

 夏美が放課後の庭掃除中に何気なく漏らした言葉だ。それに対して、髪をかきながら、困ったような顔で受け返す。

「そう言われても、両親が付けた名前だから、何て言ったらいいか……」

「悪いって言っているわけじゃない。むしろどうしてそんなに素敵な名前を付けたのか疑問に思っただけ。どんな由来か知っているの?」

「ま、まあ。昔、授業で由来について聞いて来いっていう宿題が出されたから」

 呟いた言葉を敏感に察知した夏美は、目を輝かせて見つめてくる。その行動を予想していた陽洋は話を続けた。

「……太陽のように明るく、太平洋のようにとても広い心を持った人物になることを願って付けたらしい。無理矢理付けた気がしなくもないが」

 それを聞いた夏美は相槌を打ちながら頷く。そして名案を閃いたような顔をした。

「太陽と太平洋……奥深い意味合いね。……そうだ、上原君、これから〝よう〟って呼ぶのはどう?」

「〝よう〟?」

「太陽の陽でも、太平洋の洋でも同じ読み方じゃない。それなら、二つの漢字の意味も損なわないでしょ」

 どうだと言わんばかりに笑みを浮かべる。

 そんな風に、陽洋は自身の名前の意味について深く考えたことがなかったため、その考えは新鮮であった。何より、この少女が付けたことが非常に嬉しかったのだ。

「……〝よう〟か。いいね。人に教えるときは太平洋の洋で伝えようかな。そっちの方が、呼びやすいだろうし」

「そうね、じゃあこれからは洋って呼ぶね。よろしく、洋」

 嬉しさをはにかみながらも精一杯表す。その時の笑顔は今まで出会った誰よりも魅力的であった。



 その後、二人の距離は少しずつだが確実に縮まっていき、学年が変わり、クラスが分かれても、付き合いは続いていた。

 やがて夏美がある少年から告白されたという噂を耳にした洋が、意を決して告白したことにより、正式に付き合いは始まったのだ。

 不器用だが、温かみのある絆を元にして。



 * * *



 やがて、大学進学を見据えた選択によって、二人の歩む道に違いが生じることになる。

 洋は語学に、夏美は理工学系統に興味があったため、高校二年に進んだ時点で文理に分けられる都合上から、クラスが離れるのは当然。意図的に接しなければ会いにくい状態になっていた。始めは会うように努力していたが、次第に受験という文字がちらつき始めると、会う機会も減ってくるものだ。

 そんな中、勉強に煮詰まり始めていた三年の夏休み、洋と夏美が補習の後に久々に再会し、遠回りをしながら帰宅途中のことであった。

 比較的爽やかな夏の夕暮れで、散歩するにはいい具合の天気である。夏美が補習の講師のダメ出しを口々に言っているのを、洋が苦笑いをして聞いていた。

「まったく、みんなが全然理解していないとわかっていながら、どうして先に進もうとするのかしら。今日であの先生の補習が終わるし、期間が短かったからいいものの……」

「夏美はそういう所には厳しいよな。どんな先生でも積極的に質問をしに行くし」

「わからないところを、わからないって言っているだけ。はあ、世の中自己中心的な大人ばっかりだと思うとうんざりしてくる」

 そんなことを膨れながらしゃべる姿が洋はどこか微笑ましく感じてしまう。その視線に気づいた夏美が不審そうな目を向けてきた。

「何か?」

「いや、何でもない」

「……そういう風にいつもはぐらかすよね。嫌な感じ」

 乾いた笑いをしながら適当に返そうとする。だが、急に視線を他の方向に向けたまま夏美が立ち止まった。洋もつられて足を止める。

 その視線の先には一件の店があった。目を凝らして看板を見れば、喫茶店だとわかる。街角の一角にある喫茶店。夏美でさえも知らなかったという顔をしている。

「――洋、今日は時間ある?」

「まあ、少しは」

「じゃあさ、少し寄っていかない? 気分転換にのんびりお茶でもしよう」

 にこりと笑いながら洋に向く。断る理由などどこにもなかった。すぐに頭を縦に振り、肯定の意を示すと、夏美は鼻歌を歌いだしそうな勢いで、入り口へと近づいた。

 そしてゆっくりとドアを押すと、カランと小気味のいい音が耳に入ってきたのだ。

 中に入ると、何となくだが心休まる音楽が流れている。ラジオの有線などではなく、どこからか持ってきたCDなどの音。喫茶店の中は空いており、一組の男女がいるだけであった。

「いらっしゃい。おや、見かけない顔だね」

 入り口で立ち止まっていると、店員なのかエプロンを着た優しそうな顔をしたおじさんがカウンターから出てきた。

「はい、初めてですね、ここは」

「そうかい。こんなところによったのは偶然かな?」

「そうです。たまたまいつもとは違う道を通ってみたら、素敵な喫茶店が目に入ったので」

「それは嬉しい言葉を。ここまで君たちを導いてくれた何かに感謝をしなくてはね。たいしたところではないが、ゆっくりしていってくれ。席は好きに座ってどうぞ」

「ありがとうございます」

 夏美が微笑みながら返すと、洋を促して席を選び始めた。席数はそんなになく、こぢんまりしている印象を受ける店内。そんな中で洋と夏美は奥の四人席に腰を下す。

 そしておじさんが持ってきたメニューと水を受け取った。少し古びているメニューだが、それがむしろ喫茶店の雰囲気と合っていて、とてもいい感じだ。軽食と飲み物、そしてデザートといった内容である。

 喉も渇いていたため、なるべくすっきりとしたものが飲みたかった洋は、すぐに選び終わった。だが、夏美は飲み物とデザートのページを行ったり来たりしている。

「どうした?」

「いやあ、どっちも捨て難いなって」

「じゃあ、両方頼めば?」

「今はお財布の中身が恋しい時期なのよ」

 夏美は溜息を吐きながら、しょんぼりとする。洋は財布の中身をこっそりと確認した。たまたま臨時収入があったため、いつもより潤っている。

「夏美、お疲れみたいだから、今日は特別におごってもいいよ?」

「え、本当?」

 目を輝かせて見てくる。それに洋はしっかりと頷いた。

「嬉しい、ありがとう! じゃあ、洋にもデザート少しあげるね。……おじさん、注文お願いします!」

 元気で明るい声で呼ぶと、おじさんはにこにこしながら、近づいてきた。

「はい、ご注文はなんでしょうか」

「アイスティーを一つ」

「私は紅茶とフルーツタルトを一つずつ」

「わかりました。少々お待ちください」

 そう言うとすっとおじさんはカウンターの中へと戻った。

 どこか気分も明るくなりそうな音楽を聞きながら、注文したものが出てくるのを、洋と夏美は待っていた。その間、久々の話に華を咲かせている。授業やクラスのこと、特に夏休み明けにある文化祭の話題には二人とも底が付かなかった。

 程なくして、おじさんはお盆にのせて注文した品を持ってきた。




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