言わないでおこう2
帰りながら、
「お前は灰野さんに追いつける日が来るといいな」と言われてしまった。
「あの人は、あの人。何者でもない。誰にも真似は出来ない。生きてないような」
「失礼だぞ」
「えっと、言い方を間違えただけ。えっとね、あの人の実態はあそこにあるけれど、時々そこにいないんじゃないかと思える。意識だけね」
「え?」
「意識をどこかに飛ばしている気がする。そのために疲れやすいんだろうね。大変そう」
「ふーん」東条さんがかなり黙ってしまい、
「なに?」と聞いた。
「昔、ちょっとだけ、聞いたことがある。あの人の父親の話」
「父親?」
「母親と何かあったみたいだ。刑務所がどうとか」
「え?」
「内緒だけどな。膳波さんがそう口を滑らしていた。だから、あそこから追い出したと」
「プロキオンのこと?」
「ああ」
「そう」
「だから、本名を名乗れないのかもしれないな」
「そう。大変だったんだろうね。子供にはそういうことは関係ないのにね」
「そうだな。親の事情は親だけで解決してほしいものだ。子供を巻き込むのは良くないよな」と言っていた。
自分の腕のにおいを嗅いだ。さきほど、灰野さんに塗香を塗ってもらった。蒲生さんのお母さんの話を聞いて、そうしてくれた。相手は反省する日が来たとしても、かなり先になり、その間、うちに八つ当たりをしてくるだろうと言われてしまった。
「蒲生さんって、うちに八つ当たりしている場合じゃないのにね」
「無理だ。お前たちのせいにしたいんだ。お前たちがいなければ、罪が発覚しなかったと思っている」
「母が怒ってた。あの後、電話があり、嘆願書をね、依頼と言うか命令して書いてくれって。私のせいでああいうことになったから、書く義務があるとかなんとか」
「呆れるな」
「母が言ってたの。十分反省してからにしてくださいって。そうしたらね、十分反省したし、息子も辛かったに違いないから、それぐらい大目に見てくれてもいいとか、なんとか言っていたらしくて」
「つくづく疲れる母親だな。同情してもらおうと言う魂胆なのは分かるが、反省してないから、お前を襲ったとは分からないみたいだな」
「『なんでも都合よく考える人』って、母が切り捨てていた。『息子はあれだけつらい目に遭ったのだから、それで、もう時間も経っていることだし、早めに示談をして切り上げましょう。それで嘆願書を書け』って。ああ、弾丸届と、まだ言ってたみたいだけれど」
「頭が固そうな母親だな。慰謝料を払えるのか、それで」
「え?」
「かなりの金額になると思うけれど。保険のことでももめそうだ」
「保険?」
「自動車事故だからね。保険が出るかもしれないし」
「困ったな。姉がそれを聞いたら、喜びそうだ」
「金額は言わないほうがいいな。もしくは借金があって、そちらの支払いに使ってしまったとでも言っておけよ。そうじゃないと『全部くれ』と言い出すだろうな」
「え、そこまで図々しいかな?」
「会社で恥をかかされた慰謝料だと言いだしそうに思えるけれどな。お姉さんと蒲生さんのお母さんはいい勝負だ。自己中でね」
「そう」
「どうした?」と聞かれて、自分の腕のにおいをまた嗅いだ。姉のああいう部分に触れたくなかった。