017. 転校生は夢見る女優(7)
笹川のマンションに戻ると、玄関の前で彼女が待っていた。彼女は僕に歩み寄り、心配そうに話しかけてくる。
「大丈夫だった?」
「ああ、ただのストーカーだったよ。相当脅しておいたからもう被害にあうことはないと思う」
「そ、そっか……」
笹川は安心したような表情を見せると、小さく息を吐いた。僕は彼女に部屋に入るよう促すと、彼女の後に続いて玄関に入り靴を脱ぐ。
リビングに入るとソファーの上に座るように言われ、大人しく従うことにした。
「飲み物用意してくるから待ってて」
「あぁ、ありがとう」
そう言ってキッチンへと向かう彼女を見送りながら、僕は鞄の中からタブレットPCを取り出す。
そういえば、どういう方針で活動していきたいか彼女に聞いてなかったな……。まぁ、折角話す機会ができたし、話しておくか……。
「なぁ、笹川……」
「なに?」
「笹川はどういう女優になりたいんだ?」
笹川はマグカップに注いだコーヒーをテーブルの上に置いた。そして、僕の向かい側に腰を下ろした。
僕は置かれたマグカップを手に取り、口に含む。ブラックだが、味覚が麻痺してるせいかあまり苦く感じない。僕は笹川の目をじっと見つめて回答を待つ。
「私は……、自分がどういう女優になりたいかなんて分からない。周りからはただ否定され続けてきた。夢を叶えたいけど、どんな風に生きればいいかもわからない」
「……」
「でも、このままじゃダメだって思ってる。だから……、今は前に進むしかないのかな……って」
「なるほどな……、分かった」
僕は彼女の気持ちがよく分かった。夢を諦めずに前に進もうとする姿は眩しいくらい真っ直ぐだ。長年彼女を苦しめてきたのは周りからの評価だ。
以前所属していた事務所は売れないタレントには冷たかったのだろう。そのせいで、彼女は自分の実力を信じることができなくなっていた。
きっかけさえあれば、実力のある人間はそれを掴み取っていける。しかし、そのきっかけがないといつまでも暗闇で迷走し続ける。
なら、そのきっかけを作るのはマネージャーである僕の仕事だ。そのためにはまず……、彼女の力を周りに認めさせないといけない。
「神坂さんから映画の出演を貰えそうなんだけど出る気はあるか?」
「本当!?」
「あぁ、まだ可能性の話だけどな……」
僕は笹川に神坂さんとのスマホのやりとりの画面を見せた。当然のことながら主演ではない。主要人物ではないが、ヒロインの友人役だ。
しかし、それでも笹川にとっては大きな一歩になるはずだ。
「うん、分かってる。でも、私、頑張るから」
笹川の顔には決意が満ち溢れていた。僕は思わず笑みがこぼれてしまう。
すると、笹川がこちらの様子を伺うように尋ねてきた。
「あのさ……、私のこと苗字じゃなくて名前の方で呼んで欲しいな……」
「ん、なんで?」
「い、いいから。今後も長い付き合いになっていきそうだしさ……」
頬を赤らめ、照れ臭そうにしている彼女を見て、僕はなんだか可愛らしいと思った。
まあ、苗字に呼ぶことに抵抗はないし……、特にそれを断る理由もないので、素直に従うことにした。
「わかったよ。じゃあ、これからよろしくな、ゆき」
「う、うん……」
ゆきは満足げな表情を浮かべて、首を縦に振った。
とりあえず、映画は出演することに決まったので、スケジュールの調整などを含めて話を詰めていく必要がある。
僕はコーヒーを飲み干すと、マグカップを置いてゆきを見据える。
神坂さんから聞いた話によると……、出演にこぎつけられそうな映画は現在人気沸騰中のアニメ『純白の恋』の実写化作品だと言っていた。
ただ、この映画は非常に前評判が悪く、まだ映画の撮影すら始まっていないにも関わらず、原作ファンからは酷評されている。
その理由の一つに、映画監督に岩下穣が起用されているという点にある。岩下穣は業界では有名な人物ではあるが、どうにも変わり者というか、業界内では『変人』と呼ばれている。キャストは自分の考える最善の演技をしなければ、監督の機嫌を損ね、たとえ収録中でもキャストの降板が当たり前のように起こるとか……。
また、原作ファンからはシナリオの構成などを酷評されている監督でもある。
(映画界隈では原作クラッシャーとか呼ばれてる監督だしな……)
正直、不安要素しか無いし……、そんな中で初仕事をさせるのは心苦しいが……。たまたま、メインヒロインの友人役のキャストが監督から駄目出しを喰らって撮影開始初日で降板してしまったらしいので……。そこで、急遽代わりを今も探しているというわけだ。
炎上確定の実写映画、それに監督もヤバいとなれば、仕事を引き受ける人間は皆無に等しいだろう。そんな状況の中で……、ゆきをキャスティングするのは正直言って賭けである。ただ、ゆきの演技を昔から知っている僕は……、このチャンスを逃すべきではないと判断した。
人気アニメ作品の実写化はSNSで批判的な意見が目立つ。ネットで検索しても、批判する声ばかりが目立っている。アニメ化の人気に乗っかり、主演のキャストを今の売れっ子に据え、演技もロクにできない役者を起用する。そんなやり方に嫌悪感を示すファンも多い。
今回のケースも同じようなものだ。制作費は少なく、興行収入が見込めない。それなのに、監督はキャストを大御所のアイドルで固め、話題性だけを重視して製作を進めている。
「詳しい話は正式にオファーが決まったらだな」
「うん、ありがとう……」
僕がそう言うと、彼女は笑顔で礼を述べた。
僕はソファーから立ち上がると、キッチンに向かいマグカップを流し台の中に入れておいた。
「さてと、そろそろ帰るよ。明日も学校あるしな……」
「ごめんね……。なんか付き合わせちゃって」
「俺が勝手にやったことだしな……。それよりも明日は学校にちゃんと来るんだぞ。もし、休むようなことがあったら……」
「そ、その時は連絡するから……」
「よし、それなら安心だ……。あと、これ渡しとくな……」
僕は鞄の中からノートの印刷を取り出す。これは授業内容をまとめたものだ。僕はそれをテーブルの上に置く。
「今日の授業の内容がまとめてあるから、良かったら使ってくれ」
「あ、ありがとう」
「礼なら優里にしてくれ。ノートをまとめたのは優里だしな……」
「そうだったんだ……、後でお礼言わないと……」
「まぁ、そんなところだ。じゃあ、これで失礼するよ。また、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
僕は立ち上がり、玄関の方へ歩いていく。ゆきは慌てて僕の背中を追いかけてくる。
「今日は本当にありがとう!」
玄関先で振り返ると、彼女は笑顔を見せていた。僕もそれに釣られて小さく微笑む。
そして、玄関を出てマンションの外に出る。そのままエレベーターに乗り込むと一階へと降りる。エントランスを出ると、外は既に暗くなっていた。
空に浮かぶ星々を眺めながら、僕はゆっくりと帰路につく。