013. 転校生は夢見る女優(3)
放課後になり、優里と一緒に西宮プロダクションのビルへと向かう。
西宮プロのオフィスは白金高輪駅から徒歩数分、優里の自宅であるマンションの一階待合室の隣のスペースを三部屋分ぶち抜いて作った大きなものだった。
西宮プロは元々社長である優里の父親が道楽で作った芸能事務所である。事務所の方針も放任主義で神坂さんに一任しており、優里の父親はいつもフラっとどこかへ行ってしまう。
当然、社長として何も考えていないわけじゃないが……、優里の父親は普段は別の仕事の代表取締役もしている。そのため、西宮プロにいる時間の方が少ない。
事務所に入ると、優里はすぐに応接室へと案内された。
そこには既に二人の人物の姿があった。一人は事務所のオフィスで神坂七海、もうひとりは、笹川ゆきであった。
「本当に西宮プロ所属のタレントになるんだな……」
「ええ、そうよ。改めてよろしくね」
神坂さんは事務所のパソコンで書類の整理をするのを終えると、こちらに向き直り、ホワイトボードを持ってきた。そこには事務所の管理体制が書いてある。
現在、事務所に所属しているアイドルのグループは全部で三つあり、それぞれ『SunRise』、『KAREN』、『Twinkle Tails』という名前がついている。神坂さんはその三つのグループすべてのマネジメント及びプロデュースを請け負っている。
ソロで芸能活動を行っている西宮優里のマネージャー及びプロデュースは僕が請け負っている。
「今回の運営体制だけど……、西宮プロの現状はまさにひっ迫状態。この状況下で、笹川ゆきちゃんが所属すれば、マネジメントの負担が一気に増える」
神坂さんは冷静な口調で話を続ける。神坂さんは神坂さんで自分のキャパシティを遥かに超える仕事をしていた。しかし、笹川ゆきを所属させることによって、負担は更に増加する。
この流れのシワ寄せは最終的にマネージャーである僕のところに返ってくるだろう。
神坂さんは淡々と事務的な説明を続けていく。
「スケジュール管理は基本的に私がやるわ。ただ、先方との打ち合わせやプロデュースは兼木君にお願いしたいと思ってるわ」
(やっぱり、そう来たか……)
僕は内心ため息をつく。神坂さんの仕事のやり方は熟知しているし、信頼されているからこその仕事の割り振りだと思っている。
だが、それはそれとして面倒なことに変わりはない。僕は笹川の方をチラッと見る。彼女は真剣な表情で神坂さんの話を聞いていた。
「それで……、笹川さんは五月から正式に復帰する予定になってるわ。そして、あなたにもスケジュール管理やプロデュースを手伝ってもらうことになると思う。当然、事務所は変われどモデルの仕事も併用でやってもらうから忙しくなるけど……」
「人員を追加するという手は……?」
「これ以上の事務員の増員は難しいわ。西宮プロの経営状況分かってる?」
(そんな正論で返さなくたって僕だって分かってるさ……)
西宮プロは芸能事務所としてはかなり小規模の部類に入る。もとは社長の道楽なのだから……、どこにでもある一般的なアイドル事務所と何ら変わりない。
事務所に所属する3つのアイドルグループもライブ活動以外には仕事があまり入っていない。優里は最近ようやく頭角を現している現状で、事務所の経営状況は火の車なのは間違いない。
社長は踊って歌えれば良いという考えの人間なので、特に事務所の方針に関してアドバイスはしない。
それでは駄目だと神坂さんの進言で方向転換に動いている。自分が売れっ子アイドルだったからこそ厳しい現実を知っている。
神坂さんはホワイトボードに書き込みをしながら話を続ける。
「学校生活は普段と同じように送ってくれればいいわ。まだ、学生なんだから優里ちゃんと同じように授業に出て、試験を受けて、女優活動も頑張ってもらいたいわ」
「はい、分かりました」
「それじゃあ、そういうことで……、これからよろしくね」
神坂さんの説明が終わると、優里は渋谷のスタジオで歌のレッスンに行くと言って事務所で別れ、笹川は一度自宅に帰り、荷物をまとめてからまた事務所に来ると言い残して事務所を出た。
僕は事務所のソファーに凭れ掛かり、今後の増えていくだろう業務量を考えると気が重くなった。
「兼木君、ごめんなさいね。あなたの苦労が増えることは承知の上なんだけど……」
「いえ、大丈夫です。僕が選んだ道なんで……、文句を言うつもりなんてありませんよ」
神坂さんは申し訳なさそうな顔で僕を見つめる。僕自身、今の環境は自分で望んだことだ。今更、後悔することはない。
ただ、問題は目の前にある。笹川が所属してくることによって、事務所の運営体制は大きく変わる。僕は今まで通り、優里のサポートと笹川ゆきのマネジメントの両方を担当しなければならない。
はっきり言って……、自分でこなすことができるのか不安になるようなレベルだ。
「兼木君は彼女の演技見たことある?」
僕は黙って首を縦に振った。笹川ゆきの演技を見たことがある僕は彼女を知らない人間に比べて彼女の才能を理解している。
ただ、彼女がなぜ今まで女優をせず、このタイミングで芸能界に復帰したのかが分からない。演技を見る限り、彼女は天才肌の役者であることは間違いない。演技の素養は十分過ぎるほどある。だが、ほとんどゼロからのスタートになる状態でいきなり主演映画の役は取れないだろう。
世間もモデルとしての彼女をある程度は認知しているだろうが……、それは演者としての彼女の評判ではなく、モデルのイメージが強い。モデルと女優は別だ。笹川ゆきが女優としてのキャリアを積むためには……、まずは仕事を取ってこなければならない。
「当然のことながら西宮プロに女優が所属した実績はないので、映画やドラマの仕事は入ってこないわ。まあ、私個人は映画にちょっと出演していた時期もあるから知り合いに頼んで仕事を紹介できなくはないけど……、先方との調整は兼木君頼りになっちゃうと思う。それに、彼女がやりたい作品じゃないかもしれない。そこはちゃんと相談してからじゃないと……」
「そうですね……」
「とりあえず、仕事のスケジュール調整なんかは私がやるから、兼木君は彼女が新しい環境で戸惑わないようにフォローをしてあげて」
「はい、分かりました」
神坂さんは事務的な説明を終えると、応接室を出ていった。おそらく、午後から『SunRise』のダンスレッスンが入っているのでそちらの準備に向かったのだろう。