012. 転校生は夢見る女優(2)
朝のホームルームが終わり、この出来事は瞬く間に校内に広まっていった。
「ねえ、龍之介……、どういうことか説明してくれる?」
優里は笑顔だが、明らかに怒っている様子だった。僕はなんとか弁明しようとする。
「まあ、落ち着いて聞いてくれよ」
「これが落ち着けるわけないじゃない!」
優里は声を荒げてそう言うと、僕の頬をつねってくる。地味に痛かった。
笹川ゆきとはそんなに親しい間柄ではなかった。養成所時代もトップを争ったことはあれど、会話もしたことないし、連絡先すら知らないのだ。そんな彼女がどうして僕を訪ねてきたのか不思議でならなかった。
てか、どうやってこの学校を特定したんだ……。
(笹川ゆきとはもう一度話をする必要があるだろうな……)
僕はそんなことを考えながら、廊下側の一番後ろの席で生徒に囲まれながら質問攻めにあっている笹川ゆきを眺める。
あの頃は生意気なクソガキだったけど、今はだいぶ印象が違っている。いや、本質は同じかもしれないな……。僕はさっきの彼女の行動を思い出して、思わず苦笑する。
「笹川ゆきは僕と同期の女優志望だったんだ。一緒に舞台に立ったこともあるし、知り合いっていう間柄ではあるな……」
「へぇー、そうなんだ。でも、いきなり抱きつくのはちょっとどうかと思うけど……」
(それは僕には関係ないだろ……。むこうが勝手に抱き着いてきたんだから)
優里の言葉に僕は心の中でツッコミを入れる。笹川がなぜ僕に抱きついてきたのか理由が分からないので……、僕には正直どうしようもなかった。
非力な僕には彼女を押し返すような力はなかったし、不可抗力と言えばそこまでなのだが……、やはり納得がいかない。
ただ、彼女の瞳を見つめた時に脳裏に浮かんだ幼い頃の記憶がまだ鮮明に残っている。
「まあ、とりあえず誤解だってことだ」
僕はそれだけ言うと、これ以上追及されても困るので、適当な話題へすり替えを計った。
「そういえば、今日の予定なんだけど……」
「何かあったっけ?」
優里は首を傾げる。西宮プロの事務所に顔を出せと神坂さんに言われている。事務所に顔を出せと言われるからには、仕事の打ち合わせなんだろうけど……。
それなら、マネージャーである僕だけで十分だと思えた。
「神坂さんから事務所に来いって言われてるんだよ。だから、今日は事務所に……」
「うん、わかった。じゃあ、授業終わったら一緒に行こ」
優里は笑顔で言うと、自分の机へと戻っていく。その足取りはとても軽やかなものだった。
さてと、今日の学校が終わる前に一つやっておかなければならないことがある。
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四時限目が終わり、昼休みになった途端、僕は教室を出て校舎裏へと向かった。
席から意味深なアイコンタクトを送ってきていた笹川ゆきは必ずついてくると思った。屋上に優里を待たせているので、できるだけ手短に終わらせたいところだ。
後ろを振り向くと案の定、笹川ゆきの姿があった。彼女は腕を組んで壁に寄りかかりながらこちらの様子を伺っていたようだ。
僕はため息をつくと……、彼女の方へ向かって歩いていく。そして、目の前まで来ると立ち止まった。
「さっきの話の続きをしてもらおうか?」
「あの時言ったとおりよ。私はあなたに会いに来ただけなんだから」
僕はジト目で睨みつける。すると、彼女は笑顔を崩さない。真意はわからないが……、少なくとも嘘はついていないように見えた。
「西宮優里のマネージャーになったのは……、なんでなの?」
「それは……」
僕は言葉に詰まる。その理由を話すわけにもいかないし、話す必要もないと思った。これは優里との約束でもあるからだ。
「私と一緒に夢を追いかけていたあなたはもういないのね……」
僕はもう表舞台にあがる気はない。足の怪我で演技が満足に出来なくなったあの日から唯一の夢を失った。
今は夢を失った平凡な高校生がアイドル歌手のマネージャーをしてるなんて誰も想像しないはずだ。でも、志半ばで夢をあきらめてマネージャーに転身するなんてこの業界ではよくある話だし、今さら騒ぐようなことでもないだろう。
「俺はもう役者として舞台に立つことはない。君だってもう役者じゃないんだろう?」
「ええ、そうだけど……」
「それに、君が俺のことをどう思ってるか知らないが、君の知ってる頃の俺はもうどこにもいない。今の俺はただの冴えないマネージャーだよ」
「…………」
僕はそう言って踵を返すと、その場を離れようとした。しかし、後ろから強い力で引っ張られる感覚を覚える。振り向いてみると、笹川ゆきが僕の制服の裾を握っていた。
「待って!」
「まだ何か用があるのか?」
「お願い、少しだけでいいから私の話を聞いて」
笹川ゆきは必死の形相で訴えてくる。その表情はまるで捨てられた子犬のような感じだった。
彼女の頼みを聞く義理はなかったが、なぜか断りづらい雰囲気だったので僕は渋々了承する。笹川は安堵の笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いた。
「私は今月から女優活動を再開するわ。元の事務所には所属せずに西宮プロからのオファーを受けて……、これから本格的に女優として活動をしていくつもり」
僕は驚きのあまり目を見開いた。西宮プロはそんなに規模の大きくない弱小事務所である。事務所側としては、タレントに仕事の主導権を渡している。
自主性を重んじるといえば聞こえはいいし、仕事が取れる取れないはその人の力量次第だ。だが、マネジメントがしっかりと確立していない西宮プロはタレントに思いっきり負担がかかる。
実際問題、優里の仕事のスケジュール管理やプロデュースはほとんどマネージャーである僕がやっている。
他のタレントは神坂さんがすべて請け負っている。神坂さんは仕事の交渉から、宣伝、イベントの企画、オーディションの手配、書類作成などすべて一人でこなしているのだ。
「神坂さん、よく採用したな……」
僕は素直な感想を口にした。神坂さんはこの世界に精通していて、芸能界の裏側をよく知っている。僕の目から見ても現在の神坂さんは自分のキャパ以上の仕事をしている。それでも神坂さんは一切文句を言わない。
それが神坂さんが一流と呼ばれる所以であり、僕は彼女のことを社会人として尊敬している。
「私だって驚いたわよ。見知った名前が社員録の欄に登録されているんだから……」
笹川ゆきは真剣な眼差しで言う。なんで、今日事務所に呼び出されたのか分かった気がした。
事務所は変革を求めている。企業は時代の変化に対応できなければ生き残れない。それはどの会社でも同じことだ。
そして、西宮プロはアイドル路線を辞めて、新たな方針を打ち出す覚悟があるのだろう。
(神坂さんは西宮プロの現状を一番理解してる人だから、笹川を拾う決断をしたのか……)
僕は心の中で呟く。笹川ゆきには才能があることは誰よりも僕が一番分かっている。人は皆、自分の意思で選択をしている。
彼女は僕と違って夢を追っている。そして、僕は彼女とは違って夢を失ってしまった。
「話は分かった。事務所に戻ったら神坂さんから話があるんだよな?」
「うん、そうだと思う」
「じゃあ、その時にまた詳しく話を聞かせてくれ。それじゃあ、僕は戻るぞ」
「待って!」
僕が再び歩き始めようとすると、再び笹川ゆきに引き留められた。今度は何事かと振り返った。
「あなたはまだ私のことを覚えている?」
笹川ゆきの言葉に僕は一瞬ドキッとする。彼女の瞳を見て、記憶の奥底に眠っていた少女の面影が脳裏に浮かんでくる。
最初に彼女の演技を見た時からずっと、僕はコイツには負けないとずっと競い合っていた。