011. 転校生は夢見る女優(1)
ライブ後の反響は凄まじいものだった。ネットニュースでは、『アニメの主題歌を担当した歌手が初の単独ライブで新曲披露』と書かれており、ファンの間で話題になっている。
優里の知名度は一気に高まり、彼女のツイッターのフォロワー数は、瞬く間に増えていった。
そして、ネット上では『今後に期待の新人アイドル歌手』として、取り上げられるようになっていた。
一方、僕の方はと言うと、話題になったお陰で仕事が増え、さらに忙しい日々を送っている。
今日も僕は打ち合わせのために、西宮プロダクションの事務所に向かっていた。
部屋の扉を開けると、事務所全体のマネジメントをしている神坂七海さんの姿があった。
彼女は、机に向かいながら書類を整理している。
「お久しぶりです」
「お疲れ様、元気にしてた?」
「はい、何とか……」
「そう、それは良かったわ」
彼女はそう言って微笑む。
神坂七海は元人気アイドルグループのセンターを務めていた人だ。今は、西宮プロに所属するタレントたちのマネジメントを行っている。
彼女がアイドルをやめ、マネージャーに転身したのは僕が芸能界に携わるよりも前のことである。
優里のオーディションの立会人でもある。
アイドルは旬が過ぎたから引退したと口にしていたが、僕は本当は違うのではないかと思っている。
「優里ちゃん、学校ちゃんと通えてる?」
ライブが終わり、次の仕事が決まるまでは、優里は普通の高校生と同じように学校に通っている。
休学していた彼女に友達と呼べる存在はいなかったが、それでも新しい環境に慣れようと努力しているようだった。
(ただ、優里を芸能人として特別視しない人間なんてこの世にいるのだろうか……)
学校という空間で西宮優里という人物は異質な存在である。芸能プロダクションに所属するアイドル歌手であり、人見知りで、容姿は抜群、誰もが気になっているだろうが……、なかなか話しかける隙がない。
四六時中――、マネージャーとして僕が横についている状況下では尚更である。
「まぁ、学校には普通に通えてますよ。友達はいませんけど」
「そう、やっぱり難しいものよね」
「そうですね」
僕は少しだけ苦笑いを浮かべながら、事務所のデスクトップを立ち上げる。メールボックスを確認する。そこには、様々な連絡事項が記載されていた。僕はそれらを確認していく。すると、気になるメールの内容が目に入った。
メールは有名な絵師からで、『見てください』という一文だけ添えられて、その絵師が描いたキャラクターのイラストが添付されていた。
どうやらそれは西宮優里をイメージしたキャラクターのようだった。
黒髪ロングヘアの少女で、白いワンピースを着ており、両手で何かを抱え込んでいるようなポーズを取っている。どこか物憂げな雰囲気を漂わせており、とても魅力的に感じられた。
(これ……、使えそうだな)
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四月も中旬に差し掛かり、気温もだいぶ暖かくなってきた。優里は学校の制服に着替えて、鏡の前で最終チェックを行う。
龍之介はその様子を眠たそうに見ていた。
「よし、完璧!」
優里はそう呟いて、右手にバッグを持つ。玄関前で待っていた龍之介は、優里に視線を向ける。
「じゃあ、行くか」
「うん!」
最寄り駅である都立大学駅から数分歩くと真新しい白い校舎が見える。
私立鳳凰学院高等学校。
それが、優里と龍之介が通う高校の名前である。校門を通り抜け、二人は下駄箱に向かう。僕と優里は上履きに履き替えると、自分たちの教室へと向かう。
最近はずっと優里は僕の席に居座ることが日課になっていた。今日も優里は机の上に座り、足をぶらつかせている。
僕は感覚を少しだけあけ、優里と対面するように椅子に座っている。
「優里、あんまり足を動かすなよ」
「いいじゃん別に……」
「スカートの中が見えるぞ?」
「どうせ、龍之介にしか見えないから大丈夫!」
優里は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
確かに、僕と優里は一緒にいることがほとんどなので……、そんな細かいことをいちいち気にしていたらキリがない。
だけど、いつ誰が見ているのか分からないので、あまり油断して欲しくないというのが本音だったりする。
そんなことを考えていると、優里がちょっとだけ不思議そうな表情を浮かべてこちらを見ていることに気付いた。
「どうした?」
「うーん……、なんか誰かに見られてるような気がするんだよね」
まあ、優里が芸能活動をしていることは校内では知れ渡っている。だから、彼女のことが気になってつい見てしまうというのは分かる。
ただ、優里が有名人とはいえ……、学校の中だけは普通の高校生として過ごして頂きたいというのが僕の思いである。
好奇な目で見られるのは、優里にとってはあまり気分の良いものではないだろう。
「もし、気になるようなら注意してくるけど?」
「あっ、大丈夫だよ。多分気のせいだから……」
優里は小さく笑って首を左右に振る。僕はそれを見て安心するが、やはり気になってしまう。
(まぁ、僕が気にしても仕方ないか……)
僕はそう思って、自分の机に置いてあるタブレット端末に手を伸ばす。
ちょうどその瞬間に担任の二階堂弘子が入ってきた。
彼女は出席簿を教卓の上に置くと、生徒の顔を一通り眺める。優里は慌てて自分の席に戻っていった。
「今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります」
二階堂先生はそう言って微笑む。その言葉を聞いて生徒たちはざわつき始める。
「なんですか? もしかして、彼氏ができたとか!?」
一人の男子生徒がそう言うと、他の生徒たちは一気に盛り上がる。二階堂先生は苦笑いを浮かべそれを否定する。
「残念ながら違います」
「えっ、じゃあ何?」
「実はこのクラスに転校生がやって来ました。笹川さん、入ってきて良いわよ」
その言葉と共に一人の少女が教室の中に入ってくる。彼女は背筋を伸ばし、堂々と歩いていく。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、端正な顔立ち、まるで人形のように美しい女子生徒。彼女が歩く度に、教室中の視線は彼女に集中する。
そして、二階堂先生は黒板の前に立つとその少女の名前をチョークで書き始めた。
「笹川ゆきさんです。みんな仲良くね」
笹川……、ゆき?
その名前を聞いた瞬間――、僕は心のどこかで引っ掛かりを感じた。
笹川ゆきと呼ばれた少女は長い髪を靡かせて、僕に視線を向けてくる。
彼女は自己紹介もせずに、一気に僕の方へと近づいてくる。僕は困惑しながらも、彼女に視線を返す。
「兼木龍之介で間違いないわね?」
「そう、だけど……」
「やっと……、見つけたわ」
そう言った途端――、彼女は僕に向かって飛び込んできた。僕はそれを受け止めるが、勢い余ってそのまま床に押し倒される形になる。
その光景を見たクラスメイトたちが一斉に騒ぎ出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 一体君は何を―――!」
僕はそう言いながら、起き上がろうとするが……、彼女の力が想像以上に強くて動こうにも動けなかった。
僕は必死に抵抗を試みるが、そんなことは御構い無しというように、笹川は顔を近づけてきた。
「わたしの眼を見なさい!」
僕はその言葉を聞くと、身体が硬直してしまった。その瞳に吸い込まれそうになる。彼女の黒い瞳は妖しい光を放っていた。
その瞬間――、脳裏にある映像がフラッシュバックする。
それは、真っ暗な空間で一人の少女が舞台の上で泣いている姿だった。
(随分前のことだ……。まだ、自分が小学生の低学年だった頃の幼い頃の記憶)
「その顔は思い出したってことでいいのかしら?」
笹川ゆき――、俳優志望だった龍之介と一緒に養成所の演劇科に通っていた同級生の少女である。
彼女は女優としてデビューして、ドラマや映画に出演していたが……、突然芸能活動を休止し、現在は雑誌のモデルとして活動していると風の噂で聞いていた。
「そうだな。確かに思い出したが、僕になんの用だ?」
「それはもちろん、あなたに会いに来たのよ」