009. イベントライブに向けて(6)
打ち合わせから数日が立ち、優里は学校に通いながらもライブに備えて、毎日のようにレッスンを受けていた。
今日は週末で学校は休みだが、優里は午前中から渋谷のスタジオに来てレッスンを行っている。
今日から優里がオープニングを担当するアニメが放送開始になる。優里は特に緊張するような素振りは見せていないが、それでも多少は意識しているのかもしれない。
渋谷駅のデジタルサイネージでは、アニメのPVが流れており、多くの人が足を留めている。
世間の期待は日に日に高まっているように感じられた。
そして現在時刻は午後三時。僕は渋谷駅に向かい、改札を通って、ハチ公口へと向かう。
ハチ公前の広場に着くと、そこには多くの人で賑わっていた。スマホのカメラを構えて写真を撮っている人や、待ち合わせをしている人たちがいる。僕は邪魔にならないように移動し、優里が来るのを待つ。
しばらくすると、遠くの方からこちらに向かって歩いてくる優里の姿が見えた。
彼女は、白いブラウスの上に黒色のジャケットを着ており、下は膝丈のスカートを履いている。長く艶やかな黒髪はポニーテールに纏められており、首元には銀色のネックレスがかけられている。
変装のために、眼鏡をかけてキャップを被っており、手には小さなバッグを持っている。
「ごめん、遅くなった!」
優里が息を切らしながら駆け寄ってくる。
「全然待ってないよ」
僕は笑顔でそう言う。優里が呼吸を整えるのを待ち、僕たちは並んで歩き出し、目的地へと向かっていく。スクランブル交差点を渡り、109の前を通り過ぎる。少し歩くと、目的の場所が見えてきた。
目の前には大きなビルが建っている。入り口付近には『アニメイト』と書かれた看板があり、その下には可愛らしいキャラクターの等身大パネルが置かれている。
なぜ、アニメイトに来たかと言うと、優里がオープニングを担当する原作漫画のサイン会に当選したため、一緒に付いてきてほしいと言われたのだ。
漫画家の名前は、南條こよりさんという女性で、最近は絵描きの配信なども行っており、動画配信サイトやSNSで注目を集めている若手の人気漫画家だ。
「早く、早く、こっちだって」
「分かった、分かった」
優里は子供のような無邪気な笑顔で、ビルの階段を上っていく。僕は苦笑いを浮かべて後を追う。二階に上がり、店内に入ると、そこはアニメグッズがたくさん置かれていた。優里は嬉しそうな表情で、店内を物色し始める。その様子を見て、僕はほっとした気持ちになった。
最近の優里はとても忙しく、こうしてゆっくり遊ぶような時間はあまり取れていなかった。だから、少しでも気分転換になればいいと思ったのだが、どうやら正解だったようだ。
「サイン会あっちらしいぞ」
僕は入口付近の壁を指さす。そこには、南條こより先生の直筆イラストによる案内が貼られていた。
「うん、ありがとう」
優里は小走りでそちらへ向かい、僕はその後ろをゆっくりと追う。列に並ぶとすぐに順番になり、漫画家の南條こよりさんを僕は初めて目にした。
年齢は二十代前半くらいだろうか。栗色の長い髪をしており、前髪も綺麗に切り揃えられている。目はくりっと大きく、鼻筋が通っている美人で、スタイルもいい。
「こんにちは、いつも応援しています」
「あら、ありがとうございます」
優里は丁寧にお辞儀をして、挨拶をする。それを見て、僕も同じようにする。南條さんは優しく微笑んでくれた。
それから、二人は会話をしながら、本にサインを書いてもらう。その間、僕は少し離れたところで待機していた。
やがて、話が終わり、優里は満足げに本を眺めた後、大事そうに鞄の中にしまう。そして、再び深く頭を下げた。
「ありがとうございました!」
優里は満面の笑みを浮かべる。南條さんはそんな優里に優しい視線を向ける。
優里は順番待ちの列から捌けていき、僕もそれに続こうとする。すると、後ろから南條さんが声をかけてきた。
「君がいるってことはやっぱりあの子本物なのね」
その言葉を聞いて、僕は振り返る。彼女はどこか納得したように小さく笑みを浮かべていた。
「えっと……」
「あっ、ごめんなさい。なんでもないわ、彼女によろしくって伝えておいてね」
彼女はそれだけ言い残すと、次の人の対応を始めた。僕は首を傾げるが、そのまま優里の後を追った。
サイン会を終えた僕たちは、渋谷の街を再び歩き始めた。デジタルサイネージに映し出されるアニメのPVを見ながら、二人で感想を言い合う。
優里が主題歌を歌うことも話題になっており、街中では何度も流れている。優里は照れくさそうにしながらも、嬉しそうにしていた。