第九十二話 僕のせい、君のおかげ
第九十二話です。よろしくお願い致します。最後まで読んで頂けると嬉しいです。
お待たせしました九十九投稿目です。後一話でこの「混沌に染まる」も百投稿を迎えます。いやあ本当にここまで来れましたのも皆様が見て下さるおかげです。答えられるよう投稿スピード頑張ってあげますのでよろしくお願いします。
銀が散りばめられた夜の綺麗さなど霞んでしまう。嫌悪を撒き散らす気配は暗々裏に事を運ぶ二人の目を奪って釘付けた。まるで星空の下に立っているとは思えない暗闇に不安が襲う深夜、山の上ポツリと隠された小屋の前。
決して近づかず離れた場所からの観察、それが任務。
木の陰に隠れて伺った木小屋の中の様子は、玄関が空いているとはいえ暗く静かで分からない。ただずっと鼻をへし曲げるほどの異臭と水音が不快なだけ。
どちらからだろうか、ふとこぼした溜息に反応するように木小屋の中からか細い呻き声。子供の声だと気づくのに時間は然程要らなかった。顔を見合わせてまさかと苦笑し緊張が走る。強張った顔に冷や汗が垂れて痙攣する目元が言葉より有言、唇を戦慄かせて呼吸を忘却させた。
ヒュッと一気に息を吸いこんだ二人は木陰から静かに顔を出し、ついには小屋の前まで足を運んでいた。
龍馬からの依頼は近づかず、ただ観察を続けること。異変が在ればすぐに連絡をすることだった。二つ返事で了承した龍貴とガラーシュ、しかし二人は対象の正体を知らないでいた。
彼が言うに、想像を塗り潰すほどの怪物が隠れていると。それは人に化け、人を喰う。あまつ、人知を超えた力を有していると。
あの龍馬が念圧して言うのだからと二人はその言を信じて守っていた。だが想像というのは個人のもので、他人に決められた範囲など所詮は。なんて思うのが人間で、人間はいつも愚かに見誤る。
疑心、不信、なんてものじゃあ無い。
心に飼った好奇心の化け物は想像を過小に創り出し、促すのだ。こっちへ来いと、一歩踏み出して覗いてごらんと。
小屋にいる怪物の姿形声気配、何も知らず想像する。人の形と言うが本当に。手足は何本、目はいくつ。想像を超える怪物とやらを想像の中で形作ろうというのだからオモシロい。
人喰いの化物は小屋一杯に繋がれた四足の獣で、今さっき聞こえた声は餌として囚われた子供なんじゃ。人の姿を下怪物と言うがここに居るのは本当に彼がいうバケモノなのか。そうじゃないというならもしかしたら今助けに行けば間に合うかもしれない。
想像することの怖さというのは一度勝手に世界を創ってしまえば起こり得るかもしれないという可能性を生んでしまうことにある。想像は無限大だ、なんて聞こえは良い。二人の頭で創造してしまった世界では小さな小屋の中血だまりの上、いつ喰われるかも知れず怯えた子供が無き呻く。
行動は早かった。慎重に音を殺して小屋に近づく二人。ハンドサインで合図する。
中を覗くだけと決めていた。外の闇より更に深い暗がりは小屋の近く周辺までを侵食し、爪先を隠してしまうほどに濃く臭い立つ。
朽ち果てて扉も無い玄関に二人は背中を預けて顔だけを覗かせた。龍貴もガラーシュも夜目が利くというのに、小屋の中にはべっとりと絡みつくような嫌に纏わりつく闇が渦巻いている。
不気味なのかさえ分からない。中に何がいるのか、これほど近づいているのに気配すら探れない恐怖が二人を取り巻いていた。
今なら分かる。この時点で退いておくべきであったのだ。しかしこの時は僅かでも情報を得るために、なんて今思えばそれも建前に過ぎない。ただ気になってしまった、この先に待つ怪物とやらへの興味が忠実な二人の心を塗り潰していた。
一目見て龍馬へ報告に行こう。一瞬だけ、中の様子を確認したらすぐに退こう。そう決めた二人は無言のまま頷き合って強張った体を乗り出した。
引き裂かれたカーテンが割れた窓に揺れてまばら、闇を照らす。
「だれ…。」
血の気が無いその声は静寂の中消え入るようなほどか細かった。
呼吸を止められる、口の中染み出した唾を飲みこむことが困難で声を出すには喉が乾き過ぎていた。
逃げる?馬鹿な話だ。暗闇に立っているのはまだ幼い子供じゃあ無いか。ただ場所があまりにも、そうだこんなところに子供がいるのがおかしいだけで…独りでいるのが、血だまりが、腐臭が。
煩わしいと拭きとられた口元に黒い線が尾を引いた。水滴は粘性を持っていて少し淀み汚い。
彼から目を離さないのは離せない訳では無かった。ただ彼以外を見るのを躊躇うほど視界の端に映る景色は塗り潰されている。
「逃げるのが遅かった。あなたの言葉を、あなたの想像世界に留まるべきだった。」
ここに居てはいけないとやっと気が付いた時にはもう引き返せない場所に居た。裸足がチャプチャプと淀の中を遊んで近づいて来るのを冷や汗だけが滴を落として返事した。
「どこに行ったの…。」
鼓膜に直で触れられているような感触がザワザワと脳を舐める。全身に噴き出していた汗が少年の目に映った途端、体温を奪って引いて行く。
「僕の…。」
逃げろ、と出ない声を絞って振り返った龍貴はガラーシュを突き飛ばした。
「おとうさん…。」
ゴポ、ゴポと煮えたぎる血液がマグマのように両目から垂れ落ちる。血だまりに届いて泡を吹いた血は龍貴の立つ場所を侵食しようと広がっていく。
ドクンッッ
胎動が聞こえた。
膨れ上がった腹の中で何かが皮膚を突き破ろうと暴れ出す。小さな男の子の細い喉を無理矢理に通る何かが食道を裂き、顎を外して唇を割って這い出した。
ズリュ
ズリュリュリュ
膨張する。引きずり出される。望まれていないのにそれは生まれるしかなかった。
四本の指が乳歯を砕いて口を押し広げる。暗闇の中更に暗い口の中、
「ンヴァア。」
赤子がこちらを見て泣いた。
「あれはこの世のものでは無かった。龍馬さんいったいあなたは何を、俺達に何を見張らせていたのですか…?」
咳き込みながら問いただすガラーシュが脳裏に蘇る恐怖に身体を震わせた。取り乱した、と頭を下げた彼は深刻な面持ちで話を続ける。
「…そこからはもう正常ではいられませんでした。」
幼い少年の小さな口を無理矢理に裂き破れ堕ちた赤子は、不完全な体で淀の中を這い這いする。体長は三メートルを超すだろう巨体。灰色の全身は産毛も無くツルツルと皮膚が張っていて、全体に見合わない大きな頭は凸凹に歪。皺皺の顔には開かない目に鼻の孔、歯も舌もブヨブヨに未発達で血が溜まる。
ンンンナァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ
小さな手指、太くて柔らかい腕、足は紐のように二本が捻じれて発達の前。繋がることの無かったへその緒が垂れ下がったまま。
愛されることは無かった。正常に生んでくれなかった。この子は未完成、生まれるべきでは無かった。
望まれず生まれた赤子は何を想って泣くのだろうか。この子のように、全てを恨んで泣くのだろうか。
「かわいい、僕の赤ちゃん…。」
母のように笑いかける少年が赤子を撫でる。泣いている我が子をあやし、泣いているのはどうしてか優しく問いかけた。
ンアッア゛ア゛ア゛
「お腹が空いたのね、じゃあお食べ。いっぱい、オタベ。」
龍貴を見て笑う少年の瞳にはどす黒い影が。狂気、童心、無邪気、邪悪が混在して瞳孔を押し広げた。
背中を押す少年は満足そうに我が子を見送った。必死に生きようと這いずり回る未完成品を。
木小屋を突き破った灰色の手が飛び出した龍貴を追う。ブヨブヨと液体の溜まった短い指は彼を捉えようと蠢くが、可愛らしい手は夜の虚空に伸びて力なく項垂れた。
「はぁ、はぁ、!ガラーシュ、今すぐ逃げて龍馬に知らせろ!」
いつもならこんなにすぐ切れるはずの無い息が得体の知れない怪物を前に荒く弾んで収まらない。
「しかし、これを前に…っ!」
これ。そう形容した名も無き、想像を上回る怪物が瞑られたままの両目で龍貴を見詰めていた。無意味に動かす手はまるで何かを掴もうとしている動き、言葉を持たない赤子が声を発して喘ぐ姿は生まれ堕ちた世界の空気を必死に灰に巡らせて生きようとしている姿。
だがそこに微笑ましさは無く、理解の及ばない恐怖が在った。
ア゛ァァ ンア゛ァ゛ァ
ゴロン、と背を着けて地団駄を踏んだ赤子が地面を揺らす。バタバタと暴れ出した赤子を前に二人は何も出来ずにいた。
今が逃げる絶好の機会なのだろう、しかしここで逃げればこの怪物はどうなる。山を這い人里へと降りる、それがどれほどの悲劇なのか。
見た目がまるで人の様を成していないから?いや違う。脳が啜られているようなその感覚は、この生物かも分からない赤ん坊への本能から発する嫌悪だった。
「くそっ、ならここでこいつを。」
殺す。
生まれたばかりの産声あげる人の子を?
「僕の、赤ちゃんをどうするの…。」
「聞くなガラーシュゥ!!」
「あの子の悲しそうな顔を見て一瞬躊躇してしまったんです。」
殺気を込めた龍貴の視線にあの男の子が浮かべたあの表情に偽りは無かった。一瞬脳の奥に浮かんだ遠い日の記憶、幼い自分を愛してくれた母の顔。
生まれは普通じゃあ無いかも知れない。小さな男の子が吐き出した、醜い不完全な赤子。誰にも望まれず、恵も愛も無い。ああなんてかわいそうなんだ。
その一瞬の戸惑いが永遠のように感じました。ゆっくりと流れる時間の中で自分の体は倒れ込み、押し飛ばしたあの人の必死な顔が歪んだのが分かりました。
柔らかいはずの下が龍貴の腹部を貫通した。飛び散る血飛沫でガラーシュの顔が濡れる。
龍貴に手を伸ばして名前を呼ぼうとした。舌が引き抜かれて地面へと落下する彼を受け止めようと。しかし赤子が一つ産声を落としたと同時に灰色の体が盛り上がり、皮膚が針山へと変わる。
「た、のむぞ…。」
灰色の皮膚が龍貴の体中を串刺しにした。癇癪を起こしたかのように波のある針山のうねりは、彼が言葉を発することを許さないかのように何度も膨張と収縮を繰り返す。
害のない赤子だと勝手に想像していた。可哀そうな落とし子だと。でも今こいつは、この怪物は大好きな人を。
体が動くはずも無かった。今度は自分が命を賭して護ろうとしていたが目の前で自分を庇って散っていく。その場が既に戦場であることを思い出したのは赤子が這って龍貴の体に近寄った時だ。
太くて柔らかい指が横たわる龍貴の体に触れ握る。大きく開けた口に歯は無い、涎が滴った口の中は暗く深く帰ることは出来ない。
「おまえ、何をしようとしてる。」
静かに煮えたぎる激昂を露わに一歩踏み出した。破裂する皮膚から盛り上がった肉針が身を突き破る。腹、肩、足、腕。抉れる感覚に痛みなど感じない。
返せ。返せ。返せ返せ返せ返せ返せ。
「返せぇえええ゛ッッ!!!!」
山が震えるほどの怒りと悲しみが轟いた。綺麗な夜空だというのに地面が血と涙で穢れている。
た、のむぞ…。
その言葉で我に返ってそこから逃げ去った。彼の体を諦めて敵の前から走り逃げた。無力さを嘆いて山を駆け下りた。激痛が足を絡ませて地面へ身体を叩きつける。鬱陶しいほど吐き出した血を引き摺って山の下を目指した。傷口に石砂が入るのも構わない、向かう先必ずあの人へ伝える為に。
「お願い、します。あの人をたずげてくだ、さい…し、しんでしまうあの人は、おれの恩人なんです…おね、お願いしま、す。」
動けない自分が心底情けなかった。こうして頼むことしか出来ず、動けたとしても足手纏いにしかならない自分が。弱い自分が、嫌いだ。
「……アディラ。外の空気を吸ってくる、こいつを見ててくれ。」
ガラーシュが伸ばした震える手を強く握りしめ離した龍馬は誰の顔も見ることなく部屋を出ていった。
「んーー、さて僕もちょっと野暮用が。ヴェルデ、たのむよぉー。」
いつもの陽気な調子の彼女は大きく伸びをして立ち上がった。何処へ、そう問いかけたレティシアが言葉を引っ込める。笑う彼女の目に血の気が引いたからだ。まるでそこに楽しみは無く、どす黒い殺気を押し込めた宝石のような淀み。
後を追う。そんなことは出来なかった。残されたレティシアは糸の切れたように気絶するガラーシュのぞ場から離れなかった。ただ黙って目を閉じるヴェルデの感情に気が付かぬまま。
「雨だよ。」
許さない。
「お前は来るな。これは俺が後始末をつける。」
「責任感じてるの?なんの説明もしないで混沌を見張らせた。でもしょうがないよ相手は、」
胸倉が掴まれた。駆られた激情が影がかった顔に見える。相手は混沌だから。その言葉を飲みこんで冷ややかに笑う。
「あっはは…痛いんだけど。」
絶対許さない。
「ふぅ。あー苦しかった。」
閉められていた首元を戻して笑みを向ける。震える手が強く握り締められてギリギリ音が鳴っていた。
そんな顔似合わないよ龍馬。
「手、出すなよ。」
止めるな、と言わないのは何をする為に僕が着いて来たのか分かっているんだね。
「へえ、相手は幼い男の子だってよ?出来るんだ。」
無理だよ。僕怒っているんだ。
「ああ、赤ん坊だって殺すさ。」
くだらない、つまらない。君にそんな感情似合わない。
もっと純粋でしょ。君の殺意はもっとどす黒くて綺麗なはずなのに。
僕は許さない。龍馬にこんな顔をさせた愚か者を、僕はこの手で破壊する。
山に走り出した龍馬の背中を見詰めながらアディラは笑みを殺した。
「あは。全然笑えないね。」
強くなる雨が山へ入る人を拒むよう。
殺気が走る。絶望に似た殺気がそれを追う。
渦が巻く、混沌の渦が獲物を待ち構えるように大口を開けた。
最後までお読みいただきありがとうございます。次の投稿で百投稿ですが本編の続きですので悪しからず。
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