第九十一話 僕も君のように笑いたい
第九十一話です。やっとのことで第五章!お待たせいたしました、お楽しみくださると嬉しいです!
この作品もあと数話で百話を達成します!本編はまだ九十一ですが番外編と半章を入れるともうすぐです!ここまで続けて来られたのも偏に皆様の応援あってのことです。これからもなにとぞ是非に。
目の前の自分に憧れていた
反転した僕
今日も何も知らずに笑っている
笑顔に苦痛は映らない
鏡面に僕がいる
今日も笑った僕がいる
――時にそれは愛よりも深く、暴力よりも恐ろしい。
銀が夜空へ散ったあの夜から三日が過ぎた。あの日、【銀色の君】が遺したセシリアはアリアンナの力によって視力を戻すことに成功した。
「綺麗…」
そう言ったセシリアは開いた目から大粒の涙を流した。天に昇っていく星屑の光に目を奪われながら、その正体を知らず彼女は泣いた。何かを失ったことを、失ったのが兄であることを。
おめでとうと言ったアリアンナは深い慈しみを込めた笑顔を浮かべ、大切な贈り物を堪能するセシリアを抱きしめた。彼女が気付かぬように、兄のいない地上から目を反らし星空だけを視界に閉じ込めるように優しく後ろから彼女を包み込んだ。
銀色の天の下、一人の慟哭が劈いた。幼気な少女からたった一人の肉親を奪った罪の重さが、壊れかけの心にまた大きな罅をつくる。絶望を浮かべた巫女の少女は空回りする正義感を抱きながら狂いだしていく。二人に連れて行かれ、今はどうしているだろうか。
少女の未来を守る為と執行した正義が、少女のたった一人の愛する人を目の前で奪うことになってしまったのだ。可哀そうと一蹴するにはあまりに残酷。しかしもう戻れず、なおせない。それが使命と責任に心奪われた罰なのだから。
「あ、あのお茶の用意が出来ました…。」
おずおずと目の前に音を立てないよう置かれたカップからは淹れたばかりのせいか、白い湯気が立ち昇る。回想を遮って現実に引き戻した甘い匂いは、心地良く鼻に抜けて溜息を吐かせた。
「ありがとう。」
お礼を言うと彼女は慌てたように深く頭を下げ慣れない足取りで奥へと下がる。頬の赤みが見えたがやはりまだ熱が引かないのだろうか。
【銀色の君】の最後の望みで遺されたセシリアはヴェルデの屋敷に引き取られることとなった。流石に養子とすることには出来ず親戚の子供の面倒を見る、という建前の上で独りの彼女の居場所として。
歳のわりにしっかりとした女の子であるセシリアはただで居座る気はないと、自ら使用人として働くことを決めた。しかし両目の視力が完全に回復したとはいえあまりにも急なこと、元より失ったのは生まれてすぐの赤子の時。この三日間リハビリとして外の散歩に出かけるもまだ目を開けて生活できるのは数時間ほど。
「セーシリーアちゃんっ!こっちおいで!」
アディラに呼ばれて走り寄ったセシリアは狭い股座に収まると大人しく頭を撫でられた。気持ち良さそうに目を細める彼女の方を見ると目が合った。再び恥ずかしそうに目を反らして俯く彼女は少女らしく可憐だ。
「元気そうで何よりだ。君も…いや今はよそう。ほら君達に手紙が届いていたよ。しかしここに届けるとは、差出人は相当頭が切れるね。」
ヴェルデは龍馬に一通、アディラに二通手渡すと黒帽子を脱いでソファに腰掛けた。確かに彼の言う通りだ、この場に二人が滞在していることを知っている者など数えるまでも無く僅か。
「ま、その内の一人だ。可笑しくも無い。」
龍馬のところへ届いたのは黒一色の封筒。誰かに手紙を貰う覚えなど無い、しかし見覚えのある金下地に短剣の封蝋は誰から差し出されたのかをすぐに分からせてくれた。
「ぼくにもだ。あ、でもこっちは違うね誰から…へぇ。」
二通の内片方は龍馬と同じ見た目の封筒のようだ。しかしもう一つは普通の白封筒、それを見た瞬間アディラの口角が僅かに上がったような気がした。
「いい事でもあったか。」
ふふっ、と楽しそうな顔をしたアディラに龍馬が問う。すると彼女は手紙を開いて内容が見えるように近づいた。
「おしごとっ!」
嫌な顔だ。手紙には彼女への依頼を募る文。世界最高最強の殺し屋アディラ・デロ・セントグレンへの仕事の依頼、つまりは誰かを殺してくれとそういうことなのに。相応しくないその笑顔は既に獲物を視界に捉えた狩人のよう。
「急ぎ、みたいだぜ。」
「みたいね。でもどうしよっか。」
「はっ、?」
しかしどうしたことか大好物を目の前に戸惑う様子の彼女を見て思わず呆けた声が出る。いつもあれだけ餓えていて、格好の獲物が向こうから出向いたというのにまさか逡巡するとは驚きだ。
「ぼくには今御馳走が、マッテルシ…えへぁ。」
「そのバケモノみたいな顔やめろ気味が悪い。」
戦闘が好き、とまではいかないが確かに彼女を待つ者を考えれば分かる気もする。目の前で見せられた時は血も滾ったものだ。
ゴーン
「と、悪い少し出る。」
正午を告げる鐘の音が屋敷に響いた。話を遮る断りを入れてその場を発つ。彼女からの手紙は後回しに机に置いて、約束していた場所へと向かう龍馬。
玄関の扉を開けようとしたところで後ろに二つの気配が近づいた。メイド服の少女二人アリスとテレスは糸で塞がった両目で龍馬の背中を黙って見詰めている。
「はぁ。なんだアリス、テレス。ついて来るなよ?」
一向に口を開かない二人に痺れを切らした龍馬がだるそうに振り向いた。
昼間だというのに小さな窓からの明かりだけで薄暗い廊下、黒地のレースが光を吸って不気味な雰囲気を醸し出している。それにどこかいつもと違う空気を纏う二人、ああ何故か嫌な予感がする。
「龍馬。雨が降るよ。」
「傘。持って行かないと濡れちゃうよ。」
それだけか。なにか変な様子だったのにまさか天候の話だとは思わなんだ、龍馬は呆れた顔で小窓から外を見る。真っ青な雲一つない快晴だ。これから雨が降るとは思わない、それに山の気候は変わりやすいと聞いたこともあるが短時間なら問題ないだろう。
「約束があってな。もう、」
行こうと扉に手を掛けた龍馬。視界の端、映った二人が少し笑みを浮かべた。アリスだけが、瞼を縫い付けていた糸を解き始める。姉様、その声を聞いて意識がぐちゃぐちゃと。これはあの時と似ている。
「何を、見せた。」
ハッ、と意識が明瞭になる。どこかへ飛んでいた、いやしかし会話していた記憶もある。
「大丈夫。思い出すよ龍馬。」
「姉様は未来、まだ先のお楽しみだからね。」
何を言っているのか分からない。混乱する頭を叩いて整理する。未来、これが彼女達の能力だろうか。
「私は未来。テレスは過去。それぞれ一つ、対象の意識に捻じ込む。」
「ただし。現実と虚実を掻き雑ぜて。」
「ああくそ…っ。まだ思考がぐちゃぐちゃだ。」
奥へと進む道中で草を掻き分ける足が重い。既に体験したことだ、彼女らの言ったことが嘘では無いことなど分かる。ヴェルデと初めて話した時、急に彼との会話が変に交ざり在る事無い事夢の中に居るような感覚を味わった。
待ち合わせの木にもたれ掛かって思考を巡らした。
過去、は分かる。ヴェルデとの会話には船での出来事が出て来たから。しかし未来、それは起こるはずだがまだ起きていない現実だ。先ほど見せられたというのならどの未来を、何故覚えていない。記憶は、あるような無いような。二人と何かを話したような意識はあるのに。思い出すと言っていたが何か重要な事なのだろうか。
「おせえ。」
難しいことを考えるのは後、彼女達も嘘を吐くはずも無いだろうから時が来るのを待つとしよう。
二人と話をしていたため龍馬は遅れて到着した。にもかかわらず重合場所には気配すら無い。すれ違った時用の目印も無いためまだ来ていないということだ。
約束、というのも今日は用を頼んでいる龍貴とガラーシュからの定期連絡がある日なのだ。数日おきに進捗をこの木の下で聞く手はずになっている。目立つ場所では無いとは言え滞在は十分だけ。あと一分、来なければ何か異変が起きたと捉えていいだろう。
そもそも龍貴もガラーシュも時間ぴったりに来るはずだ。だから既に居ないというのがおかしい。
心配をしていると山の上から降りて来る気配。誰か、息遣いが荒く足音も消していない。二人ともそんなヘマをするような…
思考にノイズが走る。
「龍貴、さんが…俺を庇って、ぐっぅ!」
身体の至る所に空いた小さな穴。抉り取られたような傷跡からの出血が酷い。
「ガラーシュ…っ!」
意識が帰って来た。と同時に今の景色が先ほど見せられたものであるということを思い出す。彼の名前を呼んで地面を蹴り飛ばし、音のする方向へと龍馬は駆けた。
風で髪がかき上げられた額に冷たい滴が落ちて跳ねる。
雨だ。
木の枝にもたれ掛かるようにして倒れていたのは血塗れのガラーシュだった。近づいて来たのが龍馬であることに気付いた彼は一瞬申し訳なさそうに眉間に皺を寄せると、すぐさま苦痛に顔を歪ませた。
「ガラーシュ聞こえるか。くっ、何があった。」
彼の体を抱えて地面に寝かせる。傷が障るのだろう苦悶の呻き声。
「すいません…っ。しくじり、ましたっ…ぐっ。」
体の至る所に空いた無数の穴。抉り取られたような傷跡からの出血が酷い。
今さっき見た光景が目の前にあった。ガラーシュが途切れ途切れに言う、龍貴が自分を庇って連れて行かれたと。
これが未来、か。
「何があった。手は出すなと言っていたはずだ…っ。」
出血場所を圧迫するも傷が多すぎる。呼吸も荒く既に瀕死の重体だ。一体いつからこの状態で。
詳しい話は治療が済んで話せるようになってから。このままでは手遅れになる、とガラーシュを担ぎ上げた龍馬は屋敷の方へと急いだ。
「あ、あの!大変です!」
扉を勢い良く開けたセシリアが息荒くそう叫んだ。要領を得ない言葉だが、すぐさまただならぬことと悟った一同はすぐさま玄関へと駆け付ける。
「医療箱を!」
玄関にはずぶ濡れの龍馬とガラーシュが。血相を変えた龍馬が叫ぶ。背負ったガラーシュからは雨に混じって赤色が零れ出していた。
龍馬は玄関へやって来たアリスが既に持っていた医療箱を見つけ奪うように取ると、ガラーシュの服を挟みで切り裂いた。露出した上半身は細い杭で何度も貫かれたように穴だらけ。
「説明は後に。私と龍馬で彼をベッドに運ぼう。アリスとテレスはすぐに準備を、アディラは治癒魔法の使い手に連絡を。皆大急ぎだ!」
ヴェルデの一声で迅速に事は進んだ。
アディラは急ぎ山を奔り宮廷へ、エリクサーを切らしていたのが痛かったがあの傷ならレティシアの治癒魔法でも十分だろう。しかし問題は出血量だ。傷は小さいとはいえ数が多すぎる。様子からして今も生きているのが奇跡と言える。
「まっててねぇ…っ!」
本気で走れば車などより速い。アディラは焦りを押し殺し最高速でレティシアの下へと急いだ。
それから僅か一時間後。
「顔色が少し戻ってきましたね。傷も塞ぎましたので感染症の心配も無いでしょう。」
治癒を終えたレティシアが汗を拭って言った。辛そうな表情をしているが輸血のおかげでガラーシュの顔にも生気が見え始めている。
「助かった。恩は忘れない。」
「…理由は聞かないでおきます。頭を上げてください。リョウマ、あなたの行く道が危険なのは承知です。彼のように、いえ彼より酷い状態にならないとは言えないのですから。」
深く頭を下げた龍馬に言葉を落としたレティシアは悲しそうな表情で唇を噛んだ。震える拳を握り締めて今は関係ない、と怒りを抑える。
「良かったよぉ~ありがとねレティシア!ってなんか髪、変だよ?ぷふっ。」
「こ、これはあなたが!」
重い空気を蹴り飛ばすようにアディラが軽口を吐いた。わざとらしく笑った彼女が言うようにレティシアの髪は巻き上げられてクルックルのグリングリンに跳ねている。
「ぼくのせい?」
車では間に合わないと宮廷からレティシアを抱えて走ったアディラ、そのおかげでこうしてガラーシュは生きているわけだが代わりにレティシアの前髪は犠牲となったみたいだ。
「大体あなたはなんの説明もなしに…」
ガミガミとアディラへのお説教が始まった中、低い唸り声で目を覚ました怪我人がベッドから起き上がる。しかし疲労と貧血、すぐに背中から倒れ込んだ。
「起き上がる必要は無い。」
「面目ないです。はぁ、ここはお屋敷ですか。」
気だるそうに息を吐いたガラーシュは傍に立っている龍馬に目を伏せて詫びる。
龍馬は二人に在る任務を課していた。こちらで【亡兄】こと【銀色の君】を見極めるのと同時にもう一人分かっている混沌の調査を。
「何があったか教えてくれるか?」
まだ治療が終わったばかりの体に鞭打つのは心苦しいが龍貴の安否が掛かっている。急ぎ詳しい話を、と龍馬の問いに深く頷いたガラーシュは銀色の夜に起きた事を話し始めた。
いつも最後までお読みいただきありがとうございます。これから五章、盛り上げていきますので見て下さると幸いです。次も早めに投稿頑張るので良ければ見て下さい。




