三日目 触れる
三日目 触れる です。
遅くなってしまいまして申し訳ありません!!お待たせしました。いつも見て下さり有難うございます。前話に続き、本筋とは少し離れていますが番外では無いので見て頂けると嬉しいです。
桜は子供の頃まともに話すことが出来なかった。何か障害が無ければ誰だって身につく言語を、障害も無しにあいつは与えて貰えなかった。まともに会話が可能となったのは10歳の時。
「丁度母親が死んで俺と暮らすようになってからだ。」
言葉の出ない驚愕。世界違えどその異常さは伝わったのだろう。10歳になっても話せない子供。意思表示するときはあーとかうーとか唸るだけ。それも発達に何の生涯も無い子供が、だ。
「虐待されてたんだ。」
よくある。よく聞く。ありふれた児童虐待。育児放棄。教育も受けさせてもらえず、独り家に閉じ込められて。父親とは桜が幼い頃別れ母親は仕事人間、疲労不満溜まった鬱憤は都合よく喋れない幼子へ暴力という形で晴らされた。
悲鳴を上げることも泣く事も知らず、元気に笑って暴力を受け止める。それが愛情だと思って嬉しそうに。
そんな日が続いてある寒い日の夜。俺の所に連絡がきた。その日は珍しく大雪が降る冷たい夜だった。桜の母親が飛び降りて自殺したらしいと。通報があって家に独り居た桜を保護したと。
黙って聞いているレティシアが悔しそうに拳を握り締めた。言葉を発するのさえ重い。続けるぞ、という龍馬の目線から顔を反らし小さく頷く。ベルフィーナがその震える拳にそっと手を添えた。
「その日は特に酷かったみたいだ。」
今まで決してつけようとしなかった顔への痣。余程我慢の限界だったらしい。保護された彼女はベランダに横たわっていたらしい。そして母親はそこから真下へ、一服していた最中母親は自ら柵を乗り越えた。
現場には虐待された少女、本人にもその願望があったと確認されたため直ぐに自殺と断定された。お下がりの小汚い袖余りの服、捲った背中には「死にたい」と。伸び切って廃れた袖には煙草の灰が少し、幸せそうな顔で眠っていたらしい。
ベランダに積もる雪には足跡が二つ。サンダルと小さな裸足。
柵は低く、およそ小さい子供がいるとは思えない程。まるでいつそこから飛び降りようと、謝って落ちようとどうだっていい。それどころか小さな足場はそれを願うかのように置かれていた。
全身を乗り出し、まるで布団を干すかのように手すりへもたれる母親はあかぎれた指にクシャクシャの煙草。その吸い殻は四階下の地面へと落ちていた。
赤い雪が降った日。駐車場のコンクリートを埋めた雪に赤が咲いて散っていた。
肌を刺す沈黙。聞きたくないと、それ以上は心が拒む。だが聞かなければ前へは進めない。彼女とこれから接するのに先を知らずにはいられない。たとえ救いの無い物語だとしても。
自分の服さえ与えられない、袖余りの小さな手は跡も残さずに雪被る母の背中へ触れた。
立ち上る煙と飛び散る灰。彼女の反転する視界に幼子は映る。何も知らず、ただ笑う我が子が。
その夜、死という概念さえ理解していない少女が何故そんな事をしたのかは分からない。虐待という地獄から抜け出すための一歩を踏み出したのか。いや、それさえも彼女は知らなかったのだろう、ただ彼女の生きるという本能がそうさせたのかもしれない。
或いは辛そうに咽び泣く母親の背中を撫でてあげたかっただけかも、背中に被った雪を振り払ってあげようとしただけかもしれない。
真実は確かめようもない。しかし分からなくてもいい。これは彼女が知る必要のない記憶。奥底に眠り、永遠闇の中に封印するべきものだ。だってこれを知ってしまえば彼女は壊れてしまうから。元にに戻らない程ぐちゃぐちゃに。
「…。」
言葉が落ちずに五分余りの静寂が続いた。秒針の音と沈黙の中には胸が締め付けられて苦痛に歪んだ顔が二つ。目を閉じる龍馬の顔を眺めたまま、レティシアとベルフィーナは受け止めるには重い彼女の過去を何とか飲み込もうとしていた。
「あなたはこの痛みを乗り越えたのですね…。」
震える瞼と掠れた声。平然と話す龍馬を羨ましく思う。レティシアが絞り出した声が静かな部屋でか細く響いた。目を開けた彼はゆっくり頷く。
「あいつの痛みを思えばな。」
重い口を開いた龍馬は目の前で悲痛な面持ちを浮かべる二人の顔を見渡し重いを告げた。
「あいつには幸せになって欲しいんだ。前の世界に居た時、あいつには友達なんて呼べる人間は居なかったから。」
いつも龍馬の背中に隠れ、服の裾を握り目を伏せる幼い彼女。大きくなるにつれて言語能力も無事に発達し、人と話すことも出来るようになってきてはいた。ただ他人との会話にはどこか不自然が存在し、彼女が自然に接するのはいつだって龍馬だけ。
それがこの世界に来てからはどうだろう。こうやって目の前には二人、彼女の辛い事も痛い事も一緒に歩んで行きたいと想ってくれる人がいる。どれだけ信じられないことか、龍馬だけは知っていた。
召喚されたあの日、護らなければと思った。その場の全員を力で制してでも元の世界に帰させようと思った。しかしその考えは彼女の表情を見てすぐに消えたのだ。
あの日初めて見た彼女の顔。大丈夫、任せてと言わんばかりのあの表情。自分が護るからと輝くあの目を絶対に忘れない。
「感謝してる。」
「いえ…私達はまだ何も。」
レティシアが目を反らしてそう言った。決して謙遜している訳ではなく、本当にまだ何も出来ていないと二人は感じていた。
良かった、と龍馬が慈愛の眼で二人の顔を見詰めた。桜の抱えた闇は他人には計り知れないほど深く、そしてそこが見えない。両親もおらず更にろくな言葉も喋れない、なんて幼い集団の中では特に目を引く異端者だ。無垢で純粋な悪意は彼女を深く傷つけ、それを忘れてしまうほど彼女の心と精神を壊してしまった。
闇を晴らしたいとずっと思っていた。彼女は幸せになるべき人間だ、自分と違って。そしてそれは、自分ではダメなんだ。
「だから、桜を幸せにしてやってくれ。」
その言葉はとても他人事のようで、どこか冷たく突き放つような色が見えた。思わず乾いた疑問符が口からこぼれる二人。それもそのはず龍馬の言い方はまるで桜を幸せにするのに自分は必要ないという風なものだったから。
「当然、あなたもですよね…あなたは、リョウマ?」
レティシアが信じられないという顔で龍馬を問い詰める。しかし無言とその冷たい表情が返答を必要とせずとも二人へ分からせた。
「どうしてそんな事を!」
「俺はあいつを幸せにしてやれない。」
「そんな、そんなわけ…っ!」
反論は当然。桜が龍馬の事を好いて、愛していることなど二人を知るものであれば誰だって分かる。それは勿論龍馬自身だってそうだ。そして向けられる好意を彼だって無下にしてはいなかった、むしろそうであるのが日常の一部であると。それなのに。
あまりにもひどすぎる。しかし龍馬が何の考えも無しに桜を遠ざけるわけは無い、まだ出会って少しの関係ではあるがベルフィーナはそう感じていた。
「どうしてだ。」
冷静に彼女がそう聞くと、龍馬はまた答えずに柔らかく笑う。理由を言うつもりは無いらしい。
「言ったろ、感謝してるんだ本当に。これから俺は少しずつ桜の傍から消えていく。」
「そんな事をしたらそれこそサクラ様は壊れてしまう!彼女の闇を払いたいのでしょう?なら何故、彼女を突きは無そうとするのです!」
レティシアが怒りのままに龍馬の胸倉を掴む。ここから桜を想うその気持ちが龍馬の態度と言葉によって限界を超えた。
「煩わしいのですか、彼女の愛に耐えられないのですか?ならば何故期待を持たせるような態度で接するのです、彼女に希望を見せて…何がしたいのですかっ。」
震え声で詰めたてる。感情が爆発してこぼれる涙が龍馬の首元を締めつける手に落ちた。
「だからだよ。だから俺はあいつと一緒に居られない。」
「は…どういう、ことですか。」
「思い出してくれ。桜と話す時、俺の名前が出なかった時は何度あった?」
龍馬の言葉に二人がはっとしてしまった。思うところがあるのはどちらも同じ。城内で桜に会えば必ず、龍馬はどこに?と聞いて来る。会話の最中も龍馬が、龍馬がね、と何度も彼の名を口にする。それらは恋する少女特有の可愛らしい仕草の一部だと思っていた。
そうだ、それのどこがおかしいのか。だから彼女を幸せに出来ないというのは余りにも通らない。
「それがなんだというのです。彼女はあなたを大好きで、あなたを愛してっ、」
「それは愛情じゃなくて依存だろ。」
ヒュッと息が詰まって言葉を飲んだ。反論が出てこない。
「お前達といながらいない俺を探して、いない俺を想う。二人と会話しながらも心は俺にだけ向いている。それのどこが正常なんだ?友情なんて勘違いだ、桜には俺しか見えてないんだよ。」
そんなわけない。それだけも言い返せなかった。レティシアが、ベルフィーナが桜のために心を痛めようと。当の桜は龍馬にだけ。それが恋よりも深く、愛よりも醜い。依存という名の歪んだ感情。
「俺は桜の中から消えないといけない。壊れないよう少しずつ、出来れば俺を忘れて欲しい。依存を解くにはそれしかない。」
「…無理に決まってます」
悔しさと空虚に肩を落としたレティシアが静かにそう吐いた。龍馬がいなければ桜は生きていけない、そう断言出来てしまう自分も嫌だった。
「サクラ様が幸せならそれで良い…たとえ私達の存在が彼女の中に無かろうと、壊れてしまうのを防げれば。お願いですリョウマ、どうかサクラ様を幸せにしてください。お願いします…っ。」
「出来ない。」
震えながら頭を下げたレティシアに龍馬が無慈悲に告げた。
レティシアの想いがあまりにも悲しく報われないものだったから。それを無下に桜と龍馬だけが幸せなんて龍馬は許せなかった。それに。
「何故…。っ!」
理由を聞いたベルフィーナが思わず身体を引いた。鍔も飲み込めない。龍馬表情に全身が凍り付いてしまった。まるで全てを突き放すようなその顔が、酷く恐ろしかった。
「…さて、長くなったな。そろそろ部屋に戻るよ。レティシア、ベルフィーナ。桜のこと頼んだぜ。」
これ以上の会話を断るように立ち上がった龍馬は沈黙する二人にそう告げる。問いに答える気も無いのだろう、無責任ですまんと詫びを入れた龍馬は制止しようとするレティシアの視線を振り切って部屋を後にした。
残された二人は歯噛みする。解決しない会話にそれを望まない自分の心。龍馬は何も間違っていないのにただ否定したいという気持ちがぐちゃぐちゃと頭の中を搔き乱していた。
ただあの龍馬の冷たく恐ろしい空虚な表情が、脳に刻まれたことだけははっきりとしていた。
「我に聞かせられぬ話か。仲間外れとは全く、妬けるのう…」
「うるせぇ。」
真夜中、城の長い廊下を蝋燭の火が進む。立てかけておいた愛刀を腰に戻し、龍馬は音も無く独り自室へと歩いていた。心の中で絡みつく女の声をうんざりと一蹴する。
「良い良い。どうせお主は我のものじゃ。女遊びなぞ気にせんぞぉ?く、ははっ!」
真底楽しそうな笑い声が頭の中で響く。いつも黙っているというのにこんな時だけムカつくほど元気なのは何故なのか。煽るような言い方が更に苛つかせる。
「黙れよ【灰屍】。そんな事したらお前は何するか分からん。」
「そこまで器の小さい女では無いわっ…ふふ、だってお主は我と一緒。お主は我の、我はお主の所有物なのじゃから。死ぬまで我と共に。じゃ。」
静かな夜だというのに、頭の中にうるさい女の笑い声が響く。全く嫌な体だ、その声を聞くだけで血が滾る。
俺は桜を幸せに出来ない。まして桜と共に幸せにはなれない。あいつは妹のような存在で、大切な家族だ。でも俺は、あいつと共にいられない。
獄龍寺龍馬。三代目、灰屍が正当後継者。
灰屍を受け継いだ者はある宿命を背負う。ただ一つ、【灰屍】を御すこと。
すなわちそれは、【灰屍】と死を共にすることである。
「分かってる。この身をもって、お前と添い遂げるさ。」
満足げに鬼が笑った。静かな夜、蝋燭の火が揺れる。
最後までお読みいただきありがとうございます。後書きを見て下さる方がいるかは分かりませんが、いつもと同じく皆様への感謝を。
一か月全てを書くわけではありませんのでそこまで長い章にするつもりはありません。第五章も考えていますのでお待ちいただけると幸いです。




