第八十八話 過舌
第八十八話です。皆様、ほんとうにお待たせいたしました。申し訳ありません。これからまた投稿続けていきますので応援よろしくお願いします。頑張ります。
「な、んで…なんであなたがここに…?」
思わず口をついて出た疑問符、龍馬を押しのけて出て来た男の顔は覚えの新しい。だがそこに香るのは数日前のものでは無く、脳を衝く淀んだ穢れだ。
「おや、誰かと思えば。港では妹が世話に…」
「セシリアちゃんのお兄さんがどうして、?」
見開いた目が震えている。心底信じられないという顔をした彼女は歪ませた口元から声を絞りだしていた。名は確かさ、そうサクラさんと言ったか。セシリアがしつこく話を振るので頭の隅に押し込んでいたが、しかしどうだ話とはずいぶん違う。
「なんでなんでなんで…」
話が通じる様子、とは思えない。俯かせた顔は見下ろすこちらからは覗けないが、地面に向かってぶつぶつと吐くのはかろうじて耳が拾う。
「聞けば俺に用だと、しかし君の探し物が懐にあるとは…ふむやはり持ち合わせが無いようだ。」
軽い冗談も届かない。しかし言葉は聞こえたのだろうゆっくりと頭を上げた彼女の眼は、曇天の空よりも黒く重い雨よりも冷たく映る。
「こんばんは、お兄さん。私はあなたに用があるみたいです。」
生気の無い顔で笑う彼女、その笑みは口元を誰かに吊り上げられているようだ。まるでそう、操り人形のようにくすくすと誰かが書いた台詞を読み上げているかの。
みたい、というのは主観的ではない。しかしその言い方は妙を得ている。彼女はまだ信じられないのだ。だから他人にやらされていると、自己から逃避することでその確信を避けている。
「この雨だ中で話を、と言いたいところだが…なにぶん招かれた身、日を改めてはもらえないか。」
依然雨脚は強くなるばかり、鬱陶しい風は無いが横殴りに打ち付けるそれは訪問者を拒むよう。気温も下がり、夜も近くなってきた。
「話、話ね。こうして言葉を交わすことだって…」
そう言葉を切った彼女が大きな黒い瞳でクレイを射貫く。
「悍ましい。」
触れられる距離で放たれた殺気。全身に浴び一歩後退する彼女。防衛本能だろうか、しかし咄嗟に出た濃密なそれを発したのは桜では無くクレイの方だった。彼女は何もしていない。彼女が纏うのは殺意とはまた別の。
傘を閉じた彼女が雨の中玄関屋根から押し出され、その身体が水滴に打たれ濡れていく。前髪が額に張り付いて隠した目は、とても冷たく燃えていた。
クレイは自分でも驚いていた。殺気、そうあまりにも自然にそして無意識に発した自らの殺気に対して。悍ましい、と彼女が言うのと同時に全身を包んだ知らない何か。いや、既に知ってはいるが既知のそれとはまるで異なるもの。
怒り、憎しみ。言葉に出来ない程大きい憤怒、憎悪が一瞬でクレイを包んだのだ。反射で彼女を押しのけた殺気も、その感情と言うにはあまりに淀みを含んだものから身を守る為だった。
「帰ってくれ、俺に用は無い。」
頭の奥で響くのが警鐘だと知った。人間でないとはいえ知を有する以上自分を探しに来たのは分かっている、ヴェルデの時もリョウマの時も感づいてはいた。彼等は平等に俺を見定めようと、俺が危険な存在でないかを見極めようとしてくれていた。しかし彼女はどうだ、そんな妄想を抱く隙も暇もない程激情に満ちている。最初から俺を悪だと決めつけた、そういう目をしている。
「龍馬、セシリアちゃんは無事?」
龍馬がああ、と頷いた。クレイを挟んだ会話、彼を無視するように言葉は続けられる。
「龍馬が手を出せないのも納得できた、優しいもんね彼女が悲しむのは私も嫌。でも、でもね、騙されちゃだめだよ。知ってるから、人間なのは外側だけ。」
路肩の石だってもう少し優しい目線で見つめられるだろうその瞳は、感情を殺した無の光を灯す。
「まるで俺があいつに何かする、というように聞こえたが。突然来て失礼な、虐待も放棄もするはずが無いだろう。俺は彼女の兄だ。」
「いつまでそうやって人間のふりを。そうやって騙して身体を手に入れて、次はあんな小さい子も…」
窄めていく言葉尻、蓄積する憎悪がこちらまで伝わってくる。彼女にとってクレイは幼気な少女から兄を奪い、そしていずれその少女をも喰らう悪魔にしか映っていなかった。
「セシリアちゃん安心して。お兄さんの体を返してあげる…この悪魔から、怪物から…っ!」
「怪物、ねえ。妄想も大概にしてくれよ。どこをどう見たって一人間だろう、それを会って間もない君が何をもって決めつける。」
挑発するような言い方はわざとだろうか、そう言えば彼女が激昂するのはここに居る皆が分かっている。しかし彼は止めない。
「向けられる怒りも憎しみも覚えがない。」
飄々と、鼻で笑う彼。この状況を楽しんでいるようにも思える。
「俺が怪物だというのなら、セシリアは怪物の妹か?」
「黙って!!」
怒号はすぐに雨音に流されていった。鼻息を荒くして睨む桜が傘を投げつける。クレイは避けることも弾くこともせずただ身体で受け止めた。
「臭うの、悪意を煮詰めて反吐で固めたような悪臭が、血生臭く尾を引いてこの屋敷からっ!あなたの身体中から…。」
「妄言が過ぎるな少女。次はなにか、不純なオーラ見えるとでも言うのだろうか?」
そう返すとヒステリックに笑った彼女が首を横に二回。
「純粋が混じってるとでも、冗談を。別にいいよ、そういうものだって知ってるから。人間の真似がいつまで続けられるかな。」
そういうもの。狡猾で陰湿で、醜悪な怪物でしょうと。両手を差し出し雨を受け止める、目を閉じ天を仰いだ彼女。
「クレイ、」
彼女からこぼれ出た光は闇を払う希望、というには強すぎる熱を帯びていた。肩を引いた彼は龍馬の手を下ろし、後退するのを拒んだ。
「手出しはするな。君が出て来ては敵わない。」
二対一、そうなるとは微塵も思っていなかった。ただクレイ改め【亡兄】は願っていた。
「それに。」
邪魔、しないでくれよ。
クツクツと湧き上がる歪な笑み。腹の底から膨れる型どりの感情は今目の前の少女に教えてもらったものだ。起き上がり始めのそれは混ざり合ってぐちゃぐちゃだった。しかしそこにあった茨の激情は確かなもの。
そうだ忘れていた。こいつは混沌なのだ。妹のために、と身を粉にしようと消えない事実。この笑みは挑戦だ。彼は、混沌は知りたいのだ人間を。人間という、彼等が目指し求める光の体温を。
「和解は出来ないぞ。」
「それでもだ。」
「死ぬぞ。」
返る言葉は無い。それでも彼は知りたい。存分に、と背中を押して見届ける龍馬。
「少女。君は俺が知りたいんだろう、なんと都合がついてしまった。俺も君が知りたいんだ…場所を変えるとしよう。ここはジャマが多すぎる。」
強くなる雨。受け止める彼女がクレイに視線を戻した。その瞳は獲物を前に殺気を研ぎ澄ます、狩人の如き冷たさを孕んでいた。
ふふ、くすくす、あははっ。
ほらまただ、彼女が何かに糸引かれている。雨の中笑う彼女は、楽しみを前にした子供に見えた。
「…混沌、汚穢なり。」
「サクラ、様?」
レティシアの問いかけに目を向ける事もしない桜は目の前。龍馬の先を歩く男に夢中だ。その眼は憎しみ、怒り、そして悪意に満ち満ちている。
確証は無かった。しかし確信していた。彼が混沌だと。
「良いか。混沌、とりわけ憑依型の奴等には明確な見分け方というものは存在せん。外見は元より奪ったもの、中身を見分けるにも奴等の演技は天性のものだ。」
宮の一室、片手にはこれまでの研究結果をまとめた日誌を開く。獣国の脳、【賢獣】シド・レスレクト・ハデルフロウは三人に混沌という存在を説いていた。
「ではどうやって見分ければ…」
熱心にペンを走らせていた桜が顔を上げて問う。
「臭い。血液では無い、彼等が持つ独特なものだ。」
臭い、そう聞いて思い返すが心当たりはない。記憶にあり一番近い関係を持った、かの黒でさえ残る香りは本革と紙の匂い。思い出したくも無いが鼻の奥にこびり付く瑠璃花は生臭く、赤の嗚咽に塗り潰されて分からない。
他二人も思い出そうと記憶を巡らせるが呻るだけ。揃って首を横に振って老公へと教えを乞う。
「無理もない、奴等は常時その臭いを発しているわけではないからのう。ベルフィーナはまだしも二人にはちと厳しい。」
「私にも分からないですが…」
ベルフィーナはそう言うが戦闘、言わば殺しに慣れてしまえば簡単なのだ。彼女はまだそれが足りないだけ。アディラ程になってしまえば特別な能力がなかろうと人と化け物を見分けるなど造作もない。
「ですが聖女である私には混沌を見つける必要がありますっ、でも私には!出来ない…」
老公が言うのは混沌を見分けるために沢山殺せ、死に触れろということだ。そんなこと出来るはずがない。理不尽に与えられる混沌による殺戮をなくすため犠牲を払うなどそれではまるで変わらない。奴等とと同種、いや欲を満たすだけの奴等より遥かに薄汚く醜いだろう。
「まあ待て、方法はある。混沌は常に臭いを纏って生きているわけではいないからのう、お前さんらが知らないのも無理は無い。常日頃から悪臭醸して生きておれば勘の良い奴はすぐに気づくじゃろうて、生きづらい…分かるじゃろう。」
勘、ここで言うのは本能に近い感覚だ。シドは思い返す。セントグレンだけでは無い、あの男確かリョウマと言ったか。
驕りでは無い、【賢獣】の名は伊達では無く国内問わず世界に蔓延した強き名だ。それを知らず、いや知っていたとしても奴は変わらないだろう。笑みがこぼれる、久しく見なかった狂者の顔。いやあれはもはや、兇者とも言えよう。
「今まで確認された混沌には型問わず唯一の共通点が存在する。暇つぶしに国を滅ぼした個体、欲求に従って食い散らす個体、雄大な自然を悪癖によって汚す個体、と様々であるにも関わらず持っているただ一つの力。」
それは人を真似、人を模る彼らが有した人ならざるを象徴する力。人知を超えるそれは大陸を穢し、国を烈火に沈め、貪婪に息する者を破壊した。
「名を【貪能】。人の域を超えた貪能は強力が故に人の側から揺らぎ出る、それが混沌を見分ける臭いというわけだ。」
身体中の穴から無数と生える棘を操る力、呼吸と共に酸性の猛毒を霧状に吐く力、人間と蟲を無理矢理に融合させ怪物を創造する力、人の死を正確に告げる力、未来の選択を身に宿す力…
「力の名残を辿れ。それが混沌への近道だ。」
「はい…」
臭いは無い、この雨に流れてしまったのだろうか残り香も。だが忘れはしないあの山小屋のような家から続き屋敷で途絶えた悪臭は、何度鼻を擦ろうと決して消えないだろう。だがそれでも心の中でまだ否定する自分がいる。美しい銀の少女、その愛する人が混沌だなんて。そして肯定する何かがいる。ああ早く正体を現わせ、今すぐに殺してしまいたいと。
やはり彼は混沌では無いのだろうか。先ほどまで燃えて熱を孕んでいた感情が冷め、静かな心臓の鼓動を感じている。自分の吐く言葉も考えも信じられない、ぐちゃぐちゃになったものが脳裏で蠢いている。
(私、なんで…)
なぜこんなことで悩まなければいけないのか。突然連れて来られた異世界で、聖女だと祀り上げられたと思えば混沌なんて化け物対峙。最初はただ龍馬の役に立ちたいだけだった。力を手に入れて必要とされたから勘違いしていたのだ。まだ十七の子供だというのに。
ここまでどうやって来たのか分からない。曖昧な記憶、誰かに手を引かれていたのは覚えている。それはとても強い光だった。眩しさに目を奪われている隙に誑かされてしまった。
「ここが良い。」
男の声に意識を戻す。龍馬の手前従順に付いて行くこと数十分ほど、丘を降りた港町。彼の背には大雨に溢れかえる噴水の姿。濡れるベンチ、水滴を弾いた傘を捨てた彼は龍馬に目を配せた。
「話がしたいというわけでも無いのだろう。そうだ、まだその臭いというものはするのかな。」
「いえ…消えて、」
「くはは。そんなわけは無い、そんなわけあるはずがないだろう。冗談…いやというよりも君なりの逃避だろうか。」
嘲笑うように遮った男は見透かすような瞳で覗く。なんて純粋な光だろうか、その視線をまともに受けることが出来ない。
「なに、を。」
「気づいているだろう。理解しているだろう。君は何を望んでいる、何を願い何を欲する。君は俺に何者かと聞いたね、そのまま返そう君は何者だ?時折覗かせるそれは?君じゃない、君以外の何か…いやこれは止めておこう。」
尻下がりに聞こえなくなる話、彼は何を言っているのだろう。
「無知を着飾るのはやめたらどうだい?くくく、はははははっもう分かっているだろう!!」
水たまりに傘が落ちた。
バシャッ
その音が耳の奥を震わせる。
「俺は混沌だ。君が恋焦がれた化け物さ。」
嗚呼、それが生きた憎しみという感情なのか。その顔が見たかった。
次は生きた怒りを見せてくれ。
「リョウマ、人間はやはり面白いな。」
最後まで見て頂きありがとうございます。これからも応援していただけると嬉しいです。皆様本当にお待たせいたしました、すみません。




