第八十七話 涙敵
第八十七話です。久々の連続投稿!頑張りました!多くの方に読んで頂けると嬉しいです。よろしくお願い致します。
外の空気を運んで来たからか肌寒い。
玄関には龍馬とアリアンナ、その後ろに混沌である彼とその妹のセシリアが立っていた。ずぶ濡れの四人が白い息を吐き身体を震わせる。居るはずの無い、居てはならない人物を前に言葉が詰まる。
「何故ここに、何故連れて来たのだ。」
意識は常に【亡兄】に、目線を彼から外し龍馬に問いかける。見極めろと言ったのは彼を守りたいという気持ちあってのもの、しかしそれと彼の危険性とが別問題というわけでは無い。彼は混沌、人間じゃあない。何より殺しもしている彼を観察対象だからと言って屋敷に上げるほどヴェルデは迂闊な人間では無い。
「詳しい話は、」
「リョウマ。君が彼を見逃すこと、それには私も賛成した。だがそれは彼の脅威を見逃したわけでは無い、彼の存在を認めたということだ。見極めろとは言ったが友達になれとは言っていない。分からないだろう君には。私はか弱い人間だ、恐怖だって感じる。危機だけならば今だって君より感じているだろう。」
そう友達じゃあ無い、ただ一つの研究対象なのだ。決して触れることなく目にも止まらない、遠い距離合っての関係。危機、そう言ったのは彼と目を合わせた途端彼の瞳の奥に闇を感じたからだった。奥底に引きずり込まれそうになる、とても興味深い深い暗闇が。いつもなら衝動的に手を伸ばしただろうそれも手が届かない場所に在るから湧く感情で、目の前にあるそれはただの恐ろしく悍ましい淀みに見える。
「…悪い、取り乱してしまった。しかし今のは嘘ではないよ、勝手なのは十分承知だ。だが君はそういう存在、決して交わるべきでは無いのだ。」
「この子とも、か?」
生きていきたいのならば俗世人との関係全てを断ち切りひっそり暮らすのが最もだ。【亡兄】が目を向けたのは彼の背に隠れて何のことか分からないと首を傾げる幼気な少女、セシリアはギュッと服の裾を掴んで離さない。
「他人に切れるほど緩い結びならこいつが代わった時とっくに切れている。固いから解けない、それは人間だとか他のもんだとか関係ない。」
「ああ。そう、だな…視界が狭くなっていた。まずは理由を聞いてから、だな。」
龍馬の言葉にハッとする。種族性別、見た目で差別をしないと誓っていたというのに。彼が混沌だから危険だ、彼が人を殺したことがあるから自分にも危険がと。そんな偏屈を正そうと始めた研究だというのに。疲労からだろうか乱した心を落ち着かせたヴェルデは改めて二人を迎える。
「雨の中大変だったろうすぐに客間へ、」
「くちゅんっ。あ、えっとごめんなさい…。」
ヴェルデの言葉を遮ったのは可愛らしいくしゃみ。恥ずかしそうに兄の後ろへ顔を隠したセシリアは身体中を雨に濡らしている。
「その前に湯の用意をさせよう。アリス頼むよ、テレスは大き目のタオルを。私は温かい飲み物を容易しよう。君、紅茶は好きかな?」
小さな少女に目線を合わせるためしゃがんだヴェルデは頷いた彼女に微笑んだ。兄にべったりくっついた彼女の杖を預かり手を取る。反対側の手は兄の服を、ゆっくりと怪我の無いよう付き添う彼はやはり紳士の恰好だ。
湯浴みも終わり、温もりに包まれた四人が紅茶を口に湯気を吐く。
「さて、詳しいわけを聞くとしようか。」
テーブルを間に座るのはヴェルデと龍馬、そして【亡兄】の三人だけ。ソファにはセシリアを囲んでアリアンナとアディラ、メイドが二人紅茶に菓子と女子会を行っている。
「元々会う約束をしていたんだ。生憎天気も悪かったからこいつの家でな。」
龍馬は【亡兄】と顔を合わせた昨日、これからどう生きていくか不安だと言う【亡兄】の相談に乗ることにした龍馬。同情したわけでは無いが妹のこともある、混沌に恩売るのも悪くはないという気まぐれだった。
待ち合わせは港、あの噴水の前。早い朝から気配のしていた雨は約束の時間になると大振りとなっていた。重い雨粒が傘にかかる、二人身体を寄せあった龍馬とアリアンナは一人待つ【亡兄】のもとへ。
ずぶ濡れの髪をそのままに滴らせる水滴に濡れた男が一人、噴水広場の前近づく二人に前髪をかき上げた。気にならないのか、いつからそこに居たのかは分からないがしとどになった服や髪。人だったら、そう思わせる様子の【亡兄】。
案内されたのは山奥にひっそりと建つ一軒家。小さな家の周りには人の関わりを拒むような鬱蒼と茂る木々の壁、隠れて生きるにはもってこいの場所だろうそこは物音の欠片もしない。
蔦に巻き付かれた廃墟のような外見からは考えつかないほど、家の中は綺麗に保たれていた。当然だろう出迎えた一人の少女と混沌の二人、ここで静かに暮らしているのだから。
【亡兄】が人に紛れて暮らす唯一の理由である手術費はまだ遠く、もう十年ほど働けば集まるという。元の兄の名はクレイ、クレイ・ウィルバンデ。彼が必死に命を賭して貯めた金も僅か。
手術には法外な金が必要だった。元々クレイがしていた仕事では何十年経とうと及ばない、それほどの高額。目の病はエリクサーでも治せない不治の病であった。それを治せるのは大陸を二つ越えて山の向こう側、特殊な魔法の治療だという。
その時点で希望は無かった。その魔法というのも酔っ払いの噂話に過ぎない。それに掃除屋という闇の仕事もあと十年、それが続けられるほど甘くはないのも混沌である彼にも分かっていた。
「無駄なのは分かっている。酩酊で吐いた妄言に全てを投げうつ意味が無いのも、命の代わりに得た金が彼女のためにならないのも。」
自分が無数の命の上目を治したなどセシリアの幸せにならないことなど分かっていた。彼女には背負えない、それを知ったら重い枷を嵌めて残りの生を絞ることになる。
「だがそれが望みだから。こいつの幸せだから。」
「幸せ、ね。」
混沌が人の未来を願うとは。やはり彼はあれとは違う。
温かい茶を口につける。目が見えないというのに慣れた手つきでのもてなし、話があると告げられた彼女は今隣の部屋で静かな読書をしている。彼女の幸せが目を治すことなのか、それは彼女自身にしか分からない。
「それが望まれていなくてもか?」
「利己的だと言いたのだな。」
彼女を救いたいというのはクレイの願いだろう、しかしそれが命を懸け手を穢してでも成すべきことか。全てを信じたわけではないのだ、彼の自我を言い訳にしている可能性だってある。
「それでも、だ。怪物である俺が人間を貪っていると恐れられようと、彼女が人殺しの妹として後ろ指指されようと。」
「それが地獄でもか。」
「ああ。」
たとえ生きるのが苦痛で、今にも死んでしまいたいと思っても。乗り越えれば視界は拓けるから。
ポツ
雫が一滴。
「暗闇は辛いんだ。」
ああこいつは本当の闇を知っているんだ。何も見えない、何も感じない本当の暗黒を。それが死ぬよりも地獄で生きるよりも辛い事を。
「分かった。だが約束は守れ、人は殺すな。たとえどんな悪党でもだ。」
「しかし掃除屋の仕事を失くせばもう…」
そう、その約束を守れば命の対価に得ていた金が無くなれば彼女の病も治らない。しかしこれ以上殺すなら龍馬だって【亡兄】を見逃すわけにはいかないのだ。論議の停滞は必然、だが龍馬にも考え合ってのこと。
「ヴェルデに掛け合ってみるさ。あいつならその噂の真偽も、妹を治すだけの金もある。」
「本当か。それなら俺も無駄な殺生はやめよう。対価ならなんでも、俺が用意できるものならば。」
対価、それならば話が早い。彼の体、つまりは混沌の体を安全に研究できるとなればヴェルデも喜んで協力するだろう。
しかしそこまでしても確証はない。
「そんなことしなくても私、治せるよ?」
カチャッ
ティーカップの置く音が静かな空間に響く。
首を傾げて言ったのは大人しく茶を啜っていた少女、ついていくと聞かなかったアリアンナだ。
ダンッッ
「治せる…のか。」
「うん絶対に。」
「君は一体何者なんだ。」
無表情で取り乱した【亡兄】が椅子を倒して立ち上がった。彼にしてみれば願ってもない僥倖、真実であるならばこれ以上の確実は無いのだから。
龍馬について来たただの少女、印象はそれ以上でも以下でも無かった。ハッとする、馬鹿なことをただの少女に何が出来るのだ。しかしそう思いながらも彼女の気然とした態度と断言に希望が隠せない。
「そんなことまで出来るのか。」
何が出来て何が出来ないのか。【覇人】、思えば知っているのは彼女の名前と種族だけ。船の上でもそうだ、人間をサイコロ大に圧縮するなど常軌を逸している。もしかしたら出来ないことを探す方が難しいのでは、そう考えると恐ろしい。
まるで全能、神に近いと思ってしまうのは無知な者の愚考だろうか。知らないというのが急に心臓を凍り付かせていった。【覇人】、彼女を目覚めさせたのは…そこまで書き出して筆を止める。
「ならば今、対価は必ず払うと約束する。」
「いや場所を変えた方が良いようだ。」
ここでは都合が悪い、どうやら来訪者のようだ。それも明確な敵意を孕んだ。狙いは当然くすんだ銀色の男、龍馬の眼前で立ちすくむ混沌だ。
「裏口は…よし。ならセシリアを連れてすぐ出よう。俺も顔を合わせるにはいかなそうだ。」
【亡兄】に指示を出し急ぎ支度する。距離はまだある、そのうちにティーカップと茶菓子を片付け人の居た痕跡を消さなければ。足止めをするのは簡単だ、しかしこの気配はまずい。嘘がばれるにしてもタイミングが悪すぎる。
裏口から出た四人は大雨の中山道を走った。辿り着くも何も知っているのこの屋敷だけ、つまりは逃げて来たのだ。それが話の全貌で終着点。
「驚きだよ色々と…整理が必要だ一先ずね。だが【亡兄】、いやここに居る間はクレイと呼ばせていただこう。リョウマには色々と聞きたいことがあるが、まずは妹さんと二人歓迎しよう。」
目を向けたのは龍馬でもクレイでも無く彼女、セシリアと話すアリアンナ。そして龍馬には、もう隠せないよという視線で訴える。
【亡兄】改めクレイが深々と頭を下げて龍馬とヴェルデに感謝を落とした。しかしそれはまだ早いと止める。彼女はまだ治っていないのだから。
「アリアンナに聞いたが治すのは一瞬だと…今すぐでも良いのか?」
「そのことだが、夜まで待ってもらいたい。」
クレイが止める、出来るだけ早く治せと言ったのは彼だが何か思うことがあるのだろう。生まれて初めて目を開けるのだ、その光景は一生残るだろう整えたいという気持ちは十分に分かる。
しかしこの豪雨は夜にも止む気配は無い、最悪あと数日は降り続けるだろう。兄として最高の景色を用意する、それが最後の使命だと言う彼に問う。
「雨は大丈夫だ。今夜で良い、今夜。…どうにか見届けたいというのは我儘だろうか?」
彼が意識を向けたのは窓の外、当然龍馬もアディラも気付いている。もうここまで追って来たのか、それにしても早い到着だ。
「はぁ、心配するな。敵じゃあない、だが少し厄介だ。」
気配、敵意、強く香った憎しみが玄関の外に近づいた。屋敷の主を呼んでいる声がする。ヴェルデに目を配せ出ろと促した龍馬は、彼が対応するその間クレイとセシリアをなるべく玄関から遠い部屋へと案内した。
「待たせたね、少し手がいっぱいで…悪いが別の日にしてもらえると助かるのだが。」
「グロウヴィード卿ですね、お忙しいところ失礼いたします。私は…」
屋敷に来たのは三人の少女、その顔は気配からも分かる通り見知った顔だった。代表してヴェルデと話すのはレティシア、傘に隠れて後ろで待つのは桜とベルフィーナの二人。
二人を避難させた龍馬がヴェルデに代わる。
「よう。」
「龍馬っ。…ねえ混沌は倒したんだよね。あ、疑ってるわけじゃあ無いんだよただここの屋敷から感じるから。」
傘を投げ出して詰め寄った桜、探していたのはやはり【亡兄】か。
「お前ちゃんと寝てるか?目の下が凄い…」
「私のことはいいのっ、ねえ龍馬私に何か隠してない…?」
酷い隈、触れようとした手は振り払われる。彼女の背後で傘を差すベルフィーナに目で問うとやはり首を横に振った。
「レティシア、報告はさせたはずだ。お前らにはもう一体を頼んだはずだが、」
「そうなんだけどねっ、私思い出したの!ほら教会での、あの、夜…」
思い出してしまったのか胸元を抑える桜。苦しそうな表情で言葉を吐く彼女は歪めながらも笑顔を浮かべている。
「ベルフィーナ、桜を連れて帰れ。」
「夜さ、私あいつを浄化したでしょ?ああしなきゃあいつは本当に倒せない、殺せないんだ…っ!」
息荒く龍馬の胸倉を掴む勢いで迫る桜。やっと自分を見てくれた龍馬に顔が綻んだ。
「龍馬…どいて?」
分かっている、何年一緒に居たと思っているの。いるんでしょう、早く殺さなきゃあなただって危ないの。龍馬のことは私が守るから。
「あいつは違う。」
「違くない…」
小さく胸元で囁いた桜。彼女はまだあの夜に囚われている。
「あいつは、」
「違くないっっ!!!」
雨粒でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、龍馬の言葉を遮り叫ぶ。
「忘れたの…?龍馬、罪の無い子供達が何人も殺されたんだよ?目を覚ましてよ、ねえ。混沌は敵なんだよ、私を止めないで…っ。」
堂々巡りに交差しない思いがぶつかり合う。
彼が教会の悪魔と違うというのは言葉を交わした龍馬だけが知ることであって、彼女には知る由も無い事。そして桜からしてみれば混沌は、得体も知れぬ無知の領域で暴れた恐ろしい悪魔だ。そこにどんな理由があれど人殺しの怪物には違いない。
「もういいよ。」
龍馬は背後の気配に振り向いた。
「リョウマ、やはり高すぎる望みは散るのだな。」
ゆらり龍馬を押しのけて扉を開いたのは、くすんだ銀が目にかかる猫背のクレイ。いや、【亡兄】だ。
「クレイ。」
「だが君、醜い足掻きは許してくれよ?」
初めて笑った彼の顔は、優しい兄の顔だった。
最後まで見て頂きありがとうございます。ここでお知らせですが第四章は二部構成にしようかなと思っています(それか普通に五章にするかも!)ということで第四章(仮第一部)はあと少しで終わりです。ここから更に面白くしていこうと思いますので応援よろしくお願いいたします!!!




