第八十六話 雨天
第八十六話です。本っっ当に遅れまして土下座ものです。すみません、流行りの感染症にかかってしまい身体が死んでいました。大分よくなりましたのでこれから頑張っていきます。最近評価が増えてきたというのに、皆様をお待たせしてしまい本当にすみません。見て下さる方々のため、頑張りますのでどうかこれからもよろしくお願いします。
退屈を紛らわせるには重く冷たい、生憎の豪雨が大陸を包みこんでいた。
「ねえ、暇だよ。」
「君を喜ばせるには些か手持ちが不十分だ、出かけてくればよいだろう?外はほら、…い~い天気だ。」
ふざけたことを。わざとらしい言い方で目を向けた窓には大粒の雨が打ち付けて、当然呑気に外に出ようものならものの数秒でずぶ濡れだ。
腰を落ち着けた柔らかいソファに、用意されたティーカップには湯気を立てる熱い紅茶。寝そべったアディラはまるで溶けた氷菓。怠惰の化身かと呼ばれれば喜んで返事をしてしまうだろう彼女は、潰されてしまった楽しみの代わりを探していた。
「ていうかさあぼくのリョウマは何処なの?朝から屋敷中探したんだけど髪の毛一本見つからなくってさ~…でどこに隠したのかな?」
据えた目、疑うような口調に気圧される。君のじゃあないだろうという言葉を飲み込みんだヴェルデ、髪の毛一本もと言った彼女の執着があながち誇張と思えない事が恐ろしい。
「はっ…まさか浮気!?ぼくに言わず外出なんて怪しいよ!!」
「だから君のものでは無いと…」
ピシャァァアアアンンッッ
ヴェルデの言葉を打ち消すような雷鳴が響き渡った。日中だというのに薄暗い空からの激しい光、叫び声のような雨音。
「…納得していないようだね、君は。不服かい?」
「ぜーんぜんっ、今回は別にぼくの欲求を満たすのが目的じゃあないしね~。」
昨日の話、発見した混沌を見逃すという龍馬の決定には誰も反論を出さなかった。一番反対を推すだろうと思われた彼女も笑顔で二つ返事、そこに嘘の影は見えなかった。
文句はない、ただ彼女は退屈なだけ。今回は元より龍馬に譲るつもりであったアディラは注がれるはずだった欲が消えてしまったことに満ち足りていないだけ。
彼女には生存のため必要とされる三大欲求に加えてもう一つ、大きく強い衝動を引き起こす欲が存在していた。食欲・睡眠欲・性欲、そして戦闘欲。四つ目のそれは自らの戦闘だけでなく、彼女が欲する刺激に値する戦闘であれば傍観しているだけでも満たされる。今回は龍馬と混沌の死闘を間近で仰ぐことで僅かながらの満足を得ようとしていたのだ。言わば摘まみ食い、仮眠、自慰と同等の不満解消を。
「彼と出会ったのが君じゃあ無くて良かったよ。彼にはまだ存在する意義がある、あの子を独り残すなど想像に耐え難い。」
十三、これは【亡兄】が奪った命の数だ。重みが全て平等だというのならば、彼は貴く儚い命を嬲った尊厳の強姦魔だろう。しかし彼が貪ったのは穢れた汚物、十三の全てが純粋には程遠い吐瀉物の底に溜まったような価値無き命だった。
「君に慈悲は無い。【亡兄】を前に衝動抑えられるほど欲浅き人間とは到底、違うかい。」
欲深い獣がご馳走を前に大人しく口約束を守れるなどあり得ないと、ヴェルデの決めつけに頬を膨らませたアディラが空気とともに笑顔を漏らす。
「酷い言い草だなぁ。まあ、ふふっ…間違ってないけどね。」
カタカタと震えて音を立てる約束の枷が今にも外れてしまいそうだ。ハデルフロウに舞い降り獣王とのじゃれ合いで掻き立てられた、戦いへの貪欲な渇望が涎を垂らして荒く息を吐いている。
「少し落ち着こう。生憎の天候、どうせ今日は外に出れないのだから。」
呼び出しのベルを鳴らしてアリスとテレスを呼ぶ。噯にも出さなかったがヴェルデを酷い焦りが襲っていた。話を急に切り上げたのは目の前に座りこちらを覗くアディラの眼が本気だったから。
いつも呼びかけにはたっぷりの時間をもって答える二人、だが今日という日はベルを鳴らしてものの数十秒。扉を開けた二人の姿に安堵の声が心に漏れた。
両目を閉じた二人が浅く形式的なお辞儀を見せる。メイドの身分ではあるがこの屋敷ではたった二人だけの貴重な戦力だ。危険を感じたわけでは無いが確かな予感に従ったヴェルデ。
「お呼びですか。」
「ですか。」
そう問われるがしまった、安心を呼びつけただけで特に用は無い。面倒くさがりの彼女らだ、ここで用無しと返してしまえば次に呼びつけへ答えるのはいつになるやら。
籠には詰められ手の付けられていない茶菓子の山、ポットにも十分な紅色の液体が。ここで適当を言うのは簡単だが明確な理由を抜かしてしまえばおそらく彼女は気づく、気づかれれば主導権は奪われる。
答えを引き延ばすのも限界だ。口に付けたティーカップの底、残った一滴を啜ったヴェルデ。焦る彼とは正反対に微笑みを崩さないアディラの眼はまるで心底を探るように冷たく細い。
「あー…二人とも頼んでいた仕事は終わったかい?疲れただろう、少し休憩すると良い。」
もちろん頼んでいた仕事なんてあるわけが無い。メイドではあるが彼女達は奉公人とは違い、ここで雇われているという立場ではないからだ。
ソファに座るよう促すヴェルデの訴えかけるような眼を見たアリスとテレス、二人とも何かを察したのか頷いて大人しく腰を落ち着けると目に入った菓子に手を伸ばした。
二人とも鈍感では無い、部屋中を覆う謎の威圧感が一人の少女から発せられていることにも気が付いている。いつもなら軽口を言いながら摘まむ時間も何故だが今日は妙に長い。
「そうだよ、なにもぼくらが大人しく待つ必要ってないよね。」
パンッと手拍子が静寂を破った。恐ろしい言葉、アディラの吐いた思い付きに戦慄が走る。
「あっちが見つけるのも僕らが見つけるのも大差ないじゃん?【亡兄】は倒したって言っちゃったんだし、何もしないで待つのは時間の無駄だよ。」
「そう、だが…」
言葉に詰まるヴェルデ。もう一体の混沌は龍馬たちの仲間だというレティシア嬢に任せていた、しかし手の空いたこちらが何もせず待っているわけにはいかない。それは重々分かっている。
しかし、しかし彼女は止めておかなければならない。彼に合わせるわけにはいかないのだ。
「それとも、何か都合の悪いことでもあるとか?」
あるんでしょうと告げる目がヴェルデを射貫いた。側には決して出さないが、内心では冷や汗が滝のように流れている。
「おかしいと思ったんだよね、もう一体の混沌について何も話そうとしないからさあ。ぼくと会わせたくないんだ?その混沌…子供とか。」
ゾワッッと寒気が全身を吹き抜けた。どこまで彼女は気が付いているのだろうか、目は笑っていないというのに歪められた口元の微笑みが恐ろしい。もう隠してはおけない。
「……ああ、君に会わせたくはない。できれば今回も龍馬に見極めて欲しかった、君は慈悲と躊躇いを知らないだろう?」
殺し屋、暗殺者を語る中で名前が挙がるのはいつも初めの初め。セントグレン、そのブランドは何百年と世界中に根を張って、その名はどんな強者にでも恐怖を這わせる。男女子供老人、依頼であればそんなもの違いですらない。依頼を受ければすでに対象は死んだも同然、必ず殺すから最強なのだ。
「無いよ。」
その一言がとても恐ろしい。依頼があれば目の前の自分すら殺すだろうその眼、殺し屋ですら慄く存在を改めて重く感じる。手綱はつけられない。
「教えてよーヴェルデ。…どこにいるの。年齢は、身長は、性別は、趣味は。調べてあるんでしょう?【亡兄】よりもずっと詳しく。」
彼女の言う通り、ヴェルデが混沌の研究をし始めて一番に出会ったのがその子だった。調べてある、そして見極めてある。こちらが【亡兄】の捜索を買って出たのもあの子は見つからないという確固たる自信があったから。大丈夫、あの子は絶対に見つけられない。アリスとテレスがこちらにいる限り。
「あはっ。リョウマに【亡兄】を譲ったのにはちょっと後悔してたけど、なんだ良かった。こっちの方が面白そう。」
「だめだっ!」
テーブルを叩いて立ち上がったヴェルデ。見下ろす悪魔の笑顔に心配が募る。見つからない、そう確信しているというのに何故だか目の前の少女に揺らがされている。
「今回はぼくの番、リョウマだって次は譲るって言ったんだ…頂戴よ。」
得物を捉えた狩人の眼だ。逃げられない、これが本物の眼。嚥下する唾が大きな音を立て、水を打ったような静寂が戻った。
「…あっはは!冗談だよーヴェルデっ。暇つぶし。」
アディラが威圧感を解いた。嘘のように弛緩した空気に安堵したからか膝が笑い、気が抜けてソファに腰が落ちる。
「冗、談か。やめてくれ、心臓が小さくなったよ…」
「もー冗談に決まってるじゃん!やだなあ、無差別殺人鬼じゃあないんだから。いやあそれにしても面白かった、今にも飛び掛かりそうな目してたよ。」
事実あれ以上彼女が食い下がるのならば実力行使もやむを得ないと思っていたヴェルデ。冗談で本当に良かった、それが偽りだったとしてもそう自分に言い聞かせる。彼女が本気を出したらどうせ止められないのだ、与えられた安堵を疑う余地はない。
「でも退屈だっていうのは本当だよ。君はぼくだけが秘密に触れるのを恐れているんだよね、大丈夫リョウマが帰ってくるまでは此処で大人しくしているから安心してよ。」
「安心して、か。その言葉を信じた結果君は何をした。」
二日前のこと、忘れたとは言わせない。ばつが悪そうに頭を掻いたアディラがその節は、と気まずさを露わにした。リョウマがストッパーになってくれるというのなら安心も出来るが、如何せん彼女のことになると放任主義な彼のことだ。
「今度こそ信じてよ。それにね、今は殺す気が起きないんだ。本当に、彼女を見ちゃったからさ他の奴はぼくの眼中に入らないの。」
一瞬、僅かな隙間から漏れ出て消えた破壊的な殺気に血の気が引く。アディラが言う彼女というのは当然、この大陸の主アクノマキア・ケト・ハデルフロウのこと。獣の王という食すまでも無く理解出来る美食をお預けにされた状況、アディラは他の雑多で口汚しなどするつもりは元よりない。
「はは、嫌に納得してしまったよ…」
彼女は本気だ、これ以上の問い詰めはむしろ彼女の決断を歪める雑味になる可能性がある。安心しても
よいだろうと乾いた喉を潤すために紅茶に口を付けたヴェルデ、その手は小刻みに震えていたが彼は気づかなかった。結局は彼女が放った真の殺気、それに不安が捻じ伏せられただけなのだ。
菓子を摘まんだ彼女が深い笑みを見せた。ヴェルデが信用できないと言った彼女の戦闘欲への評価、そんなもの彼女自身が一番理解出来ている。見た目が少女の様だからだろうか自分は軽く見られてしまうことが多々ある、今だってそう目の前で安堵するヴェルデが怯えたのは殺気なんかじゃあない。ただの余波、漏れ出たのは単なる欲の奔流のほんの一部なのだ。王宮でもアクノマキアが見せたような、まあ彼女の場合それが第四の欲求ではあるが。それが恐ろしいというのだから面白い。
自分で自分が恐ろしい、混沌を前にすれば絶対抑えられないというのに。簡単な口上、言い回し。自らが満たされるのならば何でもする。分かってない、本当に面白いほど分かってない。
「どうしたアディラ。」
「いや、お腹空いたなあって。」
「どれだけ食べれば気が済むというのだ君は…」
呆れてしまう自分の欲に。ただの少女だと思って?そうすれば欲を満たす御馳走が自らやってきてくれるから。理解してくれるのはリョウマだけ、ぼくが何者なのか知っている。
楽しみだよ混沌…アクノマキアの前菜にくらいはなってね?
これは食事じゃあ無い。ただ散らす、遊びに過ぎない。美食を前に腹を空かす戯れだ。
昼の鐘が鳴り響いて少し後、玄関に足音が鳴る。
「おっかえり~!」
駆け足で出迎えた笑顔の少女受け止める。だがしかし身体は雨に打たれてずぶ濡れだ、すぐに軽い彼女を引き剥がし屋敷の主を呼ぶ。
「ヴェルデ何か身体を拭くものを、四枚持ってきてくれないか。」
「ずいぶん遅かったなリョウマ、って四枚…?」
扉から顔を見せたヴェルデが龍馬を出迎える。玄関に歩いた彼の足、止まって驚愕を見せた彼の表情。玄関に居たのは雨を髪の毛から滴らせた龍馬とアリアンナ、そして。
「世話に、なります。」
「こ、こんにちは…」
猫背を更に丸めて頭を下げた男、その背中に隠れるように顔を出したのは両目を閉じた少女。くすんだ銀の髪をくしゃくしゃと掻いて、少女の美しい銀髪を撫でたのは覚えのある顔の彼。
「【亡兄】…」
濡れた銀から静寂を打つ雨粒が石床に、冷たく静かに名を呼んだ。
最後まで見て頂きありがとうございます。前書きでも申しましたように体調不良のため更新が遅れていましたことお詫びいたします。元々身体が弱いこともあって更新が遅れてしまうことがありますが最高でも一週間、二週間遅れてしまった時にはしっかり報告しますので何卒。
見て下さる方々本当にありがとうございます。これからもこの作品を応援していただけると幸いです。




