第八十一話 火傷
第八十一話です。時間ないので短めに!
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「我が君。」
あなたの記憶が燃えている。
「あれが…」
誰がともなく呟いた丘の上、帝国本陣は張りつめた空気に侵食されていた。
魔法師団隊長オルタリアによって展開された、遠くの景色を映し出す望遠の魔鏡に二人の男。
「あの攻撃で無傷とは、流石陛下の右腕。」
機嫌取りの誉め言葉では無い、何しろ相手はあの【撃滅】ガルガン。南方諸国を語るのならば三度は名前があがる男だ、かつての英雄古き勇者と呼ばれるのも過ぎた話ではない。そんな男の全力を受けて面を割るに終わったビンは底が見えない。そしてその面の下から現れた顔は不気味なほどに無表情だった。
「…陛下。」
「まあ待てベルベット。」
二人の会話に全員が首を傾げる。この場ではゼアリスの側近である彼だけ、他の皆は知らないことがある。それはビンの事。【七刑】の全員、ビンを除けば一番古いユスゴアでさえ知らないのだ。
「帝、貴女は酷な事を。」
「なに、知っているの?」
どうやらユスゴアは何かを理解したようだ。オルタリアが問い詰める。しかし隠した口元、ユスゴアは答えようとしない。
しばしの静寂を破ったのは遊撃軍として置かれていたアクティナだった。急ぎ隊を戻してきた彼女と連れた兵士たちは皆肩で息をしている。
「ちょっと、陛下!!」
神妙な空気に叫び声がこだまする。戦場から戻ったアクティナはどうやら怒っているようだ。
「遅かったなあアクティナ。」
クツクツと笑うゼアリスはまるで悪戯が成功した子供のような無邪気な顔。
「はあその顔、知ってたんですね?」
「いや、予感はしていたがな。」
まさかこうも上手く嵌ってくれるとは。
ゼアリスは笑みを深めてアクティナへ返答した。あいつであればちょっかいをかけて来るだろうと思っていたが、まさか本当に…
アクティナが無事に戻ることも計算の内だった。彼女は若く、経験は【七刑】の中で一番乏しい。しかしそれを上塗りできる瞬発性が彼女の強みであった。
圧倒的な力を持つビンやユスゴア、生真面目に従順なオルタリア、そして飄々とした笛吹きガントレックでは無く彼女。ちょっかいを退けたいのならば策はいくらでもある、しかしそれでは彼女を満たすに足りないのだ。
「お前を選んで正解だった。話は、そうだな後で聞くとしよう。」
再び立ち上がった彼女は崖際へと歩く。風に揺れる背の外套が金装飾の尾を引いた。あと一歩踏み出せばそこは落ちる空。
描いた通り、それ以上の作品が完成するのは全く気分が良い。戦場を真白の画布とするならば、運ぶ軍勢は色を散らす筆の毛だ。作品に輝きをもたらせるために命という飾りを添える、そうまさに戦争とは芸術なのだ。
「オルタリア、鏡はいつまでもつ。」
「はっ。命令でしたら、いつまでも。」
彼女の言うことだ。ゼアリスに命じられるならば命尽きる瞬間までことを成すだろう。その忠誠は洗脳なんて紛いの虚物とは違う。
「くっくっくっ、そうか。皆の者!」
振り返った彼女の顔が邪悪を殺した魔王のようだった。
「見逃すは死と、忘れることは反逆と同義だ。脳、瞳、体、心、記憶に刻みつけろ。」
言葉を切ってまた振り返る。彼女の纏う禍々しいオーラが曇天を飲み干すかのように立ち上がる。神が祝福の拍手を鳴らすように雷が轟音を響かせた。
「魔王の降臨だ。」
爆音とともに地面を穿った雷。彼女の不敵な笑い声をどこまでも遠くへ運ぼうと追い風が吹きつけた。
「オービンロード。名を与える。」
仮面から再び仮面が現れたかのような無を貼り付けたビンは、口を引き結び両の目で虚空を見詰めている。戦場に蔓延した静寂を殺すかのような音の欠如はガルガンの小さな囁きを響かせた。
蘇る光景が胸を焼いて、浮かぶ思い出が脳で暴れ出した。あの夜に止まった時間が、錆音を立てて動き出す。軋む歯車に愚鈍な針、まるで進むのを拒むかのよう。
「ご無事だったのですね、我が君。私を覚えておいでですかっ、わた、私を…っ」
あまりにも多くの言葉がこぼれだして上手く話すことが出来ない。渇き望んだ再会だというのに、溢れる嗚咽が邪魔をする。
それは古き王、滅び廃れた国ブリガロンの主だった。
歴史に【帝の炎】と刻まれた、今からもう何十年と前の話。現皇帝ゼアリス・グリード・ガヴェインから二つ戻った時代の皇帝による進軍が、小さき国ブリガロンを襲ったのは噎せ返るような暑さを孕んだ日のこと。
若き日のガルガン・ザベルソードはブリガロン王国騎士団に属する、正義を着た戦士だった。
「陛下っ!」
齢二十に見たいない彼が呼び止めたのは若くして王となった、歴史にも少ない稀代の賢王。
「ガルガン。何度も言っただろう、戦争には掟があるのだ。それを破ってはこちらが悪者、世界にとって邪国となるわけにはいかんのだ。」
そしてブリガロン一の武を有した強王、名をオービンロード・ガベル・ブリガロン。二十五とは思えない落ち着きよう、そして政治の手は諸外国にまで響き渡っていた。
「ですが、帝国の暴虐は許せません…っ!」
ブリガロンが統治する端の農村、小さく温かい十の家々が何者かに焼かれたのだった。山賊すらもいない平和な国で、これほどの目だった行為。犯人は当然分かっている、長年小競り合いが続いていた帝国が今年になって大きく踏み込んできたのだ。不自然な虐殺に犯人は分かってはいるのだ、しかし確かな証拠がない。
「めったなことを言うな。」
「陛下っっ!!」
熱くなったガルガンが王に詰め寄った。若い二人は身分に関係ない友であった。こうして襟元に迫られても、怒鳴られ唾を飛ばされようと変わらない。
正義の塊であったガルガンは当然復讐を望んでいた。しかしいつまでも動かない王に溜まった怒りが爆発する。これでは殺された村の者達が浮かばれないと、しかし襟元を掴み返された身体が廊下の壁に叩きつけられる。
「良いか、よく聞けガルガンッ。ここで手を出しては負けなのだ。帝国は大きい、わが国なんぞ吹けば飛ぶ軽いものなんだッ!奴らが欲しいのは体の良い言い訳なんだ、私らを滅ぼすための良い口実が欲しいだけなんだッッ!」
彼の拳は震えていた。強く噛み締められた唇からは赤い線が伝う。彼も耐えていると、苦しくないわけが無いと、一番辛いのは立場に邪魔され嘆き責め立てることも出来ない王自身なのだ。
「良いかガルガン負けなんだ…賢いお前だ、分かっているのだろう。」
手を離した王が口元を拭う。ガルガンも頭では理解していたのだ、しかし抑えきれない怒りが我慢を越えていた。だが王は耐えている、それを見て牙を立てられる家臣など一人だっていない。
「あの皇帝も愚かではからな。それにこれ以上は私も黙っていない。守るべき人々を亡き者にされてなお庇うものは無いからな、その時は国と心中だ…なんて私が吐く言葉では無いな。ははっ忘れてくれ。」
切なげな笑みを残して王が去った。ガルガンは分かっている、彼が一番愛するのは自分を含めてくれた国民全てだと。分かっていた、彼が背中に隠した拳が血を吐いていたことも。
「くそッッ!」
柱に拳の後が残った。王が苦しんでいるというのに自分の感情を御せない自分が憎い。そして王を苦しめる帝国がもっと憎い。彼は優しいから皇帝は愚かでは無いと言うが、ガルガンは信じている。
帝国は愚かだ。そしてそれは裏切らなかった。
暗く暑い夜だった。悲鳴が消えない、長い夜。後に【帝国の炎】と呼ばれる、消えない火傷。
「陛下、陛下っ…」
火に飲まれた城は崩壊を始めており、逃げ場のない海の中で探すあの姿。ガルガンは煙に咳き込みながらも必死に駆け回った。
帝国が闇に紛れて強襲をかけて来たのだ。音も立てずに攻め込まれたブリガロンの王都にはたちまち火が回り、帝国軍が街を壊滅させていく。夜に眠った王都は驚愕と絶叫に埋め尽くされて、逃げ惑う民は皆王城を目指した。
しかし籠城も虚しく、勧告さえ無い火の矢が城を焦がしていった。避難した国民が炎と煙に嬲られていくのを、ただ見つめていた。完全武装をした二十万の軍勢に対して、警戒はしていたとは言えど平時の兵士たちが僅か五万。搔き集めればもっと多くいたはずも、今やもう遅い。
絶叫が耳に残って離れない。城の入り口を守る兵士がガルガンに放った最後の言葉。
「王を頼むぞ。」
その叫びが離れない。怒り、憎しみが炎より熱く煮えたぎっていた。帝国兵を皆殺しにしたかった。しかしそれでも命を賭した仲間の言葉、王だけでも逃がさなければ。
崩れた階段を迂回するのに大分時間がかかってしまった。寝室にも姿は確認できず、残りは玉座の間。しかし何故こんな夜に、煙を避けるながらそう考えていた。
もう時間が無い。火元から一番遠い玉座の間、濃い煙で喉を焼かれないよう鉄扉を開いた。掌が焼ける音がする、悶えるほどの痛みも気にせずガルガンは扉を押し開いた。
「陛下っ!!」
中は既に火が飲み込んでいた。中心に近づこうにもこれでは一瞬と持たない、それほどまでに玉座の間を覆う炎は大きかったのだ。
ここにもいないか、そう思って踵を返そうとしたその時。揺らめく炎の隙間、確かに見えた間違えるはずの無い姿。そしてもう一人、知らぬ姿。
曲者だ。そう思ったガルガンは止まることなど出来なかった。王が危ないと死ぬ気で炎へ飛び込んだ彼は、瀕死になりながらも向き合う二人へ近づいた。
「ガルガンっっ!何をしている、早く逃げろ!!」
「かっ、はっっ…へ、がっ…」
喉も灼け、溶けた瞼が張り付いていた。視界も封じられ話すことも出来ないガルガンはそれでも王の前に立つ。死して尚、王の身を護ると。
間者に向かって鞘ごと抜いた剣を振るう。お下がりください、お逃げ下さいと叫ぶが声は出ない。意識はそこまで、いやもうその手前で途切れていたのだろう。目が覚めた時には城から離れた草原に横たわり、重体であったはずの体は傷一つなくまるで長い夢を見ていたようだった。
しかし溶けた鎧に破れた服が現実であると突きつける。そして遠く、火柱を上げた城が崩れていった。
王は無事なのか。王と一緒にいた者はいったい。民は、兵は何人残っているだろうか。王都に戻った彼が見たのは目を向ける事が出来ない程の蹂躙だった。
あの日の事を忘れた時間は一秒だってない。傷が消えても残った心の爛れは、再会に疼いている。
「何十年もあなたを探しました、影も残さずいなくなってしまったあなたの生を信じて…オービンロード陛下、良くぞご無事で。」
ビン、いやオービンロードの前に跪いたガルガンは若きあの時と同じ顔。降り注ぐ雷鳴も彼には聞こえていない。戦場にはふさわしくない優しい笑顔も当然、人生をかけて求めたものが今目の前にいるのだ。
今まで成した数々、この【撃滅】という世界に通じる名も当然王に見つけてもらえるようにと。
「こんなにも老いてしまいました。」
あなたはあの日のまま。若き日の凛々しい尊顔、ただ体躯は見違えるほどに大きくなられた。盛り上がる筋肉に見上げてしまう身長はあの時と違う。しかしそんなことは些細でどうでも良いことだ。
「さあ陛下、帰りましょう!ブリガロンへ、眠る民のもとへ…」
立ち上がった彼はオービンロードの手を引こうと近づいた。怪物との戦いで疲労したことなど既に忘れた彼は、まるで少年のように無邪気だった。
その時風が、魔王の笑い声を運んだ。
ゾブゥッッ
視界に舞った左の手首が地面に落ちる。吹き出す血の噴水が目の前の王の体を汚していった。
「へ、いか…」
ぐちゃぐちゃと壊れていく感情に戸惑うガルガンを動かしたのは、歴戦の勘。背中に強烈な寒気を感じて横に跳んだ彼は、間一髪にその刃を避ける。
まるで片手直剣を振るうように大剣を握ったオービンロードが、先ほどまで自分のいた地面を抉っていたのだ。そして手首の激痛を思い出す。脇に手を挟み止血するが傷は深い。
「何故私を、陛下!私はあなたのっ!」
オービンロードの体がぶれて目の前に迫る。その速さは目で追うのがやっと、そして振るわれた大剣も浅い傷を残して避けるのが精一杯だった。
強い。元よりブリガロンでは最強の人ではあったが、それより遥かに今のガルガンは強いはず。しかしそんな彼が追いきれない動きは最早人のそれを越えている。それに片腕が無いのはあまりにも大きい。疲労無く両手両足全開の状態であっても互角だろうか。
「目を覚ましてくださいっっ!」
一種の洗脳か、話をするのにもまずはそれを解かないには進まない。相手は国王だと言え何度も訓練を共にした仲だ、拳を打ち込むことになんの躊躇いだってない。はずだ。
潰し切ろうと振り下ろされた大剣に合わせ右の拳をぶつけ合う。金属より硬いガルガンの拳は刃と激しく衝突すると火花を散らした。
ガギィィンッッ
刃を折らんとする一撃が弾かれる。ガルガンも二メートルは近い身長、分厚い身体をしているというのに遥か大きいオービンロードに体制を崩された。
腹部に減り込む大きな足を掴み吹き飛ばされるのを耐える。まるで表情を変えないオービンロードは掴まれた足でガルガンの身体を持ち上げると、軽々遠くに蹴り飛ばした。
「がっ!」
手首から先を失くした左手を地面に叩き後退りを止める。小さな砂礫が傷口を擦り上げ吐き出すほどの激痛を起こした。しかし悶える暇なく追撃が襲う。
気が付けば胸の前に飛ばされた大剣を両の拳で防ぎとめる。しかし切先が少しだけ胸に突き刺さった、心臓を寸分たがわず狙って放たれた刃に冷や汗が止まらない。
ジャリリィィンッ
大剣の柄には大きな鎖が巻き付いていた。強烈な力で引き戻された大剣が宙に舞い、それと同時に跳び上がったオービンロードが空中で柄を握り締める。
まるで戦闘スタイルが違う王を前に未だ困惑が拭えないガルガンは、確かな殺気ともう一つ覚えのない何かを感じていた。その何かはとてもどす黒く、強い殺気に負けない程確かに揺らぐ。
「王よぉお!!」
パァアアンンッ
破裂音と共に空気が弾け飛んだ。圧縮された空気の塊に強い覇気を乗せた打撃が空中で逃げ場のない身体に迫る。それは確かに腹部に命中した、しかし何故か霧散しダメージは全く無い。見えない何かが彼の身体を守ったのだ。あの時と同じ、鉄面に何度も打ち込んだ時と。
轟音、地面が割れた。片手で振っていた大剣をただ両手で振り下ろしただけだというのにこの威力、掠っただけでも命の火を消す風力だ。跳び上がったガルガンは改めて恐怖に襲われる、そして今度はこちらが無防備な空中だ。
オービンロードの体に巻き付いていた太い鎖が宙にいるガルガンを一瞬で捕らえて離さない。両足に食い込んだ鎖を剥がそうとするがガルガンの力でもびくともしない。
グンッと引き寄せられたガルガンの無抵抗な腹部へ大きな手が減り込んだ。強靭な腹筋を叩く掌底に吐くことを忘れる衝撃、続けて腹を掴んだオービンロードが反動を乗せて顔を殴り飛ばした。
ボールを地面に落したように跳ねて止まったガルガン。両足の鎖をそのままに倒れた彼は血反吐を垂らして立ち上がる。大きすぎる戦力差、しかし彼は今燃えていた。
「ははっ、そうかそうか…竜以来だ、こんなにも滾るのは。陛下、手加減出来ないぜ。」
あの、好敵手として切磋琢磨した頃を思い出す。若き日のガルガンが蘇った。
「…」
鎖を引いたオービンロードの手が止まる。尋常じゃない力の引っ張り合いに耐えられなくなったのは鎖だった。自由になった足を回し、準備運動を終えたガルガンは長年付き合い別れを告げた左手に感謝を告げる。そして再び構えた、敵であるオービンロードへと。
「目が覚めたぜ陛下、あなたの亡霊に囚われて不自由だったのが楽になった。ありがとう、魔王よ。オービンロード、今からあんたを眠らせてやる。」
雷が近くに打ち付ける。轟音の傍で猛獣が目を覚ました。
最後まで見て頂きありがとうございます。これからもどうか応援よろしくお願いします!!




