第七十二話 翼落
第七十二話です。龍馬視点での話がつづきます。
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そうやって外を見詰める龍馬を見詰めるのは一人の少女。彼の肩にもたれて寝息を立てるアリアンナの頭を撫でたアディラは傾いた髪飾りを直す。
(あーあー。涎が垂れちゃうよ。)
アリアンナの口元を拭って微笑んだ彼女の顔はまるで手がかかる妹の面倒を見る姉のようだった。
末の子として生まれた自分には兄が、姉がいたはずなのに。頭の片隅に染まった血の記憶はもう掠れてしまって、思い出そうと朧げな景色を覗いても見えるのは血だまりに映った自分の笑顔。屈託のない女の子の笑みは赤い飛沫が彩りを添えていた。
命を奪うため、生を壊すため生まれて来た。生まれながらに死を運ぶ、骸を積んだ小さな身体。
アディラ・デロ・セントグレン。与えられた不自由な枷は暗殺者という名前で。重く外せない、縛られて解けない、一生付き纏う呪いだった。
玩具を手に取ることも、可愛らしい服を着ることも、当然友達をつくるなんて許されず。手に握らされた冷たい凶器を玩具に、温かい人間の身体で遊ぶ。身を包む白布をどす黒く染め、隣には動かない死体の山。
泣き叫んで嫌がっても目の前には、死に怯える人間と二人だけ。自分より大きくて歳も離れた大人が、自分より涙を落として喉を枯らす。それが妙に気持ちを落ち着けて、気が付けばしゃくりあげていたのも忘れてしまって。冷静に滑らせた刃は皮膚を裂いて、命を簡単に、生を一瞬で終わらせた。
思えばそのことに気が付いたあの日、あの瞬間に壊れてしまったのだろう。でも、それでもまだ残った破片が心の痛いところを突いてくる。我慢できない激痛から逃げたくて殺して殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。それでもまだ足りなくて殺したのに、痛みは日に日に増していった。
「ねえ、なんで。」
純粋な自分を抱きしめる母親の手が震えていたのを覚えている。
いつまで苦しい呪縛から抜けたくて激情に震える刃で刺した父は、初めて優しい笑顔を見せた。
ああ、やっと解いてくれるんだ。この不自由からぼくは飛び立てる。そう思っていた少女に与えられたのは、死に彩られた自由の翼だった。
痛みが溶けていく。残った感情の破片が崩れ落ちて、もう元には戻らない心の骸だけ。枷は外した、重りは無い。だというのに飛ぶことが出来ず闇に引きずり込まれていく。望んで手に入れた自由に身体が心が幽閉されて、動けない。
動けない、助けて。手を引いて。誰か私を、
「殺してくれればいいのに…」
吐いた言葉は小さく消える。
「なんか言ったか?」
「なーんにも?それよりまだつかないかなあ。」
平気な顔で笑いかける。敏感な彼でも気が付かないだろう、ワクワクと身体を躍らせて到着を待つ。感傷的になったつもりは無いが、こうやって過去を想えば悲劇の主人公になれる。そうでもしなきゃ人間でいられなそうだから、命を奪う自分に残されている感情に似せた何かに浸る。
「もうすぐさ。もう一度念押しするが、私の傍からは離れてくれるな。」
「はーい。」
もうすぐ。その言葉に口角を上げる。誰にも見えぬように剥き出した表情は、とても見せてあげられるものじゃあない。
人生は悲劇でも喜劇でも無い、空っぽな虚劇だ。目的なんて無いよ?
ただ乱したい、乱れたい。掻き混ぜてぐちゃぐちゃにして境目が分からないほどに溶けていきたい。
「ああはは…楽しみだねえリョウマ。」
「…。」
外を眺めて言う彼女の顔は酷く歪んでいるのだろう。分かってて止めることはしなかった、龍馬もまた壊れてしまうことを望んでいたのかも知れない。
外は少し肌寒い風が吹いていた。夜の闇に覆われた中で一際光る大きな建物は豪華絢爛な造り。
ハデルフロウの中心に聳え立つは王の住まう宮、招待客である龍馬達を迎えるはメイド服に身を包む獣人たち。
「ようこそいらっしゃいましたグロウヴィード卿、お連れ様方もどうぞこちらへ。」
もふっという音がする。動くたびに揺れる尻尾はまるで触れて欲しそうに誘惑している。柔らかで艶のある毛並みは手入れが行き届いていて、人の姿に垣間見える獣特有な仕草が可愛らしい。
撫でつけてしまいそうな衝動に駆られながら前を歩くメイドの背中を追い、龍馬達は王宮の廊下を案内されるままに歩く。全員龍馬よりも年下だろうか、流石は王宮皆所作に乱れは無い。
真白な石造りの長い廊下、遠くから聞こえる軽快な音楽が静寂を解いて行く。メイドの話によると庭園の方では宴が行われているらしい。そんな楽し気な雰囲気とは離れて少しずつ増していく緊張と不安。
「龍馬…なんか嫌な感じがする。」
袖を握って背中に顔を伏せたアリアンナの頭を撫でつけ不安を拭ってやる。心配するのも仕方ない、廊下を歩いて行くにつれて重くなる空気にメイドたちの身体が震えている。
ついに止まった彼女達は身体を大きく震わせて振り返ると怯えてような眼で廊下の先を指す。
「…あちらが王の間です。私達は此処から先への立ち入りを禁じられていますので。」
言葉を発するのも儘らない様子の犬耳メイドは、垂れ下がってしまった尻尾を抱いて申し訳なさそうに頭を下げた。王の間の扉からは数十メートルほど離れた場所、しかし明らかで確かな威圧を感じる。
「ご苦労…」
気丈に降る舞ってはいるがヴェルデも手の震えを抑えるのに精一杯という様子。メイドを下げさせたヴェルデは扉の方に向き直し、額に垂れた冷や汗を指で拭う。
「君達は何ともないのか…凄いな、ははぁ…」
一歩踏み出したヴェルデを襲った先ほどまでとは格別な威圧感、声の震えも最早隠せず足を進めるのも徐々に拒否するようになってきた。
扉の目の前、肌を強烈に刺激する重圧に流石の龍馬とアディラも身震いをする。強者だけが放つことの出来る破壊的な覇気にはこれまで感じた事の無い感覚を覚えた。ゼアリスの全てを屈服させようという凶暴で邪悪な覇気とも、混沌の闇へ引きずり込もうという奇怪で空虚な覇気ともまるで違う。
「あ、はは。ねえねえぼくには無理だよ…」
抑えるなんてとても出来ないと、好戦的で暴力的な目をしたアディラは待てないと開扉を戸惑うヴェルデに笑いかける。彼女にしても初めてだった。ここまでの武者震いを起こすほどに強烈な存在感を前に楽しみが溢れ出している。
「だめだ、絶対に手を出しては。」
真剣な顔でそう言いったヴェルデは扉から手を離す。
「君達では彼女の足元に及ばない。」
「へえぇぇ~…。」
アディラの笑顔が冷気を放つ。濃密で重い殺気が王の間からの圧とぶつかり合い、ヴェルデの顔色を青ざめさせていった。拮抗する凶暴な威圧感に挟まれたヴェルデは生唾を飲み込んでなんとか言葉を紡ぐ。
「彼女の放つこれは、覇気でも殺気でも無い。これは彼女の餓えだ。」
発散する場所を求めて溜まりに溜まった破壊的な欲暴の余波。ただの、内から漏れ出したほんの一部がアディラが放つ殺気と均衡しているのだから敵わないとヴェルデは言いたいらしい。
「誰も近寄らせないほどに貯めてるんだ、俺らのために。答えてやらないのは烏滸の沙汰だ。」
「君まで…っ!」
王は龍馬とアディラを待っていた。予言かはたまた野生の勘かは分からないが、何日も前から二人の来訪を予期して。食さず喉の渇きに身を任せて、戦闘への飢餓に耐え忍びながら。それならばここで怖気て帰るのは余りにも愚か、我慢嫌いの王が報われない。
「それにもう遅い。あんたが焚きつけたんだぜ?」
導火線は火花を散らし止まらない。ヴェルデが龍馬に気を取られた内に扉に手を掛けたアディラが、満面の笑みで押し開いてしまった。制止も虚しく開かれた扉から一層刺激的な餓えの奔流が漏れだす。
一瞬にして静寂が支配した。二人の後に続いてヴェルデも王の間へ足を踏み入れる。
大きな窓からは月明りだけ覗き暗闇に包まれた中を淡く照らしている。冷たい空気が反射する石床をゆっくりと進み扉を閉じる。
王の間。大きな玉座に横たわる一人の影。扉が閉じたと同時に、先ほどまで空間に敷き詰められていた威圧が消えた。薄闇の先、王と思われる影がむくりと起き上がる。
眠っていたのだろうか、毛繕いをした影が背を伸ばして玉座から立ち上がる。背格好は龍馬と同じ程、朧げでも分かる引き締まった胴体に細くも筋肉が隆々とした長い手足。
ヒタヒタと素足を床で鳴らし、背中に隠していた長い尾を垂らす。月光に近づいた王の顔が輪郭をはっきりと見せた。頭の上で丸みを帯びた耳介、短い髪が隙間風に揺れる。
「今朝ぶりだなグロウヴィード……」
「お久しぶりでございます。」
その場に跪いたヴェルデが深々と頭を下げた。直接顔を合わせるのは何ヵ月ぶりだろうか、今朝の会合では伝言でのやり取りだったため大方体調を崩しているのではと思っていたが。なるほどこれでは会うことが出来ないのも頷ける。
吐いた息に唸りが混じって身体の底から大きく響いた。これではまるで、まるで理性を欠いた
「獣だね、手の付けられない猛獣だ…」
目を伏せたヴェルデの考えを奪ったのはアディラの言葉。楽しそうな彼女の笑みが少し引き攣っている。世界最強の暗殺者、さしもの彼女でさえ狼狽えている。
明かりの下に見えた彼女は、純粋な暴獣だった。
「あんたら、名前…要らないや……」
鋭い爪が暗闇を裂いて飛び出した。月光に照らされた牙から渇きに満ちた唾が垂れ落ちる。大きく開いた口で煩わしさを噛み殺す。低い唸りが王の間に響いた。
「リョウマ、貰うね。子猫の躾け、二人も要らないから…」
背中の筒を静かに下ろした彼女は手首を回し、指を鳴らす。一応の抵抗も意味がないだろう、もう既に彼女は没頭している。三日月のように弧を描いた口元、白目を剥いた彼女は既に自分の世界。
殺意と餓えが混ざり合った瞬間、空気の割れる音がした。開戦の合図は破滅的な空気に覆われ広がっていく。両者同時に動き出した。
「逃げろヴェルデ…っ!」
叫ぶがもう遅い。両者最強、王の間は一瞬で死地へと変わる。
拳が二つ合わさった衝撃波が窓を吹き飛ばす。破壊的な両撃は互角にぶつかり合い、お互いの勢いを相殺した。
せめぎ合う二人の一撃。力は同格、そう思われた。しかし笑ったのは一人、それは。
「やっばいかも…っ」
ドッッバァァアアアンッッッ
獣の王だった。
小さい体が音の壁を裂いて弾け飛んだ。王の間の扉をぶち壊し、彼方先まで風を切る。長い廊下の奥の奥、反対側の壁に激突させられたアディラが力なく床に倒れ落ちた。
動かない、起き上がろうと力さえ込められない。
言葉も出なかった。あまりの衝撃と驚愕に見開いた目を閉じることが出来ない。
「次は…あんた?」
何も無かったかのような表情で龍馬を見た王は、余裕綽々と毛を繕う。
「さあ。まだ、俺の番じゃあねえからな。」
「な、リョウマ…あれではもう。」
ヴェルデが廊下の奥に再び目をやった。彼女はもう起き上がることが出来ない、そう思った視線の先。砕けた壁の下に彼女の姿が無い。
「あ、ははっ…反撃、開始…」
ヴェルデが振り返った時にはもう王の間にはアディラが戻っていた。抑えた右腕は骨が砕けて垂れ下がっている。反撃と言うがボロボロの身体、立っているのが精一杯。しかし笑みは消えていない。
「早くしてくれよ、後が閊えてるぜ?」
「ばーか、ぼくの番で…終わりだから。」
悪戯な笑顔で龍馬に返すアディラ。まだまだやれるようだ。身体が限界でも、心は折れていない。ここで彼女を止めるのは侮辱だ。心配するヴェルデを抑えて、龍馬は黙って見守る。
「さーて、子猫ちゃん。手加減しないから。」
一層深く笑ったアディラ。それが虚勢で無いことを誰よりも分かったのは相対する王だった。
「…来なよ。」
右手を破壊したというのに殺気が増した少女を前に、姿勢を低く本気を放つ。全身の毛を逆立てた獣王が石床を砕いて跳び上がった。
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