第七十一話 招待
第七十一話です。少し遅れてしまいました!すみません。今回は戦場を離れて遠く、大陸の上の話です。
いつも見て下さる方々へ、感謝を。
「ほら、似合うじゃん。」
してやったりという笑顔。ドアの隙間から覗く彼女の顔は子供のように無邪気だった。
「…堅っ苦しいなあ、これじゃなきゃダメなのか?」
首元の不自由さに襟を伸ばす。無理矢理と着替えさせられた燕尾服はまるで初めから決められていたかのように彼の身体にぴったり。元の世界で見たような礼服とは少し異なる様相、色も真黒に統一されたそれはまだ陽がある内に身に着けるには色気がありすぎる。
「こちらへ。」
「ネクタイが曲がってしまいました。」
そう言って首元を正してくれるアリスとテレス。先ほどまで敬語など使っていなかった彼女らは一転、急によそよそしい態度。若干機嫌が悪いだろうか、襟元を必要以上に締められる。
「ね、ね。ぼくに言うことは無いの??」
そう言ってその場で回って見せたアディラは化粧をしているせいか頬が染まって見えた。妖しい雰囲気を纏った衣装は悪戯な表情で八重歯を輝かせる彼女を色付けた。いつもと同じだと言うのに、夜の蝶が羽ばたいたような黒いドレスはアディラの可愛らしさを美しさで飾る。
「あー…大人っぽいな。」
「もう、違う言葉を期待してたんだけどなあ。」
綺麗だと素直に言えばこの痛みはもっと強くなるだろう。両脇、アディラに見えないところを抓られた皮膚をこれ以上いじめるわけにはいかない。見惚れてしまったのを悟られたからか、双子の黒メイドは蠱惑的な眼で龍馬を見る彼女を睨む。
「アリアンナはまだ準備中か?」
「あっとねえリョウマが終わるのを待ってたんだ。ま、ぼくは気にしないからヴェルデさんにやってもらったけど。」
それもそうかと納得する。この屋敷に女性は二人だけ。それを独占してるのだから準備が出来ていないのも仕方がない。丁度支度が終わった龍馬はアリスとテレスをアリアンナの下へ行かせようとするが、アディラが苦笑いでそれを止める。
「それがねえ、リョウマ以外は嫌だって。」
「…手のかかる赤ん坊だな。」
歳の頃は龍馬と同じ、しかし見合わない程に精神年齢が子供のアリアンナ。一種の幼児退行だろうか、【覇人】として目覚めて五感を取り戻したばかりの彼女は知らない世界で知らないことばかり。知識も経験も赤子と同等、そう言われれば仕方がない。
三人を部屋に残してアリアンナが待つ部屋へと急ぐ龍馬。好かれるのは悪くないことだが早めに自立させなければ。【覇人】が全ての頂点に立つ存在だと言うのならば彼女を大人にするのは早い方が良いだろう。子供の精神で耐えられるほどこの世界は優しくない。
「遅い…」
ノックして入った衣裳部屋には頬を膨らませて少しお怒りのアリアンナが待っていた。龍馬自身の服を選んだ時にも思ったが見渡す限りに黒、黒、黒、黒一色。何故かと聞いて時にヴェルデは、
「魅入られてしまったからね。」
と訳の分からないことを言った。
「悪い悪い、しかしなあアリアンナ…あんまり困らせるのは良くないぞ?」
頭を突き出してきたのは撫でろという合図だ。我儘な彼女への罰として少し乱暴に髪を撫でつける。しかし彼女にとってはそれも気持ちい良いようで満足そうな顔で笑う。
「だって龍馬以外に触って欲しくない。」
口をとがらせて拗ねてしまったアリアンナ。そう言われてはこれ以上怒れないではないか。
やり取りもその辺にして、二人は衣裳選びを始める。彼女に似合うのはどんなドレスかと、身に着けたところを想像しながら。
そもそも何故こんな格好をしているのかというのも、話は少しだけ遡る。
双子メイドとの話も済んだ龍馬は、情報を整理しようと椅子にもたれて仮眠をとっていた。客間の準備をすると出ていった二人に探検をすると言ったアディラとアリアンナ。仕事を頼んだ龍貴にガラーシュは外に出て、部屋には龍馬一人。
遊ばれた記憶を思い出す。あれは結局幻だった、けれどあれは奥底に確かに在った有り得た記憶だ。
自分への嘲笑は静かな部屋に消えていく。嫌な言葉だ、どこに置いて来たのかなんて。感情は水物だ。堰き止めなければ流れていくし、ひっくり返せば戻らない。そんな不確かなものを抱えるなんて馬鹿なことだ。これは虚勢じゃあない、諦めだ。絶望してしまったから。哀しみに、憐みに。
「君一人かい?」
夕食を用意すると言ったヴェルデが部屋へと戻って来た。少し慌てた様子の彼は一枚の封筒を握っている。どうやら準備が出来たわけではなさそうだ。
出てしまった龍貴とガラーシュを除いて急遽集められた一同は真剣な表情のヴェルデを見る。机に置かれた封筒には見覚えの無い紋章の封蝋が押され、堅く閉じてあった。
「私の手料理はお預けになりそうだ。」
そう言ってヴェルデが封を弾く。中には一枚の紙きれ、しかし綺麗な装飾が施されていることからただの紙ではないことが分かる。
「招待状…」
呟いたのはアリアンナだった。龍馬にもアディラに読めない文字はおそらく獣人族固有の言語だろう、ヴェルデが読み上げる前にすらすらと中身を声に出した彼女はさも当然と言った様子。忘れてしまいそうになるが彼女は【覇人】、当然獣人族の血も流れている。言語の壁など彼女にとっては何ら関係無いものなのだろう。
内容は至って簡潔に、今夜行われる会食への参加を求めた者だった。別段ヴェルデが困るようなものでは無い。しかし彼の慌て様、封蝋の紋章が関係していると見える。野生的な印象、力強さを誇示するような溢れる覇気を表したそれはおそらく。
「君が想像している通り、これは獣王からのお誘いさ。今日会ったばかりだというのに全く、胃の痛みを隠せそうにないよ…」
苦笑して溜息を吐いたヴェルデは招待状の一部を指して龍馬に見せる。そこに何と書いてあるのかは分からないが大方予想が出来てしまい顔を顰めた。似たような感じを一月ほど前に、そう思いつつも読み上げるのを促す。
「お連れ様も是非、と。」
「はあ…全てお見通しってことか。」
当然ここは獣王の支配する土地、異国人のことなど知らないわけが無い。耳が良いのか鼻が良いのか、感覚も情報も確かなものをお持ちなようで。
「もちろん拒否権は無い、それは私も君も。」
「断るつもりは無いさ。探し物をするのに土地の主を怒らせるほど阿呆じゃあない。」
とは言ったものの態度では機嫌を損なわせてしまいそうだ。如何せん敬うだとかそういう面倒なこととは縁を切ってる。見下している訳でも侮っている訳でも無いがしかし、本能的な部分で合わないのだ。
「そんな面倒くさい人なの?」
アディラが純粋な疑問を投げた。種族の橋渡しをするほどの器用人、そんな男を煩わせるとはどんなじゃじゃ馬王なのか気になった。
「面倒、とは違うかな。彼女は何というか…」
と言ったところで龍馬とアディラが同時に言葉を挟む。
「彼女!?」
「言って無かったか、現獣王は女性だ。」
聞いていないと首を振る。確かに男と決めつけるのもおかしいが、どうしたって力で劣ってしまうという認識の袋は大きい。
二人の考えは合っているようで、獣人族の間でも当然一般的な認識だそうだ。だからこそ現王が即位したときは国中に驚愕が轟いた。
実力至上主義の中初の女王ということもあり現王は神格化、その人気は凄まじい。当然それに異を唱える者も少なくなかったらしいが、それも全て力で捻じ伏せたというのだから王たるに性別など関係ない。
「心配は要らない、と言うより丁度いい。君達が危ない人間では無いという証明にもなるいい機会だ。私に変な虫がついたのではという心配もあるのだろう。」
ヴェルデは二つの種族にとってとても重要な人間だ。今まで誰とも親密な交流をしてこなかった彼の屋敷へ、急に誰かが押し掛けたとなれば迅速な対応にも納得がいく。
「いや、一つだけ。はあー…」
心配は要らないと言ったヴェルデだがどうやら懸念材料があるようだ。肩を落として溜息を吐いた彼は龍馬とアディラを交互に見る。
「なんだ?」
「いや、なに。彼女は、現獣王はこの国の一番の強者だと言っただろう?聞いて分かる通りかなりの戦闘好きというか、戦闘狂というかね。」
ああ、と二人は察してしまった。女王様は戦闘が大好きだが国中探しても対等に渡り合える猛者は居ない、そんなところに異国からやって来た格好の強者が二人。
「少し抑えてくれると助かるんだが、君達からは臭うんだ。私も長くここで暮らしているから身についてしまってね。」
「なになに?強者の匂いとかそんなのかな??」
嬉しそうなアディラははしゃいで聞き返す。しかし目を合わせたヴェルデは真剣な表情で言った。
「酷い臭いだ、これは渇きの嗚咽だ。洗っても洗っても拭えない程に汚れているというのにまだ血の潤いを求める、貪欲な罪の臭いが。」
ヴェルデの背筋を凍らせたのは目の前の少女の笑みだった。底が見えない闇を映した、アディラの狂気的なまでに恐ろしい。
「…どんな人間より、どんな魔物よりどんな、混沌よりも。私は一目見た時から君達二人に恐怖を抱いている。それが私に向いていないから平気な顔で笑っていられるがね。」
強張っていた表情を崩したヴェルデは柔らかく微笑んだ。凍り付いた空気が弛緩していく。
「釘を刺しただけさ。獣人族は私なんかよりも鋭い感覚を持っているからね、私の連れに絡むようなことは無いだろうが保障は出来ない。君達が発端となるならば私は容赦なく斬り捨てる、それだけさ。」
「肝に命じておくよ。」
龍馬の約束にアディラも頷いた。好戦的な彼女だが分別はある。理性的に降る舞いを信じるしかない。
「…リョウマにとってはゼアリスの方がやり易いかもね。」
苦笑した彼の言葉の意味が分からずに聞き返す龍馬。
「性格から考えることもなんとなく、君は彼女と似ている気がするんだ。獣王は真逆だから。」
あの皇帝と似ている、それが誉め言葉とは受け取れずなんとも難しい気持ちを抱く。
「まあ今夜は顔を見せるだけだ、過度な心配は余計に不安を招いてしまう…話が長くなってしまったね、時間にも余裕を持ちたい。支度を始めようか。」
そして今に至るわけだ。準備の整った一同は玄関に集合して最後の身支度を済ませる。屋敷に残るアリスとテレスの見送りを背に一同は車へと乗り込んだ。魔力駆動式の車は依然見かけた物よりも断然に高価な見た目で、ヴェルデの財力が伺える。
「それじゃあ王宮へ。着いた先は夜の世界だ。」
車は動き出した。静かに、音を立てずに回る車輪が舗装された道を流れるように進む。
窮屈な襟元を少し正した龍馬は退屈を殺すように窓から外の景色を見送った。
最後まで読んで頂きありがとうございます。これからもどうか応援よろしくお願いします!!
題名の件ですが今少しお待ちをば…




