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混沌に染まる  作者: 式 神楽
第四章 血の時代
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第七十話 人虫

第七十話です。二日空けてしまい本当に申し訳ございません!!お待たせいたしました、続きはなるべく早くに投稿しますので多くの方に読んで頂けると幸いです。

 耳を劈く深いな声は、生れ堕ちた赤子の嘆きだった。

 「うぎぁぁああああああああああああっっ!!!!!」

 塞いだ手を貫通し耳を不快に落とし込む。戦場の端から端まで遠く崖の上まで長く響いた。


 「退け、ひけぇええ!!」

 焦りを露わにガントレックが必死に撤退の号令を発する。しかし超近距離で放たれた叫びで鼓膜が破れてしまったのか、多くの兵士は戸惑ってたじろいだ。しかし肌に感じた凶悪な空気に脱兎の如き撤退を始める。剣を投げ出し南方軍に背を向けて、少しでも()()から離れようと。


 「な、なんだと言うのだ!!」

 戸惑いを見せたのは当然南方軍も同じ。今まで感じたことの無い狂気の叫びに【撃滅】ガルガンですら状況の把握に時間を要した。それはほんの一瞬、撤退の号を脊髄反射で出すべきだったと後悔は後にしか立たない。歴戦の勘か、はたまた強者の本能か、身体は勝手に動いていた。


 「逃げ…っっ!!」

 無意識に飛び退いたガルガンは残した兵に叫ぶが遅い。真の強者故の反射、逃げたのは彼だけ。取り残された彼等が振り返ることはもう無かった。赤い飛沫と首が舞い上がる。自分が一瞬前まで居た場所を支配したのは一人の少女、いや一体の異形。首を傾げた少女の怪物は両手を大鎌に変異させ、大きな複眼で全てを見渡していた。


 「ひぃっ!!ばけも゛っっ…」

 悲鳴を上げた兵士の言葉を切り飛ばす鎌は見た事がある形。人の手についていて良いはずが無いその両鎌はあの昆虫と同じ、何かに祈るよう両手を合わしている。首を小刻みに振り、まるで獲物が動くのを待っているその姿は、捕食虫である蟷螂と酷似していた。


 全てを飲み込んでしまいそうな複眼に、血を地面に垂らす両手の鎌。自然界の狩人に誰もが身体を竦めてしまう。逃げてはいけない、しかし逃げなければ。その矛盾の狭間に取り残された南方軍の兵たちは震える足を必死に立たせる。恐怖で失禁する者も口に手を当て叫びを殺す。全身を凍らせた常軌を逸する感情を殺さなければ今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。


 しかし恐怖はまだ、そしてこれからも続く。何故なら本当の地獄はまだ産声を上げていないのだから。


 静けさに溶けるような美しい羽の音。軽やかで透き通る鈴のような、泣いている赤子をあやす静かな音色は混乱した状況を落ち着けた。

 穏やかな風に流れて煌めく粉は兵士たちの目を奪う。戦場にあるはずの無い静寂に誰かが溜息を吐いた。あまりにも綺麗で優しい風は地獄で藻掻く者達を夢現へと誘っていく。目の色が消え、力なく開いた唇から涎が垂れ地面を濡らした。


 「ああ、ああ…」

 「きれい。きれい。きれい。」

 「マッテマッテマッテ。コッチニオイデ。」


 虚ろに光を失った目で空を追い、手も足もフラフラと何かを探すように彷徨っている。意味不明な言葉を吐いて歩く兵に、呂律も回らずぶつぶつと天を仰ぐ兵。動いた得物を待つは蟷螂の異形、目の前へやって来た餌を一瞬で斬り刻むと頭を掴み木の実から果汁を啜るようにかじりついた。


 悲鳴も絶叫も聞こえない。おかしくなってしまった兵たちがただ捕食者に喰らわれていく光景に、後方残った兵たちは嗚咽を押し殺す。

 「な、んだこれは…」

 【撃滅】ガルガンは自分の子供のように面倒を見て来た仲間たちが畜殺されていくのをただ見つめていた。激しい吐き気を催す光景には見覚えがある。醜く地に落ちて狂った依存者、薬に身体を壊された者達のよく似ていたのだ。それは美しい見た目をした劇薬、平気な顔で垂れ流すのは空中でゆっくりと羽ばたいたもう一つの異形。


 見上げた空にはとても綺麗な羽を背に、まるで天使のように羽ばたいた蝶の姿の人間がいた。羽から煌めくまるで宝石のような鱗粉が、兵士たちを狂わせた元凶だと気づくのには遅すぎた。熱が冷めた静かな前線には劇薬に浸された兵士に二体の異形、地で狩りをする蟷螂に空中で羽ばたく蝶々の二つはこの世に存在してはいけない怪物だった。


 「今すぐ退くのだ…援軍にも伝えよ、この戦はもう…」

 死んでいる。


 ガルガンは近くの兵に呟いた。壊滅の波が広がる彼の隊にはもう百人も残っていない。援軍が来たところでどうにもならない。蝶の鱗粉を浴びた兵士は次第に泡を吹いて倒れ、辛うじて歩ける者は自ら望むように蟷螂に近づいて行く。二体だけで十分絶望を味わているというのにその背後から近づいているもう一体の異形を見て勝利が、希望が感じられるというのなら既に幻に心奪われた廃人だ。


 キチチチチチキチキチキチチチチ

 鳴き声と呼んでいいいのだろうか、口元の大きな牙が音を立てる。武骨な顎から緑色の液体がこぼれて地面を溶かした。酸性の唾液が鋭い牙をぬらぬらと輝く。二体とは明らかに異なるのはその身体、人間の部分など見る影もないその長い巨躯には無数の足が蠢いている。


 「逃げろ、今すぐに!!」

 不快な揺れを与える蠢動は目にも止まらぬ速さで地面を這う。意識を保ちながら精神を崩壊させられた兵たちを踏み潰しながら進むそれを背に、残る兵は鎧を脱ぎ捨て逃げ出した。遠く後方援軍が足を止める。目の前に現れた巨大な百足を見たのだろう、それ以上進もうと考える愚か者は居なかった。ただ一人残ったガルガンを除いては。


 ここで退けば援軍もろとも全てが壊滅すると、覚悟を決めたガルガンはもう一度拳を握り締めた。

 「ぐっ…」

 手が震えるのは鱗粉の毒によるものか、恐怖によるものなのかは分からない。膝が笑ったのなど何十年ぶりだろうか。あの時、竜に挑んだ若き日を思う。


 「思えば俺は臆病者だった。」

 転がる餌を食べ終えた三体の怪物が一斉にこちらを向いた。感情の無い昆虫の目にはただ食料として死を待つ自分が映る。

 あの方に会えぬことがただ一つの心残りだ。しかしもう十分、老兵としての役目を終えられる。子供たちは逃げ延びただろうか、援軍は遠い。自分が死んだあとでも十分撤退の余地はある。こすり合わせた拳に炎を灯し、老躯を今一度震わせた。【撃滅】ガルガン・ザベルソードの最後が脈動を始めた。



 少女の叫びは幕の中、目を閉じて待つ彼女にも聞こえていた。

 「ようやく始まったか。」

 見開いた目に灯る邪悪、剥き出した笑いは抑えていた楽しみを全面に吐き出していた。


 「なんですか、この不気味さは…」

 戦場に居ないというのに寒気が届く。身震いして自分の身体を抱いたベルトレットは眉を顰めてゼアリスに問う。しかし彼女は答えない、見せてやるというような背中で幕を出た。


 丘の上見下ろした戦場は恐ろしいほどの静寂に包まれている。その核となる悍ましい存在はゼアリスが連れて来た三人の少女だった。蟷螂のような鎌を両手に、首を落としたユニ。空中で羽を開いた蝶のように美しいアルマ。そして身体を大きく長く変化させていくエネテロは鋭い足を無数に生やしていく。


 「あれは人間じゃあ…」

 「そうさ、あれは人型の兵器。血の匂いにあてられて覚醒した化物だ。見ろ、彼女らの前では人間など最早腹を膨らませる糧に過ぎん。」

 人間の醜悪を煮詰めたような笑い声で地獄を見下すゼアリスは悪魔、いや真に魔王と呼ぶべき彼女には命への情けなど微塵すら残ってないのだろう。


 「…くださいっ!おやめください!!」

 「それ以上動いては…っ!!」

 陣の中が騒がしい。兵らの叫び声は誰かを制止させるような内容で、制止させるように数人が取り押さえているようだ。敵兵ではない、この気配は…


 「戻ったか。」

 振り返らずに出迎えた二人の姿。膝と頭を着けて皇帝へ撤退の報せを告げる。身体中は血に染まり、鎧などとうに砕けている。今なお流れ出て地面に染みる血液よりも真赤な髪が風に揺れ、携えた二本の槍は勇猛に先陣を切った証に刃が欠けていた。


 「首を、貴女様へ。」

 仁王立ちで待つ皇帝へ、使命果たした二槍が帰りを告げた。振り返った彼女の笑顔だけ、それだけを求めてここまで走り戻ったのだ。


 「大儀であった。」

 最大の賛辞だった。その言葉が己の全てを認めてくれる。有り難き、愚直に突き進んだ槍の生きた証。


 「は、早く手当を…」

 おろおろとベルトレットが彼の肩を支えようとした。血が流れすぎている。止血をしなければ。


 「死んでるよ。」

 短く告げられた別れの言葉。

 「もう。」

 もう赤の二槍は折れてしまった。地面に横たわるロディオに、跪いたままもう言葉を発しないリュガ。最後まで忠君を貫いた二人は皇帝の前、幸せそうに笑っていた。


 「ビン。首を。」

 幕の中へ踵を返したゼアリスはビンへ命じた。無言で頷くこともせず、リュガの頭を切り離したビンはグラベル兄弟の首を彼女の傍へと運ぶ。丁寧に首台へと乗せ、両隣へと添えられた双子の首に囲まれたゼアリスは玉座の上で嬉しそうに微笑んだ。


 「特等席で見せてやるさ。我の行く道を、魔王の道を。」

 愉悦を抑えきれずに笑いをこぼす。魔王の放つ破壊的な威圧が戦場を侵食し始めた。

最後まで見て頂きありがとうございます。いつも 応援して下さる方々のおかげ様で執筆を続けることが出来ています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

この小説の題名を変えたいと長々言ってきましたが、候補として「混沌に色づいて」もしくは「混沌に染まる」の二つを考えています。良ければ感想下さると嬉しいです。

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