第六十五話 狂炎
第六十五話です。どうぞ。
「死に化粧は済んだか弟よ。」
「はは、めかし込んできたぜ兄貴。」
血戦の地グルブ平野。見渡す限りを埋め尽くす敵兵は赤い旗を靡かせる。平らな地面を埋め尽くすは南方諸国連合軍。予想を遥かに上回る兵士の数が熱気を放ち、置いていくように吹き上げた冷たい風が肌を撫で身体を震わせた。
ガヴェイン帝国軍特攻隊隊長・副隊長、グラベル兄弟が二槍。束ねた赤髪を揺らし二人が魅せる演舞が味方の士気を高め、掲げた旗は全てを塗り潰す覇者の黒。最強を誇る帝国軍が筆頭、死をも喰らい突き進む槍の穂先が今か今かと突撃の機会を待ちわびている。
「良いかぁあ!俺たちは今日ここで死ぬ。恐れを震えを喰らい、魂を命を吐き捨てろ…っ!」
突き立てた石突が地面を抉った。リュガ・グラベル特攻隊長は静かに、自分に言い聞かせるような鼓舞を届かせる。燃える闘志は触れることが出来ない程に熱を放っていた。
「絶対の王に、祝杯の骸を捧げろ。」
ウオォォォオオオオオオ!!!!!
地面が揺れた。轟いたのは死ぬことを、朽ちることを恐れない不屈の叫び。何度目かだろうか。戦に全てを捧げ、忠君に魂を奪われた屍達が平野を鈍く重く慄かせた。しかし、常勝の覚悟は揺らがない。
「く、ははっ…ここまで届いたぞ、我が赤槍の咆哮が。」
帝国本陣、幕の中。ハデルフロウから船を飛ばし到着したゼアリスにビン、そして血戦兵三人。ゼアリスは早船の疲れを感じさせない様子で状況を確認すると的確な指示を飛ばし、つい先ほど玉座に着いたところだった。
波に揺られ聞いた報告を上回る敵戦力は拡大を続け、援軍を加えること十分。遂には二十万の大軍に成っていた。陣取った丘の下、自陣に並ぶは十万の軍勢。急造の隊にしては数が多い、とは言ってもその差は歴然。
勝利のみを知る無敵の軍の前に並んだ弱者の群れは、弱さを見せない数の威圧を放っていた。晴れ空の下冷たい風と澄んだ空気が漂う平野も、数時間後には死が充満する地獄に姿を変える。
しかしそんな絶望を前に誰一人怖気を見せず、弱音を吐かない。それは妄信と断じても間違いではない。ただ狂ったように、只管に自らの主を信じていた。敗北の雫さえも見えない、狂気的に掲げるは帝国の上に立つ支配者。彼等の目に映るはただ一つゼアリス・グリード・ガヴェインが、【絶対】のみ。
彼女を象徴する赤が覆ったそこは息苦しくなるほどの緊張が支配していた。傍に控えた鉄面の騎士に、隅で虚空を見詰める三人の見知らぬ顔。
ユニ、アルマ、エネテロと名だけを告げられた彼等はその不気味な雰囲気を恐れて生唾を飲み込めずにたじろいでいた。
「へ、陛下…その、彼女達が例の…?」
視線を三人に送りながら恐る恐ると聞いた男の名はベルトレット・モンバラス。軍師としても補佐官としても間違いなく一流の彼ですら突然連れ現れた、人間に似た三人に驚きを隠せない。
彼女らが【覇人】なのかという意味の問いに鼻を鳴らして返すゼアリスは、同じを疑問を持ち並んで自分を伺う将官たちを見渡した。
「【覇人】は手に入れたが、手元には無い。なに…問題ない、信頼ある奴に預けているからな。」
信頼ある、そんな言葉を彼女が使ったことに目を見開いた将官たち。目の前に座る人物がそんな言葉を吐くなんて、酷いと言われようだが紛れもない事実。彼女が信用する者なんて自分自身と、あとは手足に指くらいだろうか。
「これはほんの…そう、ほんの付属品だ。使えるかどうか、試すには丁度良い。」
高笑いをするゼアリスの声が幕の中に響き戦慄が走った。彼女の目線の先地面を指でいじる三人は、言葉を知らないためかただ無意味に呻き声を発している。僅かな違いに目を瞑れば自分と変わらない人間を一瞥した、彼女の目に感情は無かった。
そしてもう一つ、一際存在感を放つは玉座の後ろの大箱。ゼアリスの登場と共にユニら三人よりも先に目を奪ったのは、ビンに担がれた黒い棺だった。
三人とは違った異様な雰囲気の存在を聞こうとは誰も思わなかったその選択は、あながち間違いでは無かったかもしれない。金細工が施され、重厚で豪華な見た目のそれには常人の理解を越えたものが詰まっている。それは凝縮され、甘美な筋を持ち、豊かな破滅に彩られた、人が人をたらしめる領域を遥かに凌駕した、業の塊だから。
重い静寂に包まれた幕の中、おずおずと手を挙げたベルトレットが焦ったような顔で申し上げる。
「しかし陛下、丁度いいとは言いますが流石の戦力差…」
そこで言葉を止めるが言いたいことなど明確だ。おどおどとしているがこの男、並みの神経の持ち主ではない。聞いている将官たちはただでさえ彼女の威圧感に押しつぶされそうな程なのに、ベルトレットの物言いにヒュッと冷たい息を吸いこんだ。
「どうしたベルトレット、淀むことではあるまい。」
悪戯な言い方で詰めるゼアリスは当然全てを分かっている。あたふたとする姿も、王へ物申すことの遠慮も、この男にとっては一応形式的に行った訴えに過ぎないことを知っている。
「敗北の道に走り乗るだけかと…」
はっきりと断言したベルトレットの言葉に、無音の悲鳴が響き渡った。彼を覗く将官は皆目を伏せ、冷や汗を滴らせていることにも気が付かないほどに現実逃避していた。
「くくく…」
静まり帰った世界を壊す笑い声。率直な物言いにゼアリスが怒りを見せないのは、ベルトレットのこういったいかれた部分を見込んだからだった。
「だからお前は軍師としても、我の所有物としても一流止まりなのだよベルベット。」
「はあ。それは誉め言葉と受け取っても?」
頭を掻いたベルベットは一流と言われたことを素直に喜んで良いものかと悩み始める。
「お前はそれで良いが、壁の先を見たいのならばほんの少し外れ足りないな。誰か、赤槍以外の部隊長を呼んで来い。」
命じられた将官が数人外に駆け出した。始まりを前に最後の軍議はグラベル兄弟を覗く隊長らで行われる。呼びつけられるは左右に一人ずつ、陣中央に二人。一万を束ねる大隊長が四人は全員、人の域から足をはみ出した者達だ。
赤の二槍グラベル兄弟を数えて六人にビンを加えた七の騎士がガヴェイン帝国の最高勢力、畏怖を持って呼ばれるは【七刑】。まるで刑のように降り注ぐ、避けることの出来ない執行がその証。
「お呼びですかい、我が主。」
将官を幕の端っこに追いやって、玉座の前に跪く四人は面を上げて王の姿を仰ぐ。ニヒルな笑みを浮かべゼアリスにに問う男の名はガントレック。戦地だというのに一切の鎧をまとわず、そして武器も背負っていない彼は軽い戦装束を筋肉で押し上げていた。
「血戦前最後の命令だ。アクティナ、お前は右を離れて機会を待て。代わりはユスゴアに任せよう。」
「またざっくりと…まあいつでも動けるようにはしておきますね。」
右の要アクティナは、ゼアリスの大雑把な命令を仕方無しと受け入れる。いつも的確な指揮を振る彼女がこう言う時は必ず何か別の思惑があると分かっているからだ。紺の軽鎧と腰には直剣を携えたユスゴアは、口を引き結び黙って頷いた。
「陛下、ガントレック一人に中央を?」
「なんだ、俺じゃあ不満かオルタリア。」
オルタリアと呼ばれた青髪の彼女は、帝国軍の強力な魔法師隊全てを束ねる優秀な魔法士だ。左の歩兵隊指揮に加え後方からの魔法支援は彼女に任されている。長身に細身な身体は清楚で美しく、軍内で圧倒的な人気を誇っていた。
「なに。敵の真ん中は七、八万だ。一人十人殺しゃあ十分なおつりが来るぜ、簡単な話だろ?」
「くはは、そうだ心配するな。それにガントレック、お前にはこれを使わせてやる。戦力には期待しておけよ?【覇人】のこぼれものだ。」
一斉に集まった視線に首を傾げた三人は、何処か少しだけ寂しそうに小さく呻いた。龍馬とアリアンナから引き離された彼女らは悲し気な表情を浮かべる少女に見えるが、その実は最高峰の人造兵器。
「有り難くお借りしますぜ。…おっちゃんが面倒見てやっからな。」
優しく微笑んだガントレックが頭を撫でようと手を伸ばすが、彼女らは頭を振って嫌がった。触れる事を許しているのは二人だけ。
ゼアリスが言うからには間違いないと信じているが、見た目はまだ十後半の少女。頭を掻き不安そうに目を向けたガントレックに、ゼアリスは心配するなと笑いかける。
「嫌でも分かるさ、そしてもう忘れることは出来ないほどに刻まれる。血の匂いに起きない駄作じゃあ、我が連れてくる価値もないだろう?」
その言葉は彼を納得させるには十分だった。深く頷いた彼は三人に並び、改めて四人忠義の姿勢をとる。跪き、上からの視線は心地よい重みを感じさせた。
「我に誓え。手が足が斬り捨てられようと、胴体が腐り落ちようと我が元へ首を届けろ。誰一人、奪わせることは許さん。我が所有物を穢れさせるな。」
「我が王に。絶対を。」
服従よりも強い鎖が彼等を縛る。それは絶対の王へ捧ぐ生死の選択だ。
四人を自分の隊へ戻らせ、過ぎた時間も十分。ようやく時が来た。
幕を上げ見下ろすは十万の帝国軍。撫でる追い風が皇帝の背中に強く吹きつけた。
「聞けぇええ!!我が同胞よ!!」
静かな平野に響く美しい声は十万の視線を奪い縫い付けた。
「愚かな弱者に誰を相手にしているのか、脳漿ぶちまけて刻み込んでやれぇ!」
ォオオオオオ!!!
「我の視界を屍の海に染めろ。生き延びる?…下らん。いいか、お前達はここで。」
「死ね。」
狂わせるほどの熱が轟音と共に弾け飛ぶ。
炎は猛り空を燃やし。開戦の火蓋が今、切って落とされた。
いつもありがとうございます。




