第六十話
第六十話です。第三章完結です。本当にありがとうございます。勿論次は番外編です。是非お持ちください。いやあ楽しかったです。ありがとうございます!!!
私は醜いと、穢れていると蔑む声が聞こえたらどんなに楽だっただろうか。
遠ざける仕草が、拒む顔が見えたらどんなに幸せだっただろうか。
自分の居場所の、あの掃き溜めのにおいを嗅ぐことが出来たらどんなに心地よかっただろう。
靴に跳ねた泥の、部屋の隅っこに溜まった埃の味が分かっていたらどんなに豊かだっただろう。
置き去りにされた雨粒を、肌を刺す視線の温度を感じられたら何か、
何かが変わっていただろうか。
「まったく、滑稽な人生だ。」
顔も声も体温さえも知らない。不完全な私に愛情を教えてくれたあの日々が、全て偽物だったという。私から全てを奪った彼が与えた張りぼてだったという。
初めて知った笑い声は、卑劣に歪んだ浅ましい嘘だった。朧げな視界で捉えた光景は胡乱な男が愉悦に喘ぐ姿で、鼻の奥にこびり付いた厭わしい臭いは自分の血。舌に触れた強い酸味が吐き出した胃液の味だと誰も教えてはくれないのか。寒く、熱い。散らばった破片の鋭さと痛み、髪の毛の質感。どれも奪われてしまって、そのどれも知りたかったはずなのに。
「ぐちゃぐちゃだあぁぁ…」
乾き霞んだ笑いと共に告げられたのは自分の終わり。産声を上げた時人は最後を口にするんだね。
ねえ神様、私は誰に選ばれて生まれたの?
ねえ、誰に望まれて死んでいくの?
私の信じた本当が、私が教えられた愛情が、私の心を埋めていた
日常が崩れていく。それはとても早くて、吹き曝しの無慈悲な風に流されていく。
笑うことを許されたから笑ったのに全てが虚実の妄想で、酷く腐った嘘つきは鏡に映った自分だった。
磨り減っていった心はもう元の形を忘れてしまって、必死に保とうと搔き集めたのは悪意だった。
壊れていくのは人を真似た偽物の自分で、壊していったのは優しさを騙る不埒な優しさだった。
助けてと嘆いたのに、伸ばせたはずの手は嚢の中で絶えていた。
隣で明るく笑うのはただ希望の皮を剥いで被った、我が物顔で底を這う絶望だった。
寄り添って肩を抱いた手が欲で動く醜悪だと気が付かない、愚か者の名は、
「アリアンナ。」
時遅く生み堕とされた、孤独の覇人
「アリアンナ、もう少しだ。」
扉を開けて私の名前を呼んだのは彼。夢を見ていた。どんな夢かはもう覚えていないけれど、頬を伝う雫が教えてくれる。ふかふかのベッド、窓から入る早朝の日差し、香ばしく鼻を擽る良い匂い。
「お腹空いた…」
欠伸を噛んで起き上がる。寝ぼけ眼を擦って背伸びをする私を案内してくれる彼は優しい目で頭を撫でつけた。寝ぐせがついていたらしい。
「やっと、起きたか。」
出迎えた皆が私に目を合わせておはようと言う。柔らかく笑いかけるから少しだけ恥ずかしくなった。龍馬の背中に隠れて挨拶を返す。広い部屋に集まった、この人たちは全員彼の仲間?味方なら私の敵じゃあ無いのかな。
「桜それ貰ってもいいか。姫様の腹で虫が鳴き始めそうだ。」
彼がそう言ったせいで答えてしまった私のお腹が返事をする。慌ててお腹を押さえるが止まらない。
「ほら。」
皆私を見てクスクスと笑っているけど、そこに嫌な感じはしなかった。彼に差し出された良い匂いのする食べ物にゴクリと喉が鳴った。
一口、二口…気が付けば手には残りかす。舐めとって顔を上げた先可愛い女の子がお皿ごと私にくれた。全部食べて良いらしい。この子は好きになれそうだ。
「アリアンナも起きたことだ、昨夜の話をしようじゃあないか。まずはリョウマ、お前には言葉だけでは感謝しきれない。勿論アディラもだ。」
そう言ってゼアリスが頭を下げた。誇り高く気高い彼女の素直な言葉に二人は頷きを返す。
「そして、龍貴とガラーシュ。君達のおかげで今こうして笑って会話が出来ている。」
まさか自分がと言わん顔で二人も頭を下げた。
【フェイス】と戦闘をしている最中、レティシアと桜を連れて競売会場を抜けたベルフィーナはこの部屋で待つ龍貴とガラーシュと合流しようとしていた。しかし道中には獣や人の形をした兵隊がうじゃうじゃと待っていて、いくら戦えると言っても所詮は三人。敵は何十という異形の群れで、逃げる彼女らも徐々に追い詰められていった。
そんな中、群れの後ろから現れた。どうやら部屋で待っていた二人は外が騒がしいと出ていたらしい。
廊下を埋める人の群れ、そして追いかける獣にただ事じゃあ無いと思い立って会場へ助けに行こうという途中だった龍貴とガラーシュ。運よくベルフィーナ達と合流を果たし、彼女らと力を合わせて敵を殲滅したのだった。
結果多少の軽傷は負えども皆無事にこうして笑っている。そして更に二人はその後の後始末も買って出て、船内を隈なく周り残党狩りも行った。騒動の一段落において大部分を担った彼等は英雄と言って差し支えない。船内の参加者に疑心は残れど、あの恐ろしい一夜は収束を辿った。
「皆本当にご苦労、私からの最大限の謝辞を期待していてくれ。さて…あと数時間で港だが、あれをどうするかに時間を割いた方が良さそうだ。」
大きく溜息を吐いた彼女は紅茶を一口、目線で指したのは扉を閉じた部屋。壁際で立ったビンが空けた先、連れて出たのは人間…?
「本当に、どうしたものか…」
こめかみを抑え付けた彼女が再び大きな溜息を吐いた。
船底、迷路のように入り組んだ廊下の先。アリアンナを連れた龍馬が見つけた三体の人型血戦兵。透明な檻に閉じ込められたそれを連れて帰りたいというアリアンナに、仕方なく折れた龍馬は三体を解放したのだが。
「右からユニ、アルマ、エネテロだよ。三人とも私の妹だから。」
もう名前も付けたらしい彼女は満足げに鼻を鳴らす。
ここまで連れて来るのは本当に大変だった。檻を破壊した龍馬を見上げた三人は虚ろな眼差しで急に龍馬へ近づくと、身構えた彼の腰に抱き着いて声にならない呻きを出した。
言葉が話せないのか、まるで生まれたばかりの赤子のような三人。それを見て引き剥がそうとしたアリアンナ、しかし今度は彼女へと一斉に抱き着いたのだ。
今も一人はアリアンナの背中に、そして二人は両脇を固めるように龍馬へと。
「う゛ぅぅぅー-」
可愛い声で呻いた彼女達はずっと龍馬とアリアンナの顔を見詰めたまま。
「つまり、お前を親と認識しているわけだな。そのー…ユニ、アルマ、エネテロは。」
檻で育った三人は初めて目にした龍馬を親と刷り込んでしまったようで、アリアンナはというと同じ血が流れているということで姉に近い存在だと認識しているらしい。
「そういうことだ。こいつらの処遇はあんたに任せるよ。アリアンナもそれで良いんだろ?」
少し拗ねているのか目線を合わせないが頷いたアリアンナ。夜中ずっと話して決めたことだ。いくらアリアンナがごねようとこの三人はただの人間じゃあ無い。
それなら話が早いとゼアリスの提案に賛成する。彼女の目的はあくまでアリアンナの救出で、この先の大陸でやることは無いらしい。すぐに早船に乗って帝国へと戻るようだ。アリアンナを買ったのはゼアリス、三人とともに彼女も帝国へ渡るという。しかし。
「やだ、私龍馬と一緒が良い。」
首を横に振って否定した彼女。絶対に離れないと龍馬の背中に隠れてしまう。
「……」
無言でじっと見つめるゼアリスの眼力にひるまず、彼女も負けじと見つめ返す。少しの沈黙、折れたのは意外にもゼアリスの方だった。
「はあ。仕方ない、これ以上縛るわけにはいかないな。」
生まれてずっと不自由に生きて来た彼女、それをこれ以上押さえつけるのは心が痛む。
「いいのか?」
本当に、と聞き返した龍馬。あれほどの大金を犠牲にアリアンナを欲したには大きな理由があるはず。そして彼女が諦めの良い人間でないことは絶対だ。
当然アリアンナを求めたのにはこれからの彼女の道を作るに必要であることは事実。しかし彼女は笑みを浮かべた。それは何かを企んだもの。
「三人と離れることにはなるが、それでもいいんだな?」
「…うん。」
ユニ、アルマ、エネテロとはここで離れることになる。初めてできた姉妹のような存在との別れは彼女にとって辛いことではある、しかし彼女は龍馬と一緒にいる事を選んだのだ。
「大丈夫だよ。アリアンナちゃんは龍馬が守るし、それにぼくだっているんだから。」
黙って見守っていたアディラが笑顔で言った。二人が護衛ならそれ以上に安全なものはないと、一番知っているのはゼアリスだ。アリアンナが傷つく心配はない。
悩みどころであった話も済んだ、後は船が港に入るのを待つだけ。龍貴とガラーシュは外の空気を吸うと出ていった。船内を散策したいというアリアンナ。手を引かれた龍馬は嫌がりながらも連れ出され、ぼくもとアディラがついていった。
客間に残されたレティシアとベルフィーナ、桜の三人は談笑を始める。長閑な時間が過ぎていた。カップを置いたゼアリスが突然桜に話しかける。
「ところでサクラ、お前はどうするんだ。」
「えっ?」
頬杖を突いた彼女の要領を得ない問いに聞き返す。ゼアリスは少し微笑んでいて、どこかいつもとは違う目をしている。
「あれを好いているんだろう?なら、感じたはずだ。昨夜とは違う、何があったのかは知らぬがな。」
好き、その言葉に動揺するがすぐに顔を顰める。桜も気づいていた、龍馬から漂う雰囲気がどこかいつもと異なること。戻って来た彼を迎えた桜はまるで別人に会ったような感覚を覚えた。
「私には…何も出来ません。してあげたいと思うのに、昨夜龍馬の眼を見た私は…反らしてしまったから。私には何の資格も無い…」
お帰りというはずだった昨夜、ただいまと言った彼の眼の奥が漆黒に染まっていることに気が付いた。それが怖くて、見れば飲み込まれてしまうと思った桜は目線を落としてしまった。
「そうか。」
さして興味がないというように話を切ったゼアリスが立ち上がる。ビンを連れて扉を開いた彼女は振り返って軽い笑い声を残していった。
「…サクラ様、心配はありませんよ。」
それが慰めにもならないのはベルフィーナも分かっていた。彼女もまた龍馬が変わったことを敏感に感じ取っていたから。あれはとても深い、時間が解決してくれるようなものでは無いと。アリアンナを見る目は優しいがそれだけ。浮かべた笑顔もどこか、何かが欠如している。ベルフィーナの言葉に、何も言えない桜は肩を落として俯いた。
「昨夜から様子が変だぞ。お前らしくない。」
薄暗い部屋の中、資料を漁る部下達を前にそう言った痩せぎすな男。向けられた視線は壁に背を付けた女、心ここにあらずといった様子で呆けている。いつもの彼女とはまるで違う態度に激しい違和感。
「ま、ぼくはお叱りが無いから嬉しいけどねぇ。」
少年のような幼い顔に似合わない体格、もう一人の男は軽い調子で口笛を吹いた。
「お前は少し反省しろ。任務で無いとはいえ、失敗は許されない。次は無いぞ。」
「ハイハイ。」
本当に反省しているのか疑わしい彼はひらひらと手を振って調査の続きをしている。膨大な資料の山、何としてでもあの技術を手に入れたい彼等は昨夜から寝ずに中を荒らしていた。
「別に大したことじゃあ無いわ。」
そう、別に騒ぐことじゃあ無い。ただ昨夜つけられた裂傷が、まだ熱を持って消えないだけ。もう何度目か吐いた息が煩わしく甘い匂いを漂わせた。
「…見つかったか?」
「あった、あったよギリギリ間に合った。」
指しだされた資料には、【血戦兵】と題された極秘資料。目を通しそれが本物であることを確認した男は、部下に撤退命令を下す。彼等が居た証拠の全てを消し、部屋を後にした。
「これがあれば更なる戦力増強が図れる…」
「ねえ、見つけたんだからバツは無しにしてよ。」
「ちっ…」
調子が狂うのは顔のせいだ。性格も変わってしまうからかいつも慣れるのに時間がかかる。前が落ち着いた青年のものだったからか、この幼い感じがどうも頭に馴染まない。
【百面化粧】
今の彼を形作った、いや彼を狂わせた元凶の名前。
発言したのは十の頃。人を手にかけたのはその翌日、能力を理解するのに一日も要らなかった。加虐心を元々持っていた彼にとって、顔を剥ぐなどは何ともないこと。能力との相性は最高で奪った皮膚を顔に貼り付ければ、人物の特徴から能力までもを模倣出来るという優れたそれは彼に更なる喜びを与えた。
「遊んでないで行くぞ、【フェイス】。港はもうすぐだ。」
「ハーイ。まったく【チェイサー】はせっかちだなあ。…何してるの、【ディープ】。」
ずっと虚空に目を囚われた彼女に声をかけた。もうここに用は無い。
「今行くよ。」
そう言った彼女が黒羽に濡れた髪を撫でた。妖艶な残り香が部屋に残る。
「龍貴、ガラーシュ。」
波の音が心地よい。早朝の海の上、少し肌寒い風が撫でる。時間が早いのもあるが昨夜の件で外に人の影は無い。僅か二人、見知った顔を除いて静かだ。
「龍馬。」
「どうも。」
頭を下げたガラーシュは掠れ声で挨拶をする。必要ないと頭を上げさせた龍馬は手すりに背を預けた。それを真似したアリアンナも頬を膨らませ胸を張った。
「見て…」
手すりに座り海の方に足を投げ出したアディラがうっとりと声を上げる。朝日を受けた海は綺麗に輝いて五人の目を奪った。感嘆の声を漏らしたアリアンナ、初めて見た海に心を掴まれて白い息を吐く。
「これからどうするんだ、ガラーシュは。」
「俺は、龍貴さんについていきます。」
そう答えたガラーシュ。当然、龍貴は龍馬へとついていく、それも分かってのことだろう。
「良いのか、楽な道じゃあ無いぞ?」
今度は龍貴が彼に聞いた。無理してついてくることは無いと、しかしそれは愚問だ。黙って頷いたガラーシュは海から目を離し、龍馬に頭を下げた。
「龍馬さん、足手纏いには決してならない。この醜い声が耳汚しになっていしまうでしょうが、どうかあなたと共に行くことお許しください。」
それでもだめなら喉を裂く覚悟もあると、彼は本気の目で訴えた。
「断るつもりはねえよ、それに声なんて気にならん。」
「…ありがとうございます。」
龍貴がガラーシュの肩を叩いて笑顔を浮かべた。断られるはずがないと言っていたのだろう。
「ねえ、その声って何でそうなったの?」
龍貴から聞いていたのはある任務での失敗から。気になったアディラがガラーシュに問う。言いづらい話では無いらしく彼が語ったのは初めての任務でのこと。陸での人狩り、対象は特殊な能力を持った人間だったらしい。そこで顔から喉にかけて酷い火傷を負ってしまったという。
「じゃあ大丈夫だ、はいこれ。最後の一個だけどそれぐらいだったら治るよ。」
そう言って差し出したのは【女神の涙】。一つしかないと言われて彼も受け取るのを渋ったが、仲間になるならというアディラの説得に折れて液体を被る。
「これで…っ!声が、声が…顔の皮膚も治ってる。」
低くとても耳に心地の良い声だ。とても綺麗な眼をした青年がそこにいた。こぼれ出た涙、それを隠そうとまた布を被ってしまう。せっかくだからと龍貴は言うが、どうやらただの恥ずかしがりでもあったらしい。
「本当にありがとうございます…」
「はいはい、ほらもう着くよ。ああ、楽しみだね龍馬!」
大陸が近くなって来た。港で出迎える人の粒が見える。後ろでゼアリスの声がする。呼び戻しに来た彼女に続いて船内へと戻った龍馬たちは荷物を取り、新天地へと一歩を踏み出した。
最後まで読んで頂きありがとうございます。ま堕まだ続きますのでこれからも応援のほどよろしくお願い致します。




