第五十四話 我が物顔で底を這う絶望だった
第五十四話です。どうぞ最後まで読んでくださると嬉しいです。前書きは短く、本編をお楽しみください。
「たいっっへん長らくお待たせいたしましたあ!!」
競売人の叫びで始まった最後の競売。予定されていた時刻を遥かに過ぎて待たされた参加者が、待ちわびた始まりの声に熱狂を上げる。
海の上、走る大型船を揺れ動かすほどの轟音。耳を塞ぎたくなるほどの熱が脳を揺らして吐き気を促した。
「今宵、今宵!!歴史が、うごくぅー-!!」
高らかに手を挙げた競売人に呼応して最高潮に達した会場で、仮面の欲人が踊る。
「凄まじいな。」
「うぅぅ…嫌な気分です。」
この熱狂が命の取引を待ちわびるものだというのが、恐ろしく拒絶反応が出た桜。聞きたくないと塞いだ耳もこの震えの中では意味を成さない。
数分続いた叫びの連鎖が徐々に収束していくが熱は冷めやらない。静かになった会場で、鼓動するように震える感情が目に見えるようだ。
「さあ始まります、まずは……」
楽し気に開会を宣言した競売人に横手から出て来た男が耳打ちをした。何を話しているのか流石に聞こえはしないが、私大に陰りが濃くなっていく競売人の顔。
「しかしなあ…なに?…本当か。うぅ……分かったよ、ええ!皆様申し訳ございません、ただいま些細ではありますが問題が生じてしまい……もう少々お待ちください!!」
そして慌てるように裏手にはけると再び戻るのは静寂に、またもや待たされることになった参加者の怒り。
「どーなってんだあ!!」
「さっさと始めろぉ!」
僅かな不満が次第に大きくなって、激しい怒号がステージに向けられ始めた。先ほどとは別の盛り上がり。加えて【覇人】が出るなどという情報を目の前に、引くに引けない煩わしさが怒りと合わさっている。だからだろうか、誰も席を立とうとせずただ悔しそうに歯噛みするだけ。
「妙だな。」
そう言ったのはゼアリスだった。彼女が感じていた何か、違和感のある空気。その正体にいち早く気が付いたのは会場でも数えられるほど。
ひりひりと焼けるような感覚を覚えたのは龍馬、アディラ、ビンの三人。険しい表情で顔を合わせる。
珍しく一番早く動いたのは一切の無言を貫いている護衛騎士だった。ゼアリスの背後、少し離れた処から彼女の傍に寄ると、ステージをじっと見つめて仁王立ちする。
「どう……した。」
はじめビンの顔に向けた目をその気配の主に戻した。自然に集まる全ての視線に怒号も鳴り顰める。一斉に静まり返った会場でただ一人動くステージ上、布の被さった大きな箱を押す男。
黒一色の紳士服に身を包んだとても背の高い。異様なのはその顔、禍々しい模様が刻まれている。これまた黒い手袋を正し、参加者に正対して大きく息を吸った。
「お待たせを、しました。」
深く、底を脅かすような声。丁寧な口調で言葉を繋いだ男は首元を締めて気持ち良さそうに笑う。
「少々問題がありましてね。ご心配を、なに…焦る必要はありません。競売は今日が最後、盛り上がろうではありませんか。」
深みを込めた噛むような笑い声。言葉が、仕草が不気味だった。数人の人間が感じていた気持ちを損なう何かは、この男によるものだった。
どこからだろうか、ごくりと空気を飲む音が鮮明に聞こえる。それもそうだ、物音ひとつ誰も立てようとしないのだから。黙らせるのは、彼の存在感。ビンと同じくらいはあるだろうか上背に細身の体格。大きく重いのは彼が纏う嫌な空気。
バッと箱に掛けられた布が取り払われた。同じく透明なケースに入れられてこちらを見るのはひとりの少女。椅子に座らされ光の無い目で会場を見渡して、いや見えていないのだろう誰の顔にも止まらない目線。手を伸ばして障壁に触れると力ない表情で膝に落とした。
「さて、最後の宴と参りましょう。」
異様、不気味、恐ろしいとも感じるほどに静かな競売が始まった。ただ値を吊り上げる声が響き止まることはない、しかしそこに今までのような熱は無かった。同じなのは狂ったように上がる命の値段。くらべものにならない程続く競争に微笑んでいるのは一人、透明なケースの横に坐する男。
「あれがアリアンナか。」
龍馬がポツリと漏らした。彼女の顔には何の感情も無いというよりも知らないのだろう、希望どころか絶望というものさえも。
それだというのに、見た者を釘付けにしてしまう。一枚の絵のような姿。虚空を見詰める彼女はこの世のものとは思えないほどに美しい。
「綺麗……」
悲しそうに桜が言った。
五感が無く、それでも幸せだった日常さえも奪われた彼女。さらに加えて自由も無いと。切なさの塊を想像した彼女は喉に押し込もうとしても、大きすぎて吐き出してしまう。
綺麗だね、もう一度そう言いながら流す涙が頬を濡らす。彼女の価値は天に昇るほどに上がっていくというのに、彼女の尊厳は地の底更に深くまで堕ちていく。
見えなくて良かった、聞こえなくて触れられなくて本当に良かった。彼女が最初に知る光がこんなにも醜いものだったのなら、全てが壊れてもう元には戻らない。
「焦らずとも、長く楽しみましょう。」
あの笑みが、あの声が不快に心臓を揺らして喉を締める。潰してしまうほどに強く握った手が音を鳴らした。アディラに言われた言葉を思い出す。
「臭う。臭うなあ……」
龍馬はずっと感じていた。奴がこの場に姿を現す前から、ずっと鼻の奥に絡みつく臭い。好きか嫌いか、まあ嫌じゃあ無いのは確かだった。何故ならもう知っているから。まあ好きでもないが、これは殺しを知る人間の香り、当然自分からも漂うはず。切って離せないことは承知。
しかし、あまりにも濃く噎せ返ってしまうほどに香ばしい。隠すことの出来ない熟され過ぎたもの。そこに混じっている気色の悪い快楽と、底に沈殿していて浮いてこない卑劣。
死体が飾る地面の淀みを舐めとったような、醜悪な死の臭いがする。
この感情が偽物で模倣の産物だと言うならばそれでも良い。無くなってくれるな、決して。あの外道は必ず殺してやる。この手で絶対に。
やっと手を挙げたゼアリスの宣言に一瞬場が凍り付いた。一気に引き上げた値段に参加者の顔が曇る。勝負を掛けに来た彼女に感化され激しさを増していく競争。
「勝てそうか?」
「はは…少し、厳しいかもな。」
渋い顔で答えた彼女が苦言を漏らした。止まる気配を見せないどころか、更に火が付いたのか終わりを感じさせない勢いで時間が過ぎる。
「いいよ別に、競り落とせなくても。」
そっちの方が都合良いしね、と笑顔で言うのはアディラ。それはとても簡単だが最後の手段で、最悪の結末が待っているは誰もが分かっている。
しかしその言葉が現実を帯びて来る。段々と競争への参加者が減っていき、ついに十人にも満たなくなっていた。全員が全てをかけ値段を吊り上げる。
「苦しいか…」
そろそろ限界が見えてきたのはゼアリスだけでは無い、全員ギリギリの所で戦っている様子。一人、また一人と肩を落として離脱していった。
ゼアリスを含めてもあと三人、なんとしてでも手に入れたいと思うのは彼女の価値を知っているからだ。たとえ金を全て失おうとこの未来彼女が生み出すものとは比べ物にならない。
声も上げずに小さく握りこぶしを上げたのは、ゼアリスだった。見開いた目で現実を直視する。
「なーんだ、つまんなぁい。」
不満気な声を上げたアディラが座りこむ。
「こらこら。おめでとうゼアリスさん。」
優しい笑み浮かべた桜がアディラの背中をさすってゼアリスに笑いかけた。レティシアの拍手に始まり、会場が湧く。
「ああ、やったぞ。ビン……」
歓喜に震えた彼女が背後の騎士に微笑んだ。
「なんだ、もう終わりですか…」
拍手喝采の中その呟きが聞こえたのはアリアンナ以外にいないだろう、何も聞こえない彼女以外には届かない言葉。
このまま巨額と引き換えに隣の少女を連れて行くのだろう。【覇人】なんてどうでも良い。ただ過去最高の盛り上がりを見せた競売も終わりだと思うと寂しくなる。
退屈を、暇を嫌った彼がこの商売を始めたのもそれを埋めるためだった。ただ、楽しみを追い求めてたどり着いたのは奴隷競売。
幼気な命を蔑ろにして残った尊厳も人であることを繋ぎとめる権利さえも踏みにじることが、手に入れた最高の幸福だった。
成功するのは簡単だった。順調に進んでいた彼の下に追い風のように舞い込んだ【君】の存在。知ることが出来て失敗することは無くなった、しかし確かに失われていった何か。また戻って来たのはあの日と同じ、退屈だった。
金も命もどうでも良い。今目の前で大金が手に入ろうとしているというのに、虚しさが増えていく。ああ、もうどうでも良いのではないだろうか。
「君が…羨ましいよアリアンナ、君は不自由だ。自由というのは、こんなにも退屈に縛られている。」
立ち上がった彼に参加者の叫びも動きも静寂に変わる。目を瞑った彼が両手を合わせ、天を見上げた。
【君】がいたのは幸せだったよ。未来が見えるというのは素晴らしい、でも。
「本当に未来を仰ぐには、破壊が必要なんだ。」
それはとても綺麗に聞こえた。景色も、遮るものは何も無い。
歩み寄った男は両手で二人の首を掴み上げる。弾ける、頭。小さな破裂音に、血の飛沫が絨毯と参加者を汚す。虚空に呟いた男がこぼした声は溜息が混じり、悲しげだった。
「ああ…とても、とても退屈だ。」
刻印が笑みで歪んだ。
いつも応援ありがとうございます。本編の雰囲気壊さないよう第三章が終わるまで短めに行きますが、感謝は忘れず皆様の事を想っています。見て下さるだけでも最高に嬉しいです。評価も下さった方も本当に最高です。いつもありがとうございます。




