第五十三話 希望の皮を剥いで被った
第五十三話です。第三章もあと少し、クライマックスに向けて歩み始めました。最後まで見て頂けると嬉しいです。いやあ本当に皆様ありがとうございます、またまたブックマークと評価が増えていたこと本当に幸せです。これからもなにとぞ…
赤い飛沫が一面に広がる透明な障壁。呆れた様子で溜息を吐いた【君】は、目の前で繰り広げられる光景をただ見つめていた。感情というものを持ち合わせていれば、可哀そうだと惨いことだと目を反らしていたのかも知れない。しかし壁一枚を隔てた先、止める事など出来やしない。
「気は済んだかい?」
息切れを起こして天井を見詰めた男に声をかける。放心して止まる彼の指から滴り落ちた血の雫は、静かな部屋で音楽を奏でていた。
「退屈が、帰ってきてしまったよ。」
かき上げた前髪が赤く染まるのが気にならないのか、いつもの潔癖な彼とは違う。つまらないとは言いつつも気分が昂っているのだろう、暗闇に隠れているが辺りは元の地面が見えない程に一色の世界。我に返った時に発狂しなければ良いが。
せっかくの商品を台無しにした男の台詞だろうか。二十近くもあった全てを破壊してまだ足りないという彼は極めて傲慢だ。
息を深く吐いた男が近づいてくる。妖しい笑みを浮かべ透明な障壁の前に設けられた椅子に腰を落とした。背もたれに仰け反り手足を投げ出した彼は、懐から取り出した純白の手巾で濡れた指を拭う。
話すことも面倒くさいのか、空に書いた文字で訴える。知りたがりの彼は毎日決まって未来を望む。いや、心配性の臆病者かだろうか。
いつも通りに見えた先の景色を話すと、ようやく満足したのか立ち上がる。相変わらず趣味の悪い刻印を施した顔で微笑んだ男は指を鳴らす。
室内に押し寄せた清掃人。入れ違いに彼が出ていった。
顔の無い、残された【君】が笑う。口もないのに笑みを浮かべるとはどういうことか、なんて無粋なことは言うまいな。奇妙な笑い声が綺麗に片付いた部屋に響いた。
「ああ、楽しみだ。」
気分は囚われの姫の様。攫ってくれる騎士を今か今かと待ちわびる。
信頼というのは高く積み上げるほど崩しやすい。軽く小突いてやればそれはもう簡単に、そして倒壊の歩みを止めるすべは無い。
一度味わったそれはまるで麻薬のようで、人は皆知らぬ内に愚者の迷宮から抜け出せない。
しかしそれは快楽にも似て病みつきになってしまう甘美な外法で、憐れにも嘘と呼んで吐き出した。
まただ。
「ちっ、くっそ…」
昨夜と同じ最悪な目覚め。起きた時にはほとんど覚えていないやるせなさが嫌に神経を逆撫でした。ぼんやりとした光景に姿は無く、名前を呼ばれて近づいてみればだれもいない、それだけだった。
背中を伝う汗を流すため半着を脱ぐ。引き締まった身体、細身ながらも鋼のように鍛え上げられた腹筋は常人のそれでは無い。
深く息を吐き、集中させた精神の中既に雑念は無い。研ぎ澄まされた感覚は船の揺れと、遠く聞こえる波の音も拾ってしまうほど。
額から頬を伝い、顎の先落ちる一滴の汗。
キンッッ
抜き放った刃が銀色の線を描いて雫を真っ二つに斬り飛ばした。形そのままに分かたれた汗は斬られたことも気づかずに地面の染みと化していく。
「す、凄まじいな…」
扉を開けて中を覗いたベルフィーナが目で追えない抜刀にたじろいだ。部屋中に蔓延する覇気と、たった一刀に込められた熱が湯気の幻覚を魅せる。
半身になった龍馬が納刀し、神速を可能とする強靭な背中を見せた。横顔に宿る殺気が彼女の何かを刺激する。
「まだ時間には早いだろ…?」
「そう、なんだが。えーっと…あのことをな。」
あのこと、それは例の口づけの件。激しく濃厚な…そう思い返したところで限界がきたベルフィーナは頭を振るう。既に赤い頬が更に真赤に、そして目を合わせるどころか上裸の龍馬を視界に収めることも出来なくなっていた。
「ああ…」
「じ、事故なんだ!!」
気まずそうに頭を掻いた龍馬の肩を抑えつい叫ぶ。自分でも何を言っているのか分かってはいないが、慌てふためいたベルフィーナが必死に弁明する。
必然的に近づいてしまう二人の距離。黒く、引き込まれてしまうような輝き。片の視界を埋め尽くす龍馬の顔はまるで止まった時間の中にいるみたいだ。
コンコンッ
「リョウマー?ベルフィーナさん?」
突然のノックに桜の声。飛び退いたベルフィーナが服を正し答える。
「ど、どうした?」
「いや、大きな声が聞こえたから…なんで裸なのかな??」
深く淀んだ光の消えた目で中を覗いた桜が恐ろしい笑みを二人に向けた。
取り繕うと焦るのも良い訳がましくなってしまい、ますます闇の笑顔を深めた桜。ベルフィーナの丁寧な説明で納得したのか、少し不満気な顔をするも不気味な表情を引っ込めた。
「さっさと服着て。ベルフィーナさんも出る。」
「は、はい…」
連れて行かれたベルフィーナが部屋を出る直前、申し訳なさそうな表情を残した。一人、上裸の龍馬も汗を拭い服を着る。壁にもたれかけていた彼女を腰に、開けた扉の横には龍貴が待っていた。
「龍貴、傷はどうだ。」
「彼女のおかげで、もうなんとも。」
元気そうに腕を上げた彼が目で促した先にはアディラが。【女神の涙】を貰ったのだろう、しかしいくつ持っているのだろうか。
客間に集まった皆は各々が話に花を咲かせていた。
「なんか話が壮大過ぎて付いて行けないよ…」
「そう、ですね。」
レティシア、桜、ベルフィーナにアディラの四人。どうやらアディラの話を聞いているようで、彼女の暗殺者としての壮絶な体験に少したじろいでいる。
「今までも全て成功させて?」
「もちろんっ。ぼくもお父さんもね。あ、でもおじいちゃんは最後失敗しちゃったのかな。」
依頼を全て達成してきたと簡単に言うが、それが意味するのは全てを殺してきたということ。最高の暗殺者と呼ばれ、依頼料が破格であるのには理由がある。
「もうとっくに滅んじゃった小さな国の王様の暗殺任務だったらしいんだけど、結局逃がしたって。なんて国だったかなぁ。名前、ブリガン?そこのオービンとかいう…」
「それ、ブリガロンでは…」
パァンッ
手を叩いたゼアリスに注目が集まる。足を組んだ彼女が目を開き、皆を見渡した。
「さて、揃ったようだ。今夜のことを話しておこう。」
好戦的な笑み。最後の夜、そして彼女にとっては決して負けられない戦いの時だ。弛緩していた空気が急速に引き締まる。
「競売の進みは今夜もさして変わらないだろう、目的は最後大目玉が出て来た時だ。商品が商品だ、これはいつも通りとはいかないだろう…」
三日目最後の商品としても余りあるほどの【覇人】という強大過ぎる名前。混乱は当然、最悪無理矢理手に入れようと画策している人間もいるだろう。
当然ゼアリスも持てる莫大な財産持っている。確実とは言えないが競り落とせる確率はかなり高い。
「そこで龍馬、そしてセントグレン。二人には協力して欲しい。」
「!?」
皆一様に驚いたのはプライドの高いゼアリスが深々と頭を下げたからだった。仮に落札できたとして奪われることは最早当然と考えて良いだろう、そのための護衛として選ばれた龍馬とアディラ。しかしそれだけでは無い、その協力という言葉に別の意味が籠っていることに二人は気づいていた。
「殺し以外の依頼は受けてないんだけどなあ…」
どうする、と龍馬に笑顔を向けたアディラ。受けていないとは言いつつも彼に任せるといった様子。
「…あんたの手に渡るのが一番の幸せなのか?」
龍馬はずっと考えていた。【覇人】を手中に収めた彼女が何をしようとしているのか、ただ保護だけが目的とは到底思えない。
重度の障害を患っているらしいアリアンナを何故。そう思ったときに完全にゼアリスという人間を信じられないでいる。
「ただ、幸せに生きて欲しいだけさ。」
柔らかな笑みだった。珍しく優しい、慈悲を込めた表情に一瞬揺れ動く。
「覇人なんて爆弾を幸せに…出来ると思っているのか?」
当然手に入れたということは全世界へと瞬く間に広がるだろう。世界を制する力を持った種族を一国が独占、そうなれば奪い合いは必須。とてもじゃあないが平らな未来は見えない。
「当然、私を誰だと?」
一転、剥き出した歯が挑戦的に光る。自身を裏付けるような濃密な覇気が、彼女がただの置物の王では無いと雄弁に語っていた。愚問だった。彼女にとって奪われることなどは、最初から考えの隙間にも無いのだ。それに奪えるものなら奪ってみろと、そう叫ぶ瞳の奥が龍馬を射る。
「はぁ…分かった。やれるだけ、な。」
「くはは、頼んだぞ。」
溜息を吐いて協力要請を呑んだ龍馬が、叩かれた肩を落とす。共同の任務が嬉しいのか対極の表情を見せたアディラが手を取った。
「頑張ろうね。」
「……はーいそろそろ離れて下さい。」
見つめ合った二人の間に入る桜が、強引に手を振りほどく。不満を漏らすアディラを背に、今度は彼女が龍馬に声をかけた。
「怪我、しないでね。」
「分かってるよ。龍貴、こいつ頼んだぞ。」
壁にもたれかかった龍貴に桜の面倒を任せる。強く頷いた彼に加えて、隣に立ったガラーシュも任せてくれと意気込んだ。
「さて、行くとしようか。引き締めろよ。」
立ち上がったゼアリスに続き、一同会場への道を行く。
血戦の夜。淡い灯りの下一人、全てを奪われた少女の運命が動き出した。
最後まで見て頂きありがとうございます!たのしんでいただけたら嬉しいです。
既に番外編が書き終わりましたので、見直しましたら第三章と第四章の間に挟もうかなと思っております。勿論見なくてもこれから先の展開に影響はございませんが、見て頂けると幸いです。
いつも本当にありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします。




