第三十六話 流されていく
第三十六話です。まさか二日空いてしまうとは、本当に申し訳ございません。これからまた執筆に入りますので前書き、後書きは短めに。
皆様、いつも見て頂き本当にありがとうございます。
出航してから一時間ほどが経っただろうか。オークション開催時刻は今夜七時、それまでの間船内で唯一仮面の着脱が許された客間で六人は各々時間を潰していた。
部屋に戻った龍馬は一人。灰屍を目の前に寝かせて、瞑想しながらこれまでの闘いを振り返る。特に深く印象に残るのは【ロドム】と【瑠璃の君】。
手に残る、命を奪う感覚が時の経った今でも生々しい。しかし不思議と後悔や罪の意識は感じていなかった、それがとても恐ろしくて時々震えが止まらない。
一度深く息を吐いて彼女を抜くと、静かに姿を見せた凶暴な殺気が身を包む。部屋中に一瞬で充満した重苦しい威圧に、龍馬でさえ冷や汗を浮かばせた。
「っはは、今日はやけに気が立っているな…」
改めて感じる彼女の風格は、百の死を越えてなお絶望する地獄を見せた。乾いた笑いと冷や汗を止めることが出来ない、虚勢を張って落ち着かせ、身体が反射的に退くのを必死に止める。
こうして彼女と一対一で向き合うのは初めてではないはずなのに、謙遜すら嫌味になってしまうほど卓越した剣の腕を持つ龍馬でさえ一振りの刀を前に恐怖を抱くことしか出来ないでいる。
いつもとはまるで違う、増幅されて消えない殺気は主であるはずの自分までも苦しめる。虚勢を張って笑うことすら出来ないほどの凶悪、今までこんな狂気的なものを扱ってきたなど考えられない。
クンッと彼女の身体を起こし、光りの反射した刃を見る。吸い込まれそうな輝きに思わず見惚れて数分が過ぎたその時、何処からか聞き慣れない声。
かかかっ、まだ青いのお。
一瞬の隙なく警戒態勢をとる龍馬。軋むベッドが音を出す。止めていた息を吐き、辺りを見渡すが誰もいない。
「誰だ…っ。」
静かな部屋でいるはずの無い誰かを探す。あり得ないあり得ないと、頭に浮かんだ考えを振り払う。構えた彼女に目を向けるがやはりあの声は聞こえない。
気のせいだと心を静め、その場に腰を落ち着けた龍馬は震える手で鞘をとる。この世界に来てとうとう幻聴が聞こえるまでになってしまったか、鈍く痛む頭を振り払う。
「お前か?」
眼の前に寝かせた彼女に問うが返事は無い。当たり前だ、刀が声を発するなど妄想も甚だしい。
疲れているんだろう、そう思い込むことで納得させて目を閉じる。船はもう陸を離れた、今は心配することが山ほどある。
もしかしたら自分は彼女のことを何も知らないのではないだろうか。嫌な考えが過るも既に夢の入り口、龍馬は深い眠りについた。
ゼアリスの部屋に集められた桜・レティシア・ベルフィーナの四人は女だけの話し合いをしていた。扉の外には、無いとは思うが龍馬の侵入から護るためビンが佇んでいる。異世界であろうと変わらない女子だけの話し合い、今この場では聖女も王女も皇帝も護衛騎士も関係ない。
「さて、諸君今更だが聞いておこうか。あれはいったい何者なんだ?」
話を斬り込んだのはガヴェイン帝国の主ゼアリスだ。四人の中で唯一その人物の事を何も知らない彼女は、隣の部屋を顎で指す。
本当に今更だなと思いつつ三人は顔を見合わせた。あれが何者なのか、それを本当の意味で知る者がいるのだろうかというほどに掴みどころがない男。この中で一番勝手知るのは桜だけだろうからか、レティシアとベルフィーナは彼女に目を向ける。
「えっと…何を話せば。」
というよりも話しても良いものなのか。自分と龍馬の二人は異世界から呼ばれたなどという突拍子もないこと、信じるか否か以前にミルバーナの秘術であることを。
桜はレティシアを伺った。彼女は少しの間険しい顔で施行すると、致し方なしという表情でゆっくりと頷いた。
話すこと数十分。二人が召喚されてから今までを二人に捕捉されながら、拙いながらも桜は語った。ゼアリスは一切の言葉を挟まずにそれを聞いた。内容はとても信じられないもの、しかしとても興味惹かれるまるで伽話。自然と口角が上がるのは生粋の強者を求める血のせいか、話が進むにつれてリョウマという男に対する興味が濃くなっていく。
「ははっ。そうか、そうか…」
面白い。顔を伏せ、信じられないと驚愕するのを騙りながら、歪み切った笑顔を掌で隠す。かの強者、元【銀騎士】にあの混沌を単騎で屠る膂力は是非とも手に入れたい。ゼアリスは今回の混沌を殺されたことから彼に良い思いを抱いていなかったが、何のことはない彼自身を手中に収めることが出来れば…企みは巧妙に隠されて三人は気が付けない。
「あの…」
「なんだ…ああ悪い、少し考え事をな。」
レティシアの声に顔を上げたゼアリス、笑顔を消すのに時間がかかったからか三人とも心配そうにこちらを覗いている。心を悟られないようにと、感情を押し殺して答える。
「それでサクラ、【聖姫巫女見聞録】とやらは理解できたのか?」
「えっとそれが…」
苦い顔をしながら桜が頭を掻いた。見聞録に書かれた内容は主に聖女アリアの旅の道程で得た知識や経験、加えて能力の研究がとても細かく記されてしたらしい。らしい、というのは恥ずかしながら桜自身この世界の文字をまだ読めないでいることから。出発までの二週間レティシアの協力を得て能力の向上を図ったがしかし。
「今はかすり傷を治せるくらいで、その。」
無力な自分を恥じた桜が目を伏せた。
教会で見せた瑠璃色の君を屠るあの光の正体は未だ詳しく分かっていない。毎日必死に願い祈ろうと治癒魔法と変わらない自分の能力は、日に日に心を苦しめる。聖女として自分は何も出来ていない、その事実が大きな杭となっていた。
「サクラ様、混沌は頻繁に出現するわけではありません。私も力を尽くしますので、どうか気を落とさずに。ベル、貴方もお願いします。」
「はい!」
慰めようと肩に手を置いたレティシア。ベルフィーナもそれに続く。
「ありがとうございます。」
微笑ましい光景。だがそんな中一人、ゼアリスは光を消した瞳で三人を見詰めていた。
(彼女はまだ使い物にならないか、良いことを聞いた。)
内心で深く笑った彼女はこれからの計画を練り進める。ここ数ヵ月支障なく進めていたあの計画を、こんな小娘に壊されては敵わない。
「どうだ気分転換に、船の中でも探索してみるか?」
落ち込んだ気分を変えてやろうという提案。三人は頷いた。競売のことも考えて船内構造を把握するには丁度いい。四人は部屋の前にずっと立っていたビンに声をかけ、客間を後にした。
「そう言えば陛下、今夜の競売には参加するのですか?」
競売は三日間。開催時刻は夜七時から朝の五時まで行われる。大体の商品の情報は告知されているため、狙いを絞って皆参加するのだ。ゼアリスの狙いは勿論最終日最後の大目玉、【覇人アリアンナ】。
「勿論全て出るさ。流れを見ておきたいからな。参加してみるか?気に入るのがいるかもしれないぞ。」
まあ金はかかるがな、とゼアリス。それに驚いたのはレティシアだった。
「陛下は奴隷に反対かと…」
そう言ったのには理由があった。何故なら彼女が皇帝の地位に就いた時大量に廃止した制度、その中に奴隷制もあったのだ。大国には珍しい完全奴隷制度撤廃は、当初猛烈な批判があった。
「奴隷制に反対があったわけじゃあないさ。ただ我が国の奴隷は不当な扱いを受けていてな、面倒だから雇い主は全員殺してやった。」
高笑いした彼女の顔は恐ろしかった。不当な扱い、なんて表現は生易しい。記憶にまだ新しいあの凄惨な光景を思い出すだけで反吐が出る。
「奴隷という身分が救いになる場合もあるからな。しかしここの競売は違う、どいつもこいつも糞と汚泥の間に生まれた腐った下衆ばかり。」
ゴキ、ゴキと指を鳴らす彼女の顔は凶暴な野生を必死に抑える獣のようで思わず尻込みしてしまう。
「なんて、言ってはいるが全ては救えない…行こうか、日が暮れないうちに楽しもうじゃあないか。」
ゼアリスに置いて行かれないようにと三人は足早に続く。密偵という形で帝国に来たレティシア達に奴隷を買うほどの手持ちは無かった。桜は報酬を貰っているとはいえ、一人救えればいいところだろうか。無力な自分達に失望しながら、ただ黙って船内を歩いた。
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