第三十三話 崩れていく
第三十三話です。まさかまた一日空いてしまうとは…本当にすみません。今からまた執筆しますのでお許しください。
いつも見て下さる方々本当にありがとうございます。
理性を忘れた獣の咆哮が塔の中にこだまする。毎夜毎夜けたたましく響く嘆きに似た唸り声は何かを取り戻そうとする懇願の叫びだった。
軋む歯に染みて滴り落ちた渇望の涎、鉄面の隙間から溢れた傀儡の零す涙、身体中を縛り締める罪過の鎖。
自分が自分で無くなっていく。夜になると眠れないほどの恐怖と痛みが襲ってくる。それでもただ咽び泣いて朝を待つことだけしか出来ない憐れな子犬。主が為に牙を研ぎ、来たる時代に備え血を沸かす。
罪の代償に消された過去。閉ざすことを強いられた両の目に、楽しみを感じられない味覚。
オービンロード
奪われた、古き王の名だ。残っているのは予知に似た感覚と鋭敏な聴覚、それと絶対の忠誠心だけ。
ビン
それは首輪を嵌めた子犬の名。錆びた鎖を引き摺った、暗く狭い牢獄に鳴り止まない呪縛の音が聞こえる。
長いようであっという間だった二週間。桜に連れられて街に出た数日も大きな事件無く平和に過ぎ去っていった。
焼け落ちた教会は跡形もなく更地になっていて、騎士が一人義務的に配置されているだけに落ち着いた様子。二週間毎日祈りを捧げているという桜は、今日も灼けた地面に膝を着く。帝都で過ごす最後の日、慣れた仕草でいつまでも慣れない死を悼む。
「桜、そろそろ…」
「うん!じゃあね。」
奪われたものはもう戻らない。けれど少しだけ、ほんのちょっとでもいいから安らかに。彼女の祈りは必ず届いているだろう、だってこんなにも悲しい顔で笑うのだから。
顔を見られたくないからか、前を進み振り向くことの無い彼女が手を引いた。震えてるわけでは無くて冷たくも無い、温かくて少し汗ばんでいた。
遠くに待っている彼女は頬を膨らませて腰に手を当てている。ジト目でこちらを睨むのは桜を独占していたからだろう。隣のベルフィーナが軽く手を上げて誘導する。
「二人とも遅刻ですよ。」
まったく、と溜息を吐いたレティシアが一瞥をくれる。龍馬を見る目は相変わらず冷たいが雰囲気は柔らかくなったと思う、勘違いでなければだが。
「では行こう。」
他より一回り大きい黒馬に跨った皇帝ゼアリスが声をかけた。馬上の彼女はまるで革命を起こす旗印のようで、彼女のために在るかのような黒の装束は陽の下で色を吸い取った。
案内された馬車乗り場、皇帝専用である格別に巨大な車は威圧的に一同を待っていた。馬車は嫌いだからだと言ったゼアリスと護衛騎士のビン以外は車に乗り込んだ。
車内はロドムの葬式に出た時と比べ物にならないくらいの広さに加えて、豪華な内装で色づいていた。黒と赤の二色を基調に金で彩られた装飾は彼女の趣味をこれでもかと詰め込んでいた。
「暗いですね…」
苦笑いするのも無理は無い。小さな灯りがポツポツと、全てつけてもまだ薄暗い。車窓に付いたカーテンを開けて陽を入れなければ暗すぎた。
滑らかに走り出した車は静かで大きな揺れも無く、腰への負担も軽く済みそうだった。ふかふかのクッションを抱いた桜は小動物のようにお茶菓子を食んでいる。出された紅茶で流し込み一息ついた彼女が第一声を切り出した。
「えっと…私たちは何をすればいいんだっけ?」
玉座の間でゼアリスの真の目的を聞いた龍馬は、外で待っていた彼女らにつかまって全てを話す他無かった。仮面舞踏会は表向きの宴。大陸間の海を往来しながら進む特殊な高速遊覧船で行われるのは、完全招待性のオークションだった。
人間は勿論のこと他種族の子供から大人まで幅は広い。各国の要人も集まる宴は莫大な金が動いていて、いくらゼアリスだといっても中止あるいは競売自体の破壊をしてしまえば戦争は避けられないという。
「最終の目的は会場で聞くことになってるが、あの皇帝は一人手に入れたい奴がいるらしい。」
「買う…ってことだよね。」
勿論そうだ、と頷いた龍馬。人の命は尊くて買う売るの話じゃあない、そう思っている彼女のは心苦しい。しかしこの世界では人は、命は金で買えるものだった。
「奴隷としてでは無いと聞いたから力を貸すのです。」
決意の目を向けたレティシア。奴隷になるのが一人でも減るのなら、たとえ目の前で人の尊厳を踏みにじる行為が続いていたとしても。どうしても辛い気持ちになるのは分かっていた、それでも覚悟を決めて今馬車に乗っている。
「ああ。それで買いたい奴の名前は、アリアンナ。性は女、歳は十七の処女で…」
「しょ…っ!?」
顔を赤くした桜の驚きに話が遮られた。目線が集まった彼女は頬を隠して謝ると目を伏せる。
「…ここまでは商品としてある程度普遍的なものらしい。しかし問題は彼女の種族が人間でも獣人でもないということだ。」
問題、それはアリアンナの価値が異常なほどに高いことにあった。人一人の値段なんて考えたくもないが、通常個体条件によって値段に差はあるも驚くほど高値で取引されることはごく稀だ。富裕層の集まる今回も目玉商品以外は所詮余興。
アリアンナという少女は目玉も目玉、今回の競売で最後に登場する大目玉だった。
「人間でも獣人でもないとすると、競売に出ると言えば人魚族や龍人族でしょうか?」
聞き慣れない種族を挙げたレティシアはここにいる誰よりも詳しいようで、誇れることではないためか浮かない顔をする。
彼女も幼い頃、社会勉強だと連れられて奴隷競売に参加いたことがあった。小さいながらに目にしたそれはまさに地獄の光景で、今も脳に焼き付いて消えない。
「古代種の血を色濃く受け継いでいる可能性も…」
ベルフィーナが言った古代種というのは数千年も昔に存在した、前の人類のことだ。今存在するすべての種族には古代種の血が入っている。一度滅んだ種の血は薄く、ごく稀に見つかる血の継承者は奴隷としても非常に価値が高い。
「そんなものでは無いぞ。」
バンッ、と走る馬車の扉が開かれた。強い風と共に中へと入り込んだのは黒馬から舞い降りた皇帝。高く取引される種族に加え、古代種までもをそんなものと言い捨てる彼女の言葉に皆唾を飲み込んだ。
「神に選択された血筋…アリアンナは【覇人】なのだ。」
覇人。それは神の選択によって創られた奇跡の産物。
人間族・獣人族・人魚族・龍人族・魔族・天使族・悪魔族・精霊族……と挙げればきりがない数の血を全て受け継いだ、全ての種族の頂点に立つべき存在なのだ。
「は、覇人なんて実在したとは…っ。」
驚くなどという次元の話では無かった。もはや龍馬と桜は押し黙り、三人の話を聞いている。
「アリアンナただ一人さ。だからなんとしてでも手に入れ、保護しなければいけない。」
目を閉じて拳を強く握りしめたゼアリス。皆驚愕で我を忘れていたがただ一人、龍馬だけが彼女の心を見透かそうとしていた。何を企んでいるのか、決意の表情に隠された嫌な予感を、今は見て見ぬふりをした。
「でも何故覇人ともあろう者が奴隷に…」
覇人は頂点人としてとてつもない力を有している、と噂されている。しかし真実は誰にも分からない、アリアンナの事を鑑みればそれはただの噂に過ぎないように思える。
「彼女はまだ自分が覇人だとは知らないのだ。力を行使しようにも五感の全てが機能しない上、両足も動かない。森で拾われた老夫婦の介護で生きてはいたが、とにかく憐れな子だ。」
今や奴隷に、と言葉を切ったゼアリス。覇人だけでなく力を持つ者は、自分が持つ者だという自覚が無ければ始まらないのだ。
「まだ語るには早いと思っていたが仕方ない。お前達の任務そして最終目的は、アリアンナを必ず手にして無事に大陸に渡ることだ。成功に際して一つ。」
手段は問わない。
ゼアリスはそう言い残し再び外に飛び出た。大金で競り落とせばそんなの、途中の考えをぶち壊す最後の言葉。
「大変そうだぜ……」
龍馬以外は口を噤んでいた。競ることなど初めから念頭に置いていないのだ。死人が出る、当たり前のように放たれた言葉。
馬車の中。陸だというのに、航海には不安が募り募っていた。
海に出るのは少し先でございます。今しばしどうか陸での話をお楽しみください。
いつも本当に応援ありがとうございます!!




