第三十一話 君の中
第三十一話です。これにて第二章が完結となります!!応援ありがとうございます。勿論第三章に続きますので、次話からも見て頂ければ幸いです。
番外編の方は執筆を始めようと思いますが、投稿は少し後になります。第一章の最後に挟むことに決めましたのでそちらもお待ちください。
窓から入る穏やかな風がカーテンを揺らす。昼を少し過ぎた天気の良い日、白いシーツに柔らかな枕で寝返りをうつ。額に乗った冷たいタオルが横に落ち、誰かが手にそれを取る。
手の指がふやけて少し青が差してきた、それでも構わず桶に手をくぐらせて水気を絞る。額と首元の汗を拭きとって再び濡らす。
目にかかった髪を撫でた、その手が彼に掴まれる。
「…はよ。」
ゆっくりと開かれた瞼から漆黒の瞳が覗く。疲れたような笑いを見せた彼が起き上がるのを呆然としたまま支えるのは桜。
「龍馬、りょう、ま…やっと目を覚ましてくれた。」
滑り落ちた大粒の涙がベッドを濡らしていく。わなわなと震えた口元からしゃくりあげるように声が漏れ、彼の手を握るのにも強い力が籠る。
混沌との戦いが終わり、あの夜から三日が経った。あの日深夜の教会で、龍馬とベルフィーナが用事を済ませるのを待っていた桜達。様子を見て来ると言って食堂に向かったレティシアの叫びで、食堂に駆け付けた桜が目にしたのは血に染まるレティシアと脇腹を吹き飛ばされた龍馬だった。
混沌の置き土産であった人間爆弾から、レティシアを守ろうと瀕死の重傷を負った彼は必死の回復魔法により一命は取り留めたものの翌日になっても意識が戻ることは無かった。
「ありがとな。」
艶髪を撫で涙を指で拭う。暖かな日差しが窓から入り二人を明るく照らした。頷く桜が抱き着いてわんわんと泣き声を上げる。どれくらいそうしていただろうか、肩から聞こえる寝息が大きくなってきた。彼女を代わりにベッドに寝かせ、もう一度頭を撫でた。回復魔法なんて使えないため彼女の手の蒼さに心苦しい。
三日も寝たきりだったからか、ふらつく足元に注意しながら部屋を後にする。
音の無い廊下、静かに閉めた扉の横に彼女は立っていた。壁にもたれかかって目を瞑るミルバーナの姫が険しい表情で腕を組んでいる。
「おい、風邪ひくぞ。」
肩を軽く揺すえう、彼女はハッとして振り向いた。龍馬の顔を見つけたレティシアが驚いて遠ざかる。何時からいたのか、疲れで足がもたついたのか彼女がバランスを崩した。
「っと…てうおっ!」
倒れそうになったレティシアの腰を支えるも、自分も怪我人だったことを忘れていた。反射的に彼女を守るように抱き込む。龍馬は床を背に倒れた、その拍子に打った頭が少し痛む。
「な、なにを…っ!」
上ずった声が胸元から聞こえた。少し身動きしたレティシアが龍馬の上に抱かれている。
これはやってしまったと、その瞬間思った。彼女のことだ、次の瞬間には罵詈雑言が飛んで来るだろう。彼女の命を救ったとはいえこの体勢は色々とまずい。平手打ちを覚悟した龍馬は目を細めて身構えた。
しかし、いつまでも飛んでこない掌。薄目のまま彼女を見ると何やら言い淀んで口を震わせている。目の錯覚か彼女の頬はお世辞にも赤く無い等とは言えない。
「身体はもう、何とも無いのですか…?」
潤ませた目を決して合わせようとしない彼女が、恐る恐ると聞いてくる。
「あ、ああ。回復魔法かけてくれたんだろ?。」
微笑んで礼を言う。それを横目で見たレティシアは言葉に詰まり、更に頬を赤くした。頷いた彼女
起き上がった二人。膝を払った彼女が咳ばらいをするが、二人の間にしばしの静寂が流れる。気まずい、とても気まずい数分。龍馬は何か言おうと思っても、彼女が口を開こうとしているのに切り出せない。
「ああー…」
「と、とにかく!元気になったのならそれで構いません。サクラ様にお礼を、ずっと傍で貴女を心配していました。」
そうか、と相槌を返す。龍馬は気づいていた。彼女は目を伏せて隠してはいるが、先ほど胸の上で見た彼女の目元の隈は濃く色づいていた。
足早に去るレティシアの背中に声をかけるか迷う。プライドの高い彼女だ、何と言えばこれ以上嫌われないかを考える龍馬。
「おーい。」
「…何でしょうか。」
足を止めた彼女は少しだけ顔を向けて、ぶっきらぼうに答えた。
「怪我はねえか?」
「っ!?」
あの時、意識を失ってしまったから聞けなかったこと。守ったのに怪我されては元も子もない。
勢い良く顔を戻したレティシアだが、その前に一瞬見えた片耳は急激に色味を増していたのを龍馬は見逃すことをしなかった。
「大丈夫です!……あなたが守ってくれましたから…」
怪我はないようで良かったと胸を撫で下ろす。レティシアは足早に歩き出した。後に続いた言葉は小さすぎて聞こえなかった。
真っ白な患者衣を脱ぎ、半着袴に着替える。ベッドで寝息を立てる桜を起こさないように、枕元の壁に立てかけられた灰屍を腰に戻した。
再び部屋を出て廊下を歩く。ミルバーナと同じく、ガヴェインの城も広い。病後の散歩のようにあてもなく、気持ちのいい日の光を浴びながら足を進めた。
ふと、後ろに気配が現れた。とても薄く隠れるような、おそらく龍馬だけに気づくよに放たれたもの。そして、それが誰のものかを知っている。黒の帽子を両手に持ち頭を下げた紳士。上げた顔は暗闇に染まり、二つの目だけが妖しく光る。
「リョウマ。」
「あんたこんな所にいて良いのか?」
混沌、黒の君がそこにいた。龍馬の名を呼んだ彼が帽子を被る。黒の衣に包まれた彼がここにいると知られれば大騒ぎになるだろう。
龍馬の問いに何も返さず、龍馬を招くように軽く頭を下げた黒の君を追う。長い廊下を抜け、城の入り口も抜けた。驚いたのは外に出るまで一度も、誰にも会わなかったこと。人払いをしたのだろうか。
まだ陽が高く昇った街はとても賑やかに平和を謳歌していた。人波をかき分けながら黒の君をジッと見る。気配を消すのは得意だと言ってはいたが、彼の奇怪な見た目に驚く人間がいないのを見るに認識を反らすことも出来るようだ。
辿り着いたのは当然、ミドの書殿だった。住宅街から離れたこの場所は人の往来も少なく、喧騒から離れてとても静かだった。
門の前で待つ黒の君が中へと促し、それに続く。出迎えたレドさんは龍馬が怪我をしたのを聞いていたのだろう、優しく心配の声をかけてくる。しかしその笑顔にはどこか影が差していた。
通されたのは食堂ではなく、階段を上って少し行った古い扉の前だった。レドさんが軽くノックをすると、聞き慣れた声が返ってきた。
「入りたまえ。」
黒の君が扉を開き、龍馬も部屋へと足を踏み入れる。
窓際に、彼はいた。大きな窓から入る光だけが中を照らす、彼が好みそうな少しだけ暗い部屋。彼の事だ、本来なら窓枠に腰掛けて本を読んでいるだろうに。
「遅かったじゃあないか、リョウマ。」
マクベルはベッドに足を寝かせ、上半身を背もたれに預けていたのだ。それも、本を持たずに。格好も寝間着のまま、立ち上がって握手をしてこようともしない。
「足、まだ直していないのか?」
三日前、足が折れていたことを思い直す。しかしこの世界では回復魔法という便利なものがあるだろう、重症の怪我でも治せるような。それなのに、と目を向けた布団の下に隠れた両足。
「いや、必要ないと断ったのさ。」
「は…?」
そう軽く返したマクベルは微笑んで、レドさんに目配せをした。彼は一度部屋を出る。残った三人に会話は無く、少しして戻ったレドさんは手に古い本を持っていた。それは見覚えのある、【聖姫巫女見聞録】だった。差し出されたそれを仕方なく受け取る。
「僕にはもう必要ないからね。」
読み終わるまで待てと言っていた、それもこの三日で済んだのだろう。気のせいだろうか、彼の顔に笑顔が増えた気がする。
「何故断った。」
怪我を治す必要が無い等と、諦めたようなことを言った彼に問う。
「……君には感謝しているよ。」
答えになっていない答えが返って来た。窓の外に目を向けた彼は穏やかな表情で言葉を紡ぐ。
「本を読み漁り、全ての時間を彼等に使ってもう長い時が過ぎた。君が僕の前に現れるまで外に出る事もほとんど無い。数か月前新しく出来た友もご覧の通り、本の虫だ。」
壁にもたれて本を読む黒の君。少し顔を上げて抑揚のない短い笑いをこぼす。
「少し近くに…」
マクベルが手招きをした。依然ベッドから動くことは無い。
「僕が断ったのは必要ないからと言っただろう?…あの夜、彼に突然言われたんだ。」
「…今なんて?」
叫び声が聞こえ、サクラという少女がかけていった。後を追おうにも折れた足が痛む。支えてもらおうと友を探すと、見つけた黒の君が何かを言った。突然のこと、聞き間違えだろうか。
「あと四日、そう言ったんだ我が友よ。」
いつもと変わらない起伏の全く無い声色で、彼が言い放ったのは聞きたくない言葉だった。深夜、もう日も変わってしまった今日を含めてあと四日。それが自分の余命だと。
「は、はは…」
動揺で乾いた笑いが漏れた。彼が来た目的、それは自分に死を告げる事だ。それを忘れた時などは無かった。死ぬことなど怖くは無かった。やり残したことなど無い、一生で目にする本も十分だった。
でもそれは、死の宣告が遠かったからだった。近く確実な死を告げられた今、心を襲うのはとても寂しく冷たい感情。
誰にだって死は訪れる。死とは身近で平等なものだ。しかし何故今なんだ。新しく出来た、僕に刺激を与えてくれる友と出会ってほんの少ししか経っていないというのに。
残酷に告げられた友の言葉。暗い教会で呆然と、マクベルは受け入れることが出来ずにいた。
「目覚めてくれて良かったよ、今日で三日だ。触れてくれ…もう感覚も無いんだ。」
四日の宣告を受けたマクベルの身体は、それまでの健康体では信じられないほどに衰弱していった。折れた足を治さなかったのは、身体が弱くなっていくのを如実に感じ取ってだろう。せっかく治った足が再び動かなくなる恐怖は計り知れない。
「明日、必ず来てくれ。友である君に看取って欲しいんだ。」
「ああもちろん。そうだ、ついでにあいつらも連れてこようか?」
「はは…それもいいかもね。」
二人は話した。本の事、外にも楽しいことはあるということ。出会ったのは本当に最近だというのに、いやだからだろうか。とても長い時間、龍馬が倒れていたこの三日間を取り戻すように。
日が暮れるのはすぐだった。その間一度も、彼が本を手にすることは無かった。時々入る黒の君もどこか感情の籠った話し方をしていた。見守っていたレオナルドの目には、三人は旧友の如く映っていた。
その日は雨だった。あの時と同じで強く降り注ぎ、地面を濃く濡らしていく。
「こんな日は本を読むに限るね…」
息を吐くように紡がれた言葉は弱弱しい。腕も上がらず、身体を起こすことも叶わない。本さえもう。
部屋には龍馬と黒の君。レオナルドに加えて桜とレティシア、ベルフィーナの六人が見送りに来ていた。肝心の家族はどうしたと聞いたが、姉には話していないと言っていた。
「近くに…」
呼んだのは龍馬だった。目だけを向けたマクベルの手に触れる。何か言うでもなく、そのまま少しだけ時が過ぎた。笑顔を向けた彼が目を閉じた。
「さあ、お別れだ。」
黒の君がマクベルに近づいていく。死神が一歩一歩、死の足音が静かな部屋に響いた。
「ありがとう、君…」
マクベルの言葉に黒の君の動きが止まった。自分は死を告げる残酷な存在であると、そう自覚していたのに。最後に感謝されるなどとは思わなかった。
「君のおかげで僕のこの数か月は楽しくて、こんな大勢に看取られて死ねる。」
心底嬉しそうな彼の涙が、頬を伝わずに流れていく。
「私も君に出会えたことがこんなにも、はは…言葉に出来ないよ。」
とても優しい響きであった。感情の熱が胸を焦がす。二人は笑った、静かに小さく。
「さようなら。」
「ああ、さようならだ。」
短い別れの言葉を交わす二人。黒の君が闇に染まった顔を近づけた。
それはとても、とても綺麗な光景だった。軽く触れるだけの口づけを、こんなにも美しいと感じたのは初めてで、これが最後の瞬間だった。
闇が消えていく。黒の君がマクベルに溶けていく。見につけていた服が床に落ち、残ったのは横たわるマクベルだけだった。
ベッドの上が揺れた。次の瞬間、身体を起こしたマクベルに一同が驚き身を引いた。目を開け流れていた涙を拭った彼が立ち上がる。
「これからは僕が、彼の後を継ごう。」
声も仕草もマクベルのものだった。しかし、彼はもうそこにいなかった。
マクベル・グリード・ガヴェイン。二十五の若さで発った彼は最後まで、本を愛した虫だった。
本の僅かな足音も雨音が消していく。昨日からずっと、降り続く雨は優しく体温を下げていった。
「外出とは珍しいなあ、ミドの管理人よお…」
路地から顔を出した、細身の男。全身にぼろ布を巻きつけ、目と口だけが露出したそいつは細腕で腰の剣を抜く。普段から少ないというのに、雨のせいで人の往来も無い。
「覚えてねえってか!はんっ…まあいいさ。お前はここで死ぬんだからなあ!」
細剣が妖しく光って迫ってくる。鋭い高速の突きが見事に心臓を貫いた。
「は、はは!やったぜえ…殺してやった!」
任務成功、その喜びに浸って天を仰いだ男。
しかし、目の前の男は何ともないような顔。しまいには刺さった剣を掴み抜き取ってしまう。
「穴を開けるのはやめて欲しいな。身体は良いが、服を直すのは手間なんでね。」
カランッと地面に剣を転がした、ミドの管理人。驚愕の顔で固まった細い男の頭を鷲掴みにし持ち上げた彼は、口角を上げて凶悪に笑った。
「私は今日、この雨とともに友人を悼んでいるのだよ。邪魔する奴を、」
ワタシハユルサナイ
身体から闇が這い出した。光を飲み込む暗き奔流が男の身体を包み込む。
闇の塊の中小さい悲鳴と呻き声。それに、何かが砕ける鈍い音が響いていた。
皆様本当にありがとうございます。第二章はとても長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。これからも頑張ります!!!