第二十八話 値踏み
第二十八話です。遅れてしまって申し訳ありません。次回投稿は明日の九時になると思います。
今日はなるべく早く書き上げようと何もせずに夢中で書いていたのですが、毎日の影響か頭の中に魔王が流れて止まりませんでした。
なんてくだらないことはさておき、いつも見て頂きありがとうございます。残酷な描写が増えてきましたので苦手な方はご無理なさらず。
ひたり、ひたりとおよそ虫が歩く音ではない。バラバラに聞こえてくる八つが喧しい。得物を追い詰めた歪な狩人がじわじわとにじり寄る。低く構えた大きく漆黒の身体に肌色が映える。鋭く尖った鋏角を鳴らし威嚇しながら八つの目で龍馬を射貫く。
恐怖を煽るように、顎から滴り落ちる涎は床を濡らす。混沌が作り出したという命を弄んだような怪物は、警戒してかゆっくりと後退する龍馬と一定の距離を保って歩く。
「マクベル、立てるか?」
差し出した手を取って立ち上がろうとしたマクベルが蹲る。どうやら足の骨が折れているようで、顰めた顔で頭を下げた。
「私に任るといい。リョウマ、君はあの子の相手を…」
姫を抱えるようにマクベルを持ち上げた黒の君、警戒なステップであっという間に桜達がいる場所へと跳んでいく。
「そっちも頼んだぞ!」
目は離さずに背後へ声を飛ばす。臨戦態勢に入った、邪魔者はいない。
キチキチキチキチッッ
お互い牙を剥いた、死闘が始まる。
「初めまして、私は黒の君。」
教会からでた一同は夜の空気に触れる。ひんやりとした風が身体を撫ぜて、少し肌寒くなった腕を摩る。
脱帽し綺麗なお辞儀を見せた、全身を黒一色で統一した紳士。ミドの管理人マクベルを抱えながらの機敏な動きには驚かされたが、それよりもだ。
「何者、ですか。」
彼の、漆黒の闇に染まった顔を見て、驚愕の表情を浮かべた王女を守るように剣を抜いたベルフィーナ。彼女の突きつけた剣の先は小刻みに震え、冷や汗が止まらずに流れ落ちる。
心配そうに見守っている桜も、警戒する王女も、地面で息を吐いたマクベルでさえ気が付かない。この中で唯一ベルフィーナだけが彼の持つ異様な雰囲気を感じ取っていた。
「おや、私を探していたと。」
僅かも調子のぶれない、まるで生を感じられない話し方。闇の中から聞こえる声と光る眼にゾッとする。
「探す…?」
疑問符を浮かべた桜の頭にとても嫌な考えが湧いて出た。レティシアの方を見ると彼女も同じなのだろう、目を見開いて一歩退く。わなわなと口元を震わせた彼女の唾を飲み込む音が鳴る。
「ほう…とても強い恐怖だ。はは、は。感情というものには只管に感心してしまうよ。私には掴めないものだ、君たちが実に羨ましい…」
固まったまま動けない三人に対して、飄々と言葉を並べる闇の住人。
ベルフィーナは自らの剣に這わされた手を止めることが出来ない。一挙手一投足見逃さないように、ゆっくりと王女を下がらせた。
「…と、問答は後にしようか。」
教会の中から大きな音と振動が。素手に戦闘が始まっているようだ。
「殿下、私は彼の加勢に。」
「気を付けて下さい…あの怪物からはとても、とても嫌な予感がします。」
言われなくても分かる。しかし何度も警告を促して足りない程の嫌な雰囲気を感じたのだ。人と怪物の混ざりもの。まさに邪悪を体現した見た目に、一目見ただけで吐き気がした。
「気を付けて、人の子。」
どの口が吐くのかと、湧き上がる怒りを抑えながらベルフィーナは教会の扉を開いた。
巨大で重量級な見た目からは想像できないほどに機敏な動きを見せる蜘蛛、人の手足を器用に使い柱を掴んで跳び回る。攻撃という攻撃は未だ無いが龍馬を逃がさないように立体的に宙を駆ける。
クツクツと笑う瑠璃の君、心底嬉しそうな彼女は虫の子を目で追いながらその長い髪を撫でていた。まるで我が子が公園の砂場ではしゃぐのを見守る母親のように、慈愛に満ちた瞳。
「愛くるしいだろう?見ろ、パチパチと瞬かせる目が宝石のようだ。可愛い手も足も、思わず触れたくなる…あれはミリア、あれはミーシア、ほら見てくれ!今動かしたのはコロトのだぞ!ああなんて…ほらおいで。」
包み込むように抱き寄せた彼女が人蜘蛛を撫でる。親子の抱擁、穏やかな光景だ。だがそんなことは龍馬の目に入らなかった。彼女が言ったことが脳に大音量で暴れている。
「なんて…?お前、今誰の名前を呼んだ。」
聞いてはだめだ。頭の中、口を閉ざせと警鐘が鳴り始める。ミリア、ミーシア、コロト。それが何を指したのか、何故彼女が呼んだのか。繋がって導き出されてしまったのがあまりにも残酷で、悲惨すぎるものだったから。
「ミリア、ミーシア、コロト、ペルト。皆とても可愛い子だった…」
「その顔で、その身体で!お前子供たちを殺したのか…っ!」
感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。
狂っていた。目の前の彼女はリーシェだった頃の記憶がありながら、あんな事を。子供たちは見慣れた、姉のように思っていた彼女。目の前で行われた惨劇に言葉が出なかっただろう、何故こんな酷いことをするんだと。
「殺す…私が?はんっ、馬鹿を言うな。生きとし生けるもの全て、全てが尊いのだ。それをこともあろうに殺す?冗談じゃあないわ!」
憤慨した彼女が飛ばした怒気が建物を震わせた。充血した目を見開き歯を剥いた彼女が、心外だと呆れた顔で龍馬を睨む。
つらつらと、まるで自分の行いを無かったことのように語る彼女。我慢ならなかった。感情をあまり表に出さない龍馬でさえ、こめかみの青筋を消すことが出来なかった。
「ふざけるな…」
「ふざける?戯れるわけでも、おどけて嘘を吐いたつもりもないわ?」
短い嘲笑が癇に障る。少女の皮を被った化け物が笑っているのに耐えられない。
「蜘蛛にした四人、それ以外の子供たちは無残に死んでいた。殺したんだろ?はは、なあ!」
せき止めていた感情がこぼれ落ち、乾いた笑いを吐き出した。静かな怒りを蓄積させていく。
その問いに天井を仰いだ彼女。いや、瑠璃色の混沌。子供たち?と首を傾げる。
「ああ。」
思い出した、と喜色に染まった顔。にやり浮かべた上手な笑みで、さも当然のことだと言い放つ。
「食事だよ。ただの。」
ドクンッッ
胸が、心臓がまるで毛羽だった麻縄で締め付けられたように痛みだした。血管の切れる爆音が頭の中に今もまだ響いて止まらない。猛獣が放つ咆哮のような呻き、白目を剥いて歯を軋ませながら涎を垂らす。
とめどない、得体の知れない激情が身を震わせて収まらない。声にならない怒りと悲しみ、殺されたのは顔も見たことのない子供たちだというのに。自分が猛獣になってしまったかのような感覚。
「があ゛あ゛あ゛あああ!!!!!」
強く握った柄が震え、カチカチよ音を立てた。とてつもない覇気が逆巻く風となって龍馬を取り囲む。
「灰屍え゛え゛え!!!」
無理矢理抜き放った、どす黒い殺意を身にまとう灰屍。抜き身の凶暴が神速で混沌の首を落とそうと奔る。
ギィィンッッ
激しくぶつかり合ったのは、首まであと少しいったところ。とてつもない強度を持った顎が居合の一閃を止めたのだった。
「さすがだ我が…な、なにっ!」
キンッと高い音が鳴った、と同時に中を舞う鋼鉄より更に硬い鋏角。一瞬受け止めたそれは彼が刃を引いただけで、簡単に斬り飛ばされてしまったのだ。
「邪魔だ!!」
刃を返し、蜘蛛の巨体を刀背で叩き飛ばす。驚愕に染まった彼女、それもそうだ自分とは比べ物にならない重さの怪物を軽々と吹き飛ばしたのだから。目の前に迫った龍馬と彼が持つ死の刀に生唾を飲み込んだ瑠璃の君。
「私を斬るのかい?身体はリーシェだが…」
溜めに溜め、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「君の好きにすると良い。」
龍馬の顔を撫でた彼女が、余裕の息を吹きかけた。熱く、瑠璃花の匂い。
なんて心を揺らすのが得意なのだろうか。絶対に動揺するであろう言葉を次々に紡いで、此方を身だそうとしてくる。それなのに、そうなるまで…
「人間のことを良く勉強したんだな。それなのに、そこまで人間を理解しているというのに何故だ!!何故、あの怪物に子供達を…」
龍馬支配したのは深い悲しみだった。
混沌の事を理解しようと黒の君と話したから分かる。混沌は、生まれたばかりの赤ん坊なのだ。生れ落ちた彼等は必死に生きようとしている。知恵を求めるもの、力を貪るもの、己の欲求に従って行動するもの。
中には黒の君のように友となれるものもいる。だから例え人を殺そうとも、初めから正義を振りかざすつもりは無かった。
なのに。目の前で妖艶に笑う混沌は、人を人と思いながら笑って命を奪う。
「本に…私が呼んだ本に、人間を食べてはいけませんと書いてあったよ。それも子供を諭すようにだ。ふふふしかし、いやあ愚かだ。あの本の著者は何も分かってないよ。」
瑠璃の君が腕を振り何かを投げた。それも龍馬が吹き飛ばした本の虫の方向に。ペチャッと床に落ちて弾けたのは血に染まった袋のような何か。中からこぼれる血が広がっていく。
瓦礫が崩れ、土煙の中出て来た人蜘蛛がその血だまりを舐めとる。餌を与えられた子犬がミルクを飲むように、無我夢中で床に舌を這わせていた。
「人間は大変に美味な物を前に食うなと言われて我慢するかい?否だろう。」
ギョロギョロと動く八つの目でこちらを見たのに、すぐに反らして血を舐める。
「欲求が囁くんだ、まるで悪魔のように。」
裂けてしまうほどに口角が上がった。パチンッと指を鳴らす。
「喰らえ、ほんの虫。」
キシシィィィイイイイッッ
大きく掠れた鳴き声で返す人蜘蛛の全ての目が龍馬に集まった。龍馬が鯉口を斬ったと同時、再びの戦闘開始の合図は瑠璃の君が笑う声だった。
酸性の猛毒が塗られた針を躱す。芋虫だった時とは違い様々な角度から偏差を使った射撃に、龍馬は苦戦を強いられていた。
手足が人間のものだからか、地面を掴んで反復する俊敏な動きが意外にも捉えにくい動きを見せている。
近距離戦に持ち込もうにも空中に跳んでサラリと躱され、上からの一方的な攻撃を防ぐことしか出来ない。
「だああくそっ!」
既に五十を越した針の残骸が床に転がる。全てを刃で受け流したは良いが転がる針に付いた酸性の毒が徐々に床一面に広がっていき、可動域が狭まっていく。
正に防戦一方。教会の入口で佇むベルフィーナはその光景を静かに見守っていた。龍馬と混沌の問答が終わり、加勢しようとした彼女を彼が首を振って止めたのだ。
じっくりと動きを観察する。速さは龍馬の方が上だが、立体的に動ける蜘蛛が有利に戦えていた。
(何か出来ないか…)
教会の中を見渡した。戦う二人にそれを眺める混沌の少女、崩れた壁に転がる毒針。ほんの僅かでも彼を助けられれば。そう思い少し笑みをこぼした。それを彼は望まないだろうが、訓練場で負けた悔しさへのちょっとした仕返しだった。
目の端に何かが光った。空中に細く光る何か。目を凝らしてみると、教会を支える柱から天井に幾重にも巡るとても細い糸だった。
あまりにも機敏に床を走っていたからか、糸を吐くことを失念していた。最初に宙を駆けていたのはこの糸を四方八方に張ることが目的だったのだ。
蜘蛛が柱の間を飛び移るときに糸を支えに跳躍していることに気が付く。あの糸を切れれば…そう考えるが手段がない、あの巨体を支え跳ばせるほどの弾力と頑丈さ。生半可な攻撃じゃあ糸は切れないだろう。
「リョウマ糸だ!柱と柱の間、無数に張り巡らされている!だが、かなりの強度でこちらからはどうにも…」
ベルフィーナの叫びが届いた。それは正に闇の中照らす一縷の希望だった。目を凝らし見る、しかし柱にも天井にもそれらしき細い線は見えない。彼女が嘘を吐くことは無いだろう、しかしまったく見えないとなるとどうしようも無い。
「なに、糸を…?」
その時誰よりも驚いていたのは二人では無く、混沌瑠璃の君だった。そう、糸は本来見えないはずだったのだ。触ることも見ることも出来ないはずの蜘蛛の糸、それなのにあの騎士だけが感知している。
危険だ。万が一を潰すため彼女を先に殺す必要がある。
「あれを先に喰らえ!」
本の虫が一瞬で方向転換しベルフィーナへと飛び掛かった。
「ベルフィーナ!」
目を反らしていた彼女を呼んだ。振り返った、風に髪が揺れて両目を見開いたベルフィーナの綺麗な顔が驚愕に固まったのが見えた。
いつも見て頂きありがとうございます。pvを眺めるだけで幸せな私です。これからも気軽にどうぞよろしくお願いいたします。
誤字脱字報告とても助かっています!ありがとうございます。




