第十九話 静寂を裂く泣き声
第十九話です。遅くなってしまいました。申し訳ございません。
物語がやっと動き始める話になっております。第二章、これからです。
いつも応援して下さる方々、本当にありがとうございます。楽しんで頂ければと思います。
「病人…には見えないなあ。」
小窓に雨が打ち付ける。軽やかに跳ねる粒音を背後に三人が顔を見合わせていた。
「ははは。リョウマという名の君、君は死が必ずしも前触れと共にやってくると?」
二つに光る目、以外が闇に染まった黒の君。笑う時すら一本調子の声色が耳を気味悪く撫でた。不気味さを貼り付けた、表情の存在しない顔が龍馬の方に向いた。
彼、彼女?のいうことはもっともだ。死ほど唐突に、そして避けようのない縁は無い。しかしどうだろう、
自殺か、事故か、他殺か、病死か、目の前のマクベルという男が近い日に死ぬと誰が思う。殺しても死なないような、馬に踏まれようと本を拾うのを止めないような、彼にはそんな生命力の強さを感じる。
「人は死ぬ、そう設計されているからね。ただ、それがあと少しで僕に訪れる、それだけなんだよ。」
「いきなり現れた混沌なんていう不確かな存在に、お前は死ぬと言われて受け入れたぁ?正気の沙汰じゃあない。」
「ああ、断言するよ。僕は死ぬ。」
本当、常人の判断にはあり得ない。少しの間も無く返答したマクベルの目は強く光を灯し、澄んでいた。龍馬は息を飲む、死への恐怖など微塵も感じていないこの男の胆力に尊敬さえ抱いていた。
「愚かにも諸人は、死を恐怖の象徴だと…分かってない、分かっていないよ!」
椅子を押しのけ立ち上がったマクベルが天井に手を掲げ、まるで演説をするかのように恍惚な叫びを震わせた。
「いつまでも続く放浪に唯一の終わりを告げる、この世に存在するたった一つの明確な最後!僕はね、こう思っているんだよ、誰にも見えない聞こえない感じ取ることさえ出来ない死を、僕だけが知っている……幸せだろう、恵と呼ばずに何とする?」
死への狂信、マクベルにはそれがあった。まるで崇高な理念だと言わんばかりの表情で龍馬を見る。
「はあ…分かった分かった。二人とも、俺が間違っていたよ。」
どうやら素直に認めることしかないと悟った龍馬が苦い顔をしながらも頭を掻く。満足げな顔で腰を下ろしたマクベルが手を組んで頷いた。
「しかしだ、それと俺が死を看取るのとには関係がないだろう?何故俺なんだ、家族がいるんだろう?」
そう、未だ語られていない龍馬を引き留めた理由を問う。彼には親も姉もあると言った、ならば看取るのはそういう人間であるべきだ。
「ここはね場所も場所で様々な人間が訪ねて来るんだよ。しかし君だけだった、黒の君の死の気配を察知できたのはね。」
龍馬は思い返す、確かに自分たちとマクベル以外の変な気配を察知したこと。
「僕は死を受け入れている、しかしまだやることが残っているんだよ。例えばこの本を読み切る、とかね。そして悔いなく死を迎えるにはどうしても助けが要るんだ。」
なるほど、それが龍馬ということなのだろう。
「分かった、出来ることはしよう。」
二人は約束の握手を交わした。それを見て黒の君は目を細め、微かな笑い声を漏らした。
しとどに濡れ重さを増したローブを脱ぐ。そうと決まれば早い、とマクベルと龍馬が向かった先は帝都内の小さな教会だった。国が直々に援助を行う、親に捨てられた子供や現皇帝に代わって奴隷から解放された幼い者達を集めている場所。
扉を叩き呼ぶ、少し待って中からは老婆が一人。怪訝そうな顔をしていたがマクベルを見て表情が和らいだ。優しい笑顔を浮かべた彼女とマクベルは抱擁を交わした。
「お坊ちゃま、こんな雨の中よくいらっしゃいましたね。」
「いやなに、今日はこれをね。」
彼が見せたのは何かが入った革の袋。龍馬が道中中身を聞いても、すぐに分かるとはぐらかしていた。
受け取った老婆が嬉しそうに笑顔を浮かべ礼を言う。
「さあさあお入りください、雨に濡れては風をひいてしまいます。お連れの方もさあ。」
半ば強引に手を引かれ中へと足を踏み入れる。
外見は教会だった建物は改築され、孤児院として使われるそこはたくさんの子供たちで溢れていた。皆笑顔で元気に暮らしているようだ。中には手や足が片方ない子もいるが、顔には希望が灯っている。
「あ、お兄ちゃんだぁ!」
そう言った一人の女の子を皮切りに、ワイワイとマクベルの周りを取り囲む。皆、遊んで遊んでと彼の服を引っ張り催促する。彼も困ったように笑うがそこに嫌悪をない。
少しその光景を眺めていたが、奥で手招きする老婆に目が合った。龍馬はマクベルに旨を伝え彼女を追う。
「坊ちゃまが誰かを連れて来るのは初めてのことですから、驚きましたよ。」
「なんとなく、分かります。」
マクベルは人が嫌いだ。いや、正しくは自分と本以外に興味がないだけだ。付き合いの浅い龍馬でさえ分かる。だから子供に囲まれる彼を見て驚いた。
「優しいお方です。先代が亡くなられてから一人でミドをお守りしている。」
彼女は慈しむように笑った。あの書殿、当然昔は違う人間が管理していたのだろう。今はマクベルが一人、膨大な蔵書を守っている。
彼が言っていた、書殿に在る本は一冊残らず全てが国の宝であると。一つとして失ってはならない、自分よりも価値が上だとまで。
彼女の手には革の袋が抱えられている。
「それは?」
先ほどマクベルが渡したもの。膨れた中身が気になった。
「これはいつも坊ちゃまが持ってきてくださる。」
中を開き龍馬に見せると、中からは表紙に絵の描かれた本が数冊。
「児童書さ。」
後ろから声がかかった。子供たちを振り切って来たのだろう、少し息を吐いて微笑を浮かべたマクベルが扉に寄り掛かる。
「坊ちゃま、」
「そう呼ぶのはお前だけだよまったく、少ないが許してくれよ。今日はなにぶん天気が悪い。」
マクベルが椅子に腰かけ、革袋の本を出した。子供向けの書を一冊手に取りページを捲る。
「…最近はどうだ。」
それでは言葉が足りないだろう、しかしその言葉に老婆は頷いて少し困ったような顔をした。
「厳しくないと言えば嘘に、そう簡単にはいかないものです。」
二人は話し始めた。国からの支援があるとはいえ、なかなかに貧しい暮らしを強いられているようで、子供たちの食糧を調達するだけで精一杯だという。
「まったく、嫌な時代だ。」
世に渦巻く様々な問題に加え、混沌などという邪悪。国も対策に大金を費やすしかなく、その影響がいたる所に響いていた。
原皇帝の独裁が行われ、先代に比べ格段に国は潤った。しかし人外の脅威への対策は想像よりも首を苦しめる。
龍馬はしばらく話を聞いていた。この世界のことをまだ何も知らないということを実感する。そして生きるためには知れなければいけない。
「また、」
二人は教会を後にした。暗い雨の空は続いている。
見送りの老婆と子供たちに手を振って二人は書殿への道を戻った。
「お帰り。」
出迎えたのは、黒の君だった。意外な人物が両手を広げて待っていた。
「どうした、君。」
何かいつもと違う雰囲気に気が付いたマクベルが怪訝そうに尋ねる。黒の君は闇に浮かぶ目を細め、笑った。得体の知れない寒気が二人の背中に通り抜ける。
「朗報だよ。」
それは良い知らせでは無かった。ただ絶望が幕を開け、覗き出す闇が笑う。
「私と同じ……混沌の誕生だ。」
歯車が回り出した。轟いた錆音が頭に響く。不正常に軋みだした時が呻きに似た産声を上げ始めた。
続きも出来れば明日には上げたいと思っておりますのでどうかお待ちください。
いつも本当に見て頂きありがとうございます。