第百話 君だけが愛している。
第百話です。
お久しぶりです、生きています。大変長らくお待たせしてしまい申し訳ありません。おやすみしていた期間を取り戻せるようにこれからも頑張っていきます。
微笑んでこちらを向いた【橙色の君】は、退屈を晴らしてくれる龍馬を遊び相手と認識した。殺意が無いのはそのせいか、あるのは子供の無邪気さだけ。
アクノマキアはグ婉とやらにご執心のようで、酷い怒りがこちらにも伝わってくる。
龍馬は地面に投げ捨てられて潰れた見覚えの新しい顔を一瞥する。虚ろな瞳に生気が在るはずも無く、動くはずの無い口が半開きになったまま。
口を付けなかった茶の香りが鼻に抜けた気がした。
「それでお前さん、何をしに来たんだ。」
龍馬の質問に答える気は無いのか、それとも意味を理解していないのか。楽しそうに笑う【橙色の君】は辺りを見渡して面白そうなものでも探しているかのよう。
そして見つけたのだろう。いや見つけてしまった。それにいち早く気が付いた龍馬は駆けだして傍へ寄る。
「チッ、アクノマキア!まだ終わらないのかッ!」
先程まで五月蠅かった戦いの音が止んだため背中越しに叫んで彼女を呼ぶ。目を離すことが出来ない龍馬の一大事に彼女も気が付いたのか、既に息絶えた喜びの子の体の上から飛び降りた。口に咥えた灰色の頭の一部を荒々しく吐き飛ばすと、龍馬の隣へ跳んで来た。
「やばそう。」
「ああ…あいつ、リリーだけを見ている。」
自分の子を嬲り殺したアクノマキアを他所に、【橙色の君】が目を向けたのは龍馬の方。いや正しく言い換えるなら横たわるリリーの方だろうか。もう一人の自分、真実の自分と言うべきリリーをジッと凝視する混沌。黒く淀んで汚れが掻き混ざったような目には今のところ敵意も殺意も見えない、しかしそれが一層不気味さを増している。
「それ、なアアに?」
ギョロリと目を見開いて九十度首を傾げた【橙色の君】、彼の小さな指の先には憔悴し横たわるリリーの姿。龍馬が膝を着いて彼を避難させようと抱き上げた瞬間のことだ、何処にも行かせないと言わんばかりに真ん丸の両目を向けて来る。
(不味いな。)
冷や汗こそ出ないが状況は思わしくない。彼を庇って戦えるほど混沌は甘くはないことは先の戦いでこの身に染みている。だが一番の問題は【橙色の君】がどうやらリリーを優先して狙っているようであること。確証は無いが確信しているといったところか、所詮龍馬の勘に過ぎない。
「アは、!」
「チィッ、アリス!!」
咄嗟の判断、リリーの体を後方のアリスへとぶん投げる。不幸中の幸いで中から食い破られたリリーが小さくか細くなっていたため充分な飛距離を稼ぐことが出来た。
龍馬へは一瞥もくれず【橙色の君】がリリーへ手を伸ばす。跳び上がって見えた喜色満面、そして初めて露わになった濃厚な殺意。楽しそうに、残酷な笑み。
好都合。無防備に晒した小さな体、腹を無様に向けたその恰好は降伏のようで滑稽に映る。
「妬けるなあ。そんな殺意、俺には向けてくれなかったじゃあねえか。」
刀を抜くことは無かった。彼女を抜けば抑えきれない程に溢れる大量の殺気を隠せない。気取られないように、抜く両手には渾身の力を込めて。
無刀・羅生ノ亡骸
酷い頭痛がした。罪故か、影の差した誰かが子供の体を二つに裂く景色。魅せられた未来を今思い出した
、あの時の誰かとは龍馬自身のことだった。吐き気がするほどの邪悪、そんなもの簡単に作り出せてしまう人間という生き物が恐ろしい。
「とても、人にはつかえねえからな。」
独り言ちた。苦笑して、酷い事するだろうと龍馬。手には張り付くような黒い血。少し温かくて、生臭い。
「イタイ、いたイよォ…。」
泣きまねをして這いつくばった【橙色の君】が胴体と足を裂かれているというのにまだリリーを追う。アリスの腕の中で微かな呼吸をする彼を殺そうと笑う。
龍馬は振り返った。裂かれた足を戻そうと這う混沌に止めを刺さないのはそんな資格が自分に無いから。体を二つに裂いておきながらまだ可哀そうだと思う、最低な自分にそんなことは出来ない。それに。
「どいて私の番…手加減しないから。」
ここから先は彼女の番だ。
ダメージは一切無いのだろう、足を取り戻して何事も無かったかのように立ち上がった【橙色の君】。一瞬、龍馬の後ろでアリスが抱えるリリーを見る。だがすぐにそれを忘れるほどに強大な殺意の塊に目を向けた。視線の先、毛を逆立てた暴獣の怒りが膨れ上がっている。
「あそンデ、遊んデ。」
九十度曲げた首を更に九十度、景色を逆さにして笑う。
クラウチングの態勢で力を溜めたアクノマキアが氷を蹴り跳び上がった。空中、風の膜を破る彼女は一瞬で見えなくなる。気が付けば見上げた先で豆粒台になったアクノマキア。
地上ではぽけーっと天を見上げたまま、殺意の残り香を嗅いで待つ【橙色の君】。深く静まり返った磔刑湖には置き去りにされて遊んでくれるのを待つ子供の姿。
だが安心するといい、彼女もそんなに待たせるつもりはないだろう。彼女の殺意がまた強くなる。同時に笑みを深くした君がウズウズと身震いをした。
「早ク、ハヤくッ!」
両手を掲げた君。
混沌と暴獣が向かい合う。
「おい、おいおい…。」
「逃げよう。」
見上げて呟いた龍馬とアリス。混沌である彼女にもそう言わしめる、攻撃と言うには度が過ぎた破壊の塊が降ってこようとしている。
天の欠片だ。青く澄んで広がった天の一部。それが欠けて落ちて来る。音の壁を弾いて赤い尾を引いて、磔刑湖一帯を吹き飛ばさんと駆けて来る。
昔、星が降った日。その日もこんなにも良く晴れていて、あんな絶望の蕾が地に落ちたのだろうか。
崩天
流星に似たアクノマキアの体が【橙色の君】へ衝突した。轟音、山が揺れるほどの衝撃に備えて灰屍を地面に突き刺した龍馬。
ドクン、と鼓動のような響きが一つ。静まり帰る山。破壊の余波が一切ない。
嗚呼なぜ。可愛らしい笑顔が振りまくのが愛嬌では無く、震えるほど暗い絶望なのだろうか。
大口の中、闇に押し込んでいく。破壊も衝撃も痛みも彼女の体も、全てを飲み込んだ絶望の子がまた笑う。非力に見える細腕も、可憐に上げた口角も、混ざり合って風に揺れる橙色の髪も、何も恐ろしいところは無いというのに。その手折れそうな体に押し込めて破裂しそうな、子供を抱えるようなお腹だけが心を凍らせる。
一瞬、闇に飲み込まれていく前に見えたアクノマキアの顔が酷い頭痛を残した。
「龍馬、龍馬。」
「、ぁあ。…なんだ、アリス。」
掠れた声が出た。空気が冷える。少しだけ寒い。
「来るよ。」
分かっている。リリーを守れるのはもう龍馬だけ。だが目に入るあれが頭から消えてくれない。
押し込まれたアクノマキアが君の腹を膨れさせて、伸ばされた皮膚から彼女の姿が透過して見える。美しい程の絶望の写実が目の前で佇んだ。
まだ十そこら、未成熟な顔に身重な体。アンバランスな彼は絶望を身に宿すというのに不気味な笑顔のままで龍馬を見詰めた。
喜びから生まれ堕ちた絶望はどんなに痛くても悲しくても笑顔でいる事しか出来ない。それが絶望から這い上がる唯一の道だから。なのに希望を目指す道には想像に耐えがたい苦痛がいくつも在って、それを笑って過ぎる度絶望に深く堕ちていく。
歪んだ愛に染まった彼は、歪んで醜い姿をしている。
「ねえ、ボクって愛されテる?」
むせ返るようなあの日、頭だけになった彼女が見た彼の姿。肌を重ねて嬌声を上げる、花のように可憐な子。ぼくのモノだと言う振りをしたのは、リリーの中で育った君だったのだろうか。
「分けてやりたいなあ、灰屍。」
彼女の重い重い愛を少しでも、愛されたいと願う貴女に。
名前を呼んで抜き放つ、辺り一帯埋め尽くすほどの凶器的な殺意。まるで遅いと言われているようで少し苦笑が漏れる。
覚悟は出来た。
「悪いな、その腹掻っ捌いて返してもらうぞ。」
殺すと決めたその顔は酷く凶暴な笑みに染まっている。
後方へ退いてリリーを抱えて座るアリスは、混沌でありながら戦慄した。たかが武器が放つ、この世のものとは思えない殺気に。そして龍馬が持つ狂気的な一面に。つい先ほどまでは余りの絶望に狼狽えていた彼が、武器を手に提げた途端別人のように豹変したことが何よりも恐ろしかった。
頭痛がする。
記憶の断片が光って思い出した光景に、はっきりと映るのは龍馬が体中を串刺しにされている場面。
「助かるよアリス、テレス。」
自らの死が見えた、これ以上に有り難いことは無い。断片とはいえ何も知らない状況よりは遥かに優位、どうやら自分の体は穴だらけになるらしいことが分かった。
(針、鉄じゃあ無いこれは…龍貴が言っていた肉の棘針だろうか。)
そう仮定が立てれば後は早い。待つも退くも等しく悪手、進むが他は奈落の一本道となれば至極単純。
龍馬が駆け出すのとほぼ同時、【橙色の君】が口を開けた。黒ずんで形の悪い塊が高速で飛来する。
明らかに不気味な攻撃に選択肢は三つ、避けるか受け止めるか先手で封じるか。だがそれは何も知らない場合、今の龍馬が選ぶは一択。
距離は数mとまだ遠い今、ここで叩く。
走りながら灰屍で足元の氷を抉り、飛来する塊へと弾き飛ばす。二つは空中で接触すると、固い氷のせいで柔らかい塊の方は破裂した。
パアンと軽い音、塊が弾けた中から飛び出したのは気色の悪い色の大きな棘針玉。ガワより遥かに大きな棘針玉は氷など突き刺し砕くと、勢いそのまま龍馬へ迫る。
なるほど受け止めれば手元で弾けて串刺し、避けても後方で破裂の後から串刺しと言うわけか。笑みを浮かべた龍馬は急速に勢いを殺し、足元が滑らないよう氷床へと両足を突き刺した。
駆けた勢いを全て手元に収束させ振るう、その一撃が肉の棘針玉を切り崩す。
獄の型・虚洞
肉が凝縮した硬い棘針玉に人一人分の大きな空洞が出来た。避ける事無く再び駆け出した龍馬を遮るものは無い。
淀んだ黒に身が染まる。口元拭った舌、酷い苦みも味わい深い。
「モッと、もっとッッ!」
喉が膨らんで押し出した肉塊が再び飛来する。二十はあろうか、先ほどよりも小玉なそれは高速で龍馬を屠らんと連鎖爆発を起こした。
凌ぐので手一杯、飛び出した肉針が皮膚から血肉を掠め奪う。
「くっっそ…!」
止まない針の雨に顔を顰めた龍馬は再び予備動作へと入った【橙色の君】を見て顔を顰めた。今だって手いっぱいだというのに、喉が裂けるほどの膨らみは嫌な未来を鮮明に見せた。
視界が埋まるほどの大きな肉塊。大きさ故先ほどのものに比べれば鈍重だが今も尚降り続く針の対処に追われる龍馬にとってそれは逃げ場もなく迫る壁。
「龍馬!」
後方の叫び声に答える余裕も、考える暇も無い。
いやそんな必要は元から無かった。覚悟は決めたはずだ。
降りしきる雨に抵抗することなく、針が貫く苦痛も捨て置く。
可笑しいな、こんな風に彼女以外の為と刃を振るうなんて。どこか滑稽なのにどこか誇らしい。自分らしくは無いが、人間らしい。
鼓動する、燃える心臓が熱を吐いて煙を上げて。
「灰骨、煙焔…。」
迸る火が氷塊を焦がした。
灰骨煙焔・瓦解散塵
舞い乱れるように散った焦熱が散切りに肉塊を刻む。何十何百、何千と微塵の肉が塵へと崩れて燃え尽きていった。
不思議そうな顔へ憎たらしい笑顔を吐いてやった。
「はは…ッッ。」
溺れそうになる程の血を飲み込めず、苦しくなる程嗚咽する。
君の呆けた顔は何に向けてか。渾身の攻撃を搔き消されたことに、それとも目の前の男が何故まだ立っていられるのかということに、だろうか。
半着に袴は見るも無残。無数の刺し傷が痛々しく龍馬の全身を彩っている。氷上の鮮血が美術館に飾られた複雑なアートよりも美しく艶めいて、その中で辛うじて立つ姿はまるで「彼岸」と題された一枚の絵画の様。凛と咲く花は染められて紅をとり、また毒々しく嗤っている。
「まだァ?マあだああアあああ?」
好奇心に煽られた子供のように駆け出した君が龍馬の胸倉を掴もうと迫る。即座に細指を切り飛ばし小さな体を蹴り飛ばす。
氷の地面を斬り壊し、【橙色の君】の顔面へ弾く。そして死角から這うように滑り込んだ龍馬が大きく踏み込んで真下から切り上げた。
殺気のせいか、完全な死角からの一撃を足で受け跳び上がった君。曲芸のように回転し綺麗な着地を決めると、してやったりと苛立たしい笑顔で歯を見せた。
「見事。だが、うちのはそんなに慎ましくないぞ。」
その言葉に呼応するかのように【橙色の君】の足が付け根まで裂けた。驚き体勢を崩した君はすぐに傷を治して膝を着く。
足蹴にした罰だと言いたいところだったがしかし、尋常ではない再生能力に言葉を紡いでいる隙は無い。膝を着いた今が好機と氷の上を瞬足で駆けた龍馬は即座に間合いを詰めて彼女を振るった。
刀と腕がぶつかり合っているとは思えない金属の弾けるような音。好機から一転、押しているのは龍馬の方。近距離での打ち合い、肉玉を飛ばす暇を与えないようにと連撃の応酬は続いた。
龍馬の腕をもってして弾かれる彼の膂力には本当に驚かされる。細い手足は刃のついた鞭のように鋭く、決して大きくは無いが着実に命を削いでいった。
「ムンッッッ。」
そしてこの一撃。僅かでも距離を取れば口から吐かれる肉玉の炸裂が体中の傷にクる。咄嗟に刀で防いでも、針と爆発の衝撃が体の端々に響いて骨を軋ませ筋肉を引き裂いた。無理に動かした体から鳴る音が苦痛を増幅させる。
戦闘の興奮でハイになり忘れてしまいそうになるが既に龍馬は満身創痍。骨折数ヵ所に無数の刺創、肉玉の炸裂による爆傷は半着の下で痛々しく爛れている。
だというのに血を引いた口元は常に歯を剥いて、自然に零れる笑い声は剣戟の響きの中で不気味に奏でられていた。
眼の前の怪物をいち早く殺し、獣王を助けなければ。そう思う傍らほんの欠片程の願望が映って消えない。刃が技がこの怪物を殺さんと荒れ狂う中で、避けられ防がれることがたまらなく嬉しい。矛盾を噛み殺し苦悩する、妙に美しい死のやり取りが全身の細胞を震わせていた。
「むむム。」
不満そうな顔をした【橙色の君】が頬を膨らませて不貞腐れる。またその顔をみてしてやったりと唾を吐いた龍馬にムカついたのか細い腕の骨をゴキゴキと鳴らしながら四つん這いになって睨みつけた。身重の体を地面に這わせ首を一回転させた。傀儡のような機械的な動きに脈打つ生物の胎動がアンバランスで気味が悪い。
一方的にいたぶるのが楽しいのに、いつまでも笑顔を消すことが出来ないことに苛つきが溜まっていた彼は遊びを忘れて本気の顔。
「バあぁ。」
顎を外して大きく開けた口、舌が肉を纏って膨張する。太く、さらに太く大きくなった肉舌が一本の腕を形作って地を掴んだ。
メキッと罅割れの音がして跳躍した君が龍馬に高速で接近した。遠距離からの攻撃は防がれることを学んだのだろう振り下ろされる肉舌、握りこまれた拳が龍馬ごと氷を砕かんと叩かれた。
攻撃が一点と分かれば捌くのも他愛無く、峰を支え頭上からの一撃を防御した龍馬。しかしその破壊力は想像を遥かに超え、受け流さんと滑らした彼女ごと龍馬を後方へ弾き飛ばす。
勢いを殺す暇も無く山壁へ叩きつけられた龍馬の全身から、悲鳴のように噴き出した血飛沫。肉が裂け零れる骨、追い打ちをかけるようにやってくる痛みが苦しい喘ぎを引き摺り出した。
息も絶え絶え、立ち上がる余力も無い。そんな絶望的な状況で、こんなに追い詰められた瀬戸際で龍馬はまた嗤った。先ほどよりも厭らしく、そして掠れた声で楽しさを吐いた。
「そう、だ…これだよ…。これを、お前みたいなやつを、待っていたんだ…ッ。」
望んでいた。求めていた。この瞬間を、この戦いを。沸騰して火傷しそうな血と肉の踊り、奈落の淵で交わす死のやり取りを。
「楽しいなあ、えぇ?」
「いーーダッ!」
本気を出して尚拮抗する互角のやり取りに幸せと快感を感じている。可笑しいか、と引き攣る顔を見下してやる。不快な顔をした幼子に、存在の過ちを堕としてやる。ただ一人、愛されるはずだった少年を嬲り壊した罪として。
「ああ、悲しいなぁ。誰も君を愛さない。だから最初で最後だ。俺がお前を愛してあげる。」
不思議な顔を通り越し、【橙色の君】が初めて見せた嫌悪。眼前のニンゲンは瀕死に堕ちているというのに、より強くより深く抉るような殺気を放って倒れない。
生まれ堕ちたばかり。出会った自分以外の怪物に、君は初めて恐怖した。
「ぁ、ぁあアあ゛あッッッ!!」
畏れを掻き消そうと叫び龍馬へ向かって駆け出した君は、四つ足を縺れさせながら滅茶苦茶に肉舌を振り下ろす。辺り一帯を均すかのように迫った拳、堅く握った塊が龍馬を叩き潰す。
ことは無く。手首から先が宙に舞い、ただ君に魅せるため散切りに崩してばら撒いた。
「来いよ…寄生虫。」
龍馬の挑発を理解しているのかは定かでは無いが、それでも【橙色の君】はその表情が自分を馬鹿にしているということだけは読み取った。そして向けられた嘲りを消し滅ぼそうと憤る。
渾身の一撃を振り上げた、無様にも腹を見せて。自分が蜘蛛の巣に囚われた獲物だということも知らず。
一刀・獄の型
【獄の型・死屍折】
蜘蛛網の糸に絡まって、羽を折られた哀れな蝶々。四肢を捥がれた芋虫に死を待つ以外に道は無い。
彼女を鞘に納めた音だけが静かに響いた。正座した龍馬は力なく前のめりに蹲り芋虫へ、正確には君の中でお利口さんと黙っている獣の王へ呼びかけた。
「おい……、いい加減起きて手を貸せ…。流石に、疲れた…。」
傍目に映る芋虫はまだ生きているとはいえ自分を超える怪物を見てもう戦意は無い様子、しかしこのまま龍馬の意識が途切れたら最後の力を振り絞ってでも殺しに来るだろう。その前にアクノマキアを腹から引き摺りだして決着をつけなければ。
「ッ…世話の焼ける王様だ。」
体を引き摺り近寄った傍。横たわる【橙色の君】の姿には怪物だった面影の欠片も無く、そこには立つことも這うことも出来ずに転がって苦しそうにただ呻く哀れさだけが残っていた。
目が合った、水晶のような瞳から目を反らす。滲む露滴に見ないふりをして。
静かに抜いた刃からは全てを飲み込むような殺気は消えていた。ただその美しい刀身からは、時間さえ凍てつかせてしまうほどの冷気だけが張りつめていた。
躊躇うことは無かった。冷たい手で体を撫ぜる。優しく、膨らんだ腹へと切先を滑らせた。
黒い体液と共にドロリ零れ落ちた王様は赤子のように身を丸めていた。心地の良さそうに眠る彼女が目を細め気を戻す。
「おはよう。」
「…んぁ。」
まとわりついた体液を気持ち悪がって振り払う彼女は寝起きの子供のようで、先の激戦を忘れてしまうかのように気の抜けた時間が流れた。
全く、と恨み言は後にして。一先ず、終わったのだ。幕が下り、これでようやく平穏が戻ってくる。
「リョウマくん、?」
あとは帰るだけ、と安堵の息を吐いた。張りつめていた気持ちが緩み。酷い疲労と出血が急激に襲ってくる。その後は覚えていない。糸の切れたように龍馬の体は氷上へと崩れ落ちた。
第百話を見て下さり有難うございます。これからも命の限り頑張っていきますので応援よろしくお願いします。見ていて下さる皆様がいる限り続けられるよう努力します。




