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混沌に染まる  作者: 式 神楽
第五章 羨望の鏡
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第九十六話 僕、君の為なら壊れてあげる

第九十六話です。是非最後まで。

必ずしも幸せな物語では無いけれど、皆様にはどうか読んで頂きたいです。

 三人分のお茶を用意する。

 「お構いなく。」

 形式的な断りに微笑みで返し音を立てずに置いたティーカップ、客用に買った値段の張る茶葉の香りが湯気に混じって立ち昇る。


 中心に座った彼は据わった目でこちらを見詰める。人と会う予定も無かったため薄化粧の顔を少し傾け反らしてしまうのは、その美しい黒瞳に自分が移るのが怖かったからだろうか。


 夜より深い黒の髪、瞳の奥は遠く手をのばしても届かない程。端正な顔立ちに頬が勝手に朱を差していく。

 リョウマ、さん。そう呼ばれた彼は両手に華を、羨ましいと思うのは二人の方へ。秀麗なお人、歳は一回り以上下だろうと思われるのに漂う色気は大人のそれ。掛かる闇に溺れたいと願うのも浅ましく、歳熟れた女の性だろうか。


 「飲んで良い?」

 律儀にそう聞いたのは左手に座った彼女。初めは本当に開いた口が塞がらなかった、ああ正に彼女よりも美しい存在は無いだろうと確信してしまうほどの美女。金糸のような艶髪と触れるなど烏滸がましい白皙は踏み入れてはならない程神秘的に魅せられた。


 「火傷しないように気を付けてな。」

 アリアンナと呼ばれた美女はリョウマさんに諭されて、まるで子供のように嬉しそうな顔をしてお茶を冷ます。年齢はおよそ同じ位だというのに精神的に子供なのだろうか、彼女は見た目よりとても幼い印象を覚える。


 「さぁて。お話聞かせて頂いても?」

 そう話を促すのは右手に座って頬杖を突く少女。くすんだ銀色の髪が揺れる彼女の動きに合わせてフワリ、一見すれば少年かと見間違える無邪気さに隠れる女は歳の頃に似合わない程暗い。


 「そうでしたね、私なんかがお役に立てるかは分かりませんがなんなりと。…グロウヴィード卿には色々とお世話になりましたから。ええ、色々と…。」

 思わず出た苦しい笑い、両手を隠すように握りこむ。


 来訪者は突然にやって来た。この街に越してきてからほとんど見る事は無くなった自分と同じ人族のお客さんが三人。知らない顔をいきなり家へ通すほど無防備では無いが、彼等の出した名を前にしては無下に帰すわけにはいかなかった。


 「ある子供を探している。ここへ来れば分かると。」

 リョウマさんはそう言うとテーブルの上に置かれた紙切れに触れた。ここの住所とヴェルデ・リガース・グロウヴィードという名前だけが書かれたそれを一瞥し、またティーカップへと視線を落とす。


 「ある子供ですか。それはずいぶん…雑把な。」

 意味の無いはぐらかし。目を合わせられず俯く。

 彼は敏い人間だ、卿に促された時点で分かっているというのに冷酷な人。私のパンドラの箱、中身を見透かしておきながら錠前をこじ開けようとはせずに私自身に開かせようとする。


 「聞きたいだけだ、あんたの子供の事を。」

 ああほんと煩わしい。自嘲の笑みも何度こぼしただろうか。

 「私の子供だなんて。そんな、」

 気持ちの悪い。


 「え、?」

 声に出さず吐いた息に溶かす。嫌に角を歪ませた口の動きを見て取ったのか、アリアンナちゃんが怯えたような顔をする。

 驚いた?ごめんなさい。彼女が手に持っていた茶菓子を落として呆けた顔を上げた。私の顔が恐ろしかったのか隣の彼に半身を隠す。


 ティースプーンを静かに離して乾いてしまった唇と口内を潤わす。別に重くも軽くも無いどうでも良い話、全部あの日に置いてきたから潤して乾く前に翻せるように。


 「気持ち悪い、?どうしてそんな事言うの?なんでそんな悲しいこと…。」

 「アリアンナ…。」

 震わせた目には大粒の雫を溜めている。服を掴む手にはぎゅぅっと力を込めてこぼした涙を丁寧に拭ってもらう彼女。抉られた胸は穴が開いていて通り過ぎてしまうから平気だと思っていたのに、酷く乱暴にいたぶられた傷口はささくれ立っていて優しい言葉も苦しいだけ。


 私だって愛してあげたかった。

 「名前はリリー。」

 手繰り寄せる、追憶の中でさえ会いたくないのに。思い出でこちらに微笑んだあの子は花のように可憐だった。

 「捨て子だったのです。」


 雑言の飛び交う家の中。コンコンと細い音でノックされた扉を開けて飛び出した夜の下。もうすぐやってくる本格的な暑さを感じさせるように少しだけ蒸し暑い、そんな夜。


 目線の先には誰もいない。ただ足元で消えそうな、儚く小さな君。首も据わっていない幼い赤子は焼いたパイを詰める用の手提げの編み篭に、まるで割れ物を包むような厚手の布に包まれて扉の傍に居た。


 震える指を小さな手に近づけるときゅうと握り締めて来たのは忘れられないだろう。お腹の上に一輪の花と添えられた手紙には赤子を養子として迎えて欲しい旨、赤子を置いて姿を消えるに至った経緯と理由、そして少ないがと前置きされた手切れの金が少量。


 生まれたばかり、親も知らずに捨てられた赤子を放っておくことなど出来ず篭を抱き上げた。ふと目頭が熱くなって零れ落ちていく涙が止まらない。両手に伝わって話すことなど出来ない、命の重みに堰を切って溢れ出す。嗚咽に気が付いて外に出て来た夫は私を優しく抱きしめた。


 赤子を養子に迎えることを決めてからそれまでの生活が嘘だったかのように幸せだった。私が子供を産むことが出来ないと分かってから冷え切っていた夫婦の仲にも温度が蘇り、絶えずしていた喧嘩も消えていった。


 子宝に恵まれなかった私達へ神様からの贈り物、そう思ってしまうほどの多幸感。あの子を両手に抱いた温もりと柔らかな感触、あの時私はまるで「天にも昇る気持ち」だった。


 薄く黄色いその髪と同色の透き通る瞳。あの子の名前は「リリー」、あの子と一緒に篭に在った黄色いユリから文字って名付けたものだ。黄色いユリ。光や太陽のよう一番明るく、「元気」に「無邪気」に育って欲しいと想いを込めて。


 「血が繋がってないから、私達は懸命に愛を注ぎました。毎日毎日あの花のような笑顔を咲かせる為必死になって。あの人もあんなに大好きだったお酒を止めてしまって、本当に、幸せでしたよ…。」

 何もかもを諦めた悲愴な笑いを吐く。幸せは過去のことだと嘲ってまるで汚い物を見下すような目線を流す。歯ぎしりを聞かれまいと唇を噛んだ。だって悔しいと勘違いされたくないから。


 窓から差す陽の光が心地良く、反射する鏡に何でもない日常を映す。あの日もこんな風に捨てるほどあるような、特別変わらない日だったらどんなに良かったのだろう。


 肌を刺して焦げ付くような熱視線、見下ろして輝く陽が丁度真上に来た正午。拭っても噴き出す汗は煩わしいと感じなくなる程に服へと張り付いて、茹だった身体を重く濡らしていく。


 その日は驚くほど珍しく仕事の片が早く付いた。今日が何の日か、私の機嫌を察してか早く上がることを誰も責めようとはせずむしろ微笑ましい顔で送り出してくれた。


 今日で十二年が経つ。あの日出会い私達の溢れんばかりの愛情を受けたあの子は、すっかり大きく育って気が付けばあっという間。あの日から数えて誕生日は今日で十二回目、親の目贔屓だと揶揄されようがあの子はとても可憐な美少年へと成長した。


 本物の親子のように、なんて枕詞も聞かなくなって久しい。いつも悩んで仕方ない贈り物も今回は既に決まっている。簡単に決めたわけでは無い、けれどあの子にはこれが相応しいと店で手に取ったのは壁掛けの綺麗な一枚鏡だ。


 弾み足で帰路について玄関を開けると薄暗く、人の気配が一つも無かった。居るはずの二人は何処に行ったのか、疑問にならずすぐに察した場所は裏山の頂上に建てた小さな小屋。自然の中で伸び伸び暮らせるようにという想い、あの子が五歳の頃からお気に入りとしている場所。


 ああ、あの人が遊ばせる為に連れて行ったのだろうと汗だくになりながら鏡を抱えて山を登った。あの子が喜ぶ顔を早く見たくて、おめでとうと早く伝えたくて疲れた体に鞭打った。


 山頂は静かで涼しかった。木陰に建って影になった小屋、花壇にはあの子が好きなユリの花。黄色に赤色に(オレンジ)色、下向きに咲いて風に揺れる。強い香りが誘うそこは秘密基地のよう。


 中に居るのだろうか、ならそうだ驚かせてやろうと笑顔を満面に足音を忍ばせて近づいた。小屋からは話し声だろうかうっすらと息遣いが聞こえて来る。徐々に、ゆっくりと近づくにつれて大きくなる息の音。何をしているのだろうと玄関扉に耳を当てる。


 中からはくぐもった苦しい息の音、それが二人分。音を立てないよう静かに扉を押し開いた私の顔に笑みは無かった。

 鋭角に差す光が影を割る。ほんの少しだけの隙間からは噎せ返るほどの汗の臭いと、荒々しく途切れる()()


 血走り開き切った目を疑った。

 そこには愛したあの人に伏せられて喘ぐ、花のようなあの子が居た。


 汗と行為を隠すように強く香ったユリの匂いと、暑さが見せた幻覚だと疑った。そう信じたかった。でもそれは紛れも無い現実で、花のように可憐だったあの子は見た事も無い程情欲に駆られた表情で甲高い声を上げている。見たくも無い光景に吐き気がした、けれど目を離すことが出来なかった。


 気づく様子もなく耽る二人はこれが初めてで無いことを証明するかの如く、邪魔を気にする様子も見せずその穢れに身を委ねていた。


 隙間から片目を覗かせた私は動くことが出来なかった。時間にして僅か数秒のことが永遠に感じるほどだった。ふと乾いた目を瞬いて開いた視界、あの人の体に組み伏せられたあの子と目が合った。


 驚いて身を引こうとした。でもあの子は、リリーは特別驚くことも跨るあの人に伝えることも無く私の目をジッと見つめるだけだった。信じられないと目を震わせる私を見たあの子はこともあろうが、笑ったのだ。


 赤く火照った顔、快楽に歪んだ口はより醜く歪み開いて笑顔をつくった。まるで私を馬鹿に、嘲るように。隙間から禁忌の穢れを盗み見ることしか出来ない私を蔑むような笑顔で、情欲の艶に浸る淫らな笑顔で口に出さずに言ったのだ。


 ボ・ク・ノ・モ・ノ


 崩れていった。私の日常、叩きつけた鏡のように一瞬で割れ砕け散った。

 顔に爪を立てて押し殺した絶叫を、逃げるように山を下りて駆け込んだ家の中で吐き出した。喉が裂けるほど胸を突き破るほど、もう何もかもを掻き毟ってズタズタに散らしたかった。十二年で心の中を侵食したあの子の思い出を喉奥腹の底身体中から抉り出したかった。


 何度も何度も何度も何度も泣き叫ぶ度に笑うあの子が邪魔をする。天に昇っていた私の気持ち、地に堕ちてなお苦しめるあの子の火照った顔が脳にこびり付いて離れない。


 黄色いいリリーに赤が混じって咲いたのは、(オレンジ)色の揺すり花。オレンジリリーの花言葉、喘ぐあの子に「憎悪」する。


 「…後のことは知りません。時が過ぎてやって来たグロウヴィード卿があの子の事を教えて下さいましたが、私の全てが拒みました。何処で暮らしてどう生きているのか、知る事さえ気持ちが悪くて。」

 出会った日のように少しだけ蒸し暑い日だったら、額の汗を拭うように簡単だったのに。重く張り付いた汗、苦しい程に濃いユリの香り、穢れた欲に喘ぐ声と息、全てが靴裏に張り付いて汚れた泥のように残っている。暑い日のことだった。色を強く照りつける、あの日が未だ忘れられない。


 片目から揺れながら線を引いた滴が顎を伝う。

 「溺れるほど愛していたのに。」

 震える声に嗚咽が混じって思い出す。忘れようと、忘れたと言い聞かせる度強くなるリリーの香り。


 「…。無理に聞いて悪かった、話してくれてありがとう。」

 「いえ、役に立つというなら。でも…もう二度と。」

 歯軋りを隠して唇を噛んだ。震える唇を。もう一度会いたいなんて馬鹿な想いを隠す為。


 「さて、行こうか。俺達がすべきことは定まった。」

 彼女の顔を見ないよう目を伏せ立ち上がった龍馬は、寄り添ったアリアンナの頭を撫でる。アディラも口を開かずに、龍馬の後ろに付き従って彼女の家を後にした。背中に見送りの言葉は無く、閉じた扉。すすり泣く声は聞こえないふりをして。


 沈黙のまま歩いて遠ざかる。

 屋敷へ返る山の道。頂きに崩れた小屋、血の跡は雨に流れて消えていた。ただ残る、罅割れた鏡を拾い上げた龍馬は背中を引くアリアンナの髪を手で優しく梳いた。


 「リョウマ…。」

 鏡を持つ手に触れたアディラが目を伏せたまま懐へ、珍しく落ち着いた様子を見せて寄り掛かる。しな垂れる二人が胸元に髪を押し付けて、交ざる甘い匂いが鼻に抜けた。


 「ぼくね、リョウマ。今回は手を引いて欲しいって君に思ってる。だってあまりに、ぼくらが立ち入っていいとは思えないほど……重い、重いよ。」

 低く囁いた声が吐息に溶けて胸元に染み込んでいく。手に持った鏡、罅割れて砕けた鏡面に乱反射する顔。虚ろな眼は何処も見ようとはしていなかった。ただ空を見詰めるその顔に無を浮かべて。


 ぽっかり空いた穴、深くて底の見えない大きな闇。塞いであげたくて、でも自分には何も出来なくて。

 体も吐息も熱を持っているのに瞳だけ、どうしてそんなに冷たいのだろう。


 ねえリョウマ。君は今、何処にいるの?


 「行こう。」

 不思議そうに顔を見詰めるアリアンナ、目覚めたばかり赤ん坊の彼女には分からないのだろう。君の好きなリョウマは居ない。

 

 神様、彼を何処に隠したの?


 この先はただ堕ちていくだけの坂道だって分かっているのに、彼の足を止めることは出来なかった。破滅への道を進んでも良いと、壊れた彼でも構わないと。いずれ手に入るなら、なんて浅はかな想い。背中を追った彼女は無理につくった笑顔で彼を肯定する。


 ユリの花、欲に咲いて入れる(オレンジ)リリーを散らす為。

 足取りが重いのは背負ってしまったモノのせいだと心に言い聞かせて誤魔化した。




 凍り付いた磔刑湖。浮島の磔に寄り掛かる影が二つ。

 寄り添って蹲っていた。

最後までお読みいただきありがとうございます。ここから、これから。どうか応援よろしくお願い致します。

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