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混沌に染まる  作者: 式 神楽
第五章 羨望の鏡
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第九十五話 君の目に映る僕は濁っている

第九十五話です。遅くなってしまい申し訳ございません。今回めためたに長いお話となっておりますが最後までご覧いただけると嬉しいです。

 派手に仰ぐ草団扇。水打たれ汗流す果実の山。酒肴、美女侍らせるは玉座の主。

 血肉骨には獣神を宿し、大陸の長として君臨する。胡坐をかいて目を瞑る。

 アクノマキア・ケト・ハデルフロウ。

 いつも通り、変わらない。彼女はいつも滞る日常の流れに、退屈に飽きていた。


 その日も青の中に白が疎ら。穏やかな風が吹き抜けの宮殿を廻る。とても静かな日常があった。

 ただ一つ、北の山。頂きの湖が一晩にして凍り付いたという報告があるまでは。



 足音を置き去りに走る小さな体。長耳がたなびいて風を切るのは古木の杖を片手に担いだ老獣。

 勢いよく開放された王の間で舞う草団扇の隙間、入り口を睨みつけるように眼を覚ましたアクノマキアは来訪者の姿を見て飛び跳ね起きた。


 「じぃっ!!」

 「そう興奮なさるな、王。」

 満面に笑みと昂りを。牙を見せてぎらつく野生が侍らせた美女たちを怯えさせる。犬歯につり目、靡く髪の潤いと。自身授かった美貌としなやかな肢体、肩を並べようと背中が見える者さえいない。


 「下がって良いぞお主たち。……で爺、どんな面白を持ってきた?」

 口調を崩し待ちきれんとばかりに侍従を追い出した王の間には獣王アクノマキアと老公シドが二人、地べた白亜石の滑らかで美しい床に腰を落として向かい合う。


 興奮するなと窘めたシドが身を乗り出してアクノマキアの懐へと寄った。聞こえるはずもない廊下の侍従でさえも警戒しているのか、声を極限に潜めて。

 「今朝入ってきたばかりの情報じゃが…。」

 勿体ぶった言い方ええ神妙な顔、期待を膨らませるには十分な間だった。


 「磔刑湖が凍り付いたそうじゃ。」

 深い笑顔が張り付いた。



 大陸北の霊峰アルネカイナ。厳かな存在は信仰の対象として古より動物や人々に崇められてきた。日常の暮らしへ恵を落とし、時に自然という脅威の災いを振り下ろす。


 山頂の窪みは元より山が有していたものでは無く、人の手によって掘り下げられたものでも無かった。自然とは恐ろしく唐突に侵略し、驚愕と被害だけを残して姿を消す。

 【星降りの日】を知る者はいないだろう。何千年と古の記憶の中で神の怒りと題された厄日に残されたのは、巨大な喪失の穴。長い年月を経て穴は雨水によって底を隠され、いつの日からか湖と成る。


 磔刑湖。巨大な円状の湖の中心にポツンと人工的な小さな島。悪王と歴史の中で語られる時の獣王バルデンは大陸に獣人以外の血を入れることを嫌い、排他的で暴力的な支配を敷いていた。


 小さな島はその象徴とも言える負の遺産であった。バルデン支配下において咎人に逃げ場は無かったが、その恐れは人々に安心を与えてもいた。凶悪犯は罰される、と。

しかしその実はあまりにも暗黒であった。バルデンが最も罪深きと罰したのは何十と人を殺した者でも悪心持って他人を欺き不幸に落とした者でも無く、隅へと追いやられ食べ物も盗むことでしか得る事の出来なかった他種族であった。


 浮島には鉄の十字架だけが立っている。手・足首に力も魔法も封じる杭を、体に死ぬことは決して無い痛みを与え続ける鎖を。刑を言い渡された人間は浮島の十字架へと磔にされる。叫びも嘆きも届かない、広く美しい湖の中心で。誰にも看取られず、忘れ去られて。


 磔刑湖には骨が沈んでいる。肉も血も風化して、青に溶ける白い骨が。



 国の象徴霊峰にある湖が凍り付いたなど一般に公表することは出来ず、極秘に集められた調査隊は僅か十人にも満たない数だった。

 「遅いのぉ、王が首を長くしてお待ちじゃ。」

 「う、これでも急がせたのですが…。」

 と申し訳なさそうに目を伏せたのは黒服に黒手袋の黒帽子。黒い紳士は黒杖を提げて姿勢を正すとシドの後ろへ立つ王へ深い敬意を表した。


 「毎度律儀だねえ。急の呼びかけですまないけど、まあ…賢いお前だ、これは緊急のこと。」

 「ヴェルデよ、覚悟せい。」

 黒紳士もといヴェルデはそう、既に事態を理解していた。自分が王宮に呼ばれる用事など多くない。その中でも獣王が不気味に挑発的な笑みと、師である賢獣シドの深刻な面持ちは全てを如実に語っていた。


 「混沌ですか、また。」

 ブルッ、と音が聞こえるほどの大きな震えに鳥肌が立ったシドとヴェルデ。振り返って唾を飲んだそこには揺れるほど沸く好奇心を抑えたアクノマキア。


 「いや。楽しみが、抑えきれないんだ。カ、ハハハッ。名前を聞いた途端にさ、血管があたしの体中を駆け巡る。」

 此度観測では二体目の混沌、しかし一体目の混沌はシドとヴェルデによって観察対象に落ち着いてしまった。故に彼女が混沌という存在に相対するのは今回が初。


 「人も揃った、準備は良いかい?シド、詳しいことは道中に。行こうアルネカイナ。ああもう…火照って仕方ないや。」

 呟いた熱い息、とめどない。アクノマキアの後ろに着いて調査隊は宮殿を出立した。目指す磔刑湖までの道のりを走って。

 彼女はこれから知る事になる。混沌という存在を、そしてこれまでとは比べ物にならない餓えを。



 足が遅いと担がれるのは仕方ない、しかし何とも間抜けな姿。調査隊隊長の肩から降ろされたヴェルデは申し訳なさそうな顔で礼を言うと服を正して咳払いを一つ。

 「ここが山頂、そして磔刑湖ですか。」

 言葉と共に吐いた息が少し白い。アルネカイナは標高も高く気温が低いのは通常だが、ここまで肌を寒さが刺激するのも目の前の光景が理由を示してくれていた。


 「見事、と言うべきか否か…。」

 驚くほどに静かで痛いほどに冷たい空気。報告通り、磔刑湖の水面は美しい氷床へと姿を変えていた。

 「ゾクゾクするねぇ。」

 「それはお主が薄着だからじゃ。」

 シドがアクノマキアに外套を着せ、早速連れて来た調査隊へと指示を飛ばす。


 一晩にして巨大な湖を凍らせるという異常、混沌という異質な存在の仕業であるのはまず間違いない。そうだとするならばどうやって、僅か能力の欠片でも解明できれば相対した時に役立つだろう。

 湖の中に生き物は現在まで確認されていない、故に水が凍り付いてしまったからといって大きな問題があるわけでも無いのだ。しかし、もしもこの混沌が獣人族の敵となり得るならば。


 水面の氷を砕き始めた調査隊。魔法や人為的なもので水が凍ったならば何かしらの要因が発見できるはず。年数度の水質調査でも特に問題は見つからなかった磔刑湖、氷を採取して成分を調べれば要因が判明する可能性も高い。


 ガガッ

 杭打ち式の砕氷機が音を止めた。

 「老公、これを…っ。」

 調査隊の一人が振り返って叫んだ。掠れた声は上擦って、衝撃と奇怪さに表情が追いつかず痙攣している。他の隊員も同じように寒さのせいではない震えに襲われている。


 近づいて氷面を覗き込んで絶句した。

 砕氷機は氷屑の中に埋まっている。しかし別段可笑しいのは氷を砕き始めてもう数メートル、杭の長さが足りないこと。


 「おい、おいおい。」

 アクノマキアも冷や汗を垂らした。誰しもが冷たい空気の中で汗をかくことを止められなかった。何故なら全員が氷は水面だけに敷かれていると思っていたから。しかし違う、予想を裏切ってこの湖は一晩で姿を変えてしまった。


 湖の水が底まで全て凍り付いている。


 「あり、得るのですか…。この湖の底が一体どれほど深いとっ!」

 誰に問いかけるでもなく叫んだヴェルデ。全員が同じ気持であったのは言わずもがな、これは最早天変地異を凌駕しているのでは。


 「…一先ず切り上げるしかなさそうじゃ。当の混沌もここにはおらん、宮に戻り大陸全土に捜索命令を出すのだ。」

 調査の中止を言い渡したシドは事態の重さを一番早くに理解していた。ここに混沌がいなくて良かった、これは数人程度の手に負える代物じゃあ無いと。


 「静かにっ。」

 機具を回収する調査隊を突然黙らせたのはアクノマキア。真に迫った表情で両目を力強く瞑っている。鋭敏な聴覚をフル稼働させて拾った音は静寂の中でさえ小さい。

 ……ィィ

 ………ミィィィ

 シンと静まり返った磔刑湖の畔、何か鳴き声らしき音は浮島の方から皆に届いた。


 「な、に。」

 遠く小さな浮島に十字架が立っている。

 ミ゛ィィ

 か細く虫のような鳴き声は苦々しそうに、濁り汚く泣いている。

 信じられないと眇めた眼の先、それは確かに居た。十字架にもたれ掛かって眠る、小さな異形。


 ミ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛

 一瞬で姿を消したそれは眼で追う必要も無く、次に存在を確かに拾ったのは耳。鳴き声が近く、足元から揺れる濁声の叫び。


 「逃げろォオ!!!!」

 ピンッッ

 弦が小さく弾かれたような静音が響いたと同時、アクノマキアの体が氷に包まれた。


 「陛下ッ!!」

 流石と言うべきか彼女の身体能力のおかげで突き飛ばされたヴェルデは間一髪冷気を逃れて尻を着く。氷のオブジェと化したアクノマキアに手を伸ばすがすぐにシドへと抱えられて遠くに後退させられた。


 誰もが口から止めていた息を荒々しく吐くことしか出来なかった。瞬く暇も与えられずに奪われた言葉と深い呼吸、透明な氷像を見て開いた目と口を閉じることが出来ない。

 ただ小さな濁りの鳴き声が虚しく冷気に消えていく。


 「狼狽えるな。」

 ここでやはり頼りになるのは賢獣シドだった。力強い第一声を発することで皆の凍り付いた言葉を溶かしていく。


 「しかし老公、王が…。」

 「あれでは、もう…っ!」

 調査隊が動揺を口にする。そうだ、湖を一晩で凍らせるほどの力。先ほどの爆発的冷気のことだ、一晩どころか一瞬で湖全体を氷に代えてしまったのだろう。ならば考えずともアクノマキアはもう体の芯まで、血液も筋肉も神経も。


 「いえ、陛下は。あの方はその程度で力尽きる人ではありません…。」

 「うむ。」

 震えてはあったが強く確信した声で断言するヴェルデ。そして同意するシドも自身を持って頷いた。

 力に、強気に餓える強獣が一瞬で屈するなど。そう簡単であったなら彼女の空腹に困ることは無いのだから。答えるように鼓動は鳴る。


 氷像の中で震える心臓の熱が脈打って大地に轟いた。氷像を見詰めて静かに鳴いていた小さな異形が飛び跳ねた、直後バシッと快音立てて罅割れていく氷像。


 ミ゛ィ゛ィ゛

 異形は泣き叫ぶ、崩れ落ちる氷像の中で笑う強獣に。ガラガラと氷塊を砕いて現れたアクノマキアは滾る覇色の奔流に熱気を抑えられずにいた。


 這う姿は芋虫のように醜く、一メートルにも満たない身体に左右七本ずつ計十四の触手のような細い腕。三本の指は長さも不均一、顔は無く足も無い。直接に開口する穴には棘のような鋭い牙が円状に生え揃う。これをなんと形容すれば、怪物と蔑むこともしなくて良いだろうか。


 蠕動する芋虫は子供のような鳴き声で、産毛の黒を手で弄る。それが嫌悪を濃厚に重ねていくというのに、更にたまらないほど気色を汚す。


 強獣と異形、向かい合うのはどちらも怪物。

 王が何かを囁いて目の前の異形へ笑いかけた。牙を剥いて吊り上がる目が獲物を捕らえて離さない。


 「始まるぞ。」

 シドの小さな声に視線が集まった。離れた場所から見つめる二つの相対。喉の音がはっきりと。


 「王の狩りが。」

 ブツッ

 途切れ引き千切れる音で始まった王の狩り。余裕、嘲り、挑戦、とニタリ笑った王の口には触手のような腕が二本、噛み千切られて牙の餌食。


 「プゥッ…不味ぃな。ああ悪い、一口貰ったよ。」

 吐き出されて尚動く触手を踏みつけたアクノマキアは鼻で笑って異形を見下ろした。言葉は当然か通じていないだろう異形、しかし自分が馬鹿にされた事は理解できたらしい。


 ミ゛ィ゛ァ゛ァ゛ッッ

 濁声で叫んだ異形は、その場で飛び跳ねた。

 「!?」

 アクノマキアは見上げたが既に遅し、まるで蚤が小動物の背から逃げるかのような高い跳躍はあの小さな体を一瞬にして見えなくしてしまったのだ。


 二秒、落下の気配は無い。

 直後、横腹が抉れた痛みを脳が受け取って叫んだ。

 弾けた肉片と血が氷に掛かって透明を色づける。元の場所に戻って来た異形の唯一の変化は、ぽっかり空いた口の中小さな歯に咀嚼される腹の肉だけ。


 「ぁあん?」

 乾いた笑い声が掠れて漏れる。唇から伝う血を舐めとったアクノマキアは流石と言うべきかすぐに状況を把握した。


 直上跳びをしたかに思えた異形、しかしその実山なりに跳ねた体はアクノマキアが気配を察知できるギリギリ外へ。そして小さな体を収縮、再び瞬足の跳躍。まるで狙撃するかの如く彼女の腹部を抉り飛ばしたのだ。


 命を掠める一撃の交わし合い。悲しそうに鳴いた異形と嬉しそうに笑うアクノマキア。

 「あれが、混沌の本質…。」

 「…。」

 ヴェルデの呟きにシドは答えなかった。ただ黙って目の前の戦いを見詰めたまま。


 アクノマキアが動いた。

 彼女の武器はその速さにある。しかし今それは完全に下位互換、瞬発力も異形を下回る。ならばと剥き出した鋭い爪は鋼鉄さえも溶けかけたバターを撫で切りにするかの如く裂いてしまう強力な武器。


 振り上げた余波が湖の氷を容易に切り裂いた。しかし異形は跳び上がって難なく避ける。厄介な機動力だ。触手腕は二本減らしたとてまだ十二、変わらない速さで這い跳ぶ小さな体を捉えられない。


 両腕十爪が無差別に空を裂いて異形を追う。だが嘲笑うかのように避ける異形。全て掠りさえしない。

 「仕返しのつもり、カァッッ!!」

 咆哮がビリビリと空気を震わせた。離れているヴェルデ達も耳を塞がなければいけないほど。音の衝撃に吹き飛ばされた異形は窪みの山壁に叩きつけられて動きを失った。その一瞬、減り込んで止まった僅かな瞬間を逃す彼女では無い。


 はずなのに、彼女は踏み込まなかった。

 二ィィと口端を吊り上げたアクノマキアには悪い癖が在った。

 「馬鹿者…。」

 頭を抱えて項垂れたシド。苦言を呈するのも仕方ないだろう、国中の誰もが知る国王の悪癖それは。


 「ほらもっと、あたしを満足させてよ。」

 手を地面に着けて四足の獣へと成った彼女は餓えている。常に強者と戦うことに。

 自分が満たされるまで相手を生かし持つ力を絞り出させること。王は簡単に死ぬことを許してくれるほど優しくは無かった。油断では無い、強獣故の特権だ。


 ミ゛ィ…

 猶予が与えられた異形は小さく蠕動して飛び跳ねた。再び山なりに距離を取る。溜息を吐いて呆れた様子のアクノマキアは下らんと一言、興が冷めたと立ち上がる。


 一つ覚えか、腹を抉って勘違いしてしまったのか。あれは余興で、たかが王の戯れだというのに。


 「爺、あいつ混沌じゃあないよ。だって。」

 シドの方を向いて残念そうにそう言ったアクノマキア、言葉遮って握り振り上げた拳がギリギリと音を立てる。


 バンンッッッッ

 蝶遠距離からの体狙撃、今度は心臓を的確に狙って放たれた異形はしかし届くことは無かった。


 「ほら、弱いもん。」

 轟音、撃ち落とされて潰された異形は元の姿見る影無し。破裂した芋虫は血風船を割ったように地面を赤く塗り潰していた。




 「持ち帰られた異形の体を調べて分かったのはそれが人であったという事実、そしてそれがまだ生まれて間もない赤子であったという事実だ。いや、生まれ損ないと言うが正しいか…。」

 「生まれ損ない、か。」


 獣国の脳シドが智恵を絞る事一月、異形の存在を決定付けた。アクノマキアの本能的直観は正しく、異形が混沌では無いという結論に至ったのだ。

 しかしそれでは湖を一瞬で凍らせた怪物はどこに。


 「混沌は赤子では無い、しかし湖を凍らせたのはやはり赤子である。それが師の結論だった。皆理解に追いつかない中、師だけは真理へと辿り着いていた。」

 賢獣シドは簡単なことだと言った。誰もが至る、いや行き着く場所に答えはあると。


 「勿体着けるな。」

 龍馬は次を急かした。しかし彼も既に答えの行き止まりへと辿り着いていた。簡単な事だった。それでもヴェルデの口から真実が吐露されるのを待っていた。


 簡単なことだった。全ての最悪を合わせた先が迷宮のような真実の行き止まりなのだから。


 「【母体】、そう名付けられた彼の混沌。彼が持つ能力は人知を超えた能力を持つ赤子を産み堕とすというものだ。」

 「…つまりは混沌が、混沌に近い存在を何体も作り出すってことか。チッ、本当に最悪だな。」

 これまでで二体。湖を凍らせる赤子、無数の肉針で無差別攻撃をする赤子。どちらも強力、手に余るほどの怪物だ。


 「ああだからこれ以上産ませるわけにはいかないのだ。」

 「なら早く見つけ出して殺すしかないだろう。」

 「それは…ッ!」

 立ち上がった龍馬の腕をヴェルデが掴んで引き留めた。必要だったとはいえ長い時間混沌を野話にしたまま。龍馬はこれ以上無駄な時間を割きたくないとヴェルデに目で訴える。


 「だめだ、これ以上刺激しないでくれ。彼を攻撃しなければ新しい子供は生まないはずなんだ。」

 「…お前は何故そうまでして。【亡兄】もとい【銀色の君】の時は俺に見極めろと言ったが今度は不干渉を貫けと。なんだ、そんなに少年とやらは危険なのか。」

 見極められては不都合だと彼の目は言っている。龍馬は確実に少年を殺すだろう、と。それならば尚更だ、危険極まりない混沌を子供だからという理由で見逃すほど龍馬はお人好しの馬鹿では無い。


 「あの子は可哀そうな子なんだ。罪無い少年なんだ、小さな命なんだ。」

 「だが混沌だ。」

 「…。」

 混沌に染まった人間の命がいつまで存在しているのかは分からない。しかし彼は不幸な子供の生を信じ憐れんでいる。


 溜息を吐いて頭を掻いた龍馬はヴェルデに向き直る。どうでも良かった、しかしこうまでして悩む彼の心が知りたくて理由を聞き出そうと踵を返した。


 「感情では動かない、だが何も知らず殺すのは癪だ。それで良いなら話を聞こう。」

 「…ありがとう。だがこの話は私からではなくある女性から聞いて欲しい。」

 納得とまではいかないような表情で頷いたヴェルデ。まだ龍馬の気が変わる望みはあると、だとすればより効果的な方法を選択する。


 ヴェルデは紙切れにその人物が居るという住所を書くと龍馬に握らせた。

 「龍馬、どうかお願いだ。見極めて欲しい。」

 それに頷くことは出来なかった。【銀色の君】の時とは違いその言葉には偏った望みが乗っていたから。また時間を喰う羽目になったと不満を垂れた龍馬は部屋を出る。


 「どこか行くの?」

 「ああ。」

 廊下で待っていたのは桜。心配気な彼女の言葉に短く返事をした龍馬はアディラとアリアンナを呼び出して身支度を整える。


 「行ってくる。」

 その言葉にはついて来るなという強制が込められていて、桜は踏み出すことが出来なかった。

 屋敷を出る三人の背中を笑顔で見送る桜の目は笑っていなかった。


 「どこに向かうの?」

 寝ていたのだろう二人は眼を擦り欠伸を惜しげなく披露する。

 「目指すは山の向こう、獣人の街だ。」

 港から一つ大きな山を越えた先、獣人が人口のほとんどを占める大きな街がある。ビナンの街、ハデルフロウ最大の街。混沌の情報はそこにある。


 三人は歩き出した。一歩ずつ、悲しい結末へと向かって。ゆっくりと。

最後までお読みいただきありがとうございます。今回は特にありがとうございます。一話で掻き切りたいと思いながら、気づいたら文字数があんなに…ともあれ皆様ほんとうにありがとうござます。これからも応援よろしくお願い致します。

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