第九十三話 君は僕の
第九十三話目です。祝百投稿!!!!
皆様本当にありがとうございます、この【混沌に染まる】という小説がついに百投稿を迎えました!!本編百話ではありませんが、全てを合わせて百の区切りでございます。嬉しい、ひとえに嬉しさがこみ上げています。いつも本当にありがとうございます。これからも何卒応援よろしくお願い致します。
蟻だ。
「りょうあー。」
四肢を捥いだ蟻を見せている。
発音も儘ならない無知な私の頭を優しく撫でるその手は温かい。
「どうしてそんなことするんだ。だめだろう?」
彼は困った顔で私を諭す。その顔がたまらなく好きだったから、馬鹿なふりをして笑うの。
「えへへ。」
ごめんなさい。本当はこんなことする子じゃあ無いの。私は良い子、誰の邪魔にもならない迷惑を掛けない大人しい子なの。そうやって躾けられたから。
でもあなたの前では悪い子でいるの。あなたに迷惑をかける馬鹿な私でいるの。だって私が良い子で、面倒見る必要も無くなったらあなたはどこかへ行くでしょう。
目尻や口元に出来る皺は笑い皺と言って、それがある人は良く笑う素敵な人なんだって。心の底から浮かべた笑顔が皺になって刻まれていくんだって。その話を聞いたとき素敵だなって思った、同時に本当だったら良いなって思った。
だって私、笑顔で殴る人を知っているから。楽しそうに、鬱憤を晴らすように。
跨って首にかかる重圧が愛の証だと思っていたから。私嬉しかった、愛されているって。
私が馬鹿でいる限り、あなたは私を捨てられない。あの日、母が死んだあの日。あなたは救い出したから、あの部屋から。愛の檻に囲われた私を。重い枷、絶対外してあげない。
残酷ね。真の愛に閉じ込められていた私を奪ったあなたは、嘘の愛しか私にくれないんだから。
愛って痛い。愛って思い。愛って悲しい。愛って苦しい。
「りょうあー?」
「ん、どうした桜。」
桜の花びらのように白くて美しく、可憐に育ってくれたら良い。花言葉にも見合わない私は美しくなれない。それでも良い、あなたが私を忘れなければ。
「すき?」
「…ああ。」
苦しそうな顔、愛おしい。私は本物の愛をあげる、あなたは偽物で良い。偽物で良いから私を愛して、私の物になって。そのためなら私はなんだってするんだから。
蟻だ。
四肢を捥がれた蟻が蠢いている。
全てを失って藻掻くけど、だれもあなたを必要とはしない。
私以外は。
「龍馬…。」
小さく呟いて目が覚めた。瞼の隙間に入り込んでくる雨夜の明りでさえ眩しく感じる。握り締めたシーツは少し汗ばんでいたせいか冷たくて、ずっと寝ていたせいか床ずれで背中も少し痛む。
「サクラ様、!良かった。倒れて三日、ずっと目を覚まさなかったので心配していたのです。」
隣でずっと看病してくれていたのだろう身を乗り出したベルフィーナがほっと溜息を吐いた。宮廷の一室だろう誰の二人以外には気配も全くしない。
眠気眼を擦る内ハッと手元にあるはずの物が無い事に気付く。左右を探した枕元、机に置かれている本が一冊。急いで取り上げて胸の中大切に抱きしめた古びた本は【聖姫巫女見聞録】。捲ったページはもうずいぶん昔のものだというのに所々が汚れている程度。
「あの。ずっと看ていてくださったのですね、ありがとうございます。」
「…いえ。当然です。」
ところで、と不思議そうな顔でベルフィーナへ問いかける。いつも居るはずの人間がいないのだから当然だろう。
「殿下は今外に出ております。」
「こんな雨が降っているのに…。」
カーテンの好き目から大粒の雨が見える。何をしに行ったのだろうか、こんな夜更けにこんな雨の中。
起き上がろうとした桜を止めたベルフィーナ、まだ安静にしておかなければ。別にどこが悪いというわけでは無いが、彼がそう言ったのだから。
「屋敷の方へ行きたいのですが。」
「いえしかし、」
あの夜の出来事を覚えていないでしょう。
幼気な女の子からたった一人の家族を奪ってしまった哀しみ、強すぎる心の痛みがあなたを壊してしまうのではないかと。
いや、もう壊れているのかも知れない。私達が気付く間もない内に彼女の心は崩壊の音を上げている、それがとても恐ろしくて考えないようにして来た。
大事そうに腕の中にしまった【聖姫巫女見聞録】という本、それは本当にあなたを救う物なのでしょうか。世界を救うという大義名分のため、あなたを糧にする魔の本ではないのでしょうか。
「だめですか。」
その瞳が恐ろしくて何も言えなかった。本を手にして、力を手に入れサクラ様は強くなった。あの教会での凄惨な夜を繰り返さないようにと、祈りの力を身に着けた。
この世界に召喚されて月日も経った。私達も信頼を築けていると感じているのに、それを信じることが出来ない。まだ恐ろしい本心が隠されているような気がして、サクラ様に疑いを向けてしまう。
何も言うことが出来なかった。行きましょうと言う彼女の微笑みは優しく見えたのに、目を合わせることが出来ずに頷いた。
所々で土砂崩れが起きている山を奔り登る二人。会話は無く、どちらも恐ろしいほどに真顔だ。珍しく笑みを消したアディラは前を行く龍馬の背中をジッと見つめている。
段々と濃くなる気配はおぞましく気持ちの悪いものだ。龍馬はこの気配を知っている、一方的に恐怖を押し付けるような無遠慮の殺気。
混沌だ。
「静かだなぁ、おい。」
鬱陶しいほどの静寂が癇に障る。
「腹が膨れて、満足したか?」
燃え滾るのは憤怒。これは自ら清算すべき戦い。映るのは赤子、いや所詮醜悪な異物か。
「吐き出す必要はねえよ。」
冷や汗を落としたのはアディラ、自らに向けられていないというのに震えがする。屋敷で話を聞いた時からずっとここに来るまで、蓄積し凝縮し無理矢理に押し留められた殺気。それは感じるだけで裂傷を受ける幻覚を見るほど鋭くなっていた。
「死を拝め。慈悲は無い。」
ゆらり抜いた刀身が降り注ぐ雨粒を切り落とし、それは二つに分かれたことにも気付かず地面を濡らす。刀身に映る激情が眠る血を滾らせて鬼の形相を魅せた。
一刀 獄の型
【歯車】
ゴリュリュリュリュッッ
雨音の中で響いた音は斬撃からかけ離れた異質なもの。何かが挟まれねじ切れるような響きは想像に容易い痛みを脳に焼きつける。
極致の速さは一刀の峰を累、逆方向からまるで歯が噛み合うように肉をねじ切る。残像よりも硬質で、分身よりも濃密な剣気。アディラでさえ僅か一瞬ではあるが龍馬が二人に見えただろう。
「はっ、とんでも無いね全く。」
生唾を飲み込んだ。その技の美しさ、そして残忍さに。刃では無く峰で打ち潰したのはただ只管に痛みを与える為、あの龍馬がここまでの怒りを魅せたことに。
大きな頭はひしゃげて原型も忘れてしまった。嫌にあっさりと終わった戦闘に雨音が戻ってくる。
しかしおかしい、断末魔の欠片も無い。まだ不気味さが残る山頂、龍馬も気掛かりなのだろう。
ガサッ
草むらが揺れた。小動物だろうか、ここには人ほどの大きさを持つ気配は無い。そう思っていたのに、草を掻き分けて出て来たのは人間だった。それも血塗れの大男、よく知る顔の。
「へへ、やりすぎだろう龍馬。中に居たら死んでたぜ…。」
気丈に降る舞い木にもたれ掛かった男は、もう人ほどの生命力を有していなかっただけ。
「龍貴。」
「ガラーシュ、無事だったか?」
歩み寄る背後で塊になって落ちる血に目を向けられない。一歩、龍馬ではなく死に近づいているのに他人の心配をするなんて。ああそうだこいつはそういう男だ、だからこんなにも。
「手間取らせて悪いな、こいつもう死んでたんだ。二人が来る前、急に息を引き取ってな。」
鼓動も無い静寂に納得がいった。断末魔を発しなかったのも既に命の火が消えていたせい。
生まれた赤ん坊は親の愛を受けて成長する。愛を受けなければすぐに死んでしまうから、生み親は必死にそれを注いで命を繋ぎ留める。
けれど、けれど。正常に生まれなかったこの子は、生まれ堕ちてしまったこの赤ん坊の命はどれだけの愛情を注ごうと短く潰えてしまう。可哀そうなのではない、ただ悲しいんだ。
「そうか。はは。俺は…酷いな。」
蔑笑が止まらない。そうかこの子は悲しい子なのか、なのに俺は激情で死子を辱めてしまった。
「俺の為なんだろう。ありがとう。」
自分の方が苦しいというのに肩を摩った龍貴の手に体温は無い。
膝が落ちて泥が跳ねた。力なく笑って崩れる。
「龍馬。ガラーシュに、お前のせいじゃあないと…伝えて、くれ。」
だめだ。絞り出した声が濡れていて音にならない。
「はぁ…恩を返せなくて悪いな……」
雨音が五月蠅いだけだろう、聞こえない。声が聞こえない、なんて言っているんだ。
「頼む、何とか言ってくれ。」
返事を待っている。寒く冷たいこの夜の下、もたれ掛かる彼の存在が消えていく。
「リョウマ。」
何で聞こえるんだ。お前の声は聞こえるのに、
「龍貴の声が、きこえない…っ。」
「風邪ひくよ、今日は帰ろ。」
胸が締め付けられていく。心の穴が広く深くなっていく。
充分すぎる愛を与えられたのに流れ落ちたせいで死んだ赤子を辱め、短くも時共にした仲間を自分のせいで失った。
大きさを増していく穴に闇が蔓延りを見せた。
「リョウマ!!!だめだよ、それ以上は戻れない!!」
染まっていく。夥しい量の闇はどす黒く全てを飲み込んでいく。
「誰だっ!」
背後に気配を感じ取ったアディラ。一刻も早く龍馬を侵食する闇を止めなければいけないというのに。
突然の来訪者に容赦の無い殺気をぶつけた彼女はその正体に気付いて鋭さを潜める。
「龍馬…。」
「ぐぅっ…ぁぁぁァ゛ァ゛ァ゛ッ!」
優しく温かい声が頭を胸を握り締めて蹲る龍馬を抱きしめた。
「彼のこと、私なら助けられるよ。」
闇の侵食が始まった龍馬を背後から包んだの彼女は、存在を希薄に消えそうな龍貴を指して言った。
「さく、らぁ…たすけてぐれぇ…っ!」
涙混じりの静かな叫びに頷いたのは桜だった。雨の中、ベルフィーナを伴なって来た彼女。
「任せて、龍馬の為に私は居るんだから。」
柔らかく微笑んだ。愛おしい人を抱きしめる少女は母神ような慈しみを抱いて見える。
その場で恐怖を覚えていたのは一人だけ。
桜の心の中、異なる感情に気付いていたのは一人だけ。
ああ龍馬可哀そう。でも大丈夫。
あなたは私が助けるから。
なんて幸せなんだろう。ありがとう、お礼に瀕死になってくれたあなたも助けてあげるわ。
ああこれでやっと、あなたを私のものに出来る。
最後までお読みいただきありがとうございます。いつも皆様ありがとうございます。見て下さるだけで私幸せです。これからも頑張りますのでぜひ応援してやってください。




