心の原子構造
チャイムが鳴り、新学期が始まった。といっても新しい高校生活に期待を膨らせているわけではない。中高一貫校でクラスメイトも先生も見慣れた人ばかりだから。変わったことがあるとするなら、制服のネクタイの色、あと教室の位置。でも教室の位置なんて毎年変わるものなのだから本当に大して変わることなんてないんだ。慌ててドアを開けて入ってくる女子がちらほらと見受けられる。毎朝、各クラスのカースト上位の女子がこぞって集まり、学年の廊下の真ん中あたりに君臨している。彼女もきっとその一人なんだろう。先生は、高校生活が始まるにあたり、各々が明確な目標をもって過ごすようにと話してショートホームルームは終わった。僕は人生においていくつかの目標というかポリシーに近いものがある。人を傷つけないこと、周りに流されすぎないこと、プライドを高く持ちすぎないこと、人生はロマンティックでも悲観的なものでもないから起きたことに対して一喜一憂しすぎないこと。いつからかわからないが、今までの人間関係で学んだ事なのだろう。先生が教室から出ると同時に、ゲリラ豪雨のごとく喋り声が響きだす。学年の最初というと、陽キャ男子の周りには4,5人ほど取り巻きがいる。僕はこういう残酷な人間関係が嫌いだ。人と接する時は常にお互いが対等であるべきだと思うんだ。でもそういうふうに賢く生きていかなければならないということも理解できるし、そういうスキルがある方が生きやすいということもわかる。ただ僕はそういう生き方をしたくないというだけなんだ。でもこんなことを当人たちに言うことは決してない。今までもこれからも。僕のポリシー、「人を傷つけない」に反するから。僕は、陽キャグループが遊びに行こうという話になったら誘ってもらえるようなタイプではあった。必死に陽キャになろうとしたり、人気者の周りにいたいと思うのは痛いことと思っていた。むしろカーストに関係なく色んな人と接するように心がけていた。僕は面白い人と一緒にいたかった、陽キャであろうと陰キャであろうと。でもこんなことを常に心がけて生きているわけでは決してない。とりあえず、出席番号の近い磯貝に話しかけた。
「やぁ、また一緒だね!今年もよろしく。」
彼とは中1と中3の時同じクラスだった。自分から目立ちに行くタイプではなく性格は穏やかで、水球部のキツいトレーニングに耐えていた彼は文武両道で、高身長、さらに顔立ちもきれいだった。一つくらいは僕に譲ってくれと言いたくなるような典型的なイケメンで、女子からは常に一目置かれる存在だった。
「岩崎、まただね。話せる人近くにいてよかった。女子に囲まれてたら俺高校のスタート空気になってたわ。」
笑いながら少し安堵の表情を見せた。それから他愛もない会話をした後、僕は下藤のところへ行った。彼はテニス部に所属していて去年は体育祭実行委員では副委絵員長を務めていた。いつも子分のように数人を連れて歩いている陽キャという言葉が一番似合うような奴だった。連れて歩いているという表現が正しいかはわからない。彼が望んでそうなっているのか、陽キャにくっつきたい奴らが勝手にいつもいるのか。僕の学校では委員長は高1、副委員長は中3が務めるということになっていて、どんな集団にいてもあることだと思うが、二番手を務めた奴は将来的にその集団の長になるという暗黙の了解がある。だから彼も将来的には体育祭の開会、閉会の言葉を述べ、トロフィーを授与することになるのだろう。今まで陽キャやその取り巻きのことを批判的に言ってきたが下藤のもとへ向かうとき自分自身もその一人ではないかと思い唇をかんだ。生きるとはこういうことだ、というなんとも曖昧な魔法の言葉を言い聞かせた。下藤のことを嫌っているように聞こえてしまったかもしれないが、僕と彼の関係は良好だった。彼とも中1の時同じクラスで、よく遊びに行った。同じアニメが好きで、電車を乗り継ぎ1時間ほどかけて都心のアニメイトに一緒に行ったこともあった。中2、中3に上がっても廊下で会ったら会話をするような仲だった。そんな彼に肩を組んで話しかけた。
「今年はやっと同じクラスだね。何年ぶりだろう?中1の時以来だもんね。」
直接同じクラスで嬉しいと言うのは少々恥ずかしかったのかもしれない。
「相変わらずチビのままだな。先生が言ってた今年の目標、お前にとっちゃ早く寝て背を伸ばすだな。」
10㎝程彼は僕より大きかった。平均身長より小さい僕はよくいじられるからもう慣れていた。彼の声には意地の悪い感じはなくあくまでいじってくるという程度だった。お互い、テストの点数や少しお茶目な部分が出ていたらよくいじりあった。
「今さ、あいつらと今週の日曜ボーリング行く話してたんだけどお前も来る?」こいつらというのはさっきまで下藤の周りにいたテニス部の本田、中田、剣道部の近藤のことだろう。近藤とは面識がなかったが、3年も同じ学校にいるとお互い顔と名前くらいは一致していた。
「いいよ、日曜なら空いてる。誰が来る感じ?」
分かってはいたものの、強がってしまう悪い癖が出た。
「あ、本田と中田、あと近藤。お前近藤と面識あったっけ?」
「顔はわかるけど話したことはない。今度紹介してよ。」
「分かった。他に誰か誘いたい奴いる?」
「磯貝とかは?あと女子は?」
先ほどまで話していた磯貝の顔がふと頭に浮かんだ。女子を誘ったら単純に盛り上がるだろうと思った。男女という関係は非常に難しいものだと思う。僕の中では女友達という関係が一番心地よく感じていた。小学生のように男女の壁がない状態が楽だと思った。この問題において高校生という肩書は鬱陶しいものだ。でも生きていくうえで避けて通れない男と女という存在。現時点では考えても答えは出ていない。経験と時間が解決してくれると信じている。
「え、女子?お前相変わらず女たらしだな。まぁいいよ。女子は誰誘うか今度話そう。磯貝はお前に頼んだ。」
あいつはスケベな笑みを浮かべて日曜の話はひとまず終わった。何度も目をこすり7時間目まで乗り切って高校生初日は終わった