異世界じゃない先生・後編
久しぶりに会えたあの子は笑っていた。
学校の屋上。金網のフェンスに座っている。
カタカタと音がしてる。
「先生」
「……何、やってんだよ」
「そこのカバンの中に遺書。その中に、今まであったこと全部全部書いてるから。パソコンのバックアップにもあるから。先生は、救われてほしい」
視界の端にカバンが見える。真っ黒の、好きなアーティストのキーホルダーと、チェーンだけのがぶら下がるカバン。ああ、全部は取り返せなかったな。ごめんな。
「何、言ってんだよ……! おい!」
「先生、さよなら」
「待っ……!」
待つわけない。もう金網を踏み越えて、足を離すだけだ。
追いつくわけもない。十五メートル。俺は漫画の主人公じゃないんだ。急にそんな力に目覚めるはずもない。
意味がない。
けれど。
それであきらめる理由にはならない!
無我夢中で駆けた。もうあの子は落ちていって視界にはない。
勢いのつきすぎた体はそのまま金網に思いっきりぶつけた。
業者の手抜き工事か、由緒ある学校の老朽化か、ぶつかった拍子に金網が上から外れていって、俺はその勢いのまま上半身だけ前に飛び出しくの字になった。
その先には、飛ぶように先を『いく』あの子がいた。
実際には落ちているのだが、90度曲がった俺には校舎の壁という地面の上で風を切って、まるで魔法でも使っているかのように浮かんで空を滑走する魔法使いのように見えた。
正しくは、地面に向かって顔から落ちていく学生だ。
なのに、何故か、その姿はワクワクしているように見えた。
なんでだよ。
そんなわけないだろう。
お前は、命を捨てたんだぞ。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな!
ごしゃ。
あ。
初めて聞く音だった。
へえ、こんな音がするんだな。
そう、思った。あと、あと、なんだっけ?
ぽつん
と、その時俺の頬を水が流れていった。
泣いたわけではない。泣けるわけがない。泣いていいわけがない。
俺よりももっと上。空が一滴こぼした。
あ。
その冷たさがスイッチとなり、一瞬でせり上がってきた激情が俺を金網から吹っ飛ばした。
屋上の出入り口に飛び込み、駆け下りていく。
何段飛ばしかも分からない、ただ、おちていく感覚。不均等、不揃い、不格好なリズムでおりていく。
どんなに急いでも意味はないのに。もう、たぶん、死んでしまった。
がただたばたばた。
ざー。
雨音と足音。遠くでは青春の喧騒。
遠い。遥かに遠い。もう届かないのだ。そこには。俺が憧れたその教室にはもうたどり着けないだろう。
俺が、殺したのだから。
人殺し教師。
勿論、あの子が俺をそうしてやろうと思ったわけではないだろう。あの子なりに、俺が救われる方法を考えたのだ。
けどな、俺という人間が救われ、俺という教師が死んだ。
がらがら、ぴしゃーん。
きゃー、という声にもどこか楽しそうな雰囲気が混じる。
むわっとした湿度。
あの子は今、びしょびしょだろう。
あまりにもだ。あまりにもだろう!
一階。転げるようにおりた俺は、目を見開いて驚いている女子二人組を尻目に駆け出した。
玄関で立ち往生する生徒をすり抜け、突然の雨に駆けて戻ってきたサッカー部の部員たちをかき分け、飛び出した。
右!
校旗や国旗をあげるポールが三本並んだ広場の向こう。二、三人の生徒がそこで青い顔をして傘もささず立ちすくんでいる。
ぴか。
校舎の影となるそこが照らされ、こんな雨の中、倒れこんでいる生徒が見える。
泥でも雨でもない真っ赤な液体を零して。
近寄る。近づく俺はもはや獣のようだろう。どうやら、足にひびが入っているらしい。
痛みでうまく動かず、手で近くにあるものを掴んでは引き寄せその勢いで前に進む。
ごろごろ。
広場の植え込みを引きちぎり、ポールを掴み、あと少し。あと少しで
どがあああん。
鼓膜を突き破るような音、いや、実際突き破ったのかもしれない。
もう音なんて聞こえなかった。
別にいいか。もういいんだ。俺は、教師、カヌチエイトは死んだのだから。
ぴか。
また、光る。
今度はよりはっきりと倒れこんだあの子の姿が見える。
光のせいで真っ白だ。
その光に驚いたのか、あの子を見ていた生徒たちがこっちを見る。
こっちを見る?
全身が震えている。そして、光っている。
あ、これ。
俺に落ちてるな。
どぐわあああああん。
ポールに落ちた雷が妙な反響をしながら、俺は、自分の生涯の終わりを悟り、目を閉じた。
そして、心の中で。あの子に一言。
ごめんな、最期に一言、声をかけることも出来ないような先生で。
高校教師、カヌチエイトの人生はここで終わった。
お読みくださりありがとうございます。
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この作品の為に、長編や短編で修業兼世界観作りしているので更新間隔は序章終了後は、かなり空くと思われますが、それでもよければブックマークよろしくお願いします。
改めて、お読みくださりありがとうございます。