私にだってプライバシーはあるから
それから佐紀が地竜を討伐し、別空間に収納してから二人は冒険者ギルドへと戻った。
「なあ、今更だけど普通Fランクじゃドラゴン討伐しちゃいけないんじゃないか?」
そして本当に今更な疑問を佐紀にぶつける。
一般的な異世界ものでは最低ランクは薬草取りなどの簡単な仕事しか受けられず、多少都合がよくても1ランク上の仕事までしか受けられない。ドラゴン討伐がいかほどのランク帯の仕事かはわからないが、まさかFランクやEランクということはないだろう。それだとこの世界の人間が強すぎる。みんな佐紀じゃん。
佐紀も晃の趣味に合わせて異世界ものの小説を読んでいるおかげで特に何か付け加えることもなく言いたいことが伝わったようだ。ああ、と呟くと思い出すように顎に指をあてながら答える。
「それなら問題ないみたいだよ。この世界、なんかそういう制限とかないみたいだから。推奨ランクは書いてあるけど基本的には自分の命は自分で守ってくださーいっていうスタイルみたい」
「なんか適当だな」
「でも中世ならそれが普通なんじゃない?むしろ異世界小説系の過保護さの方が中世っぽくなくて矛盾しているような気はするけど」
実際晃も佐紀も中世がどの程度命を守ろうと思っていたのかは知らない。二人とも頭がいいとはいえ研究者ではないのだ。やっていてもせいぜい高校レベルプラス雑学が豊富な程度。研究者がやるようなことまでは流石の二人でもわからないのだ。
とは言え世界は中世っぽい異世界。少なくとも現代よりも命の価値は軽いと思う佐紀の思考は一般的だろう。
「まあそんなことはどうでもいいじゃん。とりあえず換金しちゃおう、換金」
換金、という言葉に一瞬監禁かと思ってびくっとするが文脈からいってないと一安心。
「あ、受付のおばちゃ~ん。以来完了したよ」
冒険者ギルドの扉を開けるとまっすぐ先に見えたおばちゃんに声をかける佐紀。おばちゃんがびくっと反応したのが見えたが誰も何も言わない。だって怖いもんね、佐紀。
「あ、ああ。そう言えばあんたたちドラゴン退治の依頼を受けてただろ。よく無事に帰ってこれたね」
流石受付のおばちゃんも人に血が通っているだけあって佐紀が死んでいればよかったなんて表情はない。本気で心配していたような顔だ。
「ん?依頼受けるときに確認しなかったのか?」
「兄ちゃん何言ってんだい。ここは受けた依頼の用紙に代表者がサインしてこの箱に入れる仕組みになっているのさ」
そう言うとおばちゃんは投書箱のような箱を指さす。つまり佐紀がいつの間にか依頼書に自分の名前書いてその箱に入れていたというのか。
あれ?俺ずっと一緒にいたと思ったんだけど。そう思う晃の記憶の中では依頼書にサインをしていた佐紀の姿などない。箱の中に入れるくらいなら晃が目を離したすきに可能だろうが、晃は佐紀が近くにいるときに佐紀から三秒以上目を離したことなどないのだ。理由はまあ、ほら。ヤンデレだから。
「じゃあ佐紀はいつサインしたんだ?」
「え?晃が目を離したすきにちょちょっと」
「俺そんなに佐紀から目を離してないぞ?」
「知ってるよ?」
そして晃ははあとため息を吐く。もう異世界に来てから察してきているのだ。なんでもありなんだなあ、と。
「魔法ってすげえ」
「魔法関係なくない?」
「え?」
「え?」
珍しく二人の認識に齟齬があるようなので、晃が訊ねる。
「いや魔法でちょちょっとやったんだろ?」
「サインとかのこと?」
「うん」
「やってないけど?」
「うん?いやだって魔法使わないと無理じゃないか?」
「無理じゃないよ?」
佐紀の何言ってんの晃みたいな表情に戦慄を覚え始める。
「な、なあ。まさかとは思うけど、これくらいのことはこっち来る前からできた?」
「もちろんだよ。私にだってプライバシーはあるからこのくらいのことはできないといけないし」
「いや、言ってくれれば――」
「え?だって晃に見られてて悪い気はしないどころかいい気しかしないし止める理由なんてないよ?」
つまり佐紀はこう言いたいのか。普段はずっと晃に見ていてほしい。でも本当にたまに佐紀にもプライバシーがあるから、それを守るために色々素早くやるすべをつけた、と。
「いや待ておかしい。なんで依頼を受けることはプライバシーなんだよ」
下着も裸だって見られてもいいというのに。
「だって晃嫌がるでしょ?晃が嫌がることを私がしたいなら、それが私のプライバシー」
確かにドラゴン退治とか嫌だけども!
「でも晃は私の下着とか裸とか見ても嫌じゃないでしょ?むしろ嬉しいでしょ?」
そそそそんなことはありませんよ!?
「私だって本当は晃の嫌がることはやりたくないんだよ?でもこれから二人で円滑に暮らしていくには必要なことだったし」
なんだか申し訳なさそうな佐紀を見ているとドラゴン退治に勝手に言ったのも許せてきてしまう。あれ?俺ってこんなにちょろかったか?晃、異世界に来て佐紀に着実に攻略されている模様。
「ま、まあ今回は良しとしよう」
命の危機もなかったし。
「じゃあ受付のおばちゃん、換金お願いします」
今度は俺の言葉におばちゃんが首をかしげる番だった。
「何言ってんだい?」
「いやだから換金ですよ。お金に換えるで換金」
なんだか今度は晃とおばちゃんの間で認識の齟齬が生まれている模様。おばちゃんと晃が話しているのを見て少しずつ機嫌が悪くなり始めた佐紀は顔は笑っているのに目だけ笑っていない状態で、少し声のトーンを落として言う。
「たぶん伝わってないんだと思うよ?」
なんかいつもより寒気のする佐紀の声にまさかおばちゃんと話すのすら嫉妬するとは思っていなかった晃が戸惑いながらもどういうことだ?と問う。
「私たちがドラゴンを退治したって思ってないんじゃない?」
「ん?……ああ!」
晃、そこでようやく気づく。晃からすれば数々のイベントを乗り越え、かつ異世界小説を読んできたおかげで佐紀のチートにはすでに順応してしまっているが、この世界の一般的な人間からはそうではないだろう。ましてや相手はあのドラゴン。晃の思っているものと差異が大きくないのなら、普通の人間に倒せるような相手ではない。
「おばちゃん、私たちドラゴン倒したんだよ」
しん、と静まり返るギルド内。今まで酒を飲んでいた人でさえその言葉には耳を疑い佐紀を見る。
「証拠に今からドラゴンの死体だそうか?空間魔法でしまってるけど」
そしておばちゃんが動いた!
冒険者の誰もがその言葉を信じず、かつジョークだと思ったこの状況で、冒険者が笑いだすより先にあのおばちゃんが動いたのである!
そう何を隠そうこのおばちゃんは、(今では見る影もないが)かつて美人で毒舌、だが仕事は優秀なギルド嬢と呼ばれた大人気の人物だったのだ‼
まあ過去の話はさておきこのおばちゃん、人を見る目はそこらの冒険者よりあるつもりである。流石に佐紀たちがドラゴンを倒せるとまでは思っていなかったが、佐紀を真正面にしてこの目が嘘を言っていないことを見破ったのだ。あとどう考えても振り回されてそうな晃の方が嘘を吐いていないことも。もうこれが嘘だったらお前ら演劇団行けよとツッコミたいと思っているレベルである。
「ま、待ちな!こ、ここはまずい。まずいから裏手の解体所に行ってから頼めるかい」
額の汗がツーっと頬にまで垂れてくるのを感じるおばちゃん。
男の方はまともそうだが女の方がやばい!そして何より男が女を止めるほどの立場的な力を持っていないからここでドラゴンの死体をだすと言ったら絶対だす!そんな真意から慌ててでた言葉はとても正しかった。
後のこのおばちゃん、この適切な対応のおかげで名誉ギルド嬢としての地位を盤石にするのだが、それはまた別の話である。あと余談ではあるが、名誉ギルド嬢になった後も決して晃や佐紀に感謝の念を覚えたことはなかったらしい。