私なしでは生きていけなくしてあげる
「ていうかちょっと待て、さっき異世界って言ってなかったか?」
「え?うん、言ったけど?」
晃が天を見上げたときに目に映ったのは明るい空に浮かぶ二つの白い月のような星。そして思い出す。確かに佐紀は異世界っぽいとか言っていた。
「だってこれって異世界転移ってやつでしょ?いきなり知らない地に飛ばされ見たこともない動物に襲われ、しかも晃も見た通り月っぽいのが二つある」
晃がいくら陽キャ爽やか系モテ男子だからと言ってラノベとか漫画くらい読む。それも鬼滅のなんたらとか進撃のなんたらとかそんなのを読んでイキっているタイプの人間ではない。これは学校の人たちも知らないことだが、実は晃は隠れオタクなのだ!エッチな絵を描いている中学生の義妹で白髪美少女がメインヒロインのちょっと過激なタイトルのラブコメも読めば、じゃんけんに勝てるチートを持つ主人公と残念女神と頭のおかしい魔法使いとドM騎士がメインのコメディ小説だって読むのだ!
だから佐紀に異世界だと言われて少しだけ晃の身体がうずく。晃だって男の子である。陽キャ爽やか系モテ男子とは言っても男の子なのである!異世界、興奮しないわけがない。
「そ、そっか。異世界、異世界かあ……」
徐々にその興奮は脳へと染み渡り、そしてそれは佐紀の魔法を思い出すことへもつながった。
「もしかして佐紀が魔法使えたってことは俺も魔法が使えるんじゃ?」
周りには誰もいない。ここに晃たちを召還したのが誰かはわからないが、召喚したからにはチート能力を持っていたっておかしくないはずだ。現に佐紀はいきなり魔法を使えていたではないか!
「え~?晃には無理だと思うけど」
「な、そんなことないだろ!佐紀にだって魔法使えたんだから俺にだって使えるはずだよ!」
「無理だと思うけどなあ」
しかし佐紀は不安なことを言ってくる。むしろ佐紀に魔法が使えたのに晃に使えないことの方がおかしいじゃないか。同じ地球人だ。一緒に召喚されたのだ。
晃は頭を振って不安を振り払い、右手を突き出し力を込めて叫ぶ。
「唸れ俺の炎!!」
数秒待つも炎はでない。晃の叫びだけが青い空と緑の草原、そして佐紀の微笑みの中消えていく。
「…………」
さすがに最初からこれは無理あったな。そう自分に言い訳する晃の顔は赤い。
「と、とりあえず最初はもっと簡単そうなところからいこう」
晃のイメージが良くなかった。よく異世界系の小説ではイメージが大切だと言う。晃はイメージもろくにせずただでかい炎だけを求めてしまった。これはよくない。……佐紀がちゃんとイメージしていないように見えたのはきっと晃の見間違いだ。そうに違いない。
「水でろー」
先ほどの叫びが恥ずかしかったため、今度は小さな声でそっと右手をだす晃。すると見えるではないか。右手から溢れんばかりの水、水、水!晃の想定以上にでた水は周囲を水浸しにしていく。
「きゃあ!」
佐紀の可愛らしい嬌声が響き、薄水色の下着が透けて見えた。ナイスだ水!素晴らしいぞ魔法!!……それが佐紀の魔法でなければ、な。
晃の隣で佐紀も晃を真似るように右手をだしていた。そしてその右手からは晃のかけ声とともにでた水が今も出続けている。
晃の右手はどれだけよく見ても水らしきものは見えない。とてもよーく見れば太陽に反射する水らしきものが見えたが、それもただの手汗だ。
「もう、水浸しになっちゃったよ~」
よくよく考えれば佐紀の下着など見ても喜べるものではない。頼まずとも見ることができる佐紀の下着姿なんてもう興奮は覚えないのだ。もはや兄弟の下着姿を見せられていると言っても過言ではないほどに。
「晃も水浸しだね」
佐紀の魔法は大量の水をぶちまけ、それは当然晃にも被害が及んでいた。佐紀ほどではないが、晃もかなり濡れている。佐紀の魔法でだいぶ濡れたのに右手だけには被害が及んでいないのはどんな神様のいたずらか。
もしかして俺には魔法が使えないのか?不安に襲われる。もしかして佐紀が俺に無理そうとか言ったのは魔力みたいなものが感知できたからではないのか?
「そうだよ~」
佐紀が晃の心の声に反応する。
そうか、俺には魔法の才能がないのか。オタク系青少年としては残念極まりない。晃は心底落ち込んだ。佐紀が晃の心を読むことはいつものことなので気にしない。
ただそこで問題が浮上する。この世界が魔法の使える世界ならば、それに応じて生き物全体の強さも上がっているはずだ。さっきの牛と馬を合わせた生き物のように、この世界の生き物は強いかもしれない。そうなると晃は自分の身を守る手段がない。この世界の人々はたとえ魔法が使えない人がいたとしても身体を鍛えるなりなんなりするだろうが晃は生粋の日本人、いくら体育の成績が優秀でも戦闘技術なんて身に着けていないのだ。
「あれ、俺の異世界生活詰んだ?」
もしかしたら何かしら違う能力みたいなものがあって、それこそ今はまだ発動していない可能性もある。死に戻りみたいな。しかしそんなものに期待はできない。まさかこれから生きていくのも必死な場面で偶然能力が発動したり未知の能力が目覚めるのを待てと言うのか。
無理、絶対無理。
「晃、心配しないでいいよ」
「え?」
そこで頼もしい声が聞こえる。佐紀だ。そう、晃のことが大好きで晃のためならなんだってできる佐紀である。もしも彼女が普通の女子ならば晃を見捨てて生きる可能性もあっただろう。そうなれば晃が異世界で生きていける可能性は皆無だ。佐紀が爆散させた生物みたいなやつがわんさかいるなら晃は絶対に生きていけない。
だが佐紀である。晃を愛してやまない佐紀である。未来が見られる日記がある世界に行ったらあのメインヒロインといい勝負ができる佐紀なのである!
晃は目を輝かせる。佐紀、今なら君の今までのヤンデレ行為、許せそうな気がする!
ただ、佐紀が頭のいい女の子だった。佐紀は晃のためならなんだってできるが、こんなチャンスをみすみす逃す人間でもないのだ。
「晃のことは私が一生面倒見てあげるから。どんなピンチになっても私が助けてあげるしお金もあたしが稼ぐ。異世界で生きるためには私なしでは生きていけなくしてあげる」
最初はまだ晃も感謝の念があった。少し表現がオーバーな気がするが佐紀のことだ、晃に対してはよくこういうものの言い方をする。しかしその言葉が進み不穏な言葉が聞こえたとき、晃の額から一筋の汗がたらりと落ちた。まずい、これはヤンデレモードだ。
佐紀の目の光が消える。
「私が全部全部全部、晃のためにやってあげるから。異世界だもん、日本の法律なんて関係ないし晃のためなら私なんだってできるよ。異世界なんだからきっと違う国にでも逃げれば法律なんて関係ないしね」
佐紀が今まで日本の法律を守っていたのは、法律に違反すれば逮捕され、晃と会う時間が無くなってしまうからに過ぎない。つまり、佐紀は晃と一緒にいられるのなら平気で法律を破れる。
もしもこの世界が一般的ない世界もののように中世的世界観なら、違う国に逃げてしまえば確かに法律なんて及ばないだろう。佐紀はこの世界でなんだってやってしまえる。
身体が震えた。晃の手はその身体より大きな痙攣をしている。
「なあ佐紀?俺のこと大切にしてくれるのはいいけど、俺は平和に生きたいからできるだけ社会には馴染もうな、な?」
震える声をなんとか押し殺して伝える。今回のヤンデレモードはちょっとやばい。なんせ何やるかわからないのだから。
「晃、私が聞きたいのはそんな言葉じゃないよ」
もはや佐紀の目にハイライトはなかった。
「誓ってよ、私に。ずっと一緒にいようってさ。じゃないと私、晃と一緒にいるために何するかわかんない」
脅しだ。まさか晃を殺して永遠に、なんて手段はとらないだろうが場合によってはその可能性すらでてきた。言うしかない。佐紀の求める言葉を。
息を吸うのすら嫌になる。その言葉が佐紀に届かなければいいのにと本気で願う。
「……………………佐紀、ずっと一緒にいよう」
躊躇いがちに言った言葉だが、佐紀は目にハイライトを戻した。どうやら晃の願いには反して佐紀はしっかりその言葉を聞いたようだ。
「うんっ!言質、とったからね」
晃の言葉に間違いがないことを確認するように晃の唇に佐紀が人差し指をあてた。上目遣いで晃を見るその瞳はキラキラと輝いている。
満面の笑みの下にはいつだってヤンデレが見え隠れする。
ああ、もう、本当に。ヤンデレでさえなければ可愛いのに。晃の思いは虚しくも佐紀には届かなかった。