第一話 旅立ち
閉めきった雨戸の僅かな隙間から入ってくる朝の陽射しと共に チュンチュンと小鳥の鳴く声が聞こえる。
「んんっーー」
黒髪の少年が両腕を伸ばし、起き上がった。
「さぁーって、今日はついに未知の世界への冒険だ!そして……この呪いを解かないと……」
そう言って彼は自分の左手の甲を見た。
するとそこには謎の青い渦模様が描かれていた。
この青年の名は、『ユラト・ファルゼイン』と言う。
見た目は普通の青年だが、生まれたときからなぜか謎の模様が手の甲に刻まれていた。
両親は神官や医者に、その手の甲を見せたが「何らかの呪いを受けているのではないか?」ということしか分からなかった。
そして呪いのために、魔法を使用すると通常の人の倍以上の魔力を消費してしまう体質になっていた。
彼の両親は十数年前に結界が解けたときに現れた魔物の大群に襲われ、他界している。
身寄りの無いユラトは、村の人達の助けを借りながら、冒険者育成のための冒険者学校を出て、しばらくここで一人暮らしていた。
「考えていても仕方ないか……さっさと朝ご飯食べて出かけるかな」
そう言いながら木の雨戸を開けると、近くにいた小鳥達が飛び去っていき、太陽の光が入ってくる。
(眩し……)
ユラトは眩しさのあまり一瞬目を閉じたが、直ぐに目が慣れ、辺りの景色を眺めた。
(………)
見ると、昨夜降っていた雨は既に止んでいて、空は雲一つない晴天に恵まれているのが分かった。
「今日は良い天気だ……」
しかし遠くの海の方へ視線を移すと、水平線の先に薄っすら黒い霧があり、それがその先の全てを覆っているのが見えた。
(あそこは……中々晴れないな……)
この霧は神話や伝承によれば、魔王が死ぬときに放ったとされる視界を遮る程の黒い霧状の気体であり、世界中を覆っていると噂(今のところいく先々に存在している)されているものだった。
そして人々は、黒い霧で覆われた場所を『暗黒世界』と呼んでいた。
この霧がある場所に長時間(個人差がある)魂や魔力を持つ生命体がそこに留まっていると、様々な害悪(人が魔獣化したりモンスターが凶暴になったり、体調不良や疾病等)があると言われている。
水平線を眺めていると、杖をついた老人が向こうから声をかけてきた。
「おーーい!ユラ坊、おはようさん」
「あ、ウェン爺、おはよう!」
ウェン爺と呼ばれた、この老人はウェン・プロスといい、この村で一番の物知りであり、最高齢の老人でもあった。
ユラトは幼き日より、この老人から様々なことを教わっていた。
この村はオリディオール島の西にあるラーケル地方にある、イシュトと呼ばれている村である。
「ユラ坊や、ついに暗黒世界へ旅立つのかい?」
「うん!これから朝食をとって、それからギルドに行こうかと思っているんだ!」
「さっきアートスから帰ってきた奴から聞いたんじゃがの、暗黒世界の開拓地で、また魔物の群れに襲われたらしいぞ、幸い死者はいなかったが、けが人がでたらしい。お前さんも行くなら気をつけてな」
「そうなんだ……気をつけて行く事にするよ」
ユラトが答えたときには、ウェンはすでに歩き出し、背を向け手を振っていた。
そして、暗黒世界の事を想像しようと思った矢先にユラトのお腹が音を立てた。
グゥゥゥ………
「まずは、朝飯作るか……」
ユラトは着替えを済ませ朝ご飯の用意に取り掛かった。
すぐに芳ばしいベーコンエッグの匂いが部屋に広がっていく。
サラダとパン、ミルクも用意し食べた。
「うん、うまい!しばらくは……戻らないから食料は買わなくていいかな」
彼は朝食を終え、外出の準備に取り掛かった。
「必要なものは……これと、あとこれもか……まあ、そんなに持っていくものは無いか」
確認し終えたユラトは、必要なものを鞄に次々入れ始めたが、特に持っていく物もあまりなかったため、すぐに支度を終える事になった。
「忘れ物はないな……よし!出かけるか」
出発の準備を終え、ユラトは家を出た。
彼は、冒険者ギルドがある都市アートスへ向かった。
アートス市。
ここは暗黒世界から近年発見された新大陸から最も近い場所にあり、オリディオール島の全人口の3割ほどの人が住む大都市である。
ここには冒険者ギルドや港、そして他にもたくさんの店があり、大陸からもたらされた様々な品が取引される。
オリディオールにいる人々は、この都市の港から船で黒い霧に覆われた未知の世界へ旅立って行く。
ユラトは徒歩でイシュトから出発し、昼前にアートスへ着いていた。
イシュト村は山の中にあったが、なだらかな場所であったため、彼は時間と体力をほとんど消費する事無くたどり着いていた。
アートスの町の中は奥へ進むにつれ、近隣の村々から出稼ぎに来ている人や冒険者、アートスの市民、商人など、多くの人が行き交っていて、周囲を見渡すと露天や屋台が数多くあり、活気に満ちた賑わいを見せていた。
今日も元気に客引きをしている店主の声が響いていた。
「今日は良い物があるよー!」
「美味しい果物はどうかね!」
「お客さん、見ていってー!」
ユラトは、辺りを見回した。
「よーし着いたな。いつ来ても人が多い場所だ……ん、クンクンッ……屋台から良い匂いがする……食べたいけど……流石にお昼にするにはまだ早いか……とりあえず、冒険者ギルドで冒険者の登録だけは済ませておくか!」
彼は何度もアートスへ来ているので冒険者ギルドの場所を知っていた。
ユラトは軽快な足取りでギルドへと向かった。
アートス市の中心に冒険者ギルドはあった。
面積はイシュト村にある家数軒分ぐらいはあり、白大理石で出来た気品ある立派な建物だった。
冒険者ギルドは、オリディオール島と開拓地に、いくつか存在している。
暗黒世界で冒険者たちが探索などを円滑にするために作られた機関で、ここで登録することによって、暗黒世界へ赴くことが可能となる。
ギルドのドアを開け中へ入ると、多くの人が行き交っていた。
無骨な戦士風の男や商人、ローブを身にまとい、節くれだった杖を持つ者、または神官らしき人物も見えた。
ユラトはギルドの中に入るのは初めてだった。
(ここがギルドの中なのかぁ……えーっと、どこで冒険者証を発行してもらえるのかな?)
エントランスは吹き抜けになっており、清掃も行き届いているようで、日の光が入り、中は明るく清潔であった。
キョロキョロ辺りを見回していると、ギルドの制服らしき服を着た女性が声をかけてきた。
「ようこそ、冒険者ギルド、アートス支部へ、私は職員のミランと申します。何かお困りのようですが、ご用件はなんでしょうか?」
「あ、えっとですね。冒険者証をここで発行してもらえると聞いてやってきたんですが……」
「冒険者証の発行手続きですね?っと言う事はここに来るのは初めてですか?えっと……」
ユラトは返事をして、自分の名を名乗った。
「はい、初めてです。俺は、ユラト・ファルゼインと言います」
「ユラト様ですね。私はこの冒険者ギルド、アートス支部で働いておりますミラン・シュミットと申します。以後、よろしくお願いします」
そう言ってミランは優しい笑みを浮かべながら軽く会釈した。
それを見たユラトも慌てて会釈し返した。
「……ど、どうも!」
ミランは少しウェーブのかかったセミロングで艶のあるパープルグレーの髪、目鼻立ちがはっきりし、落ち着いた感じの大人の女性だった。
「それでは手続きと色々説明しなければならない事がありますので、どうぞ……こちらへ」
彼女はユラトから少し離れると、慣れた手付きで近くの部屋へ案内をしてきた。
「はい!」
返事をしたユラトは、その部屋へ入って行った。
部屋の中は簡素で木の机と椅子がいくつか、広さも、大人が4~5人入ると一杯になりそうなぐらいの小部屋だった。
「どうぞ……そちらの席へ」
ユラトは年上の美人と2人きりになることが無かったので少し緊張していた。
「あ、どうも……」
ユラトが椅子に座ると、机を挟んで反対側にミランが座り、二人は正面を向き合う形となった。
ミランは椅子に座ると、穏やかな声で話し掛けてきた。
「それでは早速ですが、この書類に必要事項を記入してください。それから、ギルド提出用の冒険者学校の卒業証明書の提出をお願いします」
「ここにあります。どうぞ……」
ユラトは学校の証明書を渡した。
彼女はそれを受け取り確認をしている。
その間にユラトは渡された書類を書き上げていた。
そんなに書く項目が無かったようだ。
そしてその書類もミランに渡すと、すぐに彼女はその書類に目を通し、質問をしてきた。
「ユラト様は……暗黒世界には『冒険者』として向われる……と言う事でよろしいですね?」
ユラトは簡潔に答えた。
「はい、それでいいです」
そんなユラトを見たミランは、少し微笑みながら頷き、そして優しく話しかけてきた。
「承知しました。それでは、職業を冒険者としてギルドに登録致しますね」
暗黒世界に行く者は冒険者だけでは無く、暗黒世界を開拓したり、様々な鉱物資源や動植物の採取をする者や、人工物等の取引を行う者と多岐に渡っていた。
その為、様々な職業があり、全体の管理をしやすくする為や税金を逃れるものが出ないように職業分けを行い、税を徴収していた。
徴収された税金は、主に仕事の成功報酬や開拓地の整備等に使われる。
確認を終えたミランは、別の文書を出して説明を始めた。
「それでは冒険者の事を色々説明させて頂きますね……まず冒険者の方々に最優先で行っていただきたい事は、魔王とその僕たる闇の種族の存在の確認となります。実は……昔の古い地図の場所と今の場所を比べ見ても、全く一致しておりません……この世界が一体どういうことになっているのか……必死に世界を旅する冒険者達が調べていますが……今の所、開拓地までしか分かってないのが現状としてあります……ですから、もし、魔王に関する何かを発見した場合は、証拠となる物を持って直ちに帰還し、ギルドへ報告をして下さい!その際に、情報の重要度に応じて報奨金が出ることになっています」
ユラトは恐る恐る質問してみた。
「魔王って……やっぱりいるんですか?」
ミランは真剣な表情で答えた。
「今のところ、魔王の存在は確認されて無いようですが、暗黒世界の開拓地には多くの魔物の姿が確認されていますし、黒い霧も未だに晴れていないようです。邪悪で強大な何かが存在していると想定して我々ギルドは行動しております」
ユラトはその話を聞いて冒険者として避けては通れない事だとわかっていたが、少し不安な気持ちになった。
「そうですか……」
「まだ暗黒世界に行けるようになって数年しか経ってませんし、未知の部分が、まだまだたくさんあります。ですから『新たな発見』をした場合も報奨金が支払われます」
「新たな発見?」
「基本的にはオリディオール島に無いものです。動植物とか鉱物資源、古代の資料、呪文書、価値のある装備品や道具、あとは神話や伝承にある、人以外の光や闇の種族等の存在を確認した場合ですね」
「なるほど」
ミランが説明を続ける。
「暗黒世界で手に入れた動産(金・装備品・アイテム等)は基本的に冒険者の物とみなされます。そして聖石を地面に埋めて黒い霧を払った不動産(土地や建物等)についてはギルドが管理する事になっております。もし、その土地を所有したいのであれば、ギルドの承認の後、お金をお支払いいただくことによって、購入することも可能です」
ユラトは、今までの説明で疑問に思ったことを聞いた。
「じゃあ、冒険者の税金ってどうやって払うんですか?」
「聖石の購入代金の中に税金は入っています。ですから聖石はそれなりの価格設定になっております」
ミランが出してきた聖石の価格表を見せてもらった。
「結構しますね……」
聖石はユラトが思ったより高価で、手持ちのお金で買えないことは無いが買ってしまうと全て使い切ることになってしまい、後は何も買えなくなってしまう。
ユラトは腕を組み、考え込んだ。
「んーむぅ……」
聖石とは、地母神イディスの祝福を受けた聖なる石である。
オリディオール島中央のゾイル地域北部の山間部で大量に産出される『タイガーズアイ』という宝石を、イディスを祀ってある神殿のイディス像から流れ出る泉に一定期間漬けることで出来る石で、黒い霧の漂っている未開の地に埋めると、一定の領域(およそ1つの村ぐらいから山ぐらいの場合もあり、石の状態にもよる)の霧を払うことができる。
そして霧を払うことで闇の魔物達を近づけにくくすることができ、探索や開拓が可能になり、人が住めるようになる。
冒険者は、この石を持って暗黒世界へ赴くことになる。
また聖石は、冒険者ギルドやイディスの神殿等、特定の場所でしか購入出来ないことになっている。
困っているユラトの顔を見たミランが、やさしく話し掛けてきた。
「ユラト様、大丈夫ですよ。聖石を買えない冒険者の方は、ギルドやその上位機関である、オリディオール審議会(オリディオール島の有力者達で構成される組織)から仕事を受けることで報酬を得ることが出来ます」
ユラトはそれを聞いて少し安堵した。
「そうですか。ほっ……」
ミランは安心するユラトが少し可愛く見えたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて話しかけてきた。
「星の数ほどありますから。頑張ってくださいねっ!」
彼女の言葉を聞いたユラトは驚いた。
「そんなにあるんですか!?」
ユラトの反応が面白かったのかミランは両手を口に当て笑った。
「ええ、それはもう! ふふっ」
ひとしきり笑ってから、ミランは表情を元に戻し、説明を再開した。
「この冒険者ギルドで出来ることは暗黒世界で発見された新情報を入手したり、個人で仕事の募集をかける事も可能です。その際にパーティーの募集と応募もギルドで可能です。入り口近くに掲示板がありますから、そこを見てください。ギルドや審議会の仕事も入り口近くの掲示板にあります。パーティー募集や仕事の依頼は受け付けで申請してください」
そして細かい説明等がいくつか続いた。
「説明は以上となります。聞きたいこと等があれば、いつでもギルドへご相談ください。お待ちしております」
「ミランさん色々教えてくれてありがとう!」
ミランは笑顔で答え、ユラトを激励する。
「いえいえ、仕事ですから、でもユラト様のお役に立てて良かったです。応援しております、暗黒世界での冒険頑張ってください!」
ユラトはミランにお礼を言うと、部屋を出た。
そして聖石が買えないので仕事を受ける為に掲示板へと向かった。
部屋を出て少し進むと掲示板のところへ、すぐに着くことができた。
そして彼は、すぐに掲示板に載っている情報を見始めた。
(えーっと……まずは暗黒世界の新情報から見るか……)
書かれていたのは暗黒世界で発見された、いくつかの妖精達やモンスター、森、廃村、小規模の洞窟等の情報であった。
(まあ新情報はこんなものかな。ちょくちょく見に来ればいいか……次は本題の仕事だな)
今度は仕事の情報を見てみる。
(確かにたくさんあるな……どれがいいのかな?)
仕事の内容は様々で聖石で霧が払われた場所の探索や調査、安全が確認された土地を開拓する仕事、輸送や警護など、多岐にわたっていた。
(やっぱり、冒険者としてやって行くんだから、探索に関する仕事にするか)
探索の仕事の求人をよく見ると、危険度というものが表示してあるのが見えた。
(とりあえず……初めてだし、低いやつで始めるか……どれどれ……)
ユラトは20~30ほどの依頼書を見て、ある一つの仕事に決めることにした。
その内容は暗黒世界で見つかった、魔物が殆どいない地域にある廃村及び、その周辺の調査である。
期限は30日ほどだった。
(これだったら、一人で行けそうかな。パーティー組んで行くとなると分け前、相当少なくなるし誰も来ないだろうな……まずは安全な仕事を、いくつかこなして経験を積んだ方がいいか……)
ユラトは発行された冒険者証を受け取りに行き、ギルドへ仕事の申し込みをすると、準備金として前金が少し手に入っていたので、冒険の準備をするために商店街へと向かった。
アートスの商店街は多くの人で賑わっていた。
そのうちのほとんどが冒険者だった。
この商店街で冒険に関する様々な物が手に入る。
装備品、薬、雑貨や暗黒世界で発見された新たな品々も、ここで売り買いされていた。
「まあ、武器と防具は学校出たときに貰った奴があるからな……薬草とか、あとは非常食かな」
ユラトは露店で安く売っている干し肉を見つけ、年配の女性に話し掛けた。
「すいません、その干し肉下さい!」
「はいはい、まいどありー!」
ユラトが店主の女性に、お金を渡していると、近くを通りかかった2人組みの男の一人が、ある人物を指差しながら何やら大きな声で話しているのが聞こえた。
気になったユラトは、その2人をなんとなく見つめた。
(……ん……何だろう?)
男は興奮して隣の男に話しかけていた。
「おい!あいつ、ゼグレムじゃねえか?」
「ん……あっ!ほんとだ!こっちに帰ってたのか!」
指を指されていたゼグレムと言われる人物は、名前を『ゼグレム・ガルベルグ』と言い、オリディオール島の中でもトップクラスの剣の使い手で、これまで数多くの発見をし、冒険者としても優秀であった。
審議会の評価も高く、『ソードマスター』の称号(冒険者は、称号を与えられると様々な特典を受けることが出来る)を与えられていた。
また彼は、西の新大陸を最初に発見した人物でもあった。
男達は期待に満ちた表情で熱心に話し合っていた。
「また、何か大きな発見でもあったのか、それとも強大な魔物でも仕留めたのかな?」
「どうだろうな、しかし、あの人ことだ、きっと凄い事やったんだぜ!そうに違いない!」
人込みで余りよく見えなかったが、ゼグレムは黒い鎧の上にマントを羽織り、ユラトより背が高く、年齢は40前後の男で、シルバーグレーの髪で、顔を見ると自信に満ちており、瞳には覇気と叡智が宿っているように見えた。
そして近くには、魔道師らしき人物がゼグレムの後に付き従っていた。
魔道師の方はルーン文字の刻まれた木の杖に、高価そうな青いローブを全身にまとい、フードから僅かに見えた、その顔の目つきは鋭く、痩せ型で頬骨が出ていた。
彼の方もかなりの魔法の使い手らしく、名を『ファリオール・カルキノス』といい、噂話をしている2人によると、無口で謎に満ちた人物であるようだった。
謎の2人は、ユラトが見ている中、人込みの中へすぐに消えていった。
(新大陸を発見した冒険者って、あの人達だったんだ……すごいな……俺も頑張って色々見つけてやろう!)
ユラトは暗黒世界へ思いを馳せ、心が奮い立った。
ユラトは商店街で冒険に必要な物を買い終え、アートスの港から暗黒世界の開拓地へ出航している定期船の出航時刻を確認して、イシュト村の自宅へ向かった。
村に戻ると、入り口で遊んでいた村のパン屋の子供トムスが、ユラトに話し掛けてくる。
「あっ!ユラ兄ちゃん!なんかね村長さんが兄ちゃんの家訪ねてたよー。もう会った?」
「(え……村長が?なんだろう……)トムス教えてくれてありがとう」
そう言って彼はトムスの頭を撫でてやった。
「兄ちゃん、暗黒世界に行くの?」
トムスが不安そうに聞いてきた。
「うん、そうだよ」
ユラトがそう答えるとトムスは両手を握り締めて話した。
「父ちゃんに聞いたけどさぁ、相当やばいみたいだよ……やめたほうがいいよっ!」
ユラトは遠くを見るような表情でトムスに話した。
「それも分かってるさ、けど……それでも行きたいんだ……そのための訓練もしてきたしね。大丈夫だって!」
「やっぱり行っちゃうのかぁ……そうだね、兄ちゃんアートスの冒険者の学校で頑張ってたよね!たまに帰ってきた時は、また僕と遊んでね!」
「ああ、もちろん!じゃあ行くよ、教えてくれてありがとう」
「うん!きっとだよ!ばいばーい!」
トムスは力一杯手を振った後、走り去っていった。
(村長の家に行くか……)
イシュト村の入り口から一番奥の場所に村長の家はあった。
家の近くまで行くと庭に置いてある、木のテーブル近くの椅子に座って酒を飲んでいる村長を見つけた。
村長の名前はウィル・プロスと言う。
ウェン爺の親戚でもある。
ユラトが近づくと村長も彼のことに気づき、声をかけてきた。
「おお……来たかユラト……話がある、こっちに来てくれ……」
「トムスが俺の家を訪ねる村長を見たって聞いたんですが、何かあったんですか?」
そう言ってユラトも椅子に座った。
村長はお酒のせいもあってか、感慨深く話し始めた。
「いやな、お前が冒険者としてついに暗黒世界に旅立つと聞いてな。村長としてもあるが、お前の両親に代わってお前を見てきた者として少し話しをしておこうかと思ってな……」
「その事には感謝しています。アートスの学校のお金も出してもらったことも……ほんとに感謝してます……だから今日、冒険者の登録が無事出来たら、お伺いしようと思ってました」
「金の事は言わんでいい。お前と幼馴染のエルディアの2人の両親があの事件で命を落とした時、村長である私は何もできなかった……だから、せめてもの罪滅ぼしだよ……」
あの事件とはオリディオール島の結界が解けたときに、この村は黒い霧の中から突如大勢現れた、ワイバーンと言われる翼竜に襲われた時の事である。
その時に村の危機を救おうと戦ったのが、ユラトとエルディアの両親だった。
この村の村民どころか、オリディオールの島民全員が魔物と戦うこと自体が初めてであった為、多くの犠牲者を出したと言われている。
ユラトとエルディアはその時の事は、まだ幼かったため、僅かな記憶しかなかった。
そして2人は他に身寄りが無かったため、村長に引き取られ、しばらく暮らしていた。
話を聞いたユラトは、やや感情を高ぶらせながら、村長に話しかけた。
「そんなことありませんよ!あれは仕方なかったんです……。村長が責任を感じる必要は無いですよ。俺とエル(幼馴染のエルディアの事)は、ほんとに感謝してるんです。それに、俺達はあの魔物の群れに毅然と立ち向かった両親を誇りに思っています。ですから気に病む必要はありません」
「そうか……分かった、もうこの話はよそう……話は変わるが、登録をしたと言う事は、もう暗黒世界に行くのか?」
「はい、そのつもりです」
「今日の昼頃に手紙が来たんだが、エルディアからでな。もうすぐ向こうも学校が終わって島の中央から、こっちに帰ってくるらしい。かなり学校での成績が良かったみたいだ。それで、お前には自分が帰るまで待って欲しいと書いてあったぞ。お前の家にも手紙が届いているはずだ。見なかったのか?」
ユラトはその話を聞いて驚いた。
「ええっ!!彼女は、まだあと半年ほど卒業が長いと聞いてましたが?それに朝から家を出ていたので……」
「そうか……入れ違いだったか……それで、どうするつもりだ? あの娘は、きっと役に立つぞ、なんせ優秀な魔道師だからな。帰ってくるのを待って、それから出発したらどうだ?」
ユラトは、少し考えてから答えた。
「……仕事を引き受けてしまった上に、前金も使ってしまったんです……だから予定通り行くことにします」
「そうか……ならしょうがないな……どんな仕事か知らんが一人で行くのか?」
「はい、だけどまあ、大丈夫ですよ。聖石を埋めた土地で発見された廃村の調査です。だから一人でも行けると思います。それに危険度も低いですしね」
村長は酒を一口飲み、心配そうに話してきた。
「そうか……しかし、油断はできんぞ、聖石を埋めた土地と言っても、奴等は襲って来ないわけではないからな」
「はい、気をつけます」
「まあ話は、これぐらいにしておくか……そうだ、夕飯まだだろうと思ってな、用意させてある。食べていきなさい」
「ありがとうございます」
そして、村長宅で夕食を済ませたユラトは自宅へと戻っていた。
そして、エルディアから送られてきた手紙を読み、明日の為の準備を済ませ、後は寝るだけになった。
エルディアからの手紙の内容は村長の言った通り、「予定よりも早く帰郷できそうだ」と言う事と「自分も冒険を手伝うから待っていて欲しい」と言う事や、「ちゃんと食事や身だしなみをしっかりしているか?」など、まるで一人暮らしをする子供を心配する親のようだった。
手紙を読み終えると、ユラトの心の中に少しだけ怒りが込み上げてきた。
「全くっ!エルのやつ!もう俺は子供じゃないし、同じ歳だっての……まああいつ、普段は無口でおとなしいのに、こういうことはしっかりしてたからな……」
ユラトに睡魔が襲ってきた。
「よし!準備はこんなもんでいいかな。あとは……寝るだけか……ふぁ………」
そう言ってあくびをかくと、両手を枕にして仰向けにベッドへ倒れ、彼は幼馴染のエルディアの事を思った。
「エルの奴、俺が先に行ってるって知ったら怒るだろうなぁ……まあ この仕事が終わったら、こっちに……帰ってきて……それ……から………」
幼馴染のエルディアの事、これからの事等様々なこと考えているうちにユラトは、いつの間にか眠りについていた。