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46.裏切りの真相

「――待て、ゼルマンドッ!! 俺の腹は決まったッ!!」


 ディダレイに向けられた注意を逸らすため、覚悟を決めて声を張り上げると、ゼルマンドははたと足を止めた。

 次いで、こちらに向き直り、「……して、その答えは?」と問うた。


「――俺の身体を手に入れたければ、やってみるがいいッ!!」


 真っ直ぐゼルマンドを()めつけながら、俺はそう答えた。


(――奴は“精神的共鳴”を意図的に引き起こせると話していたが、是が非でも、俺はそれに抗ってみせる。奴が“精神転移”に失敗すれば、思念体となったまま行き場を失い、無間地獄(むげんじごく)に堕ちるのと等しい状況に追いやられるのだ。これを誘発させる以外に、もはや道は残されていない)


 思いつつ、固唾を呑んだ、そのときだった。



 ――右脇腹にずしりと重い衝撃が走り、眼前に甲冑の破片が舞った。



「……ッ!?」



 次の瞬間、あぶくのような血が、口から零れ出していた。

 急いで視線を落とすと、腰部の右上方の空間に、小さな“転移の門”が開かれている。

 俺の右脇腹は、その“転移の門”からぬっと突き出した、炎をまとった波打つ刃によって、深々と喰い破られていた――。


(……“転移の門”で空間をまたいで突きを放つなど、(にわ)かには信じられぬ芸当だ)


 視線を上げると、ゼルマンドの後方に立つディダレイが、自身の前方に浮かんだ“転移の門”に向かって、真っ直ぐ大剣を突き出している様子が映った。

 案の定、彼の大剣は、その切先から中ほどにかけて、“転移の門”の放つ青白い輝きの中に、すっぽりと呑み込まれている。


(……この命、ディダレイの手によって絶たれるならば、文句は言えぬ)


 俺は真っ先にそう思った。

 何と言っても、彼には屍兵化した実の兄、さらには屍兵化した右腕のジャンデルまでも、自らの手で討ったという過去があるのだ。

 彼の“暗黒魔術”に対する憎悪は、察するに余りあった。

 加うるに、ゼルマンドの野望を砕くには、まずもって俺を亡き者にすることこそ、最も現実的かつ確実な手段と言えた。それは火を見るよりも明らかだった。


(……だが、本気で命を奪うつもりならば、なぜ彼は俺の首や心臓を狙わなかったのだろう?)


 刹那、俺はハッと気がついた。

 好意的な解釈をすれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 事実、彼は立っているのもやっと、半ば前後不覚の状態に映った。

 ゆえに、突きを放った際、力の加減を(あやま)ったとは考えられないだろうか――。

 

(……要するに、ディダレイは俺に向かってこう告げているのかもしれぬ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と)


 見やると、俺の足元には、既に大きな血溜まりが出来上がっている。

 それは、“血操術”の媒介とするには、十分過ぎる――いや、むしろ、致死的と評してもおかしくないほどの血液量だった。


(……駄目だ、せっかくの好機だというのに、“血操術”を使おうにも、まともに集中力が働かぬ。そればかりか、このままでは、失血死さえしかねん)


 遅れてやってきた焼けるような痛みが、全身を駆け巡り、自然と呼吸が荒くなる――と同時に、ゼルマンドの激昂した声が響き渡った。


「……貴様ァーーーーッ!!」


 そのとき既に、ゼルマンドの右掌から、太く力強い火線が放たれていた。

 それは目にも留まらぬ速さで闇を裂き、狙い澄ましたようにディダレイの手元を襲った。



 ――刹那、彼の手にしていた大剣が、木っ端微塵に砕け散る。



 直後、俺の足元にできた血溜まりの中に、凄まじい勢いで何か(・・)が落下した――。


「――ッ!?」


 ぼんやりと薄れゆく意識の中、俺は声にならない声を上げていた。

 ……そう、そのとき、俺の瞳が映していたのは、血溜まりに浸かった人間の右手首(・・・・・・)にほかならなかった。


「う、ぐッ……」


 短い呻き声が聞こえ、力を振り絞って顔を上げると、膝から(くずお)れたディダレイの姿が視界に飛び込んできた。

 彼は下唇を噛み締めたまま、柘榴(ざくろ)のごとき肉塊と化した己の右肘より先を、ひどく虚ろげに眺めている――。


「……戯れが過ぎたぞ、新米騎士団長」


 ゼルマンドが言い捨てると、宙に突き出された奴の右人差し指の先端に、身の丈ほどもある漆黒の球体が宿った。

 球体の周囲には、幾筋もの放電光が、さながら暗い意志を宿した生き物のごとく、明滅を繰り返しながら蠢いている――。


(――ディダレイはここで死ぬべき男ではない。どうにかせねばッ……)


 ますます広がってゆく血溜まりを睨みながら、俺はゼルマンドを急襲すべく、“血の刃”の創出を試みる――が、意識は成す術もなく遠のいてゆき、一向にその焦点は定まらない。

 あまつさえ、死が近づいているのか、不可思議な幻覚にまで襲われる始末だった。

 いつの間にか、五、六匹の黒蝶が、右腹部の傷口の周囲を元気に飛び回っている――。



 *   *   *



「……シャル、イーシャル」


 何者かに呼びかけられ、弾かれたように顔を上げると、表情を欠いた白髪の男が目の前に立っていた。

 ほんの束の間、戦友の顔でありながら、同時に永遠の宿敵そのものに映る男の顔を、俺は半ば放心状態で眺めていた。


「――さて、()()()()()()()()()()()()()()、仕切り直しといこうではないか」


 ハッとして腹の傷を確かめると、その言葉に噓偽りのないことが分かった。

 だが、それ以上に俺が驚いたのは、再び顔を上げたとき、先刻目にした黒蝶の群れが、視界の隅に映ったためだった。

 数えると、全部で六匹の黒蝶が、ゼルマンドの左肩に止まり、その羽を休めていた。


「……この蝶たちは、私の使い魔だ」


 こちらの視線に気づいたのか、ゼルマンドは取りなすようにそう言った。


「実を言えば、お前の傷を完治することができたのも、この使い魔たちのお陰でね。これらを媒介として、“生命吸収”で奪った生命力を、お前に分け与えたのだ」


 まさか、自らの宿敵に、命を救われることになろうとは――忸怩(じくじ)たる思いでその事実を噛み締めつつ、改めて周囲の様子を探ると、ゼルマンドの幾ばくか後方に、半球状の窪地が生じていることに気がついた。

 それは見たところ、爆発の痕跡のようであり、今もなお、窪地の方々から、煙の筋が立ち昇っていた。


「……ところで、ディダレイの姿が見えぬが、貴様、何をした?」


 俄かに憔悴しつつ尋ねると、案ずることはない、とゼルマンドは力強い口調で答えた。

 次いで、奴がぱちりと指を弾くと、窪地の中心部付近に、一つの人影が亡霊のごとく立ち上がった。

 辺りに満ちた暗闇のために、顔つきまではハッキリと確認できなかったが、よくよく目を凝らすと、その人影の右肘より先が、そっくり失われていることが見て取れた。

 細身ながらもがっしりとしたその体躯と、怪我の具合から察するに、人影の正体がディダレイであることは、間違いなさそうである。


「やむを得ず、右腕こそ壊してしまったが、見ての通り、ほかに欠損部位はない。一線級の魔術戦士として、まだ十分使い物になるだろう」


 ゼルマンドが再び指を弾くと、ディダレイは糸の切れた傀儡(くぐつ)のごとく、不自然に地面に転がった。それから奴はこう加えた。


「……()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()


 刹那、重いドアが閉じられた音が、背後から聞こえた気がした。


(――ディダレイ・バシュトバー。別のかたちで出会っていれば、友となり得たはずの男。そんなお前を、俺はとうとう最後まで欺き続けたばかりか、窮地から救ってやることも叶わなかった……)


 途方もないやるせなさ、苦々しい罪の意識、己の運命とゼルマンドに対する呪詛の念――これらが一緒くたに混じり合い、言い知れぬ激情の塊となって込み上げてきた。

 同時に、思わず目頭が熱くなり、俺は独りでに目を閉じた。

 今はまだ、涙を流すには、あまりに早過ぎる――。


「話を本筋に戻そう。先刻、お前は『身体を奪ってみせろ』と言ったように聞こえたが――」


 そう切り出したゼルマンドの顔に向かって、俺はほとんど反射的に、口内に残った血の塊を吐きかけていた。

 間を置かず、奴の頬についた血を媒介に、“血液爆破”を発動させようと意識を集中し出した――が、直ちに思い止まった。

 現在のゼルマンドの肉体が、ガンドレールのものであるという至極当然の事実を、俺は失念していたのである。

 それほどまでに、我を忘れていたのだった。


「……これが、命の恩人に対する仕打ちかね?」


 頬にべっとりと付着した血を拭うこともせず、ゼルマンドが問うてきた。


「――貴様が世の人々に加えてきた仕打ちと比べれば、あまりに手緩い」


 どうにか平静を取り戻して返すと、ゼルマンドは呆れたように首を振った。

 俺は深呼吸を一つしたのち、話を続けた。


「『破壊と創造は常に表裏一体だ』と貴様は言った。だが、現実に貴様が仕出かしたことは、単なる破壊に過ぎぬ。二十五年にも渡って人々を蹂躙し、徹底的に国土を荒廃せしめ、その結果創り出したものは、“絶望”以外の何物でもない。もはやこれ以上、無益な血を流させるわけにはいかぬのだ。“奇跡の兵”の復活だけは、身命を賭してでも阻止してみせる」


「……歴史の転換点は、多くの場合、実に血生臭いものだ。“賢者は歴史に学ぶ”と昔からよく言われるが、私はそれに従ったまで」


 ゼルマンドは静かな声で言いながら、見せつけるように手の甲で頬の血を拭った。


「現にお前は、今の強さを手に入れるまで、数え切れぬほどの傷と痛みを、その身に刻んできた。なればこそ、誰よりも深く承知しているはずだ。“変化は常に、相応の痛みを伴うものだ”とね。


 そして、それと全く同じことが、国家についても言える。人間も国家も、痛みを恐れて変化から遠ざかれば、やがては内側から腐り果てるのみ。事実、既にこの国が、度し難い腐臭に満ち満ちていることを、お前とて知らぬ道理はない。にもかかわらず、お前は愚かな夢想家よろしく、空疎なたわ言ばかり抜かしている――」


 ゼルマンドは大仰に嘆息したのち、感情を宿さぬ一対の目で、真正面から俺の顔を覗き込んだ。


「……イーシャルよ、お前は少々、私情に捉われ過ぎている。是非ともこの点を克服し、より合理的な視座を持つべきであろう。さすれば、私の側につくことの正当性が、容易に理解できるはずだ。お前は自らの才覚を、新世界の創り手の一人として、存分に活かさねばならぬ」


「――空疎なたわ言ばかり抜かしているのは、貴様のほうだ」


 そう返す傍ら、俺は真っ直ぐゼルマンドを睨み据えた。


「俺の瞼の裏には、あまりに多くの仲間たちの死に様が、今なお鮮明に焼き付いている。まるで昨日のことのように、実にありありとだ。なればこそ、俺はハッキリと断言できる。この国を創り変えるために、彼らのような犠牲が必要などという考えは、どう転んでも間違っているとな。


 従って俺は、“愚かな夢想家”であり続けながら、この国をより良くしてゆく道を選ぶ――これこそが、永久不変の俺の答えだ。事実、ポリージアの町は、腐った膿を出し切り、既に生まれ変わることができた。貴様には断じて思い描けぬ未来と可能性を、俺は心の底から信じている」


 ゼルマンドは草臥(くたび)れたように首を振りつつ、「残念だ、実に残念だよ」と呟くように言った。


「どうやら我々の交渉は、決裂に終わったらしい。これで私は、お前の身体を奪うよりほかに術はなくなった」


「――構わぬ。俺の精神に干渉してみるが良い」


 俺はすぐさまそう応じた。定めた己の覚悟に、依然として揺るぎはない。


「磨き上げた己の精神を剣に変え、貴様の思念体を迎え撃つ。是が非でも、“精神的共鳴”に抗い、無間地獄へと叩き落してやろう」


「ならば、見せてもらおうではないか。お前の“精神の剣”とやらが、いかほどのものかをね。……だが、その前に、どうしても伝えておかねばならぬことがある」


 ゼルマンドがそこで言葉を置くと、束の間、深い静寂が辺りに満ちた。


「――偶然の行きがかりによって、私は知っているのだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をね。流石にお前とて、裏切りを働いた張本人が誰であったのか、無関心ではないはずだ」


 勿体ぶった口調でゼルマンドが語りかけてきたが、俺は一切動じなかった。

 奴の発言の真意は、あまりに容易く看破できた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――精神干渉を容易にするため、貴様はこれを企図したのだろう。


 だが、今さら密告の真相を知ったところで、俺の心が乱されることはない。結果的に密告は、いくつものかけがえのない出会いをもたらし、俺に生き直すきっかけを与えてくれた。今となっては、密告者に感謝こそすれ、恨み辛みの念は一切持ち合わせていない」


「……それはそれは、実に殊勝なことだ。しかし、密告者の正体が、()()()()()()()()()()()()だと知っても、お前の心は少しも乱れないのであろうか?」


「――“戦場で背中を預け合った友”だと?」


 反射的に訊き返すと、ゼルマンドは狙い澄ましたように答えた。



「――そうとも、お前を密告したのは、()()()()()宿()()()()()()()()()()()()()()()



 ゼルマンドは俺を動揺させるため、真っ赤な嘘を吐いている――そう思い込もうとしている自分がいることに、俺はすぐに気がついた。

 しかし同時に、奴の言葉は十中八九真実に違いないと、あっさりと認めてしまっているもう一人の自分もいた。


(――事実、ゼルマンドは山師のようなハッタリや辻褄の合わぬ話は、一切口にしてこなかった。そして何より、真に俺の心を乱したいならば、口から出任せの大嘘に頼ることは考えにくい)


 ゼルマンドの発言を、感情では否定し、理性では肯定する――この二律背反を胸中に抱えながら、俺はひとまず判断を留保し、黙って奴の話の続きを待った。


「……密告の真相を知れば、お前はもう二度と、ガンドレールを友と呼ぶことは叶わなくなるだろう」


 ゼルマンドはそっと打ち明けるように言うと、墓石の破片を集めて成した腰かけに再び座った。そして話を続けた。


「私の肉体的な死によって、戦役に一旦の終止符が打たれたのち、お前は北方の辺境“トガリア”の領主の座に収まった。片やガンドレールは、我が軍の残党狩りを命じられ、指揮官として各地を転戦する日々を送り続けた。


 愛しのイーシャルと馬を並べて戦場を駆けることは、もう二度と叶わぬのだろうか――ガンドレールは任務に明け暮れる傍ら、報われるあてもない恋慕の情を、一方的に募らせていった。想像に難くないだろうが、彼は多事多忙の身ゆえ、お前を訪ねる暇さえ許されなかった。そしていつしか、己を縛る騎士団長の職務を、心底憂うようになっていった。加うるに、団内に深く根付いた腐敗、激化する権力闘争の存在も、その想いに一層拍車をかけることとなった。


 かくして、いよいよ思い詰めた彼は、騎士団を辞する決意を固め、厳父カルソッテ伯爵宛てに、その許可を得るための手紙を送った。すると伯爵は、直ちに返書を寄越し、息子の申し出をにべもなく()ねつけた。『カルソッテ家は、代々優れた騎士を輩出してきた名門である。貴公がその若さで騎士団長を任ぜられたのも、当家の血を色濃く受け継いでいることの証明にほかならない。にもかかわらず、自らその座を辞するなど、まさしく言語道断。高祖に対する冒涜であり、信義にもとる行為だ』というのが、伯爵の偽らざる見解だった。


 ……ところが、実に情けないことに、ガンドレールにとって、剣の師でもあった厳父の言葉は絶対だった。幼少期はもちろんのこと、彼が成人して以降も、この点だけは一切変わることはなかった。


『――父の支配と家名の重さが枷となり、己の自由が奪われている。このままでは、未来永劫、イーシャルと結ばれることはない』


 と、このように、いつしかガンドレールは、我と我が身を、悲恋物語の美しい姫君のごとく見做すようになっていった。そして結局は、彼の中で日増しに浮き彫りになってゆく精神的孤立と、生来の夢想家的傾向が一種の化学反応を引き起こし、身の毛もよだつ計画へと彼を誘った」


 ゼルマンドはそこで言葉を置き、何かを訴えるように俺の瞳を凝視した。

 しばしの間、暗い愉悦の気配に満ちた沈黙が、辺りを支配した。


「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これこそが、ガンドレールの描いた筋書きにほかならなかった」


 俺はそう告げたゼルマンドから、自然と顔を背けていた。

 間を置かず、奴の勝ち誇ったような笑い声が、奇妙に誇張されて耳に響いてきた。


「二度と引き返せぬ状況に自らを追い込むと同時に、何を以てしても返せぬほどの大恩をお前に売れば、悲恋は成就される――ガンドレールは、このように考えたのだ」


 ゼルマンドは畳み掛けるようにそう言った。

 そこには、獲物を追い詰めたと言わんばかりの酷薄な響きが含まれていた。


「そして無論、それを現実に叶えるには、()()()()()()()()()()()()()()()。ゆえに彼は、最も確実な方法として、自らその役目を買って出た。要するに彼の計画は、文字通り命を懸けた、一世一代の大狂言だったというわけだ。


 ……かくして、彼はある雨のそぼ降る夜、兵舎の自室で、最愛の人間に対する告発状を匿名でしたためた。そして翌朝、彼は変装した上で異端魔術審問所まで赴き、審問官の一人にその手紙を託した」


 ゼルマンドの話を聞きながら、俺はふと思い出していた。

 トガリアに発つ前日の夜、ガンドレールの訪問を受けたことを、である。

 俺たちは当時、ゼルマンド討伐の功績によって国賓待遇のもてなしを受け、王城の敷地内に設けられた客館に寝泊まりしていた。


『――なあ、イーシャル、これから一緒に散歩に出ないか? 夜風が心地良い季節だし、何より明朝には、君は王都を発ってしまうのだから』


 部屋のドアを開けると、涼しげな微笑を浮かべたガンドレールが、そのように持ちかけてきた。


『……済まない、ガンドレール。どうも気分が優れないのだ。おそらくは、連日連夜、無理して祝宴に顔を出し続けたせいだろう。柄に合わぬことは、やはりすべきではないらしい』


 苦笑を漏らしつつ返答した途端、ガンドレールはうつむいて黙り込んだ。

 何か言いたげな様子に映ったが、結局のところ彼は、『寂しくなる。必ず手紙を書くよ』と口にしただけだった。

 そのとき、彼の頬には、ひどく青白い影が差していた――。


(――間違いない。ガンドレールが思い詰めていたのは、真実だったのだろう)


 俺は今更ながら、それを理解することができた。

 そして同時に、ゼルマンドの語る密告の背景に嘘は含まれていないと、本能的に悟っていた――。


「それから間もなく、身柄を拘束されたお前は、直ちに死刑宣告を下された。一方ガンドレールは、このとき既に、一部の隙もない救出計画を練り上げていた。


 それが可能だったのは、彼が過去に数度、公開処刑の警備責任者を担った経験があったからだ。当日の人員配置や警備の穴など、必要な情報の全ては、彼の頭にしっかりと記憶されていた。また、計画に用いる“封魔焼夷爆弾(マジック・ナパーム)”などの兵器も、騎士団長として築いたコネクションを存分に活用し、何一つ怪しまれることなく入手できた。


 彼の計画は、万事が予定通りに進行し、残すはお前の処刑日を待つばかりだった――が、遂に迎えた当日、お前を救い出したのは、()()()()()()()()()()()()()だった。これが何を意味するか、お前なら当然、分かっているだろう?」


 ゼルマンドはいよいよ、目には見えぬ毒牙を剥き始めた――ハッキリとそれを確信した俺は、沈黙と想像力の遮断を己に強いた。

 心を乱さぬためには、それが最善の方法だと、直観的に判断した結果だった。


「――返事をしないだなんて、つれないじゃないか、イーシャル」


 ゼルマンドは、ガンドレールの口調を真似て言った。

 それから奴は、ほとんど狂人のごとく、息も止まらんばかりに笑い出した。


「……いやはや、あれは傑作だったよ。何せガンドレールは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ゼルマンドは、なおも笑いを堪えることができぬと見え、ときに軽くむせながら話を続けた。


「単独での決行ゆえ、手段を選ばず非道な計画を立てていたことに、彼は当日の朝になって恐れをなしたのだ。警備を命じられた同朋や、野次馬たちが巻き添えになって死んでゆく様を想像しながら、彼は半狂乱になって頭を掻きむしり、自室を右往左往し続けた。果ては、憔悴し切って震えながら毛布を被っているうちに、とうとうお前の処刑時間を迎えるという体たらくだった。


 ……そればかりか、ガンドレールはお前の生存を知ったのち、()()()()()()()()()()()()。要するに、良心の呵責に耐えかね、“自分は密告などしていない”と本気で思い込むようになったのだ。事実、彼は毎日欠かさずつけていた日記の中に、『密告者を殺してやりたい。その勇気さえあれば』などと綴っていたほどだ。自分がさも密告者でないかのように振る舞うことを、密かな心の慰めとしていたのだよ。……嗚呼、何と身勝手な、何と浅ましい男であろうッ!!」


 怒り心頭に発した様子で、ゼルマンドが毒づいた。

 しかし、それが真実の心の叫びであるのか、はたまた、遊戯的なパフォーマンスであるのかは、引き続き想像力を封殺していた俺にとって、判別不可能な事象だった。


「――これで分かったろう、イーシャル。正真正銘、ガンドレールは、ファラルモ以下のごみ屑だ」


 焚きつけるように言いながら、ゼルマンドは己の左肩に止まっていた黒蝶を、二、三匹まとめて右手で鷲掴みにし、躊躇なく握り潰した。

 難を逃れた残りの蝶たちは、直ちに飛翔を始め、あっという間に夜の闇へと消えていった――。


「よって、お前の身体を奪いおおせた暁には、真っ先にガンドレールを亡き者にすると約束しよう。非情に徹しきれぬお前では、ゆめゆめ手を下せぬだろうからね。……さて、老婆心ながら訊いておくが、お前はこの男に、どのような死に様を望む?」


「――彼の死など、俺は断じて望んでいない」


 それだけ伝えると、ゼルマンドは全く以て理解できぬとばかりに、激しく首を振ってみせた。

 

「……これほどの手ひどい裏切りを、お前を許すとでもいうのか?」


「許すも何も、ガンドレールの密告について、是非をはかるつもりはない」


 俺は努めて冷静さを保ちつつ、自らの意志を表明した。


「最も重要な点は、“彼が民間人の犠牲者を望まず、救出計画を断念した”という事実だ。俺は彼の賢明な判断を支持する。ただそれだけだ」


 自らの言葉に、一切の偽りが含まれていないことを、俺はハッキリと確信していた――が、なぜだろう、胸の内側に、疼くような痛みがあった。

 間を置かず、それがある過去の記憶(・・・・・・・)を想起させるものだと気づいたが、心を乱さぬために、俺は見て見ぬふりをした。


「……ああ、そうかそうか、すっかり失念していたよ。お前が他人の裏切りに対して、とことん不感症になっていることをね」


 出し抜けにそう言ったのち、ゼルマンドは大仰に膝を打った。

 それから、奴は急に改まった顔つきになり、メローサ(・・・・)と囁くようにその名を呼んだ。


「メローサ――お前が生涯で愛した、たった一人の女。彼女の裏切りに比べれば、戦友の密告と言えど、数段見劣りするのであろう」


 冷たい戦慄が、体中を駆け抜けるのを感じながら、俺は密かに確信した。

 密告の真相が暴かれたことは、これより幕を開ける悪夢の序曲に過ぎなかったのだ、と。

 事実、俺の心臓は、かつてないほどの激しさで動悸を刻んでいる。

 早くも精神の均衡が損なわれつつあることを、認めないわけにはいかなかった。


「――それでは、メローサについて語ろうではないか」


 静かな声で言いながら、ゼルマンドは大きく顔を歪めて笑っていた――。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一気に読んでしまいました ラスボス前のボスラッシュみたいな勢いで心を折りに来る 手にあせ握る展開
[良い点] 最高です!
[良い点] つくづくゼルマンドは本気らしい。ただの方便ではないようだ。 裏切り者の正体ガンドレール、奥の手はメローサという女。どちらもイーシャルを愛し、裏切った者。彼の精神の防壁に蟻の一穴は穿たれてし…
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