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37.共犯者の告白

「――俺の共犯者(・・・)だと? 一体、あんたは何を仕出かしたというのだ?」


 冷たい戦慄が、全身を走り抜けるのを感じつつ、俺はイクシアーナに尋ねた。

 すると、彼女は座り直してこちらを向き、次のように告白した。


「――ゼルマンド教団の残党をけしかけ、火刑からあなたを救わせたのは、()()()なのです。その際の襲撃で、処刑人の男や、警備についていた王国騎士団員たちが命を落としました。これが私の犯した“罪”です」


 俺の頭は途端に真っ白になり、まともに呼吸さえできなくなっていた。

 少しの沈黙ののち、イクシアーナはさらなる追い打ちをかけるようにこう加えた。


「――あなたの救出は、私個人の願いでもありましたが、同時に神のご意思でもありました。実を言えば、ゼルマンド討伐後間もなく、()()()()()()()()()()()()()()


 俺は眩暈さえ覚え、一瞬、気が遠くなりかけた。

 イクシアーナの立て続けの告白は、何もかもが現実味を欠いていた。

 だが、彼女の面持ちや声の調子は、真剣そのものである。

 嘘や冗談を言っているわけではないらしいと、否応なく察せられた。


「……ちょっと待ってくれ」


 ふと気づくと、俺は救いを求めるように声を発していた。

 次いで、混乱した頭を必死に働かせ、最初に思い立った疑問を口にした。


「つまり、あんたは必ず公にされるべき“神託”を、ずっと隠し続けてきたということか?」

 

 イクシアーナはしっかりとうなずき、「その内容が内容だけに、隠すのは止むを得ないことでした」と言った。

 そして、俺の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「聖女の犯せし罪、地上に久遠(くおん)の光をもたらす――これこそ、私の授かった“神託”です」


 イクシアーナの声が、奇妙に誇張されて辺りに響いた。

 

「――この“神託”の存在を知っているのは、現時点において、私とあなた、そして総主教様の三人だけです。“神託”の秘匿は、私と総主教様が協議の末に下した、現実的な観点による判断でした。


 神は超越的であるがゆえ、ときに万人には受け入れ難いご意思を表明されるのです。従って、“神託”を公にするか否かは、常に教会の手に委ねられてきました。実を言えば、過去に下されてきた“神託”の全てが、一般に開示されてきたわけではないのです」


 そうだったのか、と俺は半ば呆然としながら言った。

 仮に聖女の罪を示唆する“神託”が広まれば、当然のごとく世の人々は混乱し、あらぬ噂や憶測が飛び交うはずである。

 実際にそうなれば、教会の権威の失墜は免れない。

 それは火を見るよりも明らかだった。


「――しかし、罪を犯せとの“神託”が、どうして俺を救うことにつながるのだ?」


 二つ目の疑問をぶつけると、イクシアーナは神妙な面持ちを浮かべた。


「あなたと“神託”の関係性は、単純でありながら、易々とは理解し難いものです。それを正しく説明するには、相応の時間をかけ、相応の道筋を経ることが欠かせません。


 とにかく、最後まで私の話を聞いていただければ、あなたは()()()()()()()()()()()()()()で受け取ってくださるはずです。私はそれだけを願ってこの場に足を運んだのですから、どうか信じていただければと存じます。


 また、話の途中でも、分からない点や気がかりな点が出てきたら、遠慮なく質問していただいて結構です」


 今一つ要領を得ない返答だったが、ひとまず彼女の話を聞いてみるほかないと判断した俺は、「分かった、そうさせてもらう」とだけ伝えておいた。

 すると、彼女は満足したように小さく微笑んだのち、おもむろに話を始めた。


「――今日の午前にお聞かせした通り、ほんの一時期ですが、私もゼルマンド討伐義勇軍に属しておりました。かれこれ八年ほど前の話になります。


 入隊を願い出る際、私は義勇軍の野営地まで長旅を強いられました。当時は行き場を失い、所持金も限られ、その日の食事にさえ困るような身でしたから、道中は不安でいっぱいでした。おまけに、行先は悪評が立つ義勇軍です。不安は募る一方でした。


 道すがら、荒廃した戦場跡に差しかかったとき、そこに咲く一輪の白い花が目に留まりました。名も知らぬ花でしたが、とても気高く美しかったことを、今もはっきりと記憶しています。その花を眺めているだけで、私は不思議と勇気づけられる心持ちがしました」


 彼女の話は、一体どこに向かっているのだろうと思いつつ、俺はじっと耳を傾けていた。


「野営地に到着したその日、私は初めてあなたと出会いました。あなたは当時から、その白い花のごとく、どこまでも気高い存在でした。少年兵たちに慈しみ深く接し、多くは語らず、自らの背中で人のあるべき道を示す。さらには、彼らを守るために、命懸けの決闘さえ厭わなかった。


 そのような振る舞いは、決してほかの者に真似できるものではありません。……そう、私はかねてより、あなたに一種の神性を感じてきたのです」


 神性(・・)という表現に、強い引っかかりを覚えたものの、わざわざそれを指摘しようとまでは思わなかった。

 彼女の話は、まだ始まったばかりである。

 当面の間は様子を見ておこう、と俺は思った。


「――それから長い年月を経て、私たちは思いがけぬ再会を果たしました。ご存知の通り、ゼルマンド奇襲作戦の際に、です。


 あの日のことは、忘れもしません。あなたが暗黒魔術の力を借り、ゼルマンドを討ち果たす様を目にしたとき、私は聖人フラタルの姿を、自然とあなたに重ね見ていました。同時に、かつてあなたの内に見出した神性に、はっきりとした輪郭が与えられるのを感じたのです」 


 イクシアーナの声は深く静かだったが、それでいて力強く、にわかに熱がこもっていた。


「――ゼルマンドが倒れて間もなく、私は先にお伝えした“神託”を授かりました。その日を迎えるまで、私は神の御声を聞けずにいることで悩んでいましたが、聞いた途端、より深い悩みを抱えることになったのですから、運命とは実に皮肉なものです。


 悩みの根源となったのは、想像に難くないでしょうが、未知なる(とが)に対する恐怖でした。ひょっとすると、自分は一生かかっても償い切れないような罪を背負うのではないか――曰く言い難い不吉な予感が、絶えず我が身に付きまとうようになり、眠れぬ夜を過ごすこともしばしばでした。


 当時の私が、唯一頼りにできたのは、歴代の聖女たちが語り継いできた、『時が来れば、自ずと意味が分かる』という“神託”の法則でした。要するに、神が相応しいと判断された“時”が訪れれば、“聖女の罪”が何を示すのかは、必ず明らかになるということです。従って、私に許されたのは、黙って恐怖に耐え、罪に対する覚悟を固めながら、“時”が来るのを待つことだけでした」


 イクシアーナはそこで口をつぐみ、額にかかる短い前髪をそっとかき分けた。

 それから、言葉を選ぶように間を置いたのち、再び口を開いた。


「――しかし、何事にも終わりは存在します。あなたが告発され、直ちに火刑を下されたと配下の者から聞かされた瞬間、私は“時”が訪れたことを自ずと悟りました。風景や匂いや音、周囲を取り巻く全てが急速に遠のき、声なき声が、私に向かってこう語りかけました。『“剣聖”イーシャルを死の淵から救え。彼こそ、“地上に久遠の光をもたらす”張本人なのだ』と。


 その後、しばらくの間、私は不可思議な感覚に包まれました。頭の中に散在していた点が、一つの線で結び合わされ、はっきりとしたかたちになって浮かび上がってゆくような感覚、とでも言えばいいのでしょうか。私はその過程で、はたと気がつきました。自分が聖女に指名されたのは、あなたとの不思議な縁に導かれてのことだったのだろうと。事実、私は常に、あなたが発現する神性の目撃者であり続けました。一時義勇軍に身を置いたのも、ゼルマンド奇襲作戦に召集されたのも、全ては神の取り計らいだったというわけです。


 直後、ハッとして我に返ったとき、既に未知なる咎の恐怖は失われていました。あとに残されたのは、神の巫女たる聖女の役目を、今こそ果たさねばならないという決意、その一点のみでした。いかなる罪を犯そうと、必ずあなたを救うのだと、私は神に誓いました」


 俺は完全に言葉を失っていたが、イクシアーナはお構いなしに話を続けた。


「神があなたを『救え』と仰った理由が、私にはよく分かります。どんな状況においても、自分の中の最良のものを、惜しみなく他者に与えることができる――これこそが、あなたという人の本質です。現に世の人々があなたを、“聖者”だと認めている通り、私もまた、全く同じ印象を抱き続けてきました。あるいはあなたは、フタラルのごとく“聖人”たり得る存在ではないかとも、私は考えているのです」


“聖人”たり得るなど、実に馬鹿げている、と俺は思った。


(――だいいち、“傷跡の聖者”の役割など、正体を偽る仮面として都合良く利用してきたに過ぎぬ)

 

 思いつつ、俺は独りでに頬を手で探っていた。

 だが、そこにはもう仮面は存在しなかった。

 指先に触れたのは、永遠に消すことのできない、深く残された傷跡だった。


「――やはり、信じられない、という顔をしていますね」


 イクシアーナの問いかけに、俺は返す言葉が見つからなかった。


「しかし、私の犯した“罪”の詳細な告白を聞けば、その気持ちも少しは変化するかもしれません」

 

 言い終えるなり、彼女は不意に立ち上がると、どこか頼りなげな足取りでこちらに近づいてきた。

 そして、俺の隣に腰を下ろし、隠された救出劇の真相について話し始めた――。



 *   *   *



 イクシアーナが、あの忌々しい小男“ドルガン”の存在を知ったのは、毎日飽きるほど目を通していた調査報告書がきっかけだったという。

 当時、聖ギビニア騎士団は、人員不足に陥っている王国騎士団から要請を受け、ゼルマンド軍の残党に対して諜報活動を行っていたのである。

 ゆえに彼女は、「かつて“死者の王”に仕えていたドルガンなる男が、その企みこそ不明だが、神を失ったゼルマンド教信者たちを集めている」という情報を目にしていたのだ。

 それは奇しくも、俺に火刑が下ったとの報に接する直前のことだった。


 イクシアーナは何の躊躇いもなく、ドルガンを利用しようと思い立ったという。

 そのとき既に、俺を救い出すための周到な計画が、頭の中で練り上がっていたのだそうだ。

 彼女は自分をそら恐ろしく感じる反面、計画は必ず成功するだろうと予感していた。

 神の意志に身を委ねている限り、失敗は万に一つも考えられないと、わけもなく確信を得ていたのである。


 自分のなすべきことを理解したイクシアーナは、団内に残されたドルガンに関する全ての情報を処分したのち、真っ先に総主教の元へと向かった。

 そして、「何の理由も訊かず、しばしのお暇をお許しください」と願い出た。

“神託”を隠した張本人の一人である総主教は、その一言で事情を察したと見え、直ちに顔色を変えた。


「――この老いぼれに、あなたの代わりに罪を担うことは出来ないのでしょうか? 何と言っても、あなたはまだまだ若い。この先も人生は続くのです。老い先短い私とは、わけが違います」


 総主教は必死に申し出たが、イクシアーナは黙って首を振った。

 神の言葉に耳を貸さず、ほかの誰かに罪を被せれば、望まぬ結末を迎えることになっても不思議はないと、彼女は予感したのである。

 そして何より、“聖女の犯せし罪”は、あくまでも聖女である自分が背負わねばならない――彼女はとうに、その覚悟を決めていたのだ。 


 その後、イクシアーナが向かったのは、ドルガン一味が隠れ家にしていた洞窟だった。

 ベールで顔を覆い隠した彼女は、ゼルマンド教信者を装って彼らに接触したのである。

 元より、彼らは進んで同朋を集めていたゆえ、案の定と言うべきか、突然の訪問が怪しまれることはなかった。

 しかし、彼らとしても、ベールの女が本当に同朋と呼べるのか、最低限の素性を確かめないわけにはいかない。

 そこで、イクシアーナは様々な質問ぶつけられたが、その程度のことは想定の範囲内だった。

 諜報活動を通じて得た知識を存分に活かし、教団の内情に関する話題にも、難なく対応してみせたのである。

 そればかりか、教団の有力なパトロンたちの名を自然と会話に織り交ぜ、さも彼らと交流していたかのように匂わせたという。


「――知らず知らずのうちに、私は新しいパトロンになるかもしれない客人として、丁重にもてなされておりました。彼らは私のことを、“死者の王”に魅せられた上流貴族の娘とでも思い込んだのでしょう」


 イクシアーナは事もなげにそう言った。

“聖女”ゆえの並ならぬ存在感が、彼女の言動に大いなる説得力をもたらしたであろうことは、想像に難くなかった。


 かくして、狙い通り信頼を勝ち得たイクシアーナは、ドルガン一味から様々な情報を聞き出した。

 その結果、明らかになった彼らの行動目的は、全く無意味としか思われない、“邪神の復活の儀”なる黒ミサを執り行うことだった。

 彼女の言を借りれば、一味の頭目たるドルガンは、狂信的なゼルマンドの崇拝者にほかならなかった。

 さらにこの男は、誇大妄想癖の持ち主であり、自分ならばゼルマンドを蘇らせることができると、本気で信じ込んでいたという。


「――それでは早速、黒ミサの準備に取りかかりましょう。折り良くも、贄に捧げるべき処女は、既に確保してあるのです。せっかくご足労いただいたのですから、あなた様もぜひご参加ください」


 一通り話が済んだのち、ドルガンが嬉々として切り出したので、イクシアーナは慌ててこう返した。「黒ミサより、もっと冴えた方法がある」と。

 それから、彼女は一世一代の弁舌を振るった。

“剣聖”イーシャルこそ、先代の神を超越する邪神たり得ると熱心に説き、一部の隙もなく完成された救出計画を持ち出したのである。

 自らの言葉で、数多の兵士たちを奮い立たせてきた彼女の経験が、この際大いに活きた。

 彼女は実に巧みな話術をもって、ドルガンの妄想を大いに刺激しその気にさせ、さらには必要な資金援助も惜しまないと告げたのである。

 結果、一味は諸手を挙げて計画に賛同した。


 以降、処刑日を迎えるまでの三日間、イクシアーナはドルガン一味と共に、計画の実現に向けて奔走した。

 必要な武具類を買い揃えるのはもちろん、足りない人手を“闇ギルド”から雇い入れ、襲撃の予行練習を入念に繰り返した。

 それら全てを主導したのは、言わずもがなイクシアーナ本人だった。

 いつしか一味は、彼女に絶大な信頼を置くようになり、隷従に等しい態度をとるに至ったという。


 そして、全ての準備が整えられた当日の朝。

 彼女は「自分という庇護者の存在は、何があっても口外してはならない」と言い残し、再び王都に戻った――。



 *   *   *



「――あなたの救出が、恐ろしいほど上手く運んだのは、ご存知の通りです」


 イクシアーナの口ぶりは、実に淡々としたものだったが、そこには微かな苦渋の響きが混じっていた。


「変装して群衆に紛れていた私は、自らの目で計画の成功を見届けたのち、巻物(スクロール)を使ってドルガン一味の隠れ家付近に転移しました。それから、折を見て洞窟内に忍び込み、岩陰から様子を窺うと、あなたは既に、一味の大半を片付け終えていました。


 助太刀は不要と判断した私は、一旦洞窟を出て、入口から少し離れた場所に身を移しました。あなたが囚われていた娘たちを連れて脱出するのを確認したのは、その後間もなくのことでした」


 彼女はそこで一呼吸置き、最後にこう付け加えた。


「念のため伝えておきますが、この事実を知る者は、あなた以外に誰一人としておりません。総主教様にさえ、私は打ち明けませんでした。あなたの身の安全を思えば、全てを自分の胸のうちに留めておくのが最善だと判断したのです。少なくとも、私の知る限りでは、あなたの正体の秘密は今も守られています」


 知らず知らずのうちに体が震え、頭と耳の奥に、胸の鼓動が響き渡っていた。


(――イクシアーナの“罪”の告白は、俺だけが知っているはずの事実と、完璧なまでに一致している)


 もはや彼女を疑うことは困難だった。

 実を言えば、ほかでもない俺自身が、これまで彼女が発してきた言葉の全てに、抗し難い説得力を認めていたのである。

 そして、俺は当然のごとく気がついていた。

 イクシアーナを信じることは即ち、彼女が信じる“神託”や神の存在を受け入れることに等しいのだ、と。

 その事実が、否応なく俺を戸惑わせ、長きに渡る沈黙を強いた。


「……もしかして、あんたはそもそもの初めから、“傷跡の聖者”の正体が俺だと知っていたのか?」


 不意に思い立って尋ねると、イクシアーナは小さくうなずき、意味ありげに微笑んでみせた。


「“傷跡の聖者”の噂が初めに立ったのは、例の洞窟にほど近いツヴェルナの町でした。そして、あなたという人は、世のため人のために尽くさずにはいられない性分です。気がつかないはずはありません。


 正直に打ち明ければ、私はもっとあなたの力になりたかった。しかし、私たちが関わり合いを持てば、世間の要らぬ注目を浴びることになりかねません。ですから、あくまでも“傷跡の聖者”の動向を見守るだけ、余計な手出しは控えなくてはならないと、心に決めておりました。何よりも優先すべきは、“地上に久遠の光をもたらす”張本人のあなたが無事に生き延びること、その一点だけなのですから」


 イクシアーナの表情は、どこか物憂げに変わりつつあった。

 それは一体、何を意味しているのだろうと、俺は密かに訝しんだ。


「このまま二度と、あなたと顔を合わせることはないのかもしれない――ほんの一か月前まで、そんな風にも感じていましたが、運命は私たちを放っておきませんでした。奇しくも、あなたはレジアナスと交流を結び、さらには“英雄殺し”まで現れたのですから。


 そして、私は決断しました。この大聖堂にあなたを招こうと。あなたの身の安全を願えば、聖ギビニア騎士団に守られるこの地こそ、最も安全だろうと考えたのです。“英雄殺し”の目的がその名の通りならば、“剣聖”イーシャルも当然標的に含まれます。どれほど上手く正体を隠していようと、あなたがあなたである限り、絶対に安全とは言い切れない――誠に勝手ながら、私はそう案じたのです。


 ゆえに、私は総主教様に願い出ました。“傷跡の聖者”を自分の警護につけて欲しいと。とは言え、今となってはその判断も、誤りだったと認めざるを得ません。今日という日を境に、“過去に一度として攻め込まれたことのない”という大聖堂の歴史は、とうとう覆されてしまったのですから……」


 言い終えるなり、彼女は静かに目を伏せた。

 直後、頬に冷たい水滴が当たり、俺は暗い夜空を見上げた。

 小雨がぱらつき始めていた。


「――そして、これよりお伝えすることが、この話の最も重要な部分です」


 射抜くようにこちらを見据えながら、イクシアーナが切り出した。


「昨晩、自室で祈りを捧げていた際、私は二つ目の“神託”を授かりました。なればこそ、あなたに手紙を届け、ここに呼び出そうと踏み切ったのです」


 雨脚は、少しずつ強まっていた。

 今や驚くことにさえ慣れ切っていた俺は、雨粒に濡れた額を手の甲で拭いつつ、黙って話の続きを待った。


「――神の寵愛と憎悪を一身に背負いし者、聖剣に心の臓を差し出し、救国の雄となれ」


 イクシアーナが、よく通る声でそう告げた。


「もうお分かりですよね、イーシャル。この“神託”が言及する人物は、あなた以外の何者でもありません」


 神の寵愛と憎悪を一身に背負いし者――それは確かに、致命的な矛盾を内包する俺という人間に、相応しい呼び名と言えなくもなかった。


「……禁忌に手を染め、火刑を下されたこの俺が、なおも生き続けているという事実こそ、その証拠だと言うつもりか?」


 そう投げかけると、彼女はしっかりとうなずいた。

 そして、おもむろに口を開いた。


「――本日、ファラルモが蘇ったとの報せを受けた直後のことです。『俺は“剣”となろう』とあなたは仰いました。その瞬間、例の“時” が訪れた感覚を、私は確かに抱いたのです。


 事実、あなたの発した言葉に、私は震えるほどの神気を感じました。“心の臓を差し出し”ても構わないといった決然たる覚悟が、そこに宿されていたからです。同時に、私はこうも悟っていました。あなたこそ、“闇なる意思を無に帰す”という、聖剣に託された願いの体現者なのだ、と。


 あのとき、あなたに聖剣を預けたのは、神がそれを望んでいるのだと、はっきりと自覚できたためです。本音を言えば、もちろん戦いに行って欲しくなどありませんでした。しかし、神のご意思に背くことだけは、絶対に許されません。ならばせめて、私もあなたと同じ覚悟で共に戦いたい、少しでも力になりたいと願い、皆を説得して大礼拝堂に参じたのです」


 半ば放心状態のまま、俺はじっと耳を澄ませていた。

 もはや、自分が何をどう感じているのかさえ、よく分からなくなっていた。


「――私はこう考えています。本日、聖剣を手にしたあなたは、“救国の雄”となる資格もまた、同時に手にしたのだと。そして、救国と言うからには、救われるべき国もまた、必ず存在するということです。


 ……それがこのレヴァニア王国を指していることに、疑いの余地はありません。何と言っても、この地に再び、“屍兵”が現れたのですから」


 彼女は目を細め、しばらくの間、唇を嚙み締めていた。

 

「――今のところ、第二の“神託”が下されたことは、あなた以外の誰にも明かしておりません。念のため確認しておきますが、こちらを公表しても構いませんか?」


「それを判断するのは俺ではない。教会の役目だろう」と返すと、イクシアーナは小さく口元を緩めたが、すぐに真剣な顔つきに戻った。


「……教会としては、神託を公にする際、“屍兵”の再来も同時に伝えねばなりません。人々に火葬を徹底していただくよう、お願いする必要がありますから。そうなれば、世は再び深い絶望に覆われ、誰もが“神託”に示された“救国の雄”の出現を待ち望むでしょう。


 そして、遠からず、我々は本物の試練に直面するはずです。ゼルマンドと同等か、それ以上の力を手にする“英雄殺し”が、このまま黙っているなどということは、決してないでしょうから」


 言い終えるなり、彼女はそっと目を閉じた。

 短い間を置いて、再び目が開かれたとき、そこには強い意志の光が宿っていた。


「――ですから、あなたは堂々と胸を張り、人々の目の前でこの国を救ってみせてください。事実、“神託”によって選ばれたあなた以外に、それを成し得る者は誰もいないのです。私としては、世のためにだけでなく、あなた自身のためにも、そうすることが必要だと感じています」


「……俺自身のために?」


 思わずそう訊くと、彼女は力強くうなずいてみせた。


「あなたは不当に貶められるべき人でも、陰に隠れているべき人でもありません。試練に打ち勝ち、人々を奇跡の目撃者に変え、自らに相応しい名誉を取り戻していただきたいのです。そのために、協力できることがあるならば、私は何だってする覚悟でいます。この命を捧げることも、惜しくはありません」


 雨はいよいよ本降りになっていたが、俺たちは濡れるに任せていた。


「――イーシャル、時は来たのです。“救国の雄”となる覚悟をお持ちなさい。あなたには今、それが求められているのです」


 ()()()()()()()()()()()()()()をもって、イクシアーナの口から語られた。

 直後、遠くの空に稲光が走り、一拍の間を置いて、激しい雷鳴が響き渡った。

 それは自らの運命の扉を叩く音のごとく、俺の耳には聞こえたのだった――。

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