36.手紙の主の正体
俺は固く目を閉じ、混乱から立ち直るために何度か深呼吸を繰り返した。
次いで、じっくりと時間をかけ、もう一度手紙に目を通した。
(――とにかく、これを書いた人間は、自身の素性を明かしたくないらしい)
さして驚くべきことではないが、それだけは断言できた。
この手紙の差出人は、協力者を自称しているにもかかわらず、名前も筆跡も隠しているのである。
事実、手紙に並んだ文字は、いずれも定規を当てて書かれたかのごとく直線的であり、また不自然なほど画一的なものだった。
まさしくそれが狙いなのだろうが、生ある者の気配をまるで感じさせないのである。
(――そして、少なくとも内部の人間ならば、この部屋に手紙を残すことくらい、造作もなかったはずだ)
俺は当然のごとくそう思った。
そもそも、俺の部屋を含め、宿舎の各部屋の扉には、鍵が設置されていないのである(フラタル大聖堂が建立されたのは、その名が改められる遥か昔、三百年以上も前なのだから、無理もない話だった)。
部屋の内側から閂をかけることはできたが、俺が不在である日中は当然、誰でも忍び込むことは可能だった。
言うに及ばず、それは内部の人間のほうがより容易だったはずである。
加えて、手紙は俺の部屋に正しく届けられた。
これらを考慮した場合、手紙の書き手と届け手が異なる可能性はあるにせよ、内部事情に詳しい人間の関与を、まずは疑うべきと言えた。
(――イクシアーナか、はたまたリアーヴェルか)
最初に頭に浮かんだのは、この二人だった。
何と言っても、彼女たちとはここ数日、朝から晩まで行動を共にし続けたのだ。
その上、本日はまともに声を聞かれ、目の前で剣筋さえ披露したのである。
ジャンデルに与えた以上の手がかりを、彼女たちが得ていたと考えても、何らおかしくはなかった。
しかし、唯一気がかりなのは、俺をわざわざ外に呼び出した点である。
その理由自体は、会話が盗聴されることを避けたかったとでも考えておけば、ひとまず納得はできる(無論、“御身にまつわる重要な話がしたく”という手紙の内容を、そのまま信じた場合の話だが)。
ただし、警護対象である彼女たちの外出が困難であることは、見過ごせぬ点だった。
夜間は二人とも、部屋の前に不寝番に立たれているばかりか、結界の力によって、“移転の門”を開くことも封じられているのである。
加えて、仮に敷地内を抜け出す何らかの術を知っていたとしても、“英雄殺し”の力をまざまざと見せつけられたその日の晩に、好んで外を出歩くとは考えにくかった。
もちろん、彼女たちが“英雄殺し”の正体、あるいはその共犯だったならば、話は全く別だが。
(――しかし、その可能性は信じたくない)
底深いため息が、自然と漏れ出ていた。
だいいち、必ずしも内部の人間が手紙を残したとは限らないのだ。
本日の襲撃で生じた混乱に乗じ、外部の人間がこの部屋に侵入していた可能性も、当然ゼロではない。
となれば、今も生き続けるガンドレールが、何らかの意図を持ってこちらに接触を試みたのかもしれなかった。
あるいは、自らの影を思わせる“英雄殺し”が、俺をおびき寄せるために罠を仕組んだと考えても、別段不思議はない。
(――結局のところ、差出人の正体など、実際に会ってみない限りは分かるはずもない)
俺は再び嘆息し、机の上に置かれた砂時計を見やった。
魔導具であるそれは、正確に24時間を刻むことができる上、逐一ひっくり返す手間も不要という便利な品だった(落ち切った砂を、瞬時に管の上部に戻す仕掛けが、魔術によって施されているのだ)。
現在、砂の目盛りは、18時半ちょうどを示している。
待ち合わせに指定された水門は、ここから徒歩で約30分のところにあった。
(――約束の時間は20時だ。となれば、あと1時間、身の振り方を考える猶予は残されている)
そう思った瞬間、びくりと身体が震えた。
部屋のドアをノックする音が、突如として耳に飛び込んできたのである。
「――誰だ?」
咄嗟に尋ねると、「俺だよ」と返事があった。
ウイユベリ地方の出張から帰っていたのだろう、レジアナスの声だった。
俺は急いで机の抽斗に手紙を仕舞った。
「――少し話がある。入っても構わないか?」
「……構わんが、手短に頼む」
そう伝えると、憔悴しきった面持ちのレジアナスが、部屋の中に入ってきた。
「――申し訳なかった、ケンゴー」
俺の顔を見るなり、彼は暗く沈んだ声でそう言った。
何がだと訊くと、「今日の襲撃のことだ」と彼は答えた。
「――警備を手配していたのは俺だ。まんまと裏をかかれた。しかも、最も肝心なときに、この俺は不在だった。そして何より、かけがえのない仲間の命が、数多く失われた」
レジアナスのひどく虚ろな目と、奇妙に強張った顔を目の当たりにした俺は、ひとまず、手紙の件を頭の片隅に追いやった。
そして、ベッドに腰を下ろした彼の正面に立った。
「お前がそう思うのは、もちろん理解できる。だが、あのような手段で仕掛けてくるとは、誰にも想像できなかったはずだ」
そう伝えると、レジアナスはうつむき、「そうかもしれないが」と苦々しげに呟いた。
それから彼は、おもむろに顔を上げ、作り物のような笑顔を向けてきた。
「……ケンゴーが居てくれて、本当に助かったよ。とにかく、それを伝えたかった。あんたの活躍ぶりは、もうすっかり噂になってる」
「礼には及ばん。俺は俺なりに、務めを果たそうとしただけだ」
そう返すと、レジアナスは「ありがとう」と小さく呟き、再びうつむいた。そしてこう続けた。
「……今回の襲撃のせいで、この大聖堂を取り巻く状況は、がらりと変わっちまった。怪我人や急病人の受け入れも、当面は完全に中止だ。裏庭の難民たちも、一旦は立ち退いてもらわなきゃならない。民間人の死者を出してはならないと、ついさっき、総主教様が苦渋の決断をなされた」
切迫したレジアナスの口ぶりは、何もかもが自分のせいだと言わんばかりのものだった。
「さらに“屍兵”対策として、教会墓地の遺体の掘り起こしと火葬も強行されるだろう。信徒たちの批判は免れないだろうが、総主教様は既にそのおつもりでいる」
それが最善手に違いない、と俺は思った。
なぜなら、ゼルマンドが討たれた今、かつて一般的だった土葬の風習が再び広まりつつあったからだ。
遺体を灰にしなければ、“死者の王”に都合良く利用されてしまう――人々がそれを恐れ、火葬が土葬に取って代わった時代は、もはや過去のものになろうとしていた。
「ところで、掘り起こすべき遺体の数は、どの程度あるのだ?」
ゼルマンド戦役以前の遺体は全て火葬されていただろうし、その数はさして多くなかろう――そんな期待を込めつつ、俺はそう尋ねた。
「――およそ一万体」
レジアナスの答えに、俺は開いた口が塞がらなかった。
「……実を言うと、ここの教会墓地では、今日に至るまでずっと土葬が続けられてきた。もちろん、戦役中は教会としても火葬を強く推奨したが、信徒たちのほうが徹底してそれを拒んだんだ。その理由は、あえて言う必要もないだろうが、聖ギビニア教典にある。そこには、“火葬は神より授かった肉体に対する冒涜である”と、はっきり記されているからな」
微かな絶望を滲ませた声で、レジアナスがそう言った。
「そもそも、ここに墓を持っているのは、敬虔な信徒たちばかりだ。教会の熱心なパトロンも、その中には相当数含まれている。彼らは皆、教典に対してとことん忠実な人種なんだ。加えて、聖騎士団によって守られてきたこの大聖堂は、今日という日を迎えるまで、一度たりとも攻め込まれたことはなかった。要するに、ここの教会墓地だけは、絶対に安全だと見なされてきたってわけさ」
レジアナスは悩ましげに頭を振り、それからこう続けた。
「まさに正念場だよ。墓の掘り起こしのためには、相当な人手が必要になる。かといって、警備の人数を減らすわけにもいかない。一体、どうすりゃいいんだ……」
「――ならば、王国騎士団に助力を仰ぐべきだ」
そう伝えると、レジアナスは険しく眉をひそめた。
「それができるなら、当然そうするさ。でも、正直難しいだろう。ポリージアの一件以降、王国騎士団の連中は、俺たちをまるで良く思っちゃいない」
レジアナスの言うことはもっともだった。
“ポリージアの聖母”ことブエタナ・バルボロと南部総督の癒着を暴いたのは、ほかでもない聖ギビニア騎士団である。
その結果、王国騎士団の内部腐敗は、広く世間の知るところとなった。
以来、双方が密かな緊張状態にあることは、当然俺も承知していた。
「――だが、王国騎士団の中にだって、正しい志を持つ者はいる。たとえば、現騎士団長のディダレイ・バシュトバーがそうだ」
それを聞くなり、レジアナスは大きく目を見開いた。
「……ディダレイ・バシュトバーって、ネーメスの兄貴だろう?」
その通りだ、と俺は答え、確信を持って言葉を継いだ。
「本日、俺は彼と共闘した。そして、彼こそ誠の志士であると知った。こちらが申し出れば、必ず力を貸してくれるはずだ」
「……正直驚いたが、あんたがそう言うんなら、きっとそうなんだろう」
未だ半信半疑と見えるレジアナスに、俺はしっかりとうなずいてみせた。
「――色々と事情はあるだろうが、今はつまらぬ利害関係を気にかけている余裕はない。敵はあくまでも“英雄殺し”なのだ。それを忘れてはならぬ」
「……あんたの言う通りだ。早速、王国騎士団に使いを送るとしよう。問題は山積みだが、とにかくやれるだけのことはやってみる」
そう話すレジアナスの表情に、普段の力強さが戻っているのを見て、俺は密かに安堵した。
「無理するなと言っても難しいだろうが、それでも、無理し過ぎるなよ。できる限り、身体を労わってくれ」
「――ありがとよ、ケンゴー」
レジアナスは笑顔で言い残し、急いで部屋を飛び出した――と同時に、俺の決心は自然と固まっていた。
(――やはり、行かねばなるまい。身の安全のためには、ここに留まるのが賢い選択だろうが、それが好ましいこととは、どうしても思えぬのだ)
はっきりとした理由など、無論ありはしないが、俺の直観は確かにそう告げていた。
(――“傷跡の聖者”ケンゴーと名を変え、レジアナスとの出会いによって大聖堂に導かれ、さらにはこの手紙を受け取ったのも、必然の成り行きだったのではないか)
ひょっとすると、人知を超えた何らかの意志が、自らの運命を突き動かしているのかもしれない――いつの頃からか、そうした超自然的な感覚を、俺は密かに抱き続けてきたのだ。
それが馬鹿げた考えかもしれないということは、自分でも重々承知している。
だが、それでも俺は、この目には見えぬ力に身を委ねてみることが、最善の選択のように思えてならなかった。
(――自らの“目”で、真実を確かめなくてはならぬ。たとえ手紙の誘いが、俺を陥れる罠だったとしてもだ)
これこそが、俺の下した最終的な決断だった。
(――動けば動いたなりの手応えは、必ず得ることができる。それは何らかのかたちで、より良い未来をもたらすかもしれぬのだ)
俺はそう信じることにした。
全ては、己の直観のみによって導き出された結果だった。
その後、俺は鎧を脱ぎ、洗いざらしのシャツと革ズボンに着替えた。
相手を不用意に刺激せぬよう、“目立たぬ装いで来られたし”という指示に従おうと判断したのである。
よって、身に帯びた武器は、腰に下げた片手剣と、懐に忍ばせたナイフの二つだけだった。
心許ない装備には違いないが、不安や恐れは一切感じなかった。
仮に“英雄殺し”と戦う破目になれば、万に一つも勝ち目はないだろうが、それでもなお、俺の覚悟は揺るがなかった。
(――誰かに見られぬよう、手紙は処分せねば)
支度を終えるなり、そう思い立った俺は、抽斗から手紙を取り出し、懐に仕舞った。
何が起こるか分からぬ以上、この件に他者を巻き込むことは、自らの望むところではなかった。
それから、再び砂時計を見やると、時刻は19時を過ぎたばかりだった。
少々早い出発ではあったが、俺は誰にも何も告げることなく、大聖堂をあとにした――。
* * *
煌々と輝く月の下、俺は王都の町の大通りを、独り歩き続けた。
最後にこの場所を通ったのは、ゼルマンドを討った直後に催された、凱旋パレードの際である。
その当時は、歓喜に満ちた人々で往来が埋め尽くされていたが、今では見る影もなかった。
“英雄殺し”の噂が立ったせいだろう、驚くほど人影はまばらであり、早くも店仕舞いしている商店が、そこかしこに見受けられた。
(――考えてみれば、あれから半年も経っていないのか)
そう思うと同時に、この数か月の間に訪れた場所や、出会った人々や、交わした会話の数々が、次々に脳裏に蘇った。
そうした過去の一つひとつに想いを馳せているうちに、間もなくラヌーズ川沿いの道に出た。
俺はそこで足を止め、夜空を見上げたが、星は一つも出ていなかった。
妙に生々しい光を放つ半月が、ぽっかりと浮かんでいるばかりである。
わずかに鼓動が早まるのを感じつつ、俺は再び歩き出した。
そして、なだらかな土手を下り、真っ直ぐに水門を目指した――。
* * *
ほどなく目的地に到着したが、やはり時間が早過ぎたのだろう、得体の知れぬ待ち合わせの相手は、まだ姿を現していなかった。
よくよく辺りを見回してみたが、人影と思しきものは一切見当たらない。
図らずも人心地ついた俺は、ゆっくりと川縁に向かい、手紙を細かく破って水の流れに投げ込んだ。
時が過ぎるのを待つ間、俺は煉瓦づくりの古い水門を眺めるともなく眺めていた。
その傍ら、周囲の物音にじっと耳を澄ませていたが、聞こえてくるのは静かな水音だけだった。
空気は冷たく、冬の気配を感じさせたが、風はほとんど吹いていなかった。
「……“傷跡の聖者”か」
知らず知らずのうちに、俺はそう呟いていた。
(――元はと言えば、俺はその役目を演じていたに過ぎなかった)
それこそ、今こうして身につけている仮面のようなものでしかなかった、と俺は思った。
にもかかわらず、“傷跡の聖者”の仮面は、いつしか素顔のごとく馴染んでいった。
それは生きる目的を失っていた俺に、新たな顔と名と行動原理を与え、己のうちに生まれた空白さえ満たしてくれた。
気づけば、“ケンゴー”は世間のささやかな称賛を獲得し、交友を結んだ者たちからも、少なからぬ信頼を寄せられる存在となった。
けれども、仮面が馴染めば馴染むほど、“ケンゴー”と“イーシャル”の隔たりは、増大してゆくばかりだった。
もはや両者が同一人物であるとは、この俺自身でさえ、どこか信じられなくなりつつあった。
「――お前は一体、何者なのだ?」
はっきりと声に出したその問いかけは、二人の人間に向けられたものだった。
一人はほかならぬ自分自身であり、もう一人は、俺をここに呼び出した手紙の主だった。
……そう、背後から忍び寄る何者かの足音を、俺は確かに耳にしていたのである。
(――いよいよお出ましか)
剣の柄に手をかけつつ、俺は素早く後ろを振り返った――と同時に、仮面が真っ二つに割り砕け、その破片が乾いた音を立てて足元に散らばった。
無詠唱の“解呪”を使われたのだ、と俺は瞬時に悟った。
その使い手と思しき人影は、正面から真っ直ぐに迫りつつあった。
月明かりに目を凝らすと、接近者が女であることが見て取れた。
村娘風の粗末な青っぽいワンピースを身にまとった、黒髪の女である。
男のように短く切り揃えられた女の髪は、微かな風によって揺れていた。
女が端正な顔立ちをしていることは、遠目にもよく分かった。
(――まさか、メローサなのか!?)
心当たりのある黒髪の女と言えば、彼女ただ一人だけだった。
否応なくあの日の記憶が蘇り、冷たい戦慄が体中を駆け抜けていった。
だが、すぐに誤りだったと気づかされた。
俺の目の前で立ち止まったその女は、透き通るような白い肌と、神秘的な奥行きを持つ緑色の瞳の持ち主だった。
「……イクシアーナ」
俺は自然とその名を呟いていた。
周囲の目を欺くための方便なのだろう、長く豊かな髪を切り落とし、黒く染髪までしていたが、彼女の浮世離れした美しさと存在感を隠し通すには、それだけでは不十分だった。
「――こうして顔を合わせるのは、ずいぶんと久しぶりですね、イーシャル」
イクシアーナは囁くようにそう言って、微笑みかけてきた。
そして、じっと俺の顔を覗き込んだ。
「髪も短く、髭もほとんど生えていない。私には見分けがつきますが、確かに別人のようです」
言いながら、彼女は感心したような面持ちを浮かべた。
「――あの手紙を書いたのは、本当にお前なのか?」
呆気に取られつつ尋ねると、彼女はしっかりとうなずいてみせた。
「昨晩のうちにしたためたものを、最も信頼できる侍女に頼み、あなたの部屋に届けさせたのです」
彼女の声は、いくぶん硬い響きを含んでいた。
「名前も記さず、驚かせてしまったでしょうが、どうか許してください。手紙の主が私だと知ったら、あなたは警戒してここに現れないかもしれない。それを案じた末の判断でした」
言い終えるなり、彼女は急に改まった顔つきになり、俺の右手をちらと見やった。
指先は未だ、腰に下げられた剣の柄にかけられたままだった。
「……そんな風に身構えないでください。私があなたを呼び出したのは、騙し討ちするためとでもお考えですか?」
「――さあ、どうだろう」
そう答えると、イクシアーナは物憂げにうつむき、小さく頭を振った。そしてこう言った。
「私の願いはあくまでも、あなたと二人きりで話をすることです。ご存知でしょうが、大聖堂の敷地内では、私は四六時中警護に張り付かれています。確実に盗み聞きされることを避けるには、こうして外で落ち合う以外、良い方法が思いつきませんでした。変装までしたのも、もちろん用心のためです」
そこまでしなくては、語れない内容の話とは、一体どのようなものだろう――黙って考えを巡らせていると、イクシアーナはワンピースの裾を少しばかり持ち上げ、右のふくらはぎに巻かれた革のホルダーを露わにした。
彼女はそこに収められたナイフを引き抜くと、その柄を俺に向かって差し出した。
「私が身につけている武器は、この一つだけです。あなたが預かっていてください」
射抜くような眼差しをこちらに向けつつ、イクシアーナが決然とした声音で言った。
「ほかに武器は持っていないと断言できますが、あなたが望むのならば、お好きなように私の身体を調べていただいて結構です。おかしな誤解だけは、されたくありませんから」
俺はなおも沈黙を保ったまま、慎重に辺りを見回した。
彼女がこちらの注意を引いている間に、どこからか刺客が襲ってくるのではないかと警戒したのである。
だが、変わった様子は何一つとして見られなかった。
「……分かった。ひとまず、あんたを信じよう」
剣の柄から手を離すと、イクシアーナは少しばかり表情を和らげた。
そして、俺の右手に無理矢理ナイフを押しつけると、次のように切り出した。
「もし良かったら、一緒に腰を下ろしませんか? 私がこれからする話は、少しばかり長くなるでしょうから」
「話を聞くことは約束するが、それ以外は好きにさせてもらう」
そう告げると、彼女は無言のまま腰を屈め、その場に膝を抱えて座った。
それを見届けたのち、俺は彼女から少し離れた地面に、腰を落ち着けた。
「話を始める前に、念のため確認しておくが、誰かに尾けられた可能性は?」
気がかりだった点を尋ねると、「その心配は不要です」とイクシアーナは答えた。
「私の部屋には、有事に備えて秘密の脱出口が設けてあるのですが、そこを通ってここまで参りました。警護の者には、早めに床に就くと伝えておきましたから、誰一人として、私の不在には気づいていないはずです」
それなら結構だ、と返すと、イクシアーナは思い詰めたような表情を浮かべ、大きな息を一つ吐いた。
「――では、そろそろ本題に移りましょう。手紙に記した通り、あなたの身にまつわる重要な話です」
川の流れをじっと見つめながら、彼女は静かな声で語り出した。
「しかし、それを伝えるためにはまず、私の犯した“罪”を打ち明けねばなりません。……何を隠そう、私はあなたの影の共犯者なのですから」
俺は思わず息を呑んだ。
“イーシャル”こそ“英雄殺し”の正体であり、イクシアーナは彼の凶行に加担していた――彼女の告白は、少なくとも俺の耳には、そのように聞こえてならなかった。




