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【7/25書籍発売】傷跡の聖者  作者: イエニー・コモリフスキ
第三章:英雄殺し

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36.手紙の主の正体

 俺は固く目を閉じ、混乱から立ち直るために何度か深呼吸を繰り返した。

 次いで、じっくりと時間をかけ、もう一度手紙に目を通した。

 

(――とにかく、これを書いた人間は、自身の素性を明かしたくないらしい)


 さして驚くべきことではないが、それだけは断言できた。

 この手紙の差出人は、協力者を自称しているにもかかわらず、名前も筆跡も隠しているのである。

 事実、手紙に並んだ文字は、いずれも定規を当てて書かれたかのごとく直線的であり、また不自然なほど画一的なものだった。

 まさしくそれが狙いなのだろうが、生ある者の気配をまるで感じさせないのである。


(――そして、少なくとも内部の人間ならば、この部屋に手紙を残すことくらい、造作もなかったはずだ)


 俺は当然のごとくそう思った。

 そもそも、俺の部屋を含め、宿舎の各部屋の扉には、鍵が設置されていないのである(フラタル大聖堂が建立されたのは、その名が改められる遥か昔、三百年以上も前なのだから、無理もない話だった)。

 部屋の内側から(かんぬき)をかけることはできたが、俺が不在である日中は当然、誰でも忍び込むことは可能だった。

 言うに及ばず、それは内部の人間のほうがより容易だったはずである。

 加えて、手紙は()()()()()()()()()()()()()

 これらを考慮した場合、手紙の書き手と届け手が異なる可能性はあるにせよ、内部事情に詳しい人間の関与を、まずは疑うべきと言えた。


(――イクシアーナか、はたまたリアーヴェルか)


 最初に頭に浮かんだのは、この二人だった。

 何と言っても、彼女たちとはここ数日、朝から晩まで行動を共にし続けたのだ。

 その上、本日はまともに声を聞かれ、目の前で剣筋さえ披露したのである。

 ジャンデルに与えた以上の手がかりを、彼女たちが得ていたと考えても、何らおかしくはなかった。

 しかし、唯一気がかりなのは、俺をわざわざ外に呼び出した点である。

 その理由自体は、会話が盗聴されることを避けたかったとでも考えておけば、ひとまず納得はできる(無論、“御身にまつわる重要な話がしたく”という手紙の内容を、そのまま信じた場合の話だが)。

 ただし、警護対象である彼女たちの外出が困難であることは、見過ごせぬ点だった。

 夜間は二人とも、部屋の前に不寝番(ねずばん)に立たれているばかりか、結界の力によって、“移転の門”を開くことも封じられているのである。

 加えて、仮に敷地内を抜け出す何らかの術を知っていたとしても、“英雄殺し”の力をまざまざと見せつけられたその日の晩に、好んで外を出歩くとは考えにくかった。

 もちろん、彼女たちが“英雄殺し”の正体、あるいはその共犯だったならば、話は全く別だが。


(――しかし、その可能性は信じたくない)


 底深いため息が、自然と漏れ出ていた。

 だいいち、必ずしも内部の人間が手紙を残したとは限らないのだ。

 本日の襲撃で生じた混乱に乗じ、外部の人間がこの部屋に侵入していた可能性も、当然ゼロではない。

 となれば、今も生き続けるガンドレールが、何らかの意図を持ってこちらに接触を試みたのかもしれなかった。

 あるいは、自らの影を思わせる“英雄殺し”が、俺をおびき寄せるために罠を仕組んだと考えても、別段不思議はない。


(――結局のところ、差出人の正体など、実際に会ってみない限りは分かるはずもない)


 俺は再び嘆息し、机の上に置かれた砂時計を見やった。

 魔導具であるそれは、正確に24時間を刻むことができる上、逐一ひっくり返す手間も不要という便利な品だった(落ち切った砂を、瞬時に管の上部に戻す仕掛けが、魔術によって施されているのだ)。

 現在、砂の目盛りは、18時半ちょうどを示している。

 待ち合わせに指定された水門は、ここから徒歩で約30分のところにあった。

 

(――約束の時間は20時だ。となれば、あと1時間、身の振り方を考える猶予は残されている)


 そう思った瞬間、びくりと身体が震えた。

 部屋のドアをノックする音が、突如として耳に飛び込んできたのである。


「――誰だ?」


 咄嗟に尋ねると、「俺だよ」と返事があった。

 ウイユベリ地方の出張から帰っていたのだろう、レジアナスの声だった。

 俺は急いで机の抽斗(ひきだし)に手紙を仕舞った。


「――少し話がある。入っても構わないか?」


「……構わんが、手短に頼む」


 そう伝えると、憔悴しきった面持ちのレジアナスが、部屋の中に入ってきた。


「――申し訳なかった、ケンゴー」


 俺の顔を見るなり、彼は暗く沈んだ声でそう言った。

 何がだと訊くと、「今日の襲撃のことだ」と彼は答えた。


「――警備を手配していたのは俺だ。まんまと裏をかかれた。しかも、最も肝心なときに、この俺は不在だった。そして何より、かけがえのない仲間の命が、数多く失われた」


 レジアナスのひどく虚ろな目と、奇妙に強張った顔を目の当たりにした俺は、ひとまず、手紙の件を頭の片隅に追いやった。

 そして、ベッドに腰を下ろした彼の正面に立った。


「お前がそう思うのは、もちろん理解できる。だが、あのような手段で仕掛けてくるとは、誰にも想像できなかったはずだ」


 そう伝えると、レジアナスはうつむき、「そうかもしれないが」と苦々しげに呟いた。

 それから彼は、おもむろに顔を上げ、作り物のような笑顔を向けてきた。


「……ケンゴーが居てくれて、本当に助かったよ。とにかく、それを伝えたかった。あんたの活躍ぶりは、もうすっかり噂になってる」


「礼には及ばん。俺は俺なりに、務めを果たそうとしただけだ」


 そう返すと、レジアナスは「ありがとう」と小さく呟き、再びうつむいた。そしてこう続けた。


「……今回の襲撃のせいで、この大聖堂を取り巻く状況は、がらりと変わっちまった。怪我人や急病人の受け入れも、当面は完全に中止だ。裏庭の難民たちも、一旦は立ち退いてもらわなきゃならない。民間人の死者を出してはならないと、ついさっき、総主教様が苦渋の決断をなされた」


 切迫したレジアナスの口ぶりは、何もかもが自分のせいだと言わんばかりのものだった。


「さらに“屍兵”対策として、教会墓地の遺体の掘り起こしと火葬も強行されるだろう。信徒たちの批判は免れないだろうが、総主教様は既にそのおつもりでいる」


 それが最善手に違いない、と俺は思った。

 なぜなら、ゼルマンドが討たれた今、かつて一般的だった土葬の風習が再び広まりつつあったからだ。

 遺体を灰にしなければ、“死者の王”に都合良く利用されてしまう――人々がそれを恐れ、火葬が土葬に取って代わった時代は、もはや過去のものになろうとしていた。


「ところで、掘り起こすべき遺体の数は、どの程度あるのだ?」


 ゼルマンド戦役以前の遺体は全て火葬されていただろうし、その数はさして多くなかろう――そんな期待を込めつつ、俺はそう尋ねた。


「――およそ一万体」


 レジアナスの答えに、俺は開いた口が塞がらなかった。


「……実を言うと、ここの教会墓地では、今日に至るまでずっと土葬が続けられてきた。もちろん、戦役中は教会としても火葬を強く推奨したが、信徒たちのほうが徹底してそれを拒んだんだ。その理由は、あえて言う必要もないだろうが、聖ギビニア教典にある。そこには、“火葬は神より授かった肉体に対する冒涜である”と、はっきり記されているからな」


 微かな絶望を滲ませた声で、レジアナスがそう言った。


「そもそも、ここに墓を持っているのは、敬虔な信徒たちばかりだ。教会の熱心なパトロンも、その中には相当数含まれている。彼らは皆、教典に対してとことん忠実な人種なんだ。加えて、聖騎士団によって守られてきたこの大聖堂は、今日という日を迎えるまで、一度たりとも攻め込まれたことはなかった。要するに、ここの教会墓地だけは、絶対に安全だと見なされてきたってわけさ」


 レジアナスは悩ましげに頭を振り、それからこう続けた。


「まさに正念場だよ。墓の掘り起こしのためには、相当な人手が必要になる。かといって、警備の人数を減らすわけにもいかない。一体、どうすりゃいいんだ……」


「――ならば、王国騎士団に助力を仰ぐべきだ」


 そう伝えると、レジアナスは険しく眉をひそめた。


「それができるなら、当然そうするさ。でも、正直難しいだろう。ポリージアの一件以降、王国騎士団の連中は、俺たちをまるで良く思っちゃいない」


 レジアナスの言うことはもっともだった。

“ポリージアの聖母”ことブエタナ・バルボロと南部総督の癒着を暴いたのは、ほかでもない聖ギビニア騎士団である。

 その結果、王国騎士団の内部腐敗は、広く世間の知るところとなった。

 以来、双方が密かな緊張状態にあることは、当然俺も承知していた。


「――だが、王国騎士団の中にだって、正しい志を持つ者はいる。たとえば、現騎士団長のディダレイ・バシュトバーがそうだ」


 それを聞くなり、レジアナスは大きく目を見開いた。


「……ディダレイ・バシュトバーって、ネーメスの兄貴だろう?」


 その通りだ、と俺は答え、確信を持って言葉を継いだ。


「本日、俺は彼と共闘した。そして、彼こそ誠の志士であると知った。こちらが申し出れば、必ず力を貸してくれるはずだ」


「……正直驚いたが、あんたがそう言うんなら、きっとそうなんだろう」


 未だ半信半疑と見えるレジアナスに、俺はしっかりとうなずいてみせた。

 

「――色々と事情はあるだろうが、今はつまらぬ利害関係を気にかけている余裕はない。敵はあくまでも“英雄殺し”なのだ。それを忘れてはならぬ」


「……あんたの言う通りだ。早速、王国騎士団に使いを送るとしよう。問題は山積みだが、とにかくやれるだけのことはやってみる」


 そう話すレジアナスの表情に、普段の力強さが戻っているのを見て、俺は密かに安堵した。

 

「無理するなと言っても難しいだろうが、それでも、無理し過ぎるなよ。できる限り、身体を労わってくれ」


「――ありがとよ、ケンゴー」


 レジアナスは笑顔で言い残し、急いで部屋を飛び出した――と同時に、俺の決心は自然と固まっていた。


(――やはり、行かねばなるまい。身の安全のためには、ここに留まるのが賢い選択だろうが、それが好ましいこととは、どうしても思えぬのだ)


 はっきりとした理由など、無論ありはしないが、俺の直観は確かにそう告げていた。


(――“傷跡の聖者”ケンゴーと名を変え、レジアナスとの出会いによって大聖堂に導かれ、さらにはこの手紙を受け取ったのも、必然の成り行きだったのではないか)


 ひょっとすると、人知を超えた何らかの意志が、自らの運命を突き動かしているのかもしれない――いつの頃からか、そうした超自然的な感覚を、俺は密かに抱き続けてきたのだ。

 それが馬鹿げた考えかもしれないということは、自分でも重々承知している。

 だが、それでも俺は、この目には見えぬ力に身を委ねてみることが、最善の選択のように思えてならなかった。


(――自らの“目”で、真実を確かめなくてはならぬ。たとえ手紙の誘いが、俺を陥れる罠だったとしてもだ)


 これこそが、俺の下した最終的な決断だった。

 

(――動けば動いたなりの手応えは、必ず得ることができる。それは何らかのかたちで、より良い未来をもたらすかもしれぬのだ)


 俺はそう信じることにした。

 全ては、己の直観のみによって導き出された結果だった。


 その後、俺は鎧を脱ぎ、洗いざらしのシャツと革ズボンに着替えた。

 相手を不用意に刺激せぬよう、“目立たぬ装いで来られたし”という指示に従おうと判断したのである。

 よって、身に帯びた武器は、腰に下げた片手剣と、懐に忍ばせたナイフの二つだけだった。

 心許ない装備には違いないが、不安や恐れは一切感じなかった。

 仮に“英雄殺し”と戦う破目になれば、万に一つも勝ち目はないだろうが、それでもなお、俺の覚悟は揺るがなかった。


(――誰かに見られぬよう、手紙は処分せねば)


 支度を終えるなり、そう思い立った俺は、抽斗から手紙を取り出し、懐に仕舞った。

 何が起こるか分からぬ以上、この件に他者を巻き込むことは、自らの望むところではなかった。

 それから、再び砂時計を見やると、時刻は19時を過ぎたばかりだった。

 少々早い出発ではあったが、俺は誰にも何も告げることなく、大聖堂をあとにした――。



 *   *   *



 煌々と輝く月の下、俺は王都の町の大通りを、独り歩き続けた。

 最後にこの場所を通ったのは、ゼルマンドを討った直後に催された、凱旋パレードの際である。

 その当時は、歓喜に満ちた人々で往来が埋め尽くされていたが、今では見る影もなかった。

“英雄殺し”の噂が立ったせいだろう、驚くほど人影はまばらであり、早くも店仕舞いしている商店が、そこかしこに見受けられた。


(――考えてみれば、あれから半年も経っていないのか)

 

 そう思うと同時に、この数か月の間に訪れた場所や、出会った人々や、交わした会話の数々が、次々に脳裏に蘇った。

 そうした過去の一つひとつに想いを馳せているうちに、間もなくラヌーズ川沿いの道に出た。

 俺はそこで足を止め、夜空を見上げたが、星は一つも出ていなかった。

 妙に生々しい光を放つ半月が、ぽっかりと浮かんでいるばかりである。

 わずかに鼓動が早まるのを感じつつ、俺は再び歩き出した。

 そして、なだらかな土手を下り、真っ直ぐに水門を目指した――。



 *   *   *



 ほどなく目的地に到着したが、やはり時間が早過ぎたのだろう、得体の知れぬ待ち合わせの相手は、まだ姿を現していなかった。

 よくよく辺りを見回してみたが、人影と思しきものは一切見当たらない。

 図らずも人心地ついた俺は、ゆっくりと川縁(かわべり)に向かい、手紙を細かく破って水の流れに投げ込んだ。

 

 時が過ぎるのを待つ間、俺は煉瓦づくりの古い水門を眺めるともなく眺めていた。

 その傍ら、周囲の物音にじっと耳を澄ませていたが、聞こえてくるのは静かな水音だけだった。

 空気は冷たく、冬の気配を感じさせたが、風はほとんど吹いていなかった。

  

「……“傷跡の聖者”か」


 知らず知らずのうちに、俺はそう呟いていた。


(――元はと言えば、俺はその役目を演じていたに過ぎなかった)


 それこそ、今こうして身につけている仮面のようなものでしかなかった、と俺は思った。

 にもかかわらず、“傷跡の聖者”の仮面は、いつしか素顔のごとく馴染んでいった。

 それは生きる目的を失っていた俺に、新たな顔と名と行動原理を与え、己のうちに生まれた空白さえ満たしてくれた。

 気づけば、“ケンゴー”は世間のささやかな称賛を獲得し、交友を結んだ者たちからも、少なからぬ信頼を寄せられる存在となった。

 けれども、仮面が馴染めば馴染むほど、“ケンゴー”と“イーシャル”の隔たりは、増大してゆくばかりだった。

 もはや両者が同一人物であるとは、この俺自身でさえ、どこか信じられなくなりつつあった。


「――お前は一体、何者なのだ?」


 はっきりと声に出したその問いかけは、二人の人間に向けられたものだった。

 一人はほかならぬ自分自身であり、もう一人は、俺をここに呼び出した手紙の主だった。

 ……そう、背後から忍び寄る何者かの足音を、俺は確かに耳にしていたのである。


(――いよいよお出ましか)


 剣の柄に手をかけつつ、俺は素早く後ろを振り返った――と同時に、仮面が真っ二つに割り砕け、その破片が乾いた音を立てて足元に散らばった。

 無詠唱の“解呪”を使われたのだ、と俺は瞬時に悟った。

 その使い手と思しき人影は、正面から真っ直ぐに迫りつつあった。


 月明かりに目を凝らすと、接近者が女であることが見て取れた。

 村娘風の粗末な青っぽいワンピースを身にまとった、黒髪の女である。

 男のように短く切り揃えられた女の髪は、微かな風によって揺れていた。

 女が端正な顔立ちをしていることは、遠目にもよく分かった。


(――まさか、メローサなのか!?)


 心当たりのある黒髪の女と言えば、彼女ただ一人だけだった。

 否応なく()()()()()()が蘇り、冷たい戦慄が体中を駆け抜けていった。

 だが、すぐに誤りだったと気づかされた。

 俺の目の前で立ち止まったその女は、透き通るような白い肌と、神秘的な奥行きを持つ緑色の瞳の持ち主だった。



「……イクシアーナ」



 俺は自然とその名を呟いていた。

 周囲の目を欺くための方便なのだろう、長く豊かな髪を切り落とし、黒く染髪までしていたが、彼女の浮世離れした美しさと存在感を隠し通すには、それだけでは不十分だった。


「――こうして顔を合わせるのは、ずいぶんと久しぶりですね、イーシャル」


 イクシアーナは囁くようにそう言って、微笑みかけてきた。

 そして、じっと俺の顔を覗き込んだ。


「髪も短く、髭もほとんど生えていない。私には見分けがつきますが、確かに別人のようです」


 言いながら、彼女は感心したような面持ちを浮かべた。


「――あの手紙を書いたのは、本当にお前なのか?」


 呆気に取られつつ尋ねると、彼女はしっかりとうなずいてみせた。


「昨晩のうちにしたためたものを、最も信頼できる侍女に頼み、あなたの部屋に届けさせたのです」


 彼女の声は、いくぶん硬い響きを含んでいた。


「名前も記さず、驚かせてしまったでしょうが、どうか許してください。手紙の主が私だと知ったら、あなたは警戒してここに現れないかもしれない。それを案じた末の判断でした」


 言い終えるなり、彼女は急に改まった顔つきになり、俺の右手をちらと見やった。

 指先は未だ、腰に下げられた剣の柄にかけられたままだった。


「……そんな風に身構えないでください。私があなたを呼び出したのは、騙し討ちするためとでもお考えですか?」


「――さあ、どうだろう」


 そう答えると、イクシアーナは物憂げにうつむき、小さく頭を振った。そしてこう言った。


「私の願いはあくまでも、あなたと二人きりで話をすることです。ご存知でしょうが、大聖堂の敷地内では、私は四六時中警護に張り付かれています。確実に盗み聞きされることを避けるには、こうして外で落ち合う以外、良い方法が思いつきませんでした。変装までしたのも、もちろん用心のためです」


 そこまでしなくては、語れない内容の話とは、一体どのようなものだろう――黙って考えを巡らせていると、イクシアーナはワンピースの裾を少しばかり持ち上げ、右のふくらはぎに巻かれた革のホルダーを露わにした。

 彼女はそこに収められたナイフを引き抜くと、その柄を俺に向かって差し出した。 


「私が身につけている武器は、この一つだけです。あなたが預かっていてください」


 射抜くような眼差しをこちらに向けつつ、イクシアーナが決然とした声音で言った。


「ほかに武器は持っていないと断言できますが、あなたが望むのならば、お好きなように私の身体を調べていただいて結構です。おかしな誤解だけは、されたくありませんから」


 俺はなおも沈黙を保ったまま、慎重に辺りを見回した。

 彼女がこちらの注意を引いている間に、どこからか刺客が襲ってくるのではないかと警戒したのである。

 だが、変わった様子は何一つとして見られなかった。


「……分かった。ひとまず、あんたを信じよう」

 

 剣の柄から手を離すと、イクシアーナは少しばかり表情を和らげた。

 そして、俺の右手に無理矢理ナイフを押しつけると、次のように切り出した。 


「もし良かったら、一緒に腰を下ろしませんか? 私がこれからする話は、少しばかり長くなるでしょうから」


「話を聞くことは約束するが、それ以外は好きにさせてもらう」

 

 そう告げると、彼女は無言のまま腰を屈め、その場に膝を抱えて座った。

 それを見届けたのち、俺は彼女から少し離れた地面に、腰を落ち着けた。


「話を始める前に、念のため確認しておくが、誰かに()けられた可能性は?」


 気がかりだった点を尋ねると、「その心配は不要です」とイクシアーナは答えた。


「私の部屋には、有事に備えて秘密の脱出口が設けてあるのですが、そこを通ってここまで参りました。警護の者には、早めに床に就くと伝えておきましたから、誰一人として、私の不在には気づいていないはずです」


 それなら結構だ、と返すと、イクシアーナは思い詰めたような表情を浮かべ、大きな息を一つ吐いた。

 

「――では、そろそろ本題に移りましょう。手紙に記した通り、あなたの身にまつわる重要な話です」


 川の流れをじっと見つめながら、彼女は静かな声で語り出した。

 

「しかし、それを伝えるためにはまず、私の犯した“罪”を打ち明けねばなりません。……何を隠そう、私は()()()()()()()()()なのですから」


 俺は思わず息を呑んだ。

“イーシャル”こそ“英雄殺し”の正体であり、イクシアーナは彼の凶行に加担していた――彼女の告白は、少なくとも俺の耳には、そのように聞こえてならなかった。

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