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35.男たちの別れ

 総主教が話を終えて間もなく、地下霊廟の様子を探りに行っていたトモンドと聖騎士たちが、大礼拝堂に戻って来た。

 そちらには、既に屍兵の姿はなく、変わった様子も一切見受けられなかったと彼は報告した。


「――では早速、同朋たちの遺体を外に運び出し、火葬に付しましょう」


 無理に絞り出すように、哀切な声で周囲に告げたのは、イクシアーナだった。

 屍兵化した者の亡骸は、その場で速やかに荼毘(だび)に付し、遺骨を親族に引き渡す――この慣習は、ゼルマンド戦役が始まって間もないころ、兵士たち自身の願いによって広められたものだった。

 事実、討たれた“屍兵”の骸は、首を切断されているか、頭を砕かれているのが当然である。

 さらには、その者の生前の面影を色濃く残しつつも、禍々しく様変わりしているのだ。

 ゆえに、そうした遺体と対面した親族は、ショックのあまり、精神に異常をきたす者も少なくなかったという。

 そして、兵士たちは当然、そのような事態を望まなかった。

 要するに、屍兵化した者の火葬は、その本人と親族双方に対する最大限の配慮にほかならなかった。


「……これでようやく、ジャンデルを弔うことができる」


 傍に立っていたディダレイが、深い悲しみと安堵を交えたような声で、ぽつりと呟いた。

 それから彼は、祭壇脇の壁に空いた大穴に向かって、おもむろに歩き出した。

 俺は得も言われぬ気持ちで、遠ざかってゆくその背中を眺めていた。

 彼にかけるべき言葉を、俺は何一つとして持たなかった。


「……ケンゴーさん、何だか普段と様子が違いますが、お身体の具合でも悪いのですか?」


 ぼんやりと立ち尽くす俺に声をかけてきたのは、イクシアーナだった。

 彼女はこちらの正面に回り、透き通った緑色の瞳で、じっと顔を覗き込んでいた。

 それに気づいた俺は、思わず視線を逸らしながら、「お気になさらず、心配は不要です」と答えた。

 すると彼女は、ハッとした表情を見せ、両手で口元を覆った。


「――もしかして、その傷、例の槍で受けたのではありませんか?」


 彼女は言いながら、俺の胸部に水平に残された傷跡を見やった。

 確かに俺は、ファラルモの払いによって鎧を裂かれた際、同時に肉を斬られていた。

 だが、軽傷には違いなく、出血も既に止まっている。

 そうですが、大したことはありません、と俺は返事をした。


「とは言え、傷口は癒し手に調べてもらうべきでしょう。何せ、あのような“魔術効果付与(エンチャント)”がなされていた槍ですから……」


 眉をひそめつつ、ひどく青ざめた顔で、イクシアーナがそう口にした。

 その声は、聞いているこちらが不安になるほど、切迫した響きを帯びていた。

 おそらく彼女は、“屍兵”以外の暗黒魔術も“魔術効果付与(エンチャント)”されていた可能性を案じたのだろう。

 事実、暗黒魔術の中には、運動能力の著しい低下や一時的な盲目状態など、様々な心身異常を引き起こす類のものが存在している。

 だが、不審な暗黒魔素が体内に入り込んできたならば、この俺が気づかぬ道理はなかった。

 かれこれ十余年、暗黒魔術に慣れ親しんできたがゆえ、そうした勘が人一倍働くのである。

 よって、心配に値する兆候は一切見られない旨を伝えたが、彼女はなおも表情を曇らせたまま、こう尋ねてきた。


「――ほかに、あの槍で傷を受けた者は?」


 ディダレイ騎士団長です、と俺は答えた。

 彼もまた、俺同様に軽傷だが、右肩口と左脇腹に傷を負っていたはずである。


「それならば、ディダレイさんと一緒に、すぐに施療室に向かってください。ここに勤める癒し手は、国中から選りすぐって集められた者ばかりです。彼らに診てもらっておけば、間違いはありません。万が一、命に関わるようなことがあっては困りますから……」


 悩ましげに小さく頭を振りながら、イクシアーナが言った。


「それから、本日の護衛の任は、これで終わりにしてください。治療が済んだあとは、ゆっくりとお身体を休めて欲しいのです。これは団長命令ですからね」


 彼女の口調は有無を言わせぬものだったが、俺は首を振った。

 そしてこう言った。


「――しかし、弔いの儀だけは、必ず見届けておきたいのです。勇敢に戦った兵たちに対する敬意は、いつ何時も欠かしてはならぬものです。それが済み次第、診療を受けますので、どうかお許しを」


 こちらの真剣さが伝わったのだろうか。彼女は諦めたように嘆息し、「では、必ずその通りになさってくださいね」と念を押すように言った。



 *   *   *



 その後、聖騎士や修道士たちの遺体は、教会墓地に隣接する広場に運び込まれ、十分な間隔を置いて整然と並べられた。

 全部で六十三体に及んだそれらは、棺の代わりを果たす聖ギビニア騎士団の団旗――赤い“剣十字”が描かれた白地の旗だ――に一様に包まれている。

 しかし、その中にはたった一つだけ、深紅の旗に覆われた遺体が混じっていた。

 中央に金色の“双頭の鷲”があしらわれたその旗は、レヴァニア王国騎士団の団旗であり、死せるジャンデル・ムルバンクのために用いられたものだった。

  

 火葬の準備が一段落するころには、大聖堂に勤める者たちが、警備の兵を残して悉く広場に集まった。

 さらには、そのあとを追うように、百名近い王国騎士団員まで駆けつけた。

 ジャンデルの死を受けた総主教が、王城に使いの者を送り、弔いの儀を執り行う旨を伝えていたのである。


 かくして、大勢の者が見守る中、厳かに儀式は始まった。

 総主教が祈りの言葉を述べ、続いて長い黙祷が捧げられたのち、火炎魔術の使い手たちが、死者を送るための火を次々に放った。

 ディダレイも当然のごとく、その役目をジャンデルのために進んで果たした。


 間もなく、雲一つない晩秋の青空に向かって、真っ白な煙が幾筋も立ち昇り始めた。

 それらをじっと眺めていると、今の今まで忘れていた遠い記憶が、不意に呼び覚まされた。

 それは、義勇軍時代にジャンデルと交わした、あるやり取りにほかならなかった――。



 *   *   *



 俺がはっきりと覚えているのは、その日の美しい朝焼けだった。

 記憶にあまり自信はないが、場所は戦場近くの野営地で、季節は初夏だったように思う。

 当時の俺は、夜明け前に起き出し、独り剣の修練を積むのが日課だった。

 そして、その合間に朝焼けを眺めることを、ささやかな心の慰めとしていた。

 それは誰にも邪魔されたくない時間だったが、その日は偶然にも、辺りを散歩していたらしいジャンデルと出くわした。

 そして、俺たちは立ち話を始めた。

 今となっては、どのような経緯でそんな話になったのか、まるで思い出すことができないが、とにかく、彼はこんな質問を投げかけてきた。


「――お前が戦う理由は何だ?」


 彼の言葉に、こちらとしては首を捻らざるを得なかった。

 当然ながら、俺とジャンデルは、親しく膝を交えて語り合うような間柄ではなかったからだ。

 過去に立ち話をした回数も、片手に収まるほどしかなかったと記憶している。


「――なぜ、それを知りたい?」


 返答に窮した俺は、ひとまずそう訊き返した。

 するとジャンデルは、「言って減るものでもないだろう」とにべもなく言い放った。


「――語るに足るほどのことはない」


 しばらく思案したのち、俺はそう答えた。

 常に最前線で戦う自分が、一人でも多く敵の頭数を減らしておけば、少年兵たちの命をより多く救えるかもしれない――それこそが戦う理由だったが、実際に口に出すことははばかられた。

 正直に打ち明けたところで、当然のごとく理解を示されないか、冗談も大概にしろと一笑されるだけだと思えたのだ。


「――逆に聞くが、お前にはあるのか? その戦う理由とやらが」


 俺は多少の皮肉を込めてそう訊いた。

 しかし、ジャンデルはこちらの意図には気づかぬ様子で、真剣に眉根を寄せるばかりだった。

 何か言いたげな様子に映ったが、余計な口出しは控えておいた。


「――俺もお前と同じだ。語るに足るほどのことはない」


 長い沈黙のあと、ジャンデルはそう口にした。

 そうか、とだけ返してやると、彼は小さく口端を歪めた。

 そして、「また戦場で」と言い残してその場を立ち去った――。



 *   *   *



(――あのとき、俺が本心を隠さず、正直に戦う理由を伝えていたら、一体どうなっていただろう?)


 そんな思いが、不意に脳裏を過ぎった。

 互いに胸襟を開いて語り合うことができていたら、ジャンデルとの関係は少なからず変化を見せ、もっと別なかたちの未来が用意されていたかもしれない――はっきりとした理由こそないが、そう思えてならなかった。

 ひょっとすると、あの日のささやかな会話が、運命の分かれ道だったのではないか、と。


 しかし、現実には俺たちは、言葉を胸のうちに留めておくことを選んだ。

 その結果、今の俺に残されたものと言えば、行き場を失った感情であり、ジャンデルを斬った際の手の感触であり、金輪際消えないであろう罪の意識だった。


(――これらは全て、俺が一緒くたに抱えたまま、墓場まで持ってゆくほかないのだ)


 むしろ、()()()()()()()()()()()と、俺は自らに言い聞かせていた。

 ますます空を覆ってゆく厚い煙は、まるで己の心にかかる重苦しい靄そのもののように映った。



 *   *   *



 弔いの儀が終了したのち、俺とディダレイはイクシアーナに強く促され、渋々施療室へと向かった。

 道すがら、ディダレイは終始迷惑そうな面持ちを浮かべていたが、目的地が間近に迫ったころ、不意にこう漏らした。


「……むしろ、丁度良かったのかもしれん。今しばらくは、仕事も手につきそうになかった」


 励ますようにうなずいてみせると、彼は小さく口元を緩めた。

 弔いの儀が始まって以降、彼がいくらかなりとも表情を和らげたのは、おそらくそれが初めてだった。


 間もなく、施療室に足を踏み入れた俺たちは、直ちにベッドに向かわされ、身体検査に備えて下着姿になることを命じられた(無論、鉄仮面も外せと迫られたが、俺は頑なに拒否し、とうとう諦めさせた)。

 癒し手たちは、丹念に傷の手当を施したのち、長い時間をかけて様々な魔術による診断を行った。

 しかし、結局のところ、何一つとして異常は発見されなかった。

 これで一件落着かと思い、俺たちが安堵のため息を漏らしていると、今度はポーション(液薬)やら丸薬やらが所狭しと並べられた木の盆が運ばれてきた。


「……まさか、これ全部を飲めとでも言うのか?」


 唖然としながらディダレイが尋ねると、癒し手たちは揃ってうなずいた。

 曰く、「万全を期すため、心身異常の各種予防薬を服用していただきます」とのことだった。


 かくして、その後長らくの間、俺たちは苦痛に満ちた時間を過ごさねばならなかった。

 ポーションは悉く不味く、時には俺もディダレイも目に涙を浮かべながら、嗚咽さえ漏らすという有様だった。

 そして、とうとう全ての薬を飲み終えたとき、癒し手たちはささやかな拍手を送った。

 同時に、俺とディダレイは思わず顔を見合わせ、揃って苦笑を浮かべた。

 次いで、窓の外を見やると、短い秋の日は既に暮れかかっていた。



 *   *   *



 その後、俺はディダレイを正門まで見送ることにした。

 静まり返った廊下を並んで歩き出すと、間もなく、彼は少々改まった声音でこう言った。


「――聖者殿、出会い頭には、無礼を働いて済まなかった。今更かもしれんが、ずっと心に引っ掛かっていた」


 思い返せば、当初のディダレイとの関係は、お世辞にも良好とは言い難かった。

 事実、ネーメスとの決闘についてなじられ、憎悪の眼差しを向けられたことを、今もはっきりと覚えていた。

 だが、とうに過ぎたことである。

 何も気にする必要はない、と俺は返した。

 むしろ、口に出すことは決してできないが、謝るべきはこちらのほうだと考えていた。

 実を言えば、ほんの短い間だが、ディダレイも“英雄殺し”の容疑者の一人ではないかと、俺は密かに疑ったことがあった――。


 そもそもディダレイは、ガンドレールの失踪によって騎士団長の地位に就いていた。

 従って、穿った見方をすれば、“此度の事件で利を得た珍しい人間”とも言い換えられる。

 要するに、彼ならば、前騎士団長を確実に亡き者にしようと望んでもおかしくなく、さらにはガンドレールの日記をあえて現場に残すことも思いついたのではないか――俺はそう考えたのである。

 また、事件の不可解な点についても、彼が王国騎士団の同僚として、ガンドレールを見舞いに訪問したと偽って凶行に及んだと仮定すれば、ひとまず納得のゆく説明はついた。

 要するに、彼の家族や使用人たちまで殺めたのは、顔を見られたのが理由であり、犠牲者に誰一人として抵抗が見られなかったのも、見舞客ゆえに警戒されなかった、というわけだ。

 そして、この場合、捜査の現場指揮を任されていたジャンデルも、一枚噛んでいるのではないかと見ていた。

 立場上、捜査の権限を欲しいままにできる二人が協力すれば、不都合な証拠も容易く隠蔽でき、まさしく願ったり叶ったりではないか、と。


 次にファラルモの殺害だが、こちらに関しても、多少思うところはあった。

 王国騎士団の武術指南役を担っていた彼が、何らかの重大なトラブルを引き起こした結果、団内の誰かに粛清されたのではないかと、俺は睨んだのである(あまり想像したくはないが、ファラルモの性格上、全くあり得ない話ではなかった)。


 この二つの事件の真犯人は、ディダレイとジャンデルだったとしても、別段不思議はない。さらに二人は、人々が“英雄殺し”と目する“イーシャル”を捕らえ、その罪を全て押しつけようと目論んでいる――そんな風に疑ったのだが、大聖堂の襲撃を知った時点で、考えを改めざるを得なくなった。

 なぜなら、彼らがそこまでの凶行に及ぶ理由など、まるで思いつかなかったからだ。

 加えて、あれほど“屍兵”を憎むジャンデルが、再びそれを世にもたらすことに加担するなど、万に一つも考えられなかった。

 そして何より、共闘した際のディダレイの言動の数々――ジャンデルを討った瞬間の涙や、その後の自らの弱さについての告白などだ――は、彼が高潔なる精神の持ち主であり、一切の悪事とは無縁であると物語っていた。


(――今となっては、かような邪推を働かせた己を、ただただ恥じ入るばかりだ)


 密かにため息を漏らすと同時に、ディダレイが呟くようにこう言った。


「――しかし、聖人フラタルの話は、私にとっては耳の痛いものだった」


 なぜだと尋ねると、彼は苦々しい笑みを浮かべてこう答えた。


「フラタルと妹の関係性を知って、改めて思い知らされたのだ。自分は、全くもって良き兄ではなかった、と。もちろん、以前から重々承知していたことではあったが……」


 ディダレイはやれやれといった風に頭を振り、それからこう続けた。


「私とネーメスは、事あるごとにぶつかり合ってきた。想像に難くないかもしれんが、あいつは根っからの問題児で、家名を貶めるような愚行ばかりを繰り返していた。それこそ、若かりし日のフラタルのような有様だった。そんなわけで、あいつはせっかく入学した王立士官学校にいられなくなり、当家と縁ある神学校に止むなく籍を移した。そして、どうにか卒業して聖騎士の叙任を受けた」


 ディダレイはそこで言葉を置いた。

 そして、しばしの沈黙を挟んだのち、躊躇いがちに再び口を開いた。


「――バシュトバー家に生まれついたというだけで、周囲から過度な期待を抱かれ、責任ある振る舞いを求められ、さらには腫物のように扱われる。私自身がかつて味わった苦しみを、あいつもまた背負っていたのだろう。だからこそ、その運命から逃れようと、悪あがきをしていたわけだ。


 ……そう、本当のことを言えば、あいつが荒れていた理由を、私はちゃんと分かっていた。にもかかわらず、手を差し伸べてやろうなどとは、露ほども思わなかった。むしろ、どうにか自力で這い上がってもらわねば困ると、ことさら厳しく当たるようになった。そして、年月を重ねてゆくうちに、ますます互いの反発を強めていった。何と言えばいいのか、男兄弟というものは、どうも難しいらしい」


「……難しいからこそ、独りで背負い過ぎるのは良くない。もっと気楽に考えるべきだ」


 そんな言葉が、口を衝いて出ていた。

 差し出がましいことは言わぬ主義だが、それでも、俺は慎重に言葉を選んで話を続けた。


「ここの聖騎士連中は、意外に見所のある人間が揃っている。そんな中で揉まれていけば、人は嫌でも良い方向に変わってゆくだろう。そして、あんたはあんたなりに、弟を思いやっている。今はすれ違っていたとしても、分かり合える日は必ず来るさ。ときには、誠の関係を築くために、衝突が必要なこともある」


 そうだと良いが、とディダレイは小さく顔を綻ばせた。

 気づけば、正門は目前に迫っており、俺たちは自然と足を止めていた。


「――思い返してみれば、確かにネーメスは前進しているのかもしれん」


 ディダレイは顎に手を当てながら、感慨深げにそう言った。


「出会って間もなく、私が聖者殿に詰め寄った際、ネーメスは貴殿を庇うような素振りを見せた。驚くほど他者に無関心だった以前のあいつを思うと、それは大きな進歩と言える。察するに、そうした変化の陰には、聖者殿の力添えがあったのではないか?」


 俺は咄嗟に首を振り、買い被りは止してくれ、と言った。

 するとディダレイは、急に真剣な面持ちを浮かべた。


「――私は決して買い被りなどしない。事実、誰の目から見ても、聖者殿は傑出した人物だ。実力といい、人柄といい、文句のつけようがない。ゆえに私は、貴殿のような男にこそ、王国騎士団に加わって欲しいと考えているのだ」


 そこまで言ってもらえて光栄だ、と返すと、ディダレイは小さく咳払いをした。


「聖者殿、勘違いしないでもらいたいのだが、私は本気で入団を打診しているのだ。先の戦いを終えた時点で既に、この話を持ちかけようと、私の心は決まっていた。もちろん、“英雄殺し”の一件が片付かない限りは、貴殿も身動きを取れないだろうし、今すぐにという話ではない。しかし、この返事は、いずれ必ずいただきたい」


 突然の申し出に呆気に取られている俺の目を、ディダレイは真っ直ぐに見つめていた。


「おそらく耳にしているだろうが、王国騎士団の内部腐敗は真実だ。貴殿が力を貸してくれれば、早急に改革を推し進めることも決して不可能ではないと、私は固く信じている。よって、もし承諾してくれるのならば、この私が責任を持って、直々に推薦させてもらおう」


 考えておく、とだけ俺は返事をした。

 断らねばならぬのは、火を見るよりも明らかだが、今の彼の想いに水を差すようなことだけは、どうしても口にできなかった。


「では、これからも、我が愚弟をよろしく頼む。聖者殿が傍であいつを見守ってくれていることは、何よりも心強い。そして、王国騎士団の力が必要とあらば、今後は遠慮なく相談して欲しいと、イクシアーナ様に伝えておいてくれ」


 言いながら、彼が差し出した右手を、俺は力強く握り返した。


「――必ずまた会おう、聖者殿」


 全く同時に、俺たちはうなずき合っていた。


(――ディダレイ・バシュトバー。お前とは、もっと別なかたちで出会いたかった。俺が俺である限り、お前と真に交わることはできぬのだ)


 俺は心の中でそう呟いた。

 彼を素直に友と呼ぶことを許さぬ自らの運命を、密かに呪いながら。

 


 *   *   *



 ディダレイと別れたのち、俺は左の塔の一階に位置する武器庫へと足を運んだ。

 そして、在中する武具職人に破損した鎧の修繕を頼み、代わりの鎧を借り受け、それを身につけた。

 差し当たってやるべきことも思いつかないので、イクシアーナたちに合流しようと裏庭に向かうと、その道すがら、一行とばったり鉢合わせた。

 聞けば、今日の仕事は一段落し、宿舎に戻る途中だったという。


「――ところで、ケンゴーさん、診断の結果は?」


 イクシアーナに尋ねられ、何も異常がなかった旨を伝えると、皆一様に笑顔を浮かべ、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 少々大袈裟な反応に思えたが、もちろん嫌な気はしないので、素直に礼を述べておいた。

 それから、俺は“聖女の盾”の面々と共に、イクシアーナとリアーヴェルを女性宿舎まで送り届けたのち、ようやく自室へと向かった。


(……実に長い一日だった)


 思いつつ、部屋のドアを開き、中に足を踏み入れた瞬間、()()()()が目に留まった。

 書き物机の上に、一通の書簡が置かれていたのである。

 訝しみつつ、封蝋を破って取り出した手紙には、次のように記されていた。


「私は傷跡の聖者の協力者にして、その正体を知る者なり。御身にまつわる重要な話がしたく、本日20時、ラヌーズ川の水門前にて待つ。尚、人目を引かぬよう、目立たぬ装いで来られたし」


 俺の頭の中は、一瞬にして空白で塗り潰されていた。

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