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34.汚された奇跡、聖人の遺言

「――フラタルはヴァレリア渓谷の戦いにおいて、王国軍の司令官の指示のもと、数多の“奇跡の兵”を自在に操ってみせたそうです。そして、敗北寸前だった戦局を一気に覆し、奇跡的勝利の立役者となりました」


 短い沈黙ののち、総主教がおもむろに言った。

 すると、ディダレイは驚いたように小さく声を立てた。


「……自在に操ったとは、実に信じ難い話です。では、“奇跡の兵”とフラタルは、使い魔と主人のような関係だったということでしょうか?」


 ディダレイの質問に、「仰る通りです」と総主教は答えた。

 そしてこう続けた。


「“奇跡の兵”は、術者が何らかの命令を下さない限り、独りでに動き回ることはなかったと伝えられています。よって、我々の知る“屍兵”のように、身近な生者に手当たり次第襲いかかるといった蛮行とは、全く無縁だったそうです」


「――なるほど。それならば、先ほど総主教様が、『原始の“屍兵”により近い』と仰ったのも、納得がゆきます」


 顎に手を当てつつ、少々険しい面持ちでディダレイが言った。


「事実、屍兵化したファラルモ様は、二階を目指して一直線に前進を続けました。まるで、自らの攻撃対象をわきまえているかのように、です。そして、こちらが進路を妨害しない限り、積極的に戦闘行為を仕掛けてくる様子もありませんでした。こうした動きは、通常の“屍兵”には、決して見受けられないものです」


 ディダレイがそう話すなり、うつむいていたイクシアーナがゆっくりと顔を上げ、総主教に向かって次のように尋ねた。


「――では、“奇跡の兵”の術が、再びこの世にもたらされた、ということなのでしょうか?」


「……いえ、幸いにもと言うべきか、それは違うようです。とは言え、此度の襲撃を目論んだ者が、“奇跡の兵”の再現を試みたであろうことは、間違いなさそうですが」


 言いながら、総主教は壁際に伏しているファラルモの亡骸を見やった。


「ご覧の通り、あちらの遺体の肌は、むらなく鼠色に染まり、その眼球も、異様なほど血走っております。こうした外見上の変化は、あくまでも、ゼルマンドの生んだ“屍兵”にしか見られないものです。よって、ディダレイさんの話も含めて考えると、先のファラルモ氏は、簡単な命令ならば実行できる“屍兵”といった存在だったのでしょう」


 総主教は悩ましげに嘆息したのち、「そろそろ話を本筋に戻しましょう」と切り出した。

 次いで、再びフラタルの天井画に目を向けつつ、静かな声で語り始めた。


「――ヴァレリア渓谷の戦いで、王国軍は初めて勝利を収めました。しかし、これは方々で展開される一つの戦いの結果に過ぎません。よって、フラタルはジャーガンディアの軍勢に決定的な打撃を与えようと、自分以外の人間にも、“奇跡の兵”を授けることを決意します。


 それは、悩みに悩み抜いた末の決断だったと伝えられています。……そう、禁忌の秘術が悪用されることを、フラタルは誰よりも恐れていました。しかし、それでもなお、そうしないわけにはいかなかったのです」



 *   *   *



 理不尽な重税と苦役。そして、ジャーガンディアの国家宗教“マズイディ教”への改宗の強要と、それを拒む者の処刑――敗北した国々に待ち受けていたのは、苛烈な占領政策だった。

 従って、戦いに勝利する以外、人々を絶望の運命から救う手立ては存在しなかったのである。

 つまるところ、王国軍には圧倒的な兵力差を跳ね返す策が必要であり、それこそが、“奇跡の兵”の使い手の増員にほかならなかった。

 ゆえにフラタルは、禁忌の秘術の伝授に踏み切ったのである。

 事実、彼はヴァレリア渓谷の戦いの直後、極度の魔力使用と疲労のため、一時昏睡状態に陥り、命の危険に晒されたという。

 もはや、自分一人だけの力では、如何(いかん)ともし難い状況にあることを、フラタルは誰よりも承知していたのだろう。


 かくして、さらなる“奇跡の兵”の使い手の育成が、国家的至上命題となった。

 まず、犯罪歴のない腕自慢の魔術師たちが、貴賤を問わず王都に呼び集められ、厳しい選抜試験によってふるいにかけられた。

 次いで、それをくぐり抜けたごく少数の者たちに、フラタルが自ら訓練を施し、最終的に十二名の“奇跡の兵”の使い手が新たに誕生した。

 彼らのうちの大半は、魔術界の新星となったフラタルとは対照的に、既に名の知れた魔術師ばかりだった。

 その中には、先代の宮廷魔術師団長、アルマギア・ツヴァール――フラタルの妹メローサが通った、“王立魔術学校”の当時の総長でもあった――さえ含まれていたという。


 しかし、喜ぶのは早計だった。

 フラタルが後進の育成に尽力していた間も、当然のごとく戦いは続き、戦況は悪化の一途を辿っていたのである。

 もはや、勝利のために手段を選んでいられる状況ではなかった。

 従って、相次いで戦線に投入された“奇跡の兵”の使い手たちは、死したジャーガンディア兵を優先して蘇らせ、常に王国軍の最前線に立たせたという。

 自軍の損害を抑えるのはもちろんのこと、さながら同士討ちのような様相を演出することで、相手に強烈な心理的打撃を与えることを狙ったのである。

 事実、王国軍は蘇らせた自軍の兵は丁重に扱ったが、蘇らせたかつての侵略者たちとなると、話は別だった。

 それらに火薬樽を抱えさせて特攻させる、垂直に等しい断崖絶壁を飛び降りさせて奇襲を行わせるなど、あえて捨て駒同然に使役することを好んだのである。

 侵略者の死を、我々はどこまでも愚弄するという無言のメッセージを、そこに託したというわけだ。

 さらには、蘇らせた多勢のジャーガンディア兵を援軍と見せかけ、容易に敵陣の背後を破るなど、常識では考えられない策まで弄し、劇的勝利を呼び込んだ。

“奇跡の兵”で兵力不足を補い、さらには敵国の死者を有効活用する術を心得た王国軍は、いつしか連勝街道を邁進するようになっていた。


 相手に蘇りの術がある限り、もはや勝利は不可能だ――ジャーガンディアの兵たちは、直ちにその事実に気づかされた。

 彼らにしてみれば、毎度毎度剣を交えるのは、死した同朋ばかりなのだ。

 加えて、自軍から出た戦死者は、必ずと言っていいほど相手の手先にされてしまう。

 これを避けるには、仲間の遺体を逐一回収する必要があったが、命懸けの戦いの際中に、律儀にそればかりやっていられるはずもなかった。


 絶望に呑まれたジャーガンディア軍の士気は、あっという間に地の底に堕ちたが、それも当然と言えた。

 元より彼らは、傭兵中心の寄せ集め部隊に過ぎず、その関心は、もっぱら侵略地からの略奪――ダウダミラ三世は、それを黙認すると事前に約束していた――にあったが、もはやその望みは露と消えていた。

 いつしか、戦いに意義を見出せなくなった兵たちの間で、敵前逃亡や脱走が横行するに至った。

 かくして、侵略開始から半年後、見事に瓦解したジャーガンディアの軍勢は、総員撤退を余儀なくされたのである。



 *   *   *



「――その後、隆盛を誇ったジャーガンディアは、衰退の一途を辿ることになります」


 わずかに情感を込めた声で、総主教が言った。


「レヴァニア王国の勝利は、ジャーガンディアに占領された国々に希望をもたらし、相次いで蜂起を促すきっかけを生みました。さらに、“不浄帝”ダウダミラ三世は、それを治めることに躍起になるうち、熱病に倒れて急死しました。その直後には、後継者の座を巡る大規模な内乱が勃発し、一大帝国はあえなく自壊するのです」


 話を進めるにつれ、総主教の口ぶりは、だんだんと苦々しいものに様変わりしていった。

 俺は密かにそれを訝しんだが、その理由はすぐに明らかとなった。

 

「……しかし、それでめでたしとはなりせんでした。フラタルの本物の悲劇は、ジャーガンディアに対する勝利と同時に幕を開けるのです」



 *   *   *



 全国民たっての悲願である、ジャーガンディア軍の完全撤退を知った瞬間でさえ、フラタルは笑顔を見せなかった。

 そのとき彼は、戦場で長きを共にした親しい司令官の一人に、次のように語ったという。


「――祖国と平和を守りたいという願いは、確かに聞き届けられた。だが、私は人生最大の過ちを犯してしまったのかもしれぬ。“奇跡の兵”は、誤った者が用いれば、確実に人類を破滅に向かわせるだろう。幾度となく、私はそれを戦場で思わされたのだ」


 あろうことかその不安は、勝利の数時間後に現実のものとなった。

 フラタルや王国軍の各司令官たちのもとに、以下のような報せが届いたのである。



 ――西部戦線に残っていたアルマギア・ツヴァールが、突如として反乱を起こし、現在、王都に向かって進軍中。



 そのときツヴァールが陣を構えていた地点は、多方面に散っていたほかの自国軍と比較して、最も王都に近しい位置にあった。

 彼はジャーガンディア軍撤退の一報を受け取った直後、傍で勝利に酔い痴れる将兵たちを、“奇跡の兵”たちに命じて虐殺させたという。

 そして、非業の死を遂げた同朋たちを、自ら蘇らせて傘下に置き、祖国に牙を剥いたのである。


 予想だにしない裏切りに、誰もが耳を疑った。

 三十年以上にも渡って、宮廷魔術師団長の座に君臨した過去を持つツヴァールは、国家の発展に身を捧げた忠臣として人々に知られていた。

 そしてまた、此度の戦役では、フラタルに次ぐ“奇跡の兵”の使い手として、獅子奮迅の活躍をみせた最大の功労者の一人でもあった。

 これほど誉れ高き男が、なぜ謀反を企てたのかは、今日に至るまで、正確な理由は明らかになっていない。


 しかしながら、ツヴァールには、「あれ(・・)が原因だったのでは?」と人々に思わせる過去があった。

 何と彼は、先王ロランバルデ四世の実の甥であり、養嗣子(ようしし)――家督相続人となるべき養子だ――として迎えられた人物だった。

 子宝に恵まなかった先王が、当時から遡ること約三十年前、若くして宮廷魔術師団長に上り詰めた甥を、是非とも後継者に据えたいと自ら望んだのである。

 だが、そのおよそ十年後、齢五十を超えたロランバルデ四世に、思いがけず男児が誕生した。

 先王は喜びながらもひどく狼狽したが、ツヴァールはそれを察してか、「王位継承権を謹んで辞退申し上げます」と自ら宣言した。

 一般的に考えれば、争いの火種となりかねない事案だったが、彼はそれを悔やむような素振りは一切見せず、変わらず忠義を貫き通した。

 後年、ロランバルデ四世が病死し、継承権を譲った義理の弟が若くして即位したが、ツヴァールは進んで新王の政務を手助けした。

 宮中の人間も、彼こそが真なる国家の僕にほかならないと、信じて疑わなかった。

 だが、実際はツヴァールの心中に、穏やかならぬ部分もあったのだろう。

 それが燻り続けた末の造反に違いない――当時の人々は、当然のごとくそう考えた。

 またフラタルは、ツヴァールの反乱を知った瞬間、「世の理を外れた力は、やはり人を狂わせるのだ」と諦めたように口にしたという。



 *   *   *



「……しかし、絶望はそれだけでは終わりませんでした」


 悩ましげに頭を振りながら、総主教が言った。


「あろうことか、“奇跡の兵”の使い手の約半数が、ツヴァールと同様の裏切りを働き、彼に味方したのです。今となっては、誰にも真実を知る手立てはありませんが、おそらく、何らかの密約を交わしていたのでしょう。……かくして、王国軍と反乱軍の総力戦が勃発しました」


 そう語る総主教の顔には、確かに苦悶の色が刻まれていた。


「死者同士が戦い、さらには、死した兵士たちも皆、すべからく蘇っては戦う――戦場は地獄絵図そのもの、血みどろの凄惨な様相を呈したと伝えられています。両軍、一進一退の攻防が数週間に渡って続き、“奇跡の兵”の使い手たちも次々に命を失いました。全部で十三名いた使い手のうち、最後まで生き残ったのは、フラタルとツヴァール、ただ二人だけだったそうです」


 気づけば、俺の脳裏には、ゼルマンド戦役で目にした無数の血生臭い光景が、次々に蘇っていた。

 ゼルマンドが世に生んだ“屍兵”が、どれほどおぞましいものだったのか、改めて突きつけられたかのような心持ちだった。


「……やがて、戦局は反乱軍の有利に傾き、王国軍は半ば壊滅状態に陥りました。そして、死者の軍勢を従えたツヴァールは、とうとう王都の町に足を踏み入れました――が、そのとき、馬を駆ったフラタルが、数十名の騎兵と共に、敵の背後から決死の突撃を仕掛けたのです。


 そして、ツヴァール操る死者の大群は、当然のごとく反撃に出ました。騎兵たちは死に物狂いに戦いましたが、次々に敵の凶刃に倒れてゆきます。寡兵による突撃は、おそらくツヴァールの目には、最後の悪あがき、あるいはわずかばかりの時間稼ぎとしか映らなかったでしょう。


 ――しかし、それで良かったのです。騎兵たちがわずか数名にまで減らされ、もはや全滅かと思われたそのとき、フラタルの長い詠唱がようやく終わりました。そして発動したのは、突撃の直前、彼が苦心の末に完成させた“操り返し”の秘術でした。ツヴァールが従えた死者の軍勢は、もはやフラタルの意のままでした。


『逆臣を討て!』とフラタルは声の限りに命じ、次の瞬間、ツヴァールは全身を剣で貫かれていました。“奇跡の兵”を用いて国家の転覆を企てた男は、“奇跡の兵”の手によってあえなくその夢を散らしたのです」


 総主教の話を聞きながら、俺は否応なくゼルマンドの最期を思い返していた。

 あの男もまた、ツヴァールと同様、暗黒魔術で覇を唱えながら、暗黒魔術によって最期を迎えた人間にほかならなかった。

 俺は未だ、“血の剣”で奴の首を刎ねた際の手の感触を、まるで昨日のことのようにありありと覚えていた。


「……ツヴァールの死と同時に、死者の軍勢は元の骸に還りました。フラタルと騎兵たちの命懸けの行動によって、王国軍は薄氷の勝利を掴んだのです。その直後、疲労困憊で馬上に伏したフラタルの周囲に、大勢の人垣が築かれました。反乱軍の姿を目にして逃げ惑っていた人々や、家々に隠れていた人々が、自然と集まってきたのです。そして、それに気づいたフラタルが、おもむろに馬から降りたとき、彼の額に小さな石ころがぶつかりました」


 石ころ(・・・)、と俺は思った。

 それは、磔にされたかつての自分が味わわされた仕打ちでもあった。

 その後にフラタルを待ち受ける運命について、俺はひとえに不安を募らせつつ、総主教の話の続きを待った――。



 *   *   *



「――お前が死者を操るところを見た」


 フラタルを囲む群衆の中から、突如として憎悪を滲ませた声が上がった。


「私の二人の息子は、王国軍の兵士だった。二人とも、蘇った死者の手で殺されたと、先日報せを受けた。その上、醜い争いの道具、……そう、最後は屍の兵士にまで成り下がったそうだ。死者を弄ぶ者を、私は決して許すことができない。お前たちは、悪魔なんだッ!!」


 辛辣な言葉がフラタルを襲い、ほかの者たちもそれに便乗し出した。


「――おぞましい暗黒魔術に頼らなくとも、ジャーガンディアを退けることくらいできただろう!!」


「――そうだ、蘇りの術がなければ、ロクでもない反乱だって起きなかったはずだッ!!」


「――逆臣に秘術を授けたという悪魔は、一体誰なのだ? お前かッ?」


 次々に浴びせられる罵声を耳にするなり、フラタルは唐突に大声で笑い出した。


「――そうとも、今お前たちの目の前にいる男は、正真正銘の悪魔だ。何せこの私は、死者を蘇らせる禁忌の術を編み出した、張本人なのだからッ!!」


 フラタルは、狂ったようにそう叫んだ。

 怒りに駆られた人々は、容赦なく石を投げつけ、唾を吐きかけたが、彼は一切それらを避けようとしなかった。

 そして、人々が静まるのを待って、彼は次のように話を続けた。


「誰が呼び始めたかは知らないが、“奇跡の兵”などという名は、単なるまやかしに過ぎない。この術は、人の心を惑わせ、破滅へと導く害悪そのものだ。さしずめ、“屍兵”とでも呼んだほうが相応しいだろう。……だが、安心するが良い。蘇りの術を扱える人間は、今ではこの私が最後の一人だ。私は真の愚か者に違いないが、自分の尻拭いをするだけの良識は持ち合わせている」


 フラタルはそこで言葉を置き、身近にいた騎兵の元に向かった。

 そして、「家族に伝言を頼みたい」と囁くように言った。


「――私の持ち物全てを、必ず処分して欲しい。そして、最後まで愚か者で済まなかったと伝えてくれ」


 有無を言わせぬ口調で告げるなり、ほんの一瞬、フラタルは優しく微笑んだ。

 その場に居合わせた騎兵たちは、彼の覚悟を理解したが、それでも決して止めてはならないのだと、まるで神託を下されたかのように肌身で感じていたという。

 次の瞬間には、フラタルは険しい顔つきで群衆に向き直っていた。


「“奇跡の兵”……いや、“屍兵”の術が存在したことは、是が非でも歴史の闇に葬らねばならぬ。後世のためにも、全てをなかったことにするのだ。この私という人間がいたことも含め、一切の記録を残してはならぬッ!!」


 言い終えるや否や、フラタルは何らかの呪文を口にした。

 直後、彼の肉体は、燃え盛る紅蓮の炎に包まれた。

 それと同時に、群衆たちは完全に静まり返った。


「――しかし、私が今から伝える言葉だけは、ゆめゆめ忘れるな。そして、未来永劫、語り継いでもらいたいッ!!」


 その言葉は、死の間際の人間が発したとは思えぬほど、あまりに力強く響いたという。

 そして、フラタルは声の限りに叫んだ。



「――全ての暗黒魔術は、破滅に通ずる道だッ!!」




 *   *   *




「――当時、暗黒魔術は、法による禁呪指定を受けておりませんでした。その禍々しさから、ただ単に異端視され、毛嫌いされていただけに過ぎません」


 長い間、話し続けていたせいだろう。総主教の顔には、はっきりと疲労の色が窺えた。


「しかし、フラタルが最期に放った一言は、世の人々に重く受け止められ、その後、“魔術法”に反映されました。蘇りの秘術の使い手が、二度と世に現れないようにするためには、暗黒魔術そのものを禁ずることが一番の近道だ――当時の役人たちは、そう判断したのです。また、異端魔術審問所が設立されたのも、もとを正せば、フラタルの言葉がきっかけでした」


 自らの運命を大きく変えたのは、二百年近く前のフラタルの一言だった――その事実を突きつけられると同時に、俺は唐突にめまいに襲われ、わずかによろめいた。

 己の頭には、太い杭を打ち込まれたかのような衝撃が走っていた。

 しばらくの間、俺はただただ呆然とするばかりで、何一つとして考えられなかった。


「――様々な情報が錯綜していたせいで、死後しばらくの間、フラタルの評価は定まりませんでした」


 しばしの沈黙を経て、総主教が再び語り出したとき、俺はようやく我に返った。

 次いで、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせつつ、話の続きに耳を傾けた。


「しかし、時間の経過と共に、彼の功績は正しく認知されるようになりました。自ら罪を背負って祖国を救うと同時に、ジャーガンディアに征服された多くの国々にも希望をもたらし、独立を促した。さらには、逆臣ツヴァールを討ったのち、後世を想って、自らの命さえ捧げた――これらの偉業によって、フラタルは聖ギビニア教会の聖人に列せられたのです。


 それを記念して、この大聖堂の名は改められ、フラタルの遺灰――最後の言付けを頼まれた騎兵が大事に保管し、のちにフラタルの家族に手渡していたのです――も地下霊廟に安置されました」


「……しかし、実に不可思議だ」


 リアーヴェルはぽつりと呟いたのち、次のような疑問を総主教に投げかけた。


「いくら本人の望みだったとは言え、これほどの功績が今の世に伝わっていないのは、一体どうしてだろう?」


「……全ては、今から約二十五年前、ゼルマンドによって“屍兵”が生み出されたためです。人々はそれを、“奇跡の兵”と結びつけないわけにはいきませんでした」


 総主教はわずかに目を細めつつ、押し殺したような声で答えた。


「ゼルマンド戦役以前、フラタルは人々にとって最も馴染み深い聖人の一人でした。事実、彼の手記を元に出版された伝記――彼の両親は、息子の手記だけは処分できなかったのです――は根強い人気を誇りました。若かりし日には、私自身もしょっちゅう彼の逸話を説法で引用しましたし、それはほかの神父たちも同じでした。本人の意志には反しますが、後世の人々は、積極的にフラタルを語ることを通じて、蘇りの秘術とそれに連なる暗黒魔術の危険性を広めようと考えたのです。


 ……しかし、戦役が始まると同時に、『死者を蘇らせる禁忌を犯した人間は、聖人の列から外すべきだ』という旨の抗議運動が相次ぎました。そして、フラタルや“奇跡の兵”に関する文献は、全国各地で悉く焚書に遭ったのです。さらには、説法で彼を扱った神父が、集団暴行を受けるという痛ましい事件さえ起きてしまいました」


 総主教はそこで口をつぐみ、遠い目をした。

 それから、長い沈黙を挟んだあと、彼は話を続けた。

 

「――これらの騒動は、愛する家族や恋人の命を、“屍兵”に奪われた人々が中心となって起こしたものでした。彼らの心は、深く傷つき、荒みきっていたのです。そして、フラタルの存在に触れてはならないという暗黙の了解が、社会全体に浸透していきました」


「――今の世に、聖人フラタルの功績が伝わらず、さらにはその名を口にする者さえいなかったのは、そういうわけだったのですね」


 ディダレイが、感慨深げにそう漏らした。


「……何て言うか、聖人フラタルって、“剣聖”イーシャルみたいね」


 唐突にそう口走ったのは、アゼルナだった。

 次の瞬間、彼女はハッとした顔つきになり、両手で口元を覆った。

 あとに残されたのは、ひどく居心地の悪い静寂だった。


(――聖人フラタルって、“剣聖”イーシャルみたいね)


 心の中で、俺は憑りつかれたようにアゼルナの言葉を繰り返していた。

 それと並行して、フラタルが残した最期の言葉が、雷音のごとく頭の中に響き渡る。


『――全ての暗黒魔術は、破滅に通ずる道だッ!!』


 あるいは、自分もその過程にあるのだろうかと、訝しまないわけにはいかなかった。

 今では、フラタルの存在は、俺の心に根深い混沌をもたらしていた。


「――お分かりいただけたでしょうか。“屍兵”も“奇跡の兵”も、決して世にあってはならない存在なのです。天上で我々を見守って下さる聖人フラタルも、間違いなくそれを願っていることでしょう」


 最後を締めくくる総主教の言葉が、奇妙に誇張されて辺りに響いた。

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