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31.剣の意志、悔恨の涙

 電光のごとく迫る槍の先を、そして、それを両手に握るファラルモを、俺はしっかりと見据えていた。

 今では、灰色にくすんだ奴の皮膚は、その半分以上が剥がれ落ち、赤い肉が露わになっている。

 所々には、不気味に真っ白く映える骨さえ、顔を覗かせていた。

 髪は焼け焦げ、もはやほとんど残っておらず、右の目玉は、眼窩から飛び出しかけている。

 残された紅色に染まった左目だけが、真っ直ぐにこちらを捉え、死の影を漂わせていた。


「――ここで死ねるかッ!!」


 俺は無意識に吼えていた。

 自らの過去に意義を見出し、しっかりとした土台を己の内に築き、確かな未来を歩んでゆける人間になる――レジアナスが過去を語ってくれたあの日、俺はそう願った。

 今やその願いは、己に対する固い誓いへと変わっている。

 その日を迎えるまで、必ず生き抜くと、既に腹は決まっているのだ。

 となれば、やることは一つだけだった。


「――俺は死なんッ!!!!」


 声の限りに叫びつつ、槍の穂先を、瞬時に掴みにかかったのである。

 今の体勢では、それ以外に、少しでも槍の勢いを殺せる術はない。

 既に手放していた聖剣が床に落ち、小さく乾いた音を立てる。

 もはや突きを避けることは叶わず、胸を貫かれるのは必定と言えた。

 だが、死なずに済めばそれで良い。

 十指全てが籠手ごと千切れようと、全く構わぬ、と俺の覚悟は決まっていた。

 最後の最後まで、己の命のために足掻く――これこそが“現在(いま)”の俺のあるべき姿だった。

 そして咆哮した。



「――うおおおおおッ!!」



 狙い澄まし、遂に槍の穂先を捉えかけた瞬間、俺は我が目を疑った。



 ――穂先が、不自然に真左にずれた。



 左の人差し指と中指の間に、槍の先端が微かに触れながら、一瞬のうちに通り抜けていったのである。

 直後、籠手の破片が眼前に散った。

 だが、俺の左手は無傷のままである。

 真っ直ぐだった突きの軌道が、唐突に左に逸れるなど、到底考えられぬ話だった。 

 しかし、それは紛れもなく現実に起きたことだった。

 事実、ファラルモの体は、今や左方に大きく吹き飛ばされている。

 同時に、俺の瞳は、自らを救った男の姿をはっきりと映していた。



「――遅れて済まなかった。助太刀に来たぜ、聖者さんッ!!」



 トモンドが短い橙の髪を揺らしながら、満面の笑みで言った。

 彼が掲げた盾にぴたりと身を添わせたまま、ファラルモに渾身の体当たりを右からぶちかましたのを、今しがた、俺はしかと見届けたのである。

 咄嗟に視線を移すと、奴はもんどり打って遠くの床に叩きつけられていた。


 次いで、俺はハッとして天井を見上げた。

 イクシアーナ、リアーヴェル、そして“聖女の盾”の面々が控えていた二階の客室が、大礼拝堂のちょうど真上に位置していたことを思い出したのだ。

 案の定、近くの天井に、馬鹿でかい穴が空いている。

 穴の奥には、両手に戦鎚を握り立ったアゼルナの姿が見えた。

 薄緑に輝く風の魔素が、戦鎚のハンマー部分から、煙のごとく立ち昇っている。

 どうやら、彼女が魔術戦技を用い、俺の生が続く道を切り拓いてくれたらしい。

 風操ふうそう魔術の力を借り、強烈な衝撃波で床をぶち抜いたのだろう、と俺は見た。


(――こんな無茶を命じる人間は、イクシアーナ以外には考えられぬ)


 心の中で、俺は彼女に感謝の言葉を述べた。

 数百年もの間、聖域とされてきた大礼拝堂の天井――そこに描かれた装飾画の歴史的価値については、もはや言及する必要もなかろう――に遠慮なく風穴を空けるという強行策は、まさしく型破りな“聖女”の思いつきそうなことだった。

 客室の真下から、ただならぬ暗黒の魔素の気配を感じ取り、とうとう団長命令を下したのだろう。


「――ありがとう、聖者殿」


 低く押し殺したような声が、不意に耳に飛び込んできた。

 気づけば、ディダレイが俺の足元で片膝を突いている。

 その頭は、深々と下げられていた。


「私は感謝している。上手く言葉が見つからぬほどに……」


「かしこまる必要はないさ」


 俺は咄嗟に答えていた。

 それから床に落ちていた聖剣を拾い上げ、こう続けた。


「この通り、奇跡的にも俺は無傷だ」


「……確かに“聖者”は、奇跡を起こす者に与えられる呼称だ」


 ディダレイは不思議と満足そうに言って、急いで立ち上がった。


「貴殿の二つ名、伊達ではないらしい」


 俺たちは小さく微笑み合い、それから左方のファラルモに目を向けた。

 跳ね起きた奴の真正面には、既に穴から下りていたらしいネーメスが、横一文字に足を開いて立っていた。

 美しく波打つ、陽炎のごとき刃を持つ大剣は、既に高々と振り上げられている。

 その刀身は紅蓮の炎を宿し、さらには剣先から、激しく噴き出すように真っ直ぐ猛火が伸びていた。

 どうやら、ありったけの魔力が注がれた、“炎の魔術効果付与(エンチャント)”がなされているらしい。

 大剣の長さと幅は、燃え盛る炎をまとったがために、今や通常の倍ほどまで膨れ上がっていた。


「――はああああッ!!!!」


 気迫に満ちたかけ声と共に、ネーメスが剣を振り下ろした。

 狙いは無論、相手の脳天である。

 その想像を絶する剣速に、俺は思わず目を見張った。

 数日前、決闘で目にした際とは、段違いの速さだった。


(――密かに修練を積んでいたに違いない)


 瞬時にそれを確信するなり、胸の奥に熱いものが込み上げた。

 あの日の決闘が、彼の中の何かを変えたのだ、と俺は思った。

 不意を突かれたファラルモは、たまらず後方に跳び退がろうと試みたが、“炎の魔術効果付与(エンチャント)”によって引き伸ばされた刀身が、それを許さなかった。

 当初の狙いこそ外れたものの、炎の刃の切先が、凄まじい勢いで奴の左肩に食い込んだ。


「……グオォォォォーーーッ!!」


 断末魔の叫びのごとく、ファラルモは激しく咆哮した――と同時に、めきめきと激しく軋むような音が辺りに鳴り響いた。

 直後、ディダレイが微かに声を上げた。


「……何だ、あれは」


 相手を一刀両断したかと思われたネーメスの刃が、見事に喰い止められていた。

 異常に発達したファラルモの左の鎖骨が、その肌を突き破って肩を覆い、頑強な鎧のごとき役目を果たしていたのである。


「……ッ!?」


 続いて、胸骨、肋骨、上腕骨、大腿骨――肥大化した全身の骨が、白い無数の槍のごとく、相次いで肌を喰い破って外に飛び出した。

 それらは、意志を持った(つる)のごとく(うごめ)いて伸び、即座に肉が剥き出しになった奴の肌に絡みついた。

 そして、数瞬のうちに体表の大部分を覆い尽くした。

“骨の甲冑”をまとったかのようなその姿は、絵画の中でしかついぞお目にかかったことがない、正真正銘の奈落の住人のごとく映った。


「――グオォォォォーーーッ!!」


 活力に満ちた禍々しい声で、ファラルモは再び吼えた。

 そして、肩に食い込んだ炎の刃を左手で持ち上げ、力強く押し返した。

 反撃の狼煙を上げたのだ、と俺は思った。


(――だが、最後(・・)の反撃の狼煙だろう)


 俺は密かにそれを確信していた。

 どれほど強度に優れようと、己の骨で全身を護ること自体、窮余の一策に違いなかった。

 骨は本来、護られるべきものであり、決して護るもの(・・・・)ではない。

 にもかかわらず、“骨の甲冑”に頼るということは、それだけ追い詰められている証拠と言えた。


「――俺たちも加勢しよう」


 ディダレイに声をかけると、彼はしっかりとうなずき、「聖剣をこちらへ」と言った。

 言われた通り、聖剣を差し向けると、彼は銀色の輝きを放つ刀身を、左手でさっと撫でた。


「――()の剣に、炎の加護をッ!!」


 ディダレイが力強く声を発した途端、煮えたぎる炎が、直ちに聖剣の刃に宿った。


「お守り代わりだ」


 ディダレイがそう言い、感謝する、と俺は答えた。

 そして、二人揃って走り出した。


「――聖騎士諸君、“聖なる盾”で援護を頼むッ!!」


 壁際に退避していた聖騎士たちに向かって、ディダレイが声を張り上げた。

 そのときだった。


「――頼むわよッ、トモンドッ!!」


 勇ましいアゼルナの声が、辺りに響き渡った。

 駆けながら横目で見やると、彼女は今まさに、天井の大穴から勢いよく飛び降りたところだった。


「――おうよッ!!」


 既に穴の真下で待ち構えていたトモンドが、意気揚々と返事をした。

 直後、彼はほぼ垂直に落下してきたアゼルナの両足を、重ね合わせた両手で受け止めた。

 同時に、彼女の履いた鉄靴が、新緑色の鮮烈な輝きを放つ。

 それは、脚力を飛躍的に強化する風操(ふうそう)魔術、“疾足(しっそく)”がもたらす煌めきにほかならないと俺は察した。

 トモンドの両掌の上で、アゼルナは膝をたわめていた。

 全身のばねを弾こうとする、まさしくその寸前だった。


「――ぬおりゃああああーーーッ!!」


 猛々しい叫び声を上げたトモンドが、直ちにアゼルナを前方へ跳ね飛ばす。

 瞬間、彼女は一本の矢のごとく飛んだ。

 目にも止まらぬ速さだった。

 彼女は華麗に宙で体を反転させ、ネーメスと一進一退の攻防を繰り広げるファラルモの背後に降り立った――と同時に、相手の右側頭部に狙いを定め、唸るように戦鎚を振るっていた。

 先端のハンマーが描く軌道に沿って、緑の光が残像のごとく煌めいた。

 おそらく、攻撃のスピードを極限まで速める効果を持つ、“風の魔術効果付与(エンチャント)”の力を借りているのだろう、と俺は見て取った。


 正面のネーメスに突きを放ちかけていたファラルモに、回避の暇はなかった。

 それでも、背後の気配を察したのだろう、奴は咄嗟に槍から離した右腕を側頭部に寄せ、どうにか電光石火の一撃をしのごうと試みた。

 しかし、防御が間に合ったかどうかは定かではなかった。

 俺がそれを見極める前に、光のごとき速さの一振りがファラルモを直撃し、緑の閃光が炸裂した。

 ハンマーの帯びた高濃度の風の魔素が、衝撃で周囲に拡散したのである。


「……ゴァァァァアアアアアッ!!」


 ほとんど悲鳴に近いファラルモの叫びが、辺りをつんざいた。

 直後に視界を取り戻すと、そのとき既に、奴は左後方の宙に舞っていた。

 次いで、背面から長椅子の列に突っ込むと、一直線にそれらをなぎ倒し、あっという間に壁に激突した。

 同時に、微かに部屋が振動し、天井の大穴付近から、壊れたその一部がぽろぽろと落下した。


 間もなく、ぐったりと壁に寄りかかっていたファラルモの頭部が、ぴくりと動いた。

 しかし、それに気づくよりもさらに早く、俺たち――ディダレイ、ネーメス、アゼルナ、トモンドを含めた五人だ――は、止めの一撃を浴びせようと揃って駆け出していた。

 今や奴の顔の右半分は、皮膚も肉も根こそぎ失い、不気味に白く映える頭蓋骨が剥き出しになっている。

 また、奴の右腕全体を覆っていた骨の鎧も、跡形もなく消え失せていた。

 咄嗟の防御はどうにか間に合ったらしいが、アゼルナの会心の一撃は、それをも打ち砕いていたのである。


 俺たちは長椅子の合間を縫って駆けに駆け、鬨の声を上げていた。

 勝利の瞬間は近いという想いを、自然と共有していたためだろう。

 そして、とうとう壁際に迫り、ファラルモを追い詰めた――と思ったそのとき、奴は突如として身を起こすなり、両手に握った槍の先を、存分に床に突き立てた。

 瞬間、嵐のごとき轟音と共に、穂先から黒い稲光が幾筋も走った。


(……屍兵が魔術戦技だとッ!?)


 直後、危険を察したらしい聖騎士たちが詠唱した“聖なる盾”が、眼前に幾重も築かれた――が、漆黒の衝撃波が一挙にそれらをかき消し、激しい電熱が全身を襲った。

 思わず膝を折った俺が、ハッとして周囲を見渡すと、ほかの四人は揃ってその場に伏していた。

 暗黒魔術の耐性を備えていた俺だけが、深手を負わずに済んだのである。

 今やファラルモは、息を吹き返したようにこちらへ駆け出していた。


(――どこまでも厄介な相手だ)


 思いつつ、どうにか立ち上がったそのとき、右横から凍てつくような声が響いた。


「――凍れッ!!」


 突如として生まれた氷塊が、ファラルモの両足先端から膝までをすっぽりと覆い、その前進を阻んだ。

 驚いて右方を見やると、そこにはリアーヴェルが立っていた。

 彼女は氷水を思わせる青色の目を険しく吊り上げ、ファラルモに大杖の先を向けていた。


(――短縮詠唱か。さすがは、“冷血”だ)


 短縮詠唱――今しがたリアーヴェルが披露したそれは、無詠唱と通常詠唱の中間に位置する詠唱法として知られていた。

 短縮詠唱は、通常詠唱より効果や正確性は劣るが、無詠唱では決して扱えぬような高位の魔術でさえ、短時間で発動させることができる。

 自在に言霊と魔力を操る者にしか許されぬ超絶技巧であり、さらにはそれを、たったの一言で実演してみせるなど、決して常人には真似できぬ芸当と言えた。


「――二人とも、すぐにそこを離れて。危ないわ」


 よく通る澄んだ声が、不意に耳に飛び込んできた。

 俺とリアーヴェルは直ちに大きく退がり、声のした後方に目を向ける。

 すると、俺のちょうど真後ろに、身の丈以上の大弓を構えたイクシアーナが立っていた。

“戦乙女”の二つ名に相応しい、堂々たる様である。

 既に弓は引き絞られ、つがえられた鉄の大矢の先端は、鈍く鋭い輝きを放っていた。

 狙いは無論、ファラルモの頭部、その一点に違いなかった。

 氷塊からせり上がった分厚い氷の膜は、今や奴の腹部まで到達し、ほとんど身動きが取れない状態となっていた。


「――ほかの皆は、そのまま床に伏していて頂戴ッ!!」


 言いながら、彼女は深い緑の目をわずかに細め、狙いを定めた。


「――リアーヴェル、例の(・・)をお願いッ!!」


 力強い声で叫んだ直後、彼女は遂に矢を放った。


「――任せろ、イクシアーナッ!!」


 リアーヴェルは右手に握る大杖の先端と、広げた左の掌の両方を、即座に飛び出した矢へと向けた。

 すると、矢の先端から猛火が吹き上がり、さらにはその周囲に、眩い光の魔素が集結し出した。

 リアーヴェルの十八番(おはこ)、“同時詠唱”が発動したのだ、と俺は見て取った。

 炎と光――屍兵が最も苦手とする属性の“魔術効果付与エンチャント”が、同時になされたのである。


 聖なる炎をともした矢は、白い残像を残しながら、尋常ならざる速度で空を駆けた。

 そして、直ちにファラルモの額をぶち抜いた。

 奴の頭蓋の一部と脳漿とが、激しく宙に飛散する。

 勢いを保ったままの矢は、壁に突き刺さるなり粉々に砕け、直後、真っ白な閃光が部屋中を包んだ。

 リアーヴェルが注ぎ込んだ、ありったけの魔力によって、引き起こされた余波だった。


(――やった。遂に討ち取ったのだ)


 俺は思わず安堵のため息を漏らした――が、それはまだ早かったのだと、即座に思いを改めざるを得なかった。

 ファラルモの槍が、矢のごとく宙に飛び出したのを、俺の瞳は映していたのである。

 奴が元の骸に還るその寸前に、投擲していたに違いなかった。

 先の教訓を活かし、眩い光に負けじと、無理やり目をこじ開けたままでいたからこそ、最後の奴の悪あがきを認めることができたのだ。


(――まずいッ!!)


 ほとんど視界を奪われていたが、飛来する槍の先にイクシアーナが立っていることに、疑いの余地はなかった。

 既に、聖剣を握り締めた俺は、狂ったように駆け出している。


「――イクシアーナ、身を伏せろッ!!」


 俺は無我夢中のままに叫んでいた。

 すぐに呼び捨てにすべきではなかったと気づいたが、もはやそんなことを構っていられる余裕はない。


「……あ、ああッ!!」


 光の中から、イクシアーナの悲痛な叫び声が漏れた。

 回避が間に合いそうにないのだと悟った俺は、瞬時に床を蹴り、存分に身を投げ出した。

 槍の速さと軌道、そして彼女の声の位置は、鍛え抜いてきたこの“目”が正確に把握していた。

 

『――お前たちが“盾”ならば、俺は“剣”となろう』


 かつて自分の語った言葉が、鮮烈に脳裏に蘇る。


(――“盾”にも出来ぬことが、“剣”ならば出来る)


 今こそそれを証明せねば、と俺は自らに誓った。



 ――着地と同時に、睨んだ通り己の眼前に、黒い瘴気を帯びた槍の穂先が映った。



 俺は密かに安堵した。ひとまず目的は達せられたのだ、と。

 だが、もはやこの俺自身も、当然ながら槍を避けることは不可能だった。

 打ち払うことに失敗すれば、自らの命を代償に、イクシアーナの身を護るばかりである。

 そして、その後は“屍兵”と化す運命が待ち受けている――。


(――仮にそうなったとしても、ディダレイが必ず俺を討ってくれるだろう)


 一瞬、そんな考えが脳裏を過ぎったが、俺は即座に打ち消した。


(――そうだ、あの男に、二度とそんな真似をさせてたまるものかッ!! それに、俺は必ず生き抜くと決めたのだッ!! 弱気になってどうするッ!!)


 この大馬鹿者め、と自らに喝を入れ、静かに目を閉じた。

 既に発光は収まりつつあったが、無理に開き続けていたせいで、俺は両目とも傷めていた。

 不確かな目よりも、心の目を、そして自らの技を信ずる――そう覚悟しての決断だった。


『――聖剣“ラングレス”。古の言葉で、“闇なる意思を無に帰す”という意味だそうです』


 聖剣を託される際、イクシアーナが教えてくれた言葉が、自然と脳裏に響き渡る。

 俺は聖剣に込められた想いに、己の意志を、そして自らの運命さえも重ね合わせていた。

 今や俺の肉体は、振り上げた聖剣と完全に一体と化している。


(――“闇なる意思を無に帰す”。それを実現する“剣”が、ほかならぬ俺自身なのだ)


 はっきりとそれを悟るなり、心は無となり、静謐さだけがあとに残された。

 俺はわずかな風を仮面に受け、思うがままに剣を振り下ろしていた。


 直後、俺はハッとして目を開いた。

 すると、向かってきた槍の先端に、聖剣の切先が深々と喰い込んでいる。

 肩の力を抜き、そのまま真っ直ぐ刃を下ろすと、槍は中央から左右に両断され、静かに足元に転がった。

 槍が帯びていた暗黒魔素の瘴気も、同時に消え失せていた。


 一瞬の静寂ののち、聖騎士たちの割れんばかりの歓声が、部屋中を包み込んでいた。

 急いで後ろを振り返ると、イクシアーナと視線が重なった。

 彼女は右手に弓を携えたまま、左手を胸に添え、咲きほころんだような満面の笑顔を作ってみせた。

 そして、こちらに向かって深々と頭を下げた。


「――聖者殿」


 急に肩を叩かれ、驚いて横を向くと、満身創痍のディダレイが立っていた。


「実に見事だった。貴殿の剣の腕前には、この私でさえ敵わぬらしい」


 彼が差し出した右手を、俺は想いを込めて握り返し、互いに小さく笑い合った。

 その後、俺たちは揃って周囲を見回し、聖騎士たちの数を目視で確かめていた。

 全部で三十三名。皆生きている、と俺は思った。


「……我々が失ってしまったのは、ジャンデルだけか」


 静かに呟くディダレイの目の端に光ったのは、一滴の悔恨の涙だった。

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