30.大礼拝堂の死闘(後編)
俺が両手に握り締めた聖剣は、既に振り上げられている。
奴はディダレイとやり合うのに夢中で、なおもがら空きの背を向けたままだった。
こちらの接近に気づいた様子はまるでない。
しめたとばかりに、相手の脳天目がけ、ありったけの力を注いだ斬撃を見舞った――が、気配を察知したと見え、奴は突如として後方を振り返った。
同時に、8の字を描くように槍を振り回す動作に移っている。
その勢いによって生じた風が、真正面から吹きつけるや否や、俺の一撃は容易く石突に弾かれていた。
直後、ディダレイが背後から斬りかかったが、ファラルモにはそれさえお見通しだったらしい。
唐突に深く姿勢を落とした奴は、そのまま唸るように頭上で槍を旋回させ、ディダレイの接近を未然に防いだのである。
無論、俺も後退を余儀なくされた。
(……やはり、白兵戦では歯が立たぬ。皆、一刻も早くこちらに来てくれ)
強烈に肌がひりつくような感覚を覚えつつ、俺はそれを願った。
次の瞬間、ファラルモの肩越しに、不意にディダレイと目が合う。
気づけば、俺たちはごく自然に、小さく笑い合っていた。
“二人がかりでも勝てそうにない”という事実を突きつけられながらも、最後まで必ず戦い抜くのだという強い覚悟を、互いの表情に認めたためだった。
(――俺たち二人、これだけ腹が据わっていれば、きっとやれるとも。……そうだ、必ずやってみせる。絶対に生き抜いてみせる)
自らに言い聞かせるなり、急に可笑しさが込み上げてきた。
何と言っても、今では運命共同体のように感じている相手が、自らの手で“イーシャル”を捕らえることを願って止まない人間なのだ。
しかし、不思議と清々しい心持ちだ、と俺は思った。
(――本来ならば、人は困難を乗り越えるために、かように力を貸し合うべきなのだ。互いの立場など、全く関係なしに)
そうした感慨を抱くと同時に、遂に壁の大穴を抜け、聖騎士たちがどんどん室内になだれ込むのが視界の隅に映った。
そのとき既に、目の前で身を翻したファラルモが、下から弧を描くように槍を振るっていた。
「――ヴウウウゥッ!!」
不気味な唸り声と共に、左下方向から矢のごとく穂先が急襲したが、俺はどうにかその軌道を見極め、タイミングを計って後方に跳んだ。
直後、胸元の少し前の空間を、穂先が勢いよく過ぎていったのち、俺は声を張り上げた。
「――総員、十分な距離を取りつつ、俺たちを囲むように円状に並べッ!!」
すると、遂に集結した三十余名の聖騎士たちは、指示に従って素早く整然と動き出す。
「――俺たち二人が時間を稼ぐッ!! 総員、直ちに“光の杭”の詠唱を開始し、一斉にファラルモに打ち込めーーッ!!」
“光の杭”――それは、凝縮させた光の魔素を、巨大な杭の形状に変化させて相手に投擲する聖光魔術だった。
回復・補助魔術が大半を占める聖光魔術において、数少ない攻撃魔術の一つである。
加えて“光の杭”は、対屍兵時、一撃必殺の絶大な威力を発揮することで知られていた。
合流地点に向かう直前、兵たちの治療が済むのを待つ傍ら、彼らが扱える魔術について、詳細に聞き出しておいたからこそ、立案できた策と言えた(ゼルマンド戦役の終盤、聖騎士団の大々的な投入が、秘密裏に検討されていたという。従って、半年前に全ての聖騎士が、急遽“光の杭”の習得を命じられ、皆必死に修練を積んだらしい)。
またファラルモは、“炎の牢”を防げるほど強力な“黒き霧の盾”で護られていたが、“光の杭”は、それを破れる稀有な手段でもあった。
“黒き霧の盾”は暗黒魔術であるがゆえ、それと相反する属性の聖光魔術の攻撃だけが、唯一の弱点なのである。
ただし、一般的な使い手の場合、“光の杭”の詠唱には、約五分の時間が必要とされる。
“炎の牢”と同様、効果は強力である反面、使用には大きな隙を生む、というわけだ。
しかし、ディダレイと二人で力を合わせれば、その程度の時間稼ぎくらい、必ずやってのけられるだろうと俺は確信していた。
(――そして、“光の杭”を一斉に三十発以上浴びせれば、いくらファラルモとて、さすがにひとたまりもないはずだ)
これこそが、俺の見出した起死回生の一手だった。
「――面白い。我が命、聖者殿の策に預けようではないかッ!!」
ディダレイが力強い声で言うや否や、輪状に並んだ聖騎士たちの詠唱が、一斉に開始された。
たった五分だ、と俺は自らに言い聞かせた。
かくして、命懸けの時間稼ぎが幕を開けた。
周囲の異変を感じ取ったのか、ファラルモは一層攻勢に出始めた。
対する俺とディダレイは、前後から挟撃を試みたものの、その見事な槍捌きの前に、まるで手も足も出なかった。
間合いの達人――生前のファラルモは、しばしばそのように称されていたが、死してなお、その達人ぶりは健在だった。
とりわけ、車輪のごとく槍を旋回させる、攻防一体となった業が、厄介の一言に尽きた。
それは、必ずと言っていいほど攻撃の合間に組み込まれ、悉く俺たちの接近を防いでみせた。
たとえば、相手の突きや払いをしのぎ、一気に反撃に転じようとしても、そのとき既に、奴は身を翻して上手く間合いを取りつつ、槍の旋回に移っている、という具合だった。
俺たちは剣の間合いに持ち込むため、前後左右斜め、至るところから距離を詰めようと試みたが、直ちに振り回された穂先や石突が襲いかかり、近づこうにも近づけなかった。
攻めのあとに生じる隙をカバーしつつ、自らに有利な間合いを保ち続ける――槍術の基本にして極意を、ファラルモは徹底して遵守し続けた。
従って、攻め手に回るのは、常に相手側であり、俺たちは防戦一方に押し込められた。
また、屍兵化したファラルモの体力は、まさしく無尽蔵の一言に尽きた。
どこまでも疲れ知らずで、その槍捌きに一切の乱れを見せなかった。
これが普通の相手ならば、やがて体力は底を尽き、攻撃の手が緩められるのが自然である。
しかし、今のファラルモが相手では、その望みを持つことさえ叶わなかった。
となれば当然、こちらにとっては、息つく暇も、一つのミスさえも許されない。
極度に集中を研ぎ澄ませること、動体視力と身体能力の全てを余すことなく発揮すること――これらが半永久的に要求され、激しい消耗を強いられた。
時間稼ぎが目的でなければ、全くもって匙を投げるほかないという状況に違いなかった。
時間の歩みは、かつて経験したことがないほど、ひたすらに遅く感じられた。
気づけば、緊張と疲労が積み重なったせいで、体の動きも鈍り出している。
事実、五分の半ばを過ぎたであろう時点で、俺は相手の払いによって胸部を斬られていた。
ディダレイもまた、突きを二発避け損ね、右肩口と左脇腹に傷を負っている。
とは言え、お互いに傷は浅く、出血も大したものではない。
幸いにも、鎧を破られただけで済んだ、という程度の話である。
しかし、それでもこの事実は、俺の心にわずかな影を落とし、ディダレイの表情をも曇らせた。
傷を負わされたことは即ち、“相手の動きについてゆき損ねている”という証明にほかならなず、ことさら強く死を意識させたためである。
なればこそ、戦いのさ中にディダレイと視線が重なるたび、俺は力強くうなずいてみせた。
そこに、“もうひと踏ん張りだ”という言外の励ましを託したのである。
すると彼も、“絶対に持ちこたえよう”とばかりにうなずき返してくれた。
思い返せば、これほど他者の力を頼りにし、時間の過ぎることのみを待つという戦いは、俺にとっては初めての経験だった。
しかし、時にはこんなやり方があっても良いのだろうと、不思議な感慨を抱いてもいた。
その後、そろそろ頃合いだと確信した俺は、急いでディダレイに視線を送った。
すると、彼は直ちにこちらの意図を見抜き、真剣な面持ちでうなずいてみせた。
そして、互いにリスクを承知で攻勢を強め、必死にファラルモの動きを制限しにかかった。
そこには無論、可能な限り奴をその場に足止めし、“光の杭”の格好の標的になってもらおうという意図が込められていた。
間もなく、永遠に続くとさえ錯覚しかけていた状況に、遂に光明が差し込んだ。
縦横無尽に動き回っていた俺とディダレイが、自然と横並びになり、息を合わせてファラルモに斬りかかった――その瞬間、幾筋もの光の線が、視界に飛び込んできたのである。
それは比喩的な意味合いにおいても、直接的な意味合いにおいても、まさしく“希望をもたらす光”だった。
ファラルモは、槍の長柄で俺たちの斬撃を軽々と受けてみせたが、全方位から飛来する“光の杭”に対しては当然無防備だった。
左方向から奴を強襲した一撃目は、“黒き霧の盾”の効果により、すぐさま例の黒い靄に覆われたが、それでも決して消滅することはなかった。
多少勢いを削がれはしたものの、“光の杭”は容易く黄金の肩当を砕き、ファラルモを大きくよろめかせることに成功した。
二撃目は、右の脛当てを貫き、とうとう奴は膝を折った。
もはや、“光の杭”を回避することは、完全に不可能な体勢に陥っていた。
その後は、あまりの眩しさのために、目を開けていることさえままならなくなった。
鮮烈な白い閃光を帯びた三十以上もの“光の杭”が、ほぼ一斉に放たれたのだから、無理もない話である。
そのとき既に、俺とディダレイは揃って大きく後退していた。
「――しかし、此度はずいぶんと手を焼かされた」
横に立つディダレイがそう呟き、「同感だ」と俺は答えた。
そして互いに目を細めつつ、小さく笑い合った。
やがて、矢継ぎ早にファラルモを襲った数多の“光の杭”は、一つの塊のごとく溶け合い、白い光を放射状に激しく拡散させ、部屋中の人間の視界を完全に奪い去った。
そこでようやく、俺は安堵のため息を漏らした。
(――あとは、発光が収まるのを待ち、元の骸に還ったファラルモの姿を確認すれば良いだけだ)
当然のごとくそう思った。そのときだった。
――突如として、地鳴りのような低い轟音が、部屋中に響き渡った。
直後に天井が、続いて床が激しく揺れ動いた。
(……まさか、“英雄殺し”が現れたのか!?)
密かに憔悴を覚えつつ、ようやく視界を取り戻すと同時に、俺ははたと気がついた。
――ファラルモが、高々と眼前に舞っていた。
今しがた、三十余本の“光の杭”を打ち込まれたにもかかわらず、である。
身にまとった甲冑の大半を失い、ひどく焼けただれた肌を露わにしていたが、それでもその動きを止めるには至らなかったらしい。
光の余波を受け、ことさら不気味な輝きを増した赤い目に、束の間、俺は放心したように釘付けにされた。
「……ッ!?」
気づけば、既にファラルモが繰り出していた槍の先端は、真っ過ぐにディダレイの喉元を襲おうとしている。
直ちに我に返った俺は、力の限り、硬直していた彼を真横に突き飛ばした。
考える暇など一切なく、ただただ自然に体が動いていたのである。
同時に、ファラルモが滑らかに手首を返すのが視界に映った。
唸るようにしなった槍の穂先は、急速に向きを変え、一直線に俺の心臓へ迫った。
もはや、避けることは確実に不可能だった。
「――聖者殿――――ッ!!!!」
ディダレイの叫び声が、一筋の雷鳴のごとく辺りを切り裂いた。