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28.煉獄の刃

 屍となったジャンデルの痙攣は、すぐにぴたりと収まった。

 次いで、喘ぐように声を発しながら、彼がおもむろに立ち上がる様を、俺はこの目でしかと見届けた。

 その肌は、既に灰色みを帯びており、両眼とも真っ赤に充血しきっている。

 彼が死を迎えると同時に屍兵化したことに、疑いの余地はなかった。


(……あまりに不可解だ。あり得ぬ)


 俺は密かに狼狽していた。

 このような例は、未だかつて、一度として見たことも聞いたこともなかった。

 だいいち、“屍兵”が詠唱された様子は、まるでなかった。

 とは言え、近くに隠れている“英雄殺し”が、無詠唱で“屍兵”を使ったという可能性もゼロではない。

 しかし、それはあくまでも可能性の話であり、現実性はあまりに乏しいと言えた。

 なぜなら、無詠唱の“屍兵”は、過去に誰一人として、……そう、あのゼルマンドでさえ成し得なかった芸当なのだ。

“屍兵”は歴史的にも最高難度と位置づけられてきた魔術であり、また困難な術であればあるほど、詠唱の際に言霊の力が必要とされる。

 よって、無詠唱で“屍兵”が使われた可能性は、ひとまず除外しておくべきだ、と俺は思った。

 おそらく、何か別のからくりがあるに違いない――そう訝りつつ、俺はファラルモの右手に視線を移した。


(……やはりそうか。奴の手にした槍は、魔術効果付与(エンチャント)がなされているらしい)


 槍の穂先に漂うどす黒い瘴気が、高密度の暗黒魔素の集合体であることを、俺は確かに感じ取っていた。

 魔術の才がなく、“魔力探知”さえ扱えない俺だが、暗黒魔術に対してだけは、それと同様の勘を働かせることができた。

 もう十年来、暗黒魔術に慣れ親しんできたゆえに、鋭敏な感知力を体得していたのである。


(――殺した相手を、即座に屍兵化させる効力が宿されているのだ)


 実におぞましく、また信じ難い話だが、ほかに説明がつかない――そう確信すると同時に、微かな絶望が脳裏を過ぎった。


(――イクシアーナとリアーヴェルが危ない)


 魔術効果が付与された武器で敵を屍兵化できるならば、必ずしもこちらに“英雄殺し”が身を潜めているとは限らない。

 この場合、元よりファラルモは、警備の目を引くための単なる囮だったと考えるべきであろう。


(――彼女たち二人は、今まさに、“英雄殺し”の襲撃を受けているのかも知れぬ)


 一筋の冷たい汗が、頬を滑り落ちた瞬間、ジャンデルがこちらに飛びかかってきた。


「……アアァァァーッ!!」


 左手に握られた曲刀が、凄まじい勢いで垂直に振り下ろされた。

 しかし、俺は小さく後方に退がって易々とそれを避けた。

 狙いが不正確なのである。

 技術は目に見えて衰え、剣を見切ることは容易かった。

 しかし、その速さと力強さは、当然のごとく、桁外れに増幅していた。

 事実、派手に空を切ったはずの刃は、既に凄まじい勢いで下から撥ね上がりつつあった。

 俺は素早く身を反らし、それをかわした――と同時に、耳をつんざくような咆哮が響き渡った。

  

「……ァァァアアァァァーーーーーッ!!!!」


 前進を始めたファラルモの背後から、新たに屍兵たちが飛び出してゆくのを、俺は目の端に映していた。

 今度は聖騎士ではなく、修道士と修道女ばかりだった。

 正確なところはわからないが、その数、十五は下らない。

 皆それぞれ、槍やら棍やらを手にしているところを見ると、おそらくは、屍兵討伐に助太刀した者たちだったのだろうと思われた。

 ジャンデルと刃を交える傍ら、屍兵の群れが左右の廊下になだれ込むのを横目で確かめた俺は、急いで指示を下した。


「――右班、合流地点まで前進し、屍兵の撃退を開始せよーーーーッ!!」


 聖騎士たちは、猛々しい鬨の声でそれに応え、間を置かずに進軍の足音が響いてきた。


(――俺抜きでも、今の彼らならば何の問題もなかろう)

 

 思いつつ、俺はわずかに後方に跳んだ。

 ジャンデルが狂ったように放った胴払いを見切り、最小限の動きでかわしたのである。

 既に右手一本に剣を持ち替えていた俺は、相手の首元を目がけ、思い切り腕を伸ばして突きを放った――が、ジャンデルは直角に折れ曲がるように不自然に体をのけ反らせ、難を逃れていた。


「――ッ!?」


 人体の理を無視したとしか思えぬ、その異常なる柔軟性は、まさしく屍兵にしか成し得ぬ動きだった。

 あれほど見事な剣士が、こうも変わり果てた様を目の当たりにした俺は、何とも複雑な心境に捉えられていた。


「――グアアァーッ!!」


 ジャンデルが不気味に吼えるなり、ほとんど水平に倒されていたその上体が、ばねのように勢いよく跳ね起きた。

 そして、そのまま袈裟に斬りかかってきたが、俺はわずかに肩を反らして剣を外した。

 同時に地を蹴っていた俺は、再び相手の首元を目がけ、渾身の突きを繰り出した――が、ジャンデルは素早く後方に跳び退がり、またも間一髪で回避してみせた。そのときだった。



 ――ジャンデルの首の真後ろを、炎をまとった刀身が横一閃に走ったのである。



 次の瞬間、ジャンデルの首は左横にずれ、そのまま足元へと転がった。

 それから一拍の間を置いたのち、首を失った彼の体が前のめりに倒れ、その背後に立っていたディダレイの姿が視界に飛び込んできた。

 彼は両手に握った剣を、斜め前方に突き出した格好で、ぴたりと静止していた。


(……!?)


 気づけば、自然と引き寄せられるように、俺はディダレイの顔を注視していた。

 彼は、いやというほど唇を噛みしめていた。

 今にも血が滲み出しそうなほど強く、である。

 険しく寄せらせた直線的な眉は、急角度に吊り上がっている。

 ありったけの憎悪が、まざまざと刻まれた表情にほかならなかった。

 その憎しみは、間違いなく“英雄殺し”、さらには、暗黒魔術そのものに対しても向けられているのだと俺は見て取った。

 しかし、彼の目だけは違った。

 全く別の感情を物語っていた。

 微動だにしない灰色の瞳は、不思議と澄み切っている。

 そして、ただひたすらに、一点の虚空を見つめるばかりだった。

 彼がそこに見ているであろう“何か”を表現し得る言葉を、俺は持たなかった。

 ただ一つ言えるとすれば、それは彼の人生の根幹に関わるような、深い“何か”だった。

 やがて、ディダレイの両眼の端から、一筋の涙が流れていった。

 次の瞬間、かつて彼が語った言葉が、俺の脳裏を駆け巡った。


『かくいう私にも、“屍兵”と化した実の兄を、自らの手で討った苦々しい過去があるのです』


 ディダレイの剣に宿った炎は、今や正真正銘の煉獄の炎のごとく、俺の目に映った。


(――次に敵としてまみえることがあれば、この男は本物の修羅と化し、俺の前に立ちはだかるであろう)


 俺はそう予感していた。

 それは、ほとんど確信に等しいものと言って差し支えなかった。


「――今の今まで、私は逃げを知らぬ男だった」


 ゆっくりと剣を下げつつ、ディダレイが唐突にそう口にしたとき、彼の涙の跡は既に乾いていた。


「屍兵化したジャンデルを目にしたとき、私は見て見ぬふりをしようと考えていた。聖者殿に任せておけばよかろうと。しかし、すぐにそれが逃げだと気がついた」


 普段ならば、戦いのさ中に、好んで身の上を語るような男ではないだろう――そう察せられただけに、俺は真剣に耳を傾け、ディダレイの話の続きを待った。


「……そう、ここに駆けつける直前、ジャンデルが大声で私に助けを求めたことは、もちろん知っていた。だが、間に合わなかった。なればこそ、自らの手で討ってやらねばと分かっていたのに、その運命から顔を背けようとした」


 ディダレイはそこで言葉を置くと、ちらと後方を一瞥した。

 そして、咄嗟に振り返り、飛びかかってきた屍兵化した修道士の首を、見事な剣捌きで刎ね飛ばした。

 彼は地面に転がり落ちたその首を眺めつつ、こう続けた。


「どうやら、私は自分が考えていた以上に、弱く卑怯な人間らしい。自らの“名誉”のためにも、これを告白しておく。……しかし、私はなぜこのようなことを話しているのだろう。笑ってくれて構わん」


 笑えるはずなどなかった。

 見上げた男だ、と心から思うと同時に、俺は改めて己の変化がもたらした痛みに直面していた。


(――自らが生き抜くため、俺は全力を尽くしてジャンデルに立ち向かった。それゆえ、彼は命を落とし、屍兵と化した)


 ジャンデルが憎悪に駆られつつも、彼なりの正義を貫こうとしていたことは、当然理解していた。

 だが、本気で自分を殺しにかかってきた相手に、はいどうぞと命をくれてやることなど、生き続けると決めた今の俺に、許せる道理はなかった。

 俺にとっての正しさは、ジャンデルにとっての正しさと、真っ向から対立したのである。


(――そして、俺は徹底してジャンデルを策に嵌め、冷酷無比に追い詰めた。かつて共に戦場を駆けた男の命を、俺は踏み台にしたのだ)


 得も言われぬ感情が、胸中に激しく渦巻いていた。

 それと同時に、彼を斬った際のこの手の感触だけは、決して忘れてはならないのだと痛感していた。


(――だが、今はとにかく、目先のことだけに集中せねば)


 俺は深く息を吐き出し、気持ちを切り替えにかかった。

 それから周囲を一瞥すると、既に合流地点に到達した左の班が、戦闘を開始しているのが視界に映った。

 自ら率いてきた右の班も、実に慣れた戦いぶりで、既に優勢を得ている。

 挟撃は成功したのだ、と俺は思った。


「――屍兵は聖騎士たちに任せ、我々で奴を討とう。ジャンデルの弔い合戦だ」


 ディダレイの言葉にうなずいてみせると、彼は前を行くファラルモの背中に険しい視線を浴びせた。

 どうやらファラルモは、俺がジャンデルと斬り合っている間、脇目も振らずに直進を続けていたらしい。

 今では、大礼拝堂の真裏にあたる壁の前に到達しかけていた。


(――あの動き、普通の屍兵とは全く違う。それだけが気がかりだ)


 まるで意志を持っているかのようだ、と俺は訝しんだ。

 進路を塞いだジャンデルに手を下しこそしたが、それ以外は一切の戦闘行為を行わず、移動に専念し続けていたのである。

 破壊と殺戮のみを繰り返す通常の屍兵とは、完全に異なる行動形態と言えた。

 また、狂ったように走り回るのではなく、探るように一歩ずつ前進するその足取りも、特徴的かつ不気味に思えてならなかった。


(――まさか、“精神支配”の術で操られているのか!?)


“精神支配”――それは暗黒魔術同様、法によって禁呪に指定されている魔術の一つである。

 しかし、今現在“精神支配”は、“失われし魔術”となっていた。

 人を意のままに操れるその忌々しさから、詠唱法を記された魔術書は悉く焚書に遭い、過去数百年もの間、誰一人としてその使い手は確認されていない。

 あのゼルマンドでさえ、習得を諦めたと言われる魔術なのだ。

 加えて、“精神支配”は生者を対象とするのが基本であり、屍兵に対して有効かどうかさえ、定かではなかった。


(――“精神支配”はさすがにあり得ぬ。それに類似した、もっと別の術だろう)


 俺は仮にそう結論づけた。

 手持ちの魔術に関する知識だけでは、どれほど考えたところで、詮なきことと言えた。

 次いで、ディダレイの顔を見据えながらこう告げた。


「――ファラルモの槍こそ、“屍兵”を生み出す元凶だ。事実、ジャンデル殿はあれに貫かれて屍兵化した。必ず破壊せねばならん」


 ディダレイは直ちに厳しく目を細め、信じられないといった風に小さく首を振った。

 次いで、彼は大きく深呼吸をしたのち、囁くようにこう言った。


「……ジャンデル、今は待っていてくれ。必ずや、手厚く弔わせてもらう」


 俺たちは顔を見合わせ、互いにうなずいた。

 そして、全く同時に駆け出した。


「――確かに、あの槍からは桁外れの魔力を感じる。実におぞましい“魔術効果付与(エンチャント)”がなされていることは確からしい。おまけに、奴は身体能力と魔術耐性を高める術まで施されている」


 前方に開いた右掌をかざしつつ、ディダレイが言った。

 無詠唱の“魔力探知”を用いていたのである。

 それから彼は右手に剣を持ち直し、こう続けた。


「一刻も早く奴を片付け、イクシアーナ様とリアーヴェル様に合流しよう。あまり認めたくはないが、こちらは囮の可能性が高そうだ」


 同感だ、と答えたそのとき、地を揺るがすほどの轟音が鼓膜を打った。

 その直後、俺は我が目を疑った。

 ファラルモが、正面の壁に体当たりをぶちかまし、分厚い石壁を粉々に砕いていたのである。

 今では、易々と人が通れるほどの大穴が、壁に開いていた。

 正真正銘の化け物だ、と俺は思った。

 よほど強力な身体強化を施されていなければ、誰にも真似できない芸当である。


「……ヴウウッ」


 ファラルモは不気味に呻きながら穴を抜け、直ちに大礼拝堂の中に足を踏み入れた。

 可能な限り戦闘を回避し、標的のいる二階を最短距離で目指そうとしている――そうとしか考えられない動きに、俺は密かに戦慄を覚えた。


(――今のファラルモは、屍兵の理を超えた屍兵だ。生前以上の難敵と見て、まず間違いない)


 聖剣の握りに一層力を込めながら、俺はいち早く壁の大穴を走り抜けた。

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